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生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

花鳥風月

2010-11-20 21:31:29 | 日本クリスチャン・ペンクラブ

日本クリスチャン・ペンクラブ(JCP)関東ブロックで作品集を出版しました。
本の題名は「花鳥風月」です。花・鳥・風・月を題材にして書かれた20数名のあかし文章(400字)と詩、童話・小説が掲載されています。
わたしの作品は、400字のあかし文章4作品と童話「色をなくしたインコ」です。

今回、編集委員の一人に加えていただいて、手書きの原稿をワープロ化したり、校正を行ったので、出来上がった本を手にしたとき、我が子を抱くようないとおしい気持ちになりました。
今年の3月から隔月のJCP例会で400字原稿を書いて持って行きました。 
(原稿用紙1枚だから楽勝!)と最初は思っていたのですが、1枚で書き上げるのは大変でした。

今までエッセイは、3枚ぐらいの文章を書いていました。1枚は慣れていません。
短く書くつもりでも、2枚~3枚になってしまいます。書いた後、言葉を削りながら、ああでもない、こうでもないと何度も書き直します。

せっかくいいと思って書いた言葉を消すとき、痛みを伴うことがあります。でも、あとから読み直すと、削ってよかったと思うのです。
推敲をくり返すうちに余分なものが削がれ、本当に大切な言葉だけが残されていく作業がだんだん楽しくなってきます。

人生においても試練が訪れて身を削られる思いをすることがありますが、そのことによって大切なことが見えてきたりします。
剪定と同じですね。

「花鳥風月」は210ページ A5サイズ 定価1000円プラス税です。
問い合わせはJCPのHP、メールフォームからお願いします。


教会学校ではクリスマス会のための準備が始まっています。今日も人形劇の打ち合わせのため教会に出かけました。

明日から来月12日までの日曜、教師たちは朝8時半からの第Ⅰ礼拝に出て、10時半から12時半まで子どもたちと人形劇の練習をします。
明日午後は、教会の大掃除のあと教師会なので終わるのは5時近くになるでしょう。
かなりのハードスケジュールです。必要な体力が与えられるよにと祈りつつ……。


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風が変わるとき

2010-09-30 14:14:48 | 日本クリスチャン・ペンクラブ
日本クリスチャン・ペンクラブ(JCP)では花鳥風月をテーマにして400字エッセイを書いています。

400字は原稿用紙一枚分。たかが一枚、されど一枚……。
最初書いたときは、字数がかなりオーバーしています。
削って、ああでもない、こうでもないと言葉を入れ替えて推敲に推敲を重ねます。でも、書きたいことすべては書きつくせないので、行間に思いを込め……読者に伝わるように祈りつつ書いています。

「花」と「鳥」はブログで公開させていただきました。今日は「風」を掲載させていただきます。

風が変わるとき

「クリスチャンは、人を裁(さば)くの?」
責めたてるような友人の言葉にぎくりとした。部屋の中に険悪な風が吹いていた。
(彼女はわたしに裁かれたと思っているんだ。どうしよう。何と答えたらいいんだろう……)
わたしは答えに窮した。

(神様、助けて下さい。語るべき言葉を与えて下さい)
心の中で祈って口を開くと、

「クリスチャンだけじゃなくて、自分のことを棚に上げて他の人を裁いてしまう人は多いよね。でもクリスチャンは、裁いたとき、それが悪いことだと気がついて深く悲しみ、悔い改めるの。わたしがそうだから……」

と語っていた。わたしの考えで出てきた言葉ではなかった。

それに対して友人は何も答えなかった。でも険悪な風は消え、その代わりにふわりとした温かな風が吹いてくるのを感じた。

「さばいてはいけません。さばかれないためです(マタイ7:1)」


人生の中には窮地に陥る瞬間があります。心の準備ができていないとき、思いもよらないことを言われると頭の中はパニック状態になります。
どう反応したらよいか、何と答えたらよいか全くわかりません。返答一つで険悪な状況になりかねません。

そんなとき、心の中で短く祈ります。祈るしか術がないのです。
あのときわたしの口から出た言葉は、神さまが言葉を授けてくれたとしか思えない答えでした。


夫や娘との会話も、祈る間をおいてからすればいいのですが、家族だと緊張感が欠け、感情的にもなって、言葉で失敗することが多いです。(反省……)


月のように

2010-09-26 20:44:07 | 日本クリスチャン・ペンクラブ
一昨日は都内の実家に泊まり、昨日はお茶の水クリスチャンセンターで行われたJCP(日本クリスチャン・ペンクラブ)の例会に出席しました。
JCPでは3月から花・鳥・風・月で400字の証し文章を書いています。作品を無記名で提出し、グループで全員の作品を読み、合評を行います。

今回は今年最後のテーマ「月」でした。25名の方が集まりましたが、ほとんどの方が作品を書いてきておられ、しかも力作なので圧倒されました。

聖書に「月」が出てくる箇所は少ないので、わたしはこのテーマで何を書けばよいのかさんざん悩まされました。何とか書くことができて、持って行きました。

11月には花鳥風月のエッセイと、詩や童話、小説を掲載した文集が出版されます。わたしは編集委員をさせていただいているので、これから校正などで忙しくなりそうです。

理事長の池田勇人先生が「月」にちなんだメッセージをしてくださいました。紹介します。


光という言葉の語源は、天上で輝く太陽の火を借りてきたことによります。火借り→ひかりです。

月の語源は、尽きるという言葉からきています。わがままに尽きる。これに尽きるなどといいますが、自分の姿をだんだん消していく、月の光がなくなって尽きていくということから月という言葉が生まれました。


月の明るさは、太陽の約50万分の1です。それでも、夜に月の光があると道が見えます。月のような小さな光でも方向がわかるので役に立ちます。
わたしたちが書く文章を他の人と比較して落ち込むことはありません。
月には月の栄光が、わたしにはわたしの栄光があります。

月の光は反射の光です。自分で光っているのではありません。
わたしたちも神さまの光を受けて光っています。
暗いことで悩むことはありません。暗い光でも喜んで必要としてくれる人がいるから……。ねたまず、うらまず、さげすまず、つぶやかず、感謝しましょう。


月は太陽の光を反射させて光っている! 月は自分自身で光っているのではないのですね。
知っていたことですが、新しい発見をしたような気がしました。
わたしも月のようになりたいです。自分で光ることはできないけれど、神さまの光を受けて輝きたい。小さな光でもいい。ほの暗い光でもいい。誰かがこの者の光で主に導かれるなら。

久しぶりの関西(その2)

2010-08-09 12:31:36 | 日本クリスチャン・ペンクラブ

写真は京都の関西セミナーハウスの庭から8/4に撮った写真です。山が色づいて秋のようですが、真夏の風景です。

1泊2日のJCP夏期学校は盛りだくさんのプログラムでした。
児童文学者の今関信子先生の本「命をつなぐ250キロメートル」という作品について。
山本優子先生の「見果てぬ夢を」という本についてお話を聞きました。

以前滋賀県でJCP夏期学校が行われたとき、今関先生にお目にかかっています。そのとき童話や児童小説を書いていることを話しました。今回も声をおかけすると、わたしのことを覚えていてくださいました。
作品の中にストレートに信仰を出されているけれど、やはり、悩み葛藤の中から作品を生みだしておられることを伺って共感しました。

山本優子先生のご本は、明治38年に盲学校を設立した左近允孝之進(さこんのじょうこうのしん)という方の伝記です。
100年ぐらい前の人物なのでほとんど資料が残っておらず、苦労されたことを伺いました。

昨日の礼拝で茨城県古河教会の牧師先生がメッセージをしてくださいましたが、牧師先生のおじい様が生まれつきの盲人で、岐阜の盲学校に入学されたこと、盲学校の校長先生から福音を聞き、信仰を持たれたことを聞きました。
「祖父は、目が見えなかったから、心に光が与えられたのです」という言葉に、左近允孝之進と重なりました。

グループに分かれての学びでは、久保田暁一先生のグループになりました。
久保田暁一先生は三浦綾子文学の研究もされていて、「「お陰さまで」三浦綾子さん100通の手紙」 や「三浦綾子の世界―その人と作品」などの本を出版されています。

以前のJCP研修会でお目にかかったことはありましたが、直接お話ししたのは初めてでした。
「力をたくわえて希望を持って書き続けること。心ある人を神は放っておかない。」と言われた久保田先生の言葉に大いに励まされました。

                 つづく

久しぶりの関西(その1)

2010-08-07 17:21:03 | 日本クリスチャン・ペンクラブ
4日、5日はJCP(日本クリスチャン・ペンクラブ)の夏期研修会で京都まで行ってきました。5日に研修が終わった後、神戸まで足を延ばして6年ぶりに学生時代の友人と再会を果たし、6日の夜帰宅しました。

7月の初め、OBI(お茶の水聖書学院)のサマースクーリングで軽井沢に行く予定でいたのに当日朝に熱を出して行かれなくなってしまいました。
旅支度をしていて当日キャンセルしたことは今までなかったので、ショックでした。

母に言うと「自己管理が出来てないからだめね。 わたしなんかこの一年一度も病院へ行ってないのよ」としかられてしまいました。
「でも、こんなこと初めてよ」と言うと「子どものころはいつもそうだった」と母。

そういえば、幼稚園のころは遠足に行ったおぼえがありません。当日にいつも熱を出して休んでいました。喜びと緊張で熱を出していたのです。
「幼稚園のころと一緒にしないで」と言いましたが、精神年齢はそのころとあまり変わってないかもしれません。

サマースクーリングが行けなかったため、それが軽いトラウマになっていたようで、当日朝になるまで心配でした。でも、今回は神さまが行かせてくださいました。



JCPの研修会は関西セミナーハウス(京都市左京区)で行われました。そこは、茶室や能楽堂、日本庭園もあり、緑に囲まれた静かで落ち着ける場所でした。歴史的風土特別保存地区になっているそうで、竹林には手を入れられないのだと管理されている方がおっしゃっていました。

関西JCPの方たちとは3年ぶりにお目にかかりました。なつかしい方々との再会が嬉しかったです。

つづく

鳥に教えられ

2010-07-04 20:56:30 | 日本クリスチャン・ペンクラブ

日本クリスチャン・ペンクラブ(JCP)では花鳥風月で400字エッセイを書いています。5月例会では、「鳥」をテーマに書きました。紹介させていただきます。


鳥に教えられ

その年の教会学校(CS)のピアノ伴奏者はひとりしかいなかった。最低ふたりは必要なので「わたしが弾きます」と申し出た。ピアノは得意ではない。でも、幼稚園に勤めていたとき、歌の伴奏をしていた。
 
 練習すればすぐ弾けるようになると思ったが、考えが甘かった。リズムがわからない。子ども讃美歌なら弾ける。でも、CSで歌う曲はリズミカルな曲ばかり。

「テンポが遅れているよ」と娘に言われ、数えながら弾く。録音した曲を何十回も聴き、何時間同じ曲を弾き続けても正しく弾けない。

(わたしには無理)と思った時、『ピーピ チチチチー』と楽しそうな鳥のさえずりが聞こえてきた。鳥は神様を喜び、賛美している。

大切なことを忘れていた。リズムばかり気にして主に向かって弾いていなかった。神様をほめたたえ、喜びの賛美として捧げよう。

祈りつつさらに練習すると、「あってるよ、リズム!」と、娘の声がした。



明日からOBIサマースクーリングで軽井沢に出かけます。

写真は桜川学園大橋より写したサギのコロニー。サギたちは春にやってきてここで繁殖し、10月にはどこかへ飛んで行ってしまいます。

嫌いだった花火

2010-06-04 12:06:43 | 日本クリスチャン・ペンクラブ

今年、日本クリスチャン・ペンクラブ(JCP)では400字のエッセイを書いています。テーマは花*鳥*風*月。2か月に1作品書いて例会に持っていき、合評会をしています。
「花」と「鳥」は書けたのですが、次の「風」はまだです。

わたしは、小説も短編より長編が書きやすく、エッセイは短くまとめたつもりでも原稿用紙10枚くらいになってしまうので、1枚にまとめるのに大変な苦労をしています。
悪戦苦闘しながら書いた文章を紹介します。
テーマ「花」ですが、花は花でも花火です。


嫌いだった花火

「花火はきれいだけど、あっという間に終わってむなしいから嫌いだ」従兄弟が言った。
当時中学生のわたしは、従兄弟の言葉に深くうなずいた。命のはかなさを思い、むなしさを感じていたからだ。
それまでは、煙が喘息の引き金になるという別の理由で花火を嫌っていたのだが……。
 
それから数十年後、全国花火競技大会を部屋から見ることができるマンションに住んだ。
煙は届かないのに花火を喜べず、大会が始まっても台所に立っていた。
 
「はじまったぞ」主人に呼ばれて振り向くと、夜空に大輪の花がいくつも咲いていた。花火は一瞬で消えてしまったが、目の奥には残像がくっきりと焼きついていた。

『草は枯れ、花はしぼむ。だが、私たちの神のことばは永遠に立つ。(イザヤ 四十:8)』

地上の人生がはかなくてもいいではないか。永遠なるものがあるのだから。永遠の命を下さるお方を指し示す文章を紡いでいきたい。 

ホームページクイズの答え

2010-02-13 15:58:06 | 日本クリスチャン・ペンクラブ

ホームページクイズ(2/10の記事)楽しんでいただけたでしょうか? 解答を寄せてくださった方々。ありがとうございました。

正解をお知らせします。

①の答えは3:深浦海岸の岩山


去年、娘が白神山地へ旅行に行ったとき撮ったものです。青森県深浦海岸の山ですが、ちょっと外国の山の感じがしますね。ヘルモン山のイメージで載せました。(実際のヘルモン山とはずいぶん違うようですが・・・)
ヘルモン山とはシリア・レバノン・イスラエルの国境にあり、変貌されたイエス様が、モーセとエリヤと話していた山といわれています。

トップになぜ岩山の写真を選んだのか? というと、イエス様の弟子ペテロを思い浮かべたからです。ペテロは「岩」という意味です。
イエス様に「あなたがたは、わたしをだれだといいますか」と尋ねられて、ペテロは「あなたは、生ける神の御子(みこ)キリストです」と答え、イエス様にほめられています。(マタイ16:15-19)

キリストというのは『救い主』という意味です。つまり、ペテロは『イエスさまこそ生きておられる本当の神様の子どもで、わたしの救い主です』という信仰告白をしているのです。
イエスさまは「このことをあなたに明らかに示したのは、人間ではなく天にいますわたしの父です」「あなたはペテロ(岩)です。わたしはこの岩の上に教会を建てます」と言われました。

岩のように固い信仰を土台として文章を綴っていく・・・「文は信なり」をモットーとしているJCPにふさわしいと思いました。


②の答えは2:十二湖 青池

これも青森で娘が撮ってきました。

③は3:出版物

わたしの毎日の散歩コース桜川です。今年のお正月にわたしが撮りました。元の写真は左側に主人が凧あげをして、孫が見ている場面があったのですが、切り取りました。

④は3:リンク

先月末、読書会の食事会で上野に行きました。不忍池の水鳥です。2羽いたのですが1羽になってしまいました。


⑤は1:薄紫

ちなみに最初に作成した時は黒でした。

フリー素材のサイトにもいい画像がたくさんあるのですが、宗教関係は使用不可が多くて、結局個人で写した写真が使いやすいことに気づきました。この次のリニューアルまでにはもっといい写真を撮りたいと思います。


プリスカさん。画像差し上げます。JCPのメールフォームよりメールアドレスをお知らせくださいますか。

*わたしのHP、「生かされて・・・土筆文香」のINDEXページとトップページ3年ぶりにリニューアルしました。
これにはクイズ出しませんが、よろしければご覧ください。

ホームページクイズ

2010-02-10 17:00:50 | 日本クリスチャン・ペンクラブ

今日はHPの更新で疲れたので、ブレイクとしてクイズを出すことにしました。

わたしは、日本クリスチャン・ペンクラブ(JCP)の会員で、HPの管理人をさせてもらっています。HPは2004年11月に開設しました。以降、約1か月に一度会員の作品を掲載しています。

ホームページはHP作成ソフトを使わずに娘が作成しました。最初は、暗号のようなHTMLを見て、何がどうなっているのかまったくわかりませんでした。
マニュアルを見て少しずつ理解できるようになり、(まだ、わからないことの方が多いのですが……)毎月の更新は、以前ほど時間がかからなくなりました。

今回久々にリニューアルしたので、5つのクイズを出します。3つ以上の正解者にはJCPのメールフォームからメールアドレスをお知らせいただければ、とっておきの画像を差し上げますのでお楽しみに。

13日土曜日に正解をお知らせします。三択問題ですので、勘を働かせていただければ全問正解できますよ。コメント欄に答えを書いてくださいね。
*メールでもかまいません。JCPのメールフォームから。または、「生かされて・・・土筆文香」HPのメール欄にわたしのアドレスが書かれています。

まず、日本クリスチャン・ペンクラブ(JCP)のHPをここをクリックしてご覧ください。


①最初のページ(INDEXページ)の山はどこの写真でしょう?
  1:ヘルモン山
  2:ヒマラヤ山脈
  3:深浦海岸の岩山

②【活動内容】のページの写真はどこで撮影したものでしょう?
  1:五色沼
  2:十二湖 青池
  3:尾瀬

③近所(土浦市)で撮った写真はどれでしょう
  1:ペンクラブの歌1
  2:小史
  3:出版物

④今年に入ってから、このブログにアップした写真を加工して用いています。どのページでしょう?
  1:JCPへのおさそい
  2:趣旨
  3:リンク

⑤今回はメニューの色など、緑色を基調として作りました。リニューアルする前は何色を基調としていたでしょう?
  1:薄紫
  2:黒
  3:茶

6節まであった「きよしこの夜」

2009-12-03 20:18:14 | 日本クリスチャン・ペンクラブ

クリスマスシーズンになると、「きよしこの夜」が聞こえてきます。教会へ行ったことがない人でも「きよしこの夜」を知らない人はいないでしょう。

「きよしこの夜」は賛美歌109番ですが、3節までしか歌詞が書かれていません。
数年前、6節まであることを知ったとき、心打たれました。
ドイツ語の原作は6節まであり、その翻訳をメロディーにあわせて日本語の歌詞として書かれたのが日本クリスチャン・ペンクラブ(JCP)のメンバーでもある詩人、佐藤一枝さんです。

佐藤一枝さんは、たくさんの賛美歌の作詞をなさっておられます。その佐藤さんと先日JCPクリスマス会で朗読劇をご一緒にさせていただきました。佐藤さんは80歳過ぎておられますが、美しく乙女のような声でマリヤ役をされました。わたしはヨセフ役でした。

きよしこの夜の4~6節の歌詞を紹介します。


4 きよしこの夜 神のみ子が 
  栄えの姿 惜しまず捨てて
  降(くだ)り給う 罪の世に

5 きよしこの夜 小さきみ手を
  かかげて招く 救いのみ子は
  愛し給う 友の如(ごと)

6 きよしこの夜 み傷しめし
  すべての民に ゆるしの恵み
  与え給う イエス・キリスト


以下はわたしなりの解説です。

4 神様の子どもであるイエスさまは、本来栄光に輝いたお姿です。それなのに栄光の姿を惜しまず捨てて、人間の赤ん坊として最も貧しいところ(家畜小屋)、罪に満ちたこの世界に生まれて下さいました。

5 イエス・キリストは、どの国の人たちも、どのような身分の人たちも、小さな手をかかげて招いて下さり、友のように愛して下さいます。これは、世界平和を意味します。

6 み傷というのは、十字架にかけられたときの傷です。キリスト生誕の歌なのになぜ十字架が出てくるのか? と思われる方もいるでしょう。
それは、キリストが生まれた理由が十字架につけられるためだったからです。

「すべての民にゆるしの恵み」
と書かれているようにキリストは、わたしたちの身代りに十字架にかかって罰を受けて下さいました。そのおかげでわたしたちはキリストを信じるだけで罪をゆるしていただけるようになったのです。ゆるしの恵みを与えていただいたのです。


今年のクリスマスは、「きよしこの夜」を6節まで賛美しましょう!


JCPクリスマス会のお知らせ

2009-11-17 17:10:14 | 日本クリスチャン・ペンクラブ

日本クリスチャン・ペンクラブ(JCP)関東ブロックのクリスマス会、☆ジョイフル・クリスマス☆が28日(土)に行われます。

時 11月28日(土)13時半から15時半
場所 御茶ノ水クリスチャンセンター4階416号室
内容 クリスマスメッセージ: 『光の中に光を見る』
           池田 勇人牧師
聖書:詩篇36篇9節
賛美:賛美歌276番 
特別賛美
朗読劇 「ベツレヘム通りの人々」 (脚本をJCPのHPに掲載しました。わたしも役をいただいています)

参加費  1000円


この日はオープンJCPです。JCPの会員外の方もぜひご参加ください。申込は11月
22日まで。
JCPのHPをご覧ください。JCPのHPメールフォームからも申込受け付けます。


今回はJCPのHP作成に6時間以上かかってしまいました。(いつもはそれほどかからないのですが……)初めて脚本をアップしたのですが、脚本はセル(表)を作って作成しないと字の配列がうまくいきません。

HTMLの仕組みが十分わかっていないのに、ホームページ作成ソフトも使わずに作成しているので、やたらと時間がかかります。(勉強しなくては・・・)
目を閉じると tr tdのタグがチラチラ見える始末です。
文字の前後にタグ(記号)を入れて作るのです。

HPの画面を右クリックしてソースを左クリックしてみてください。
たったひとつの記号、たとえば>が抜けただけでめちゃくちゃになってしまいます。
昨日は娘にSOSを出しました。娘がいなかったらできなかったでしょう。


朗読劇 「ベツレヘム通りの人々」は人口登録のためベツレヘムにやってきたマリヤ、ヨセフが宿を探す場面から始まります。セリフからマリヤ、ヨセフ、宿の主人たちの心情が伝わってきます。

ベツレヘムの町から拒否され、どこにも泊まるところがなく途方に暮れるマリヤとヨセフ。出産が迫っているというのに・・・・・・。しかも生まれる子は全世界の救い主なのです。

マリヤやヨセフは、神様が出産の場所を用意して下さることを信じきって一抹の不安もなかったのでしょうか?

聖書にはマリヤとヨセフの心情は書かれていませんが、この物語ではふたりは人間の弱さを抱えた者たちとして描かれています。

マリヤは「ふっとかすかに、神様を疑ってしまいました。」「受胎を告知されたとき、『わたしは主のはしためです。おことば通りこの身になりますように』と明け渡したのに…、不信仰でした。」というセリフを言い、

ヨセフは「『神にはなんでもできないことはない』と頭ではわかっていても、不本意なことがあると、すぐ不信仰になってしまう。私は罪深い人間だ。」と言っています。
このところに共感します。

宿泊を拒否した人たちが心痛めるところもわたし自身のように思えてなりませんでした。


グリーン・ジョイフル(その3)

2009-06-04 12:17:18 | 日本クリスチャン・ペンクラブ

研修会では5-6人のグループに分かれて、それぞれが「私と聖書の人々」というテーマで書いてきたあかし文章を発表し、批評しあいました。

以下はグループでの学びのあとでI先生がおっしゃった言葉です。


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批評されることによって、第三者の目で客観的にみてもらえる。
愛がなければ批評ができない。ほめられることも大切。
ベテランになればなるほど車検のように点検と集中的検査をする。
神様はどんな拙い文章でも用いて下さる。
自然に感動が伝わるように書く。(伝えようと思うとダメ)
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『神様はどんな拙い文章でも用いて下さる。』という言葉にほっと胸をなでおろしました。

最後にグリーン・ジョイフルの閉会礼拝のメッセージを紹介します

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詩篇119編は次の節で終っています。
「私は滅びる羊のように迷い出ました。どうかあなたのしもべを捜し求めて下さい。私はあなたの仰せを忘れません。(詩編119:176)」

この聖書の言葉は、信仰の主体性はわたしではなく、神であることを示しています。
信仰は、何年信じてきたか、どれだけ奉仕してきたかではないこと。
信仰とは、わたしが信じているのではなく、信じさせて下さる神様がおられる。わたしを捜し求めておられる神がおられるということです。
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自分には信仰があると思った瞬間、不信仰になって揺らぎます。不安で心の中は嵐の海のようになっています。そして、どこへ向かっていけばよいかわからずに羊のように迷い出てしまう自分を思いました。


祈り
神様、どうかわたしが信仰歴や奉仕を誇り、高ぶることのないようにしてください。しばしば迷い出る者ですが、見つけ出して懐に抱いてください。

                おわり

グリーン・ジョイフル(その2)

2009-06-01 16:30:01 | 日本クリスチャン・ペンクラブ

JCP研修会のグリーンジョイフルで「わたしの文章作法」としてお話をさせていただいたことの一部を紹介します。 


わたしは中学生のころ、むなしさを感じて死にたいと思っていた時期がありました。自分の存在価値、生きる意味がわからず、気力を失っていました。
もし創造主である神様のことを知っていて、神様の愛を伝えられていたら、ずいぶん違っていたでしょう。

現代を生きる子どもたちの中にもわたしと同じような思いを抱き、死を望んでいる子どもがいるのではないかと思います。その子どもたちに何とか神様の愛を伝えたいと願い、児童伝道に重荷をもつようになりました。
そのためにわたしができることとして考えたのが、童話や児童小説を書くことでした。

映画や物語が子どもたちの心にどれほどの影響を与えているかご存知でしょうか。
大人は物語の世界と現実を区別して考えます。でも、子どもは強烈な印象を受けた物語を頭の中で何度も繰り返すのです。

12年前、娘が小学生のとき、宮崎駿監督の映画『もののけ姫』が公開されました。
「隣の席の男子が授業中に『もののけ姫』のテーマ曲をずっと口ずさんでいて、うるさくてしょうがない」と娘が言いました。その男子はテーマ曲を口ずさみながら映像やストーリーを頭の中で何度も繰り返していたのでしょう。

また、子ども家庭集会で訪れた家の子どもは「千と千尋の神隠し」の絵本を持ってきて、その内容を一生懸命説明してくれました。「千と千尋」は八百万(やおよろず)の神を描き、「もののけ姫」は自然のものに精霊が宿るという思想です。

子どもに観せてはいけないと言っているわけではありません。聖書物語を聞いて育った子どもたちは、大丈夫だと思います。でも、聖書の神様を知らない子どもたちは、間違った神観が植えつけられてしまいます。

アニメではありませんが、去年公開された「ライラの冒険」を観にいって驚きました。原作はフィリップ・プルマンの「黄金の羅針盤」というファンタジー小説です。そのテーマは神に対する反抗で、神に反抗するサタンが正しいという見解で書かれています。

子どもたちはエキサイティングな物語展開、映像に惹きつけられて観ます。テーマはわからなくても伝わってしまいます。そのような物語を繰り返し頭の中でシミレーションしている子どもたちのことを思って心が痛みました。

CSルイス原作の「ナルニア国物語」が映画化されたときは嬉しくて2作とも映画館で観ました。強調する場面は原作と異なっていましたが、しっかりテーマは伝えられていました。

子どもたちに植えつけられた間違った神観、価値観を覆すには、聖書信仰に基づいた子ども向け小説や映画がどんどん作られることです。

聖書信仰を土台とし、子どもの心を惹きつけるストーリーで、文学的にもすぐれた作品が書きたい……と願いますが、説明は簡単にできても実際に書くとなると、とてつもなく大変なことだのだと最近思い知らされました。

わたしは、童話を書き始めて15年になりますが、まだまだ暗中模索の段階です。
2年ほど前からファンタジーの長編に取り組んでいます。昨年秋のオータムジョイフルで「書くことの原動力」と題して書いたエッセイに


【「神の国とその義とをまず第一に求めなさい」のみ言葉から小説の書き方を学ぶより、まず神様のことを第一に求めるべきなのだと考えて、御茶ノ水聖書学院通信科で旧約聖書の学びを始めました。学びを通して神様がどれだけわたしのこと愛しておられるかがわかって、胸が熱くなりました。この思いの高まりが書くことの原動力となって、書き上げることができたのです】
と書きました。

その後、書き上げた小説を娘に読んでもらいました。
「信仰という縦糸はしっかりしているけど、技術的な横糸がヘロヘロだから、作品としてはまだまだね」と手厳しい批評を受け、がっかりしていると、

「でもね、お母さん。ひとつだけ成功したことは、いつもキリストを示す登場人物を前面に出していたので、読んでいるとテーマを押しつけられているように感じたけど、今回はそれを感じなかったよ。うまく隠されていて、神様の愛が伝えられているよ」
と、娘が励ますようにいいました。その言葉を聞いてとても嬉しく思いました。

その後、児童文学者協会の講師の先生に小説を見ていただきました。「ストーリーはいいが、技術的にまだまだ……。説明が多すぎる。説明でなく臨在感のあるものとして書くように」と言われました。

それから4か月かけて推敲をしました。大がかりな全体的推敲は3回目です。原稿用紙200枚弱だったのが248枚に増えていました。
そして再びこれを児童文学者協会へ持っていくと、一生懸命書き直した努力は認めてもらったものの構成の面で問題があって、またまた書き直しになりました。

少し時間を置いて寝かせてから書き直したいと思っています。完成まで何年かかるかわかりませんが神様が書きあげる力を与えて下さると信じて……。

グリーン・ジョイフル(その1)

2009-05-29 11:54:59 | 日本クリスチャン・ペンクラブ

先日茨城県潮来で日本クリスチャン・ペンクラブ(JCP)の研修会が行われました。研修会の名前は緑の季節にちなんでグリーン・ジョイフルです。

JCPは創立57年になります。初代理事長は赤毛のアンを翻訳された村岡花子さんです。
わたしが入会したのは50周年のときですから、20年、30年学んでこられた方々に比べるとヒヨコのようなものです。
前理事長の満江 巌(みつえ いわお)先生にお目にかかったことがありませんが、満江先生に教えられたことをH姉が紹介してくださいました。


あかしの文章を書くためには、聖書を熟読し、聖書の人物に注目することが必要です。文章作法を学ぶことより、まず信仰が大事で、まさに「文は信なり」です。

一字一句に祈りをこめ、全力で集中して書くことが大切です。そして、多くの信仰者の文章を読むこと。忍耐してたゆまず書いてほしいです。


文章上達法では、M姉がレクチャーしてくださいました。

道具である『言葉』を手入れし、点検し、みがくこと。書いた後で、間違った意味で使ってないか点検することも必要。

書く前と書いた後の始末が大切。
書く前に設計図を描く。文章のプラン、構成を考える。
家にたとえると、土台(テーマ)を作り、間取り、枠組みを考える。部屋数は話題数。
一軒の家を4つに分け起承転結にしたり、3つに分けて序論、本論、結論にするなど。

設計図がないと思いつきで書いてしまう。頭に浮かんだものをどんどん書いていくとひとりよがりの文章になる。読み返すと綻びがみえてくる。
書いた後は読んで下さる方への配慮として後始末をする。

推敲作業
自分の書いたものを少し離れてながめる。段落は整っているか。(1段落は3-5行にする。)一字下げしているか。漢字が多くて紙面が黒くなっていないか、風のとおる空間があるか、雑草(不要な文、言葉)が処理されているか・・・など。


わたしは、かつてM姉がどんどん書けるときはストップして、別のことをしてからまた書くと言っておられたのを聞いて「何故かなあ?」と思っていました。

すらすら書けるときなど、めったにないことです。そんなチャンスをのがしてなるものかと思っていました。そして、そういうときは3時間ぐらい(それ以上は集中力が続きません)続けて書いていました。


『頭に浮かんだものをどんどん書いていくとひとりよがりの文章になる。』
と聞いて「なるほど」とうなずきました。
確かに次々書けているときは楽しく、自分では素晴らしい文章を書いていると思いあがっていますが・・・後で読み返すと問題があることが多かったのです。

逆にふさわしい言葉や文章が出てこなくて、書いては消し、消しては書いている箇所は、最終的にはよい文章になっていることがあります。

「うーん……」
文章とは苦しみながら生み出していくものなのですね。

「推敲しているときが一番楽しい時でしょう」と児童文学の仲間から言われたことがありますが、確かにそうだと思いました。

生み出すときは出産時のように苦しみで、推敲しているときは子育ての時のような楽しみがあり、完成して人手に渡ったら子ども(作品)が親(作者)の意志を越えて独り歩きしていくのです。

親の思いをこめて育て上げた子どもの中にキリストが形作られていますように。そして、読者がそれに気づいてくださいますように祈りつつ…今日も書いていきます。

               つづく

JCP研修会

2009-05-27 21:19:23 | 日本クリスチャン・ペンクラブ

25日26日は日本クリスチャン・ペンクラブ(JCP)の一泊研修会で潮来に行ってきました。

潮来市は、わたしが住む土浦市と同じ茨城県ですが、霞ヶ浦の向こう岸です。車なら1時間ぐらいで行けるのですが、電車だと千葉県を通って行くので2時間半もかかってしまいます。しかも、鹿島線は一時間に1本なので乗り遅れると大変です。

 我孫子から成田線に乗るのは、主人の実家に行くときと同じなので慣れています。鹿島線は初めて乗りました。車中からは、のどかな田園風景を眺めることができました。

 潮来では、ちょうどあやめ祭りが開催されていました。




集合時間よりずいぶん早く着いてしまったので、前川あやめ園で菖蒲や睡蓮の花を眺めながらゆっくりとホテルに向かいました


 
研修会は密度の濃いものでした。開会礼拝から始まって、文章作法についての話を聞きました。(わたしも10分間話をさせていただきました)

 文章上達法を学び、それぞれが「私と聖書の人物」というテーマで書いてきたあかし文章をグループに分かれて合評しました。

 声楽家のT姉に歌唱指導をしていただいて、心から喜びをもって賛美し、JCPの仲間と語らい、すばらしい2日間でした。

帰りは高速バスで東京まで出て、上野から常磐線で帰ってきました。

内容は、次回紹介させていただきます。

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