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生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

オータムジョイフル(その4)

2008-09-16 16:31:01 | 日本クリスチャン・ペンクラブ

盲腸炎で入院していた息子は、13日に退院し、14日から一家で泊まりに来ました。ヒックンに大人5人が振り回されて、何をしたのか覚えていないほどです。賑やかな連休でした。


オータムジョイフル、1日目の夜はグループに分かれて、それぞれが書いてきた課題文を発表し、話し合いをしました。原稿用紙2-3枚のあかし文を書く目安を教えていただきました。


①1文の長さは適当か(目安50字以内)
②段落は適当か(目安100字~150字)
③主題と内容が合っているか
④起承転結がはっきりしているか
⑤文にねじれや意味不明の箇所がないか
⑥説教調になっていないか
⑦キリスト用語の多用はしていないか


自分の書いたものを評価してみると、①と⑦がひっかかりました。⑦は人に教えていただいて気づきました。自分では気づかずにキリスト用語を使っていたのです。(福音という言葉)

ノンクリスチャンにもわかるように説明する文章が入っていればいいのですが、それを書くと字数オーバーになってしまいます。なかなか難しいです。何回も推敲した文章でもひっかかるのですから、ほとんど推敲してないブログの文章は、あかし文になっていないのでは? と心配になってきました。これからはもう少し気をつけたいです。


「推敲は健康診断ならぬ健筆診断です。健康診断を受けるように健筆診断を受けることが大切です。人に批評されることにより、自分の気づかなかった文章のくせもわかってきます。人から指摘され、書き直すことにより成長します。それは批評される恵みです。」

と聞いて、その点において、わたしは大いに恵まれていると感謝しました。

最後に

「小さな群れよ。恐れることはありません。(ルカ12:32)」
「求めなさい。そうすれば与えられます。(マタイ7:7)」

の2つの聖書の言葉が読まれました。



ときたま書くことが怖くなるときがあります。でも、恐れを抱かず、書き続けようと思いました。

神様のみ心にかなった文章が書けるように求め続ければ、かならず書けるようになるのだと励まされて帰途につきました。

      
おわり

オータムジョイフル(その3)

2008-09-13 21:49:05 | 日本クリスチャン・ペンクラブ

クリスチャン・ペンクラブの研修会オータムジョイフルは、埼玉県寄居で行われました。私の住む茨城県土浦市からは、直線距離にすればそれほど遠くないかもしれません。でも、電車ですと上野まで出て高崎線に乗り換えなければなりません。上野から熊谷まで快速で約1時間、熊谷から秩父鉄道に乗り換えて30分ほどで寄居に着きます。家を出てから上野まで行くのに1時間半かかるので乗り換え時間を入れると4時間もかかり小旅行という感じです。寄居も熊谷も初めてだったので、どんな所なのかとわくわくしました。


埼玉で行うということで、埼玉県とゆかりのあるキリスト者について3人の方が発表してくださいました。その中で荻野吟子の生涯に心惹かれました。
荻野吟子は日本で第一号の女医ですが、わたしは数か月前まで彼女について何も知りませんでした。渡辺淳一の「花埋(うず)み」という小説を友人から貸してもらって読み、荻野吟子のことを初めて知ったのです。

1851年生まれの吟子は、16歳で結婚しますが夫に性病をうつされ、3年で離婚されてしまいます。順天堂病院に入院し、治療を受けますが、医師がすべて男性であったためひどい屈辱を受けたと感じ、女性の医師の必要性を感じます。
自らが医師になるという志をいだいて上京し、東京女子師範学校を卒業したのち私立医学校好寿院に入学します。そこでは、女性がひとりもいないのでいじめを受けますが、袴に高下駄をはいて通ったそうです。

1882年(明治15年)に卒業し、内務省医師開業試験を受けようとしますが、女性であるがゆえに拒絶されてしまいます。
その時代は、女性の立場が低かったことを思わされます。

性病になったのはご主人のせいなのに離縁されてしまうなんてあんまりです。
女性の名前でキクとかウタとかウメなど2文字が多いのは、夫が呼びつけて用事を言いつけやすいようにとの理由からだそうです。吟子も、“ぎん”だったのを自分で吟子としたようです。


女性が本を読んだら離縁される時代でした。ましてや勉強して医師になりたいなどと言ったら、気がふれたと思われてしまいます。医師になることを希望した吟子が実家で反対されたのは当然かもしれません。それでも吟子に味方をし、助ける者があって、明治18年医師試験を受けることができ女医第一号となりました。吟子34歳のとき、ついに開業できたのです。

今の時代では考えられませんね。以前教会の学び会で、「創世記には女性は男性の助け手として造られたと書かれています。だから、妻は夫に仕えるものです」とうようなことを誰かが発言したら、怒って帰ってしまった女性がいました。伴侶のことを「夫」とは呼ぶけれど、「主人」とは決して呼ばないという女性も多いです。

医師になった翌年に吟子は洗礼を受けています。キリスト教演説会を聞きに行ったことがきっかけで教会へいくようになったようですが、クリスチャンになって心がどのように変化したのかは、「花埋み」には書かれていません。

渡辺淳一氏はノンクリスチャンですから当然ですが、クリスチャン作家によって書かれた小説があればぜひ読みたいと思いました。

その後吟子は再婚し、北海道へ行ったり、苦労を重ねますがキリストと共にある平安と喜びに満ちた人生を送られたのだと信じます。

帰りに熊谷駅の売店によると荻野吟子にちなんだ「吟子せんべい」が売っていました。

吟子の愛唱聖句を紹介します。(文語訳聖書)

「人その友の為に己の命を損なう 此れより大なる愛はなし。(ヨハネ15:13)」

            
つづく

オータムジョイフル(その2)

2008-09-12 18:23:06 | 日本クリスチャン・ペンクラブ

クリスチャン・ペンクラブ研修会の最中に息子が盲腸炎で入院というメールが入りました。体が丈夫で、生まれてから今まで一度も入院したことがなく、この4.5年は熱も出したことがなかった息子が入院とは…・・・。

動揺しましたが、命にかかわる病気ではないこと、お嫁さんが必要なものは病院に持って行ってくれていることを聞いてほっとしました。息子がまだ結婚していなければ、親が面倒をみなければなりませんが、お嫁さんがいるのだからおまかせしましょう。幸い入院した病院はお嫁さんのご実家の近くです。ヒックンをご実家に預けて病院へ行ったと聞いて安心しました。

手術はしないで、散らすそうです。わたしは、昨日になって初めて見舞いに行きましたが、顔色もよく元気そうでした。まだ24時間点滴ですが、明後日ごろ退院できるらしいです。伝染病や深刻な病気でなかったことを主に感謝しました。この機会に息子が神様に心を向けてくれるといいのですが…・・・。


さて、今回のオータムジョイフルのテーマは「私とあかし文章」でした。あかしの文章を書くにはどのようなことに気をつけたらよいか教えていただきました。

わたしはお目にかかったことがありませんが、前理事長のM先生は常に「文は信なり」とおっしゃっていたそうです。

聖霊の力をいただいて整えられて書く。書くというより書かせていただく。テクニックより信仰。わたしが前面に出るのではなく、キリストが透けて見えるように書
くことが大切です。


「神様は書くことがお好き」
なのだと聞いて、確かにそうだなあと思いました。

旧約聖書にモーセの十戒のことが書かれていますが、十戒は神様が石の板に指で書いたものです。十戒というと、厳しいおきてのように感じられますが、実は神様の愛の言葉です。人間が幸せに生きていくために必要なことが書かれているのです。

新約聖書(ヨハネ8:6-11)には、イエス様の前に姦淫の女を連れてきて、イエス様を試そうとするパリサイ人たちのことが書かれています。そのときイエス様は黙って地面に何か書いておられました。何を書いていたのかわかりませんが、書くという姿勢が神様をあかししているのだと聞いてはっとしました。

それまでわたしはイエス様が何を書いておられたのか、そのことばかり気になっていたからです。
書いた内容より、じっと地面に何かを書く姿勢が言葉以上の説得力を持ち、まわりにいた人たちに罪を気づかせたのです。

「書き続けるという姿勢が人を救い導くために用いられるのです。」と聞いて、わたしも生涯書く姿勢をとり続けようと思いました。


写真は寄居駅から撮りました。
                
                     つづく



オータムジョイフル(その1)

2008-09-10 17:46:01 | 日本クリスチャン・ペンクラブ

8日、9日は日本クリスチャン・ペンクラブの研修会「オータムジョイフル」に参加しました。
宿泊した寄居かんぽホテルは高台にあり、見晴らしの良いところでした。まだ夏の暑さが残っているものの風は涼しく、間近に迫る山の中腹に家々が建ち並ぶのをみて、一瞬スイスにいるような錯覚に陥りました。

参加者は、3名の新しい方を含め総勢23名です。力強い賛美から始まりました。
研修の一部を紹介させていただきます。


開会礼拝では、理事長のI先生がメッセージして下さいました。


わたしたちは特別に偉い人の影響も受けますが、名もなき小さな身近な人からも影響を受けます。身近な人のあかしが、救われる大きなきっかけになることがあります。

多くの高齢者は生きる喜びを失っています。でも、わたしたちは天に召されるまで使命を持ち続けます。イザヤ書には次のように書かれています。


わたしに聞け、
ヤコブの家とイスラエルの家の
すべての残りのものよ。
胎内にいる時からになわれており、
生まれる前から運ばれた者よ。
あなたがたが年をとっても、
わたしは同じようにする。
あなたがたがしらがになっても、
わたしは背負う。
わたしはそうしてきたのだ。
なお、わたしは運ぼう。
わたしは背負って救い出そう。
(イザヤ46:3.4)

「夕暮れ時に光がある(ゼカリヤ14:7)」
とあるように、人生の夕暮れ時が祝されるのは、わたしの命を天国に運んで下さる神様がおられるからです。

『わたしに聞け』とは祈りを促すことばです。神のみ声を聞くことから神を知るようになります。
「人生を導く五つの目的」(リック・ウォレン 著)に書かれているように神を喜ぶことがわたしたちの生きる目的です。


遠い大昔のことを思い出せ。
わたしが神である。ほかにはいない。
(イザヤ46:9)


神のみ業(わざ)を思い出すことが大切です。年をとると忘れることも多くありますが、忘れるということは、次のことを覚えるために必要なことです。

神のみ業を思い出すことは、信仰の初心に返ることで、思い出すことは脳を働かせることです。

23歳で召された滝廉太郎は、召される前に「『荒城の月』が歌われるかぎり、わたしのことが思い出されるだろう」と言ったそうです。

イエス様はわたしのことを覚えていて下さいます。

書けるうちに遺言状や詫び状を書きましょう。命はいつ取られるわからないので、わたしに託されたペンの業を今日のうちに書き遺しておきましょう。


つづく




神のかたちに

2008-07-24 11:09:29 | 日本クリスチャン・ペンクラブ

毎日暑いですね。汗かきなので、首にあせもができてしまいました。あせもの薬を塗っています。ヒックンと同じです。
明日は教会学校の夏期学校で、教会に1泊します。わたしの体力の限界を超える奉仕です。途中で具合が悪くなるのではないかと内心恐れています。でも、きっと大丈夫。神様が足りない体力を補って下さるでしょう。
今回はわたしを含め50代の教師が多く、60代の方もがんばっておられます。1年生から4年生までの約30名の子供たちが参加します。5・6年生の夏期学校は8月末に行われます。

先日クリスチャン・ペンクラブで聞いたM姉による
「神のかたちに似せられて」
というバイブルトークを紹介させていただきます。


天地を造られた神様は、6日目に人間を造られました。創世記1章26節には次のように書かれています。

そして神は、「われわれに似るように、われわれのかたちに人を造ろう。そして彼らに海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配させよう」と仰せられた。

神様は人を造るとき、「われわれに似せて」と言われました。


聖書の神様は唯一のはずなのになぜ『われわれ』と複数になっているのでしょう。


『三つにいまして一つなる』と言われるように神様は、父なる神、子なる神(イエス・キリスト)聖霊なる神の三つの位格を持っておられます。なので、われわれと言っているのです。

神様が独り言を言ったのではなく仲間(子なる神と聖霊)に話しかけておられるのです。

似せてというのは、すべてそっくりにというのではありません。神様は人を造るとき、ご自分と似ているところと、そうでないところを造られました。

人のうちに見られる神様のご性質は、*正しいことができる力 *真理を知ること *善 *聖 *義 *愛 などがあるいわれます。これらは、人間らしく生きるために必要なものです。神様はわたしたちが人間らしく生きるためにこれらのご性質をくださったのです。

それでは、神様が人間に下さらなかったものは何でしょう?
それは全知全能の力です。奇跡を行ったり、未来を予知したりする超自然的な力です。
神様は全知全能ですが、人間にはその性質が与えられていません。


そのような能力があったらいいのに……かつてわたしはそんなふうに思ったことがあります。

でも、もし与えられていたら、欲望に従って何でもして、傲慢になっていたでしょう。


また、未来のことがわかったらいいのに……と思います。
わたしたちは、一瞬先のこともわからないのですから。もしわかっていたら危険を回避できるのに……と思います。

でも、『先のことがわかったら、ある種の災害は避けられても、恐怖と不安に駆られ、心の病にかかるか、気が狂ってしまう。また、未来に起こることに心が囚われて安心して暮らせなくなる』と聞いて、その通りだと思いました。



『知らぬが仏などと無責任な言葉がありますが、知らないからこそ今日笑っていられるのです。平安でいられるのです。先のことがわからないのは、神様の恵みなのです。』


確かにそうですね。たとえば3年後に愛する人が死んでしまうことがわかってしまったら、悲しみに心が支配されて何も手につかなくなってしまいます。また、自分が死ぬ日がわかったら、あせって落ち着いた生活ができなくなるでしょう。だからこそ、神様はわたしたちに弱さと限界を与えてくださいました。
『弱さと限界が恵みなのです』
と聞いて、目が開かれた思いがしました。

神様は深く配慮されて、あえて人間に超自然的な能力を与えなかったのですね。
弱さと限界を覚えるとき、落ち込むことはないのです。そのときこそ、神様をほめたたえたいです。


そうしたものをくださらなかった神さまですが、何よりも大事なものをくださいました。それは、イエス・キリストと聖霊です。


ヨハネ3章16節
神は、実にそのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された、それは御子を信ずる者がひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

使徒の働き1章8節
しかし、聖霊があなた方の上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。


神さまに似せて造られたわたしたちはイエス・キリストを与えられて救われました。さらに聖霊を与えられて、イエス・キリストの証人となることが約束されています。


アーメン。心から感謝しました。

*青字、赤字がM姉の語られたこと、*緑字が聖書の言葉。*茶色字がわたしの感想、付け足しです。




わたしの遺言(その3)

2008-05-29 13:12:07 | 日本クリスチャン・ペンクラブ

遺言を書いてから5年近くたちました。当時娘は高校生、息子は大学生でしたが、今では娘はクリスチャンとして教会生活を送っており、息子は結婚して子供が与えられています。  主人は、少し心が変化しているように思います。というのは、当時はわたしの書いたものはいっさい読みませんし、キリスト教にも全く関心示さなかったのですが、最近はわたしの書いたものを読んでくれるようになりました。

「百万人の福音」に記事が掲載されたときは、義母に掲載ページに付箋を挟んで読むようにと言ってくれたのです。少し、キリスト教に関心を示すようになってきたのではないかと思っています。

遺言は、この機会に書き直します。息子の嫁と、まだ一歳ですが孫にもあてて書くつもりです。

本来のわたしは、ものすごく気が弱く、心配症、マイナス思考でくよくよ思い悩むたちです。もし、イエス様を信じていなかったら、うつ病になっていたでしょう。とっくに死んでいたかもしれません。
イエス様を信じたことによって、喜びに満ちた素晴らしい人生を送ることができています。そのことを書いて伝えたいです。


原稿はここまでですが、実際に話したことと多少違うと思います。当日は緊張していたので詳しい内容を覚えていないのです。

死について話すと、「縁起が悪い」と言う人がいます。まして早々と遺言を書いたと言ったら、不吉な予兆と思う人もいるかもしれません。でも、死はどんな人にも必ずやってきます。
クリスチャン・ペンクラブ(JCP)の例会の前日、実家に泊まったので、練習がてら母に聴いてもらいました。かつて言ったように「縁起でもない」としかられるかと思ったら、「書いておくことは大切だね」と言ってくれました。母は聴きながら涙を流していました。

クリスチャンにとって、死は決して忌まわしいものでも恐ろしいものでもありません。天国に新しい住まいが用意されているのですから、死は天国に引越しをする日です。
死を意識した生き方と意識しない生き方は、全く違ってくるでしょう。意識することによって、ほどよい緊張感が与えられ、充実した生き方ができます。また、残された人を想って遺言を書くなどの備えができます。

JCP理事長のI先生は、「遺言を書き終われば、さあ今日は残された日々の最初の日となって新鮮!」とおっしゃいました。


                     おわり


わたしの遺言(その2)

2008-05-27 15:02:17 | 日本クリスチャン・ペンクラブ
クリスチャン・ペンクラブの例会で「私の遺言」というテーマで発表したものを掲載しています。


ここに乳がんの手術前に書いた主人宛ての遺言があります。恥ずかしいので読むのをどうしようかとためらったのですが、はからずも今日(5/24)は27回目の結婚記念日なので、一部紹介させていただきます。


わたしはあなたと結婚して本当によかったと思っています。あなたが無口なため、なかなか心が通じなくてずっと寂しい思いをしてきました。
あなたと色々な会話をしたいと願っていたのですが、わたしが一方的に話すだけなので、会話はなかなか成立しませんでしたね。
わたしは自分のことを省みないであなたに変わってほしいと願っていたので、心に悲しみがありました。

でも、あなたが無口なのは生まれつきで、意地悪でわざとしゃべらないでいるわけではないということ。わたしは自分勝手でわがままなところがあり、人を傷つけるような言葉を話したりする人間なのに、あなたは寛容な心をもってわたしをやさしく見守ってくれましたね。
体が弱く、掃除も料理も下手なのに教会のことばかり一生懸命であるわたしに対し、あなたは一言も批難の言葉を言わず、毎週日曜に教会へ出かけることに対しても、文句ひとつ言いませんでしたね。

そんなことを考えると、あなたに変わって欲しいと願うことは間違いだと気づきました。そう気づくと、あなたに対する感謝の気持ちでいっぱいになって、悲しみは喜びに変わりました。本当にありがとう。

中略

わたしは、イエス様を本気で信じています。あなたにも信じて欲しいです。そうすれば、天国で再会できるからです。イエス様を信じる者は、天国へ行き、永遠の命をいただけるのですから。

                    つづく

わたしの遺言(その1)

2008-05-25 17:16:35 | 日本クリスチャン・ペンクラブ

昨日は日本クリスチャン・ペンクラブの例会に行ってきました。今年は、「わたしの遺言」を書くという課題が出ています。

「わたしの遺言」を書くにあったて発題をしてくださいと言われました。何を語ろうかと迷ったのですが、祈りつつまとめて発表させていただきました。
原稿を書いたので、2,3回に分けて掲載します。実際はこれを読んだわけではなく、話し言葉で語ったので多少違うところもあります。


わたしは体が弱く、人並みの体力がないのに「病弱な人は案外長生きするものよ」という友人の言葉を信じて、長生きするつもりでいました。
ところが今から4年半前、2003年の11月に検診で乳がんが見つかりました。
まさか自分が癌になるとは全く思っていませんでした。
12月に手術を受けることになったのですが、癌という病気より、手術のときの麻酔が怖かったのです。

わたしはそれまで全身麻酔を受けたことがありませんでした。2回ほど下半身麻酔を受けましたが、そのときアレルギー反応を起こし、術後低体温状態になって震えが止まらなくなってしまったのです。点滴を受けて回復しましたが、下半身麻酔でこのようになるなら、全身麻酔なら意識が戻らないまま天国へ行ってしまうのではないかと思いました。
 
手術日が決まった11月の末、わたしは死を覚悟して家族ひとりひとりにあてて遺言を書きました。
教会へは癌になる前に「葬儀に対する要望」という用紙に記入して提出していました。未信者の主人の決断次第なので、教会で葬儀をやってもらえるかどうかはわかりませんが、一応希望を書いておきました。

「葬儀に対する要望」には、葬儀のときうたう賛美歌や、読まれる聖書箇所、思い出を語る人、教会生活の思い出、心がけてきたこと。教会の仲間に残したい言葉。家族での思い出や大切にしてきたこと、家族に伝えたい気持ちや残したい言葉など、1,2行ですが、かなり具体的に書くように欄が設けてあります。

家族に伝えたい気持ち、残したい言葉はとても一行では書けません。それで、この用紙とは別に主人、息子、娘に宛てて遺言を書きました。
当時我が家は、クリスチャンはわたしひとりでした。伝えたいことは、感謝とイエス様を信じてほしいということ。結びには天国で再会しましょうと書きました。

              つづく

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