goo blog サービス終了のお知らせ 

生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

本の出版

2014-11-01 16:06:57 | 日本クリスチャン・ペンクラブ
早11月になりました。9月から、今日が何日で、何をしなければならないのかを毎朝確認しないとわからなくなるほどの忙しい日々を過ごしています。トンネルの出口は見えてきましたが、まだまだ遠く、ひと山もふた山も越えなければなりません。


クリスチャン・ペンクラブからあかし新書「春夏秋冬」が出版されました。
ペンクラブ会員が、春夏秋冬のテーマで400字エッセイを書き、1200字で「私と食べ物」「私とクリスマス」「私とふるさと」のエッセイが掲載されています。エッセイといっても、それはあかし文章です。あかし文章とは、神様がしてくださったことを証しするという意味で、自分が努力して勝ち得たことを書いているわけではありません。

今まで書いたことがある喘息のこと、中学2年のつらかったときのこと、友人を言葉で傷つけてしまったときのことをまた書いていました。でも、同じことを書いているようでも、書いた時の心情によって違い、また焦点の当て方によっても違った文章になります。

今回、友人を言葉で傷つけた時のこと(私とクリスマス『神の作品』)は、反省というより、自分のアイデンティティーが確立されていなかったために人から言われた言葉に異常な反応をしてしまったことを書いています。

今までほとんど書いたことのなかった主人のことを書いたのは、「私と食べ物」の『世界で一番おいしい味噌汁』で、自分ではこの作品がいちばん気に入っています。
私とふるさとは、第二の故郷、神戸のことを書きました。

編集後記にも書きましたが、テーマが与えられると、まず何を書こうかと思います。いくら考えても思いつかないときは、焦ります。締切日がだんだん迫ってきます。

『何を書くか思いつかないときは、記憶の引き出しを開けて思い出すこと』と教えられて一生懸命思い出さそうとします。でも、みじめな思いや、つらかったことだけが頭に浮かんでくるといけません。落ち込んだり、心の傷が痛んだりするだけです。

「主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。(詩編103:2)」というみ言葉を思い出すと、次々と恵みの引き出しが開き始めます。

さあ、今年は(いえ、来年は)どんなあかし文が書けるのでしょう。今現在のような試練の真っ最中の時は書けませんが、きっと過ぎ去ったとき、主のよくしてくださったことをたくさん書けることでしょう。

あかし新書「春夏秋冬」については、日本クリスチャン・ペンクラブのHPに紹介文を載せています。よかったらお買い求めください。



にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へにほんブログ村
↑ここをクリックしてください。そうすると、より多くの方がこのブログを読んでくださるようになります。

新しい力

2014-05-27 12:41:25 | 日本クリスチャン・ペンクラブ
この前の日曜日に息子一家が来ました。
ヒックンだけ土曜日から来て泊まりました。

土曜日、わたしはクリスチャン・ペンクラブの例会でお茶の水へ行っていたので、ヒックンは半日おじいちゃんとふたりで過ごしました。イオンに連れて行ってもらい、お昼を食べ、クレーンゲームをやって筆箱が取れたと大喜びしていました。

翌日は、生後2か月になるナルクンがきました。連休に会ったばかりですが、ひとまわり大きくなったように感じました。顔つきもしっかりして、呼びかけに反応するようになっていました。機嫌のいい時は声を出します。

夜、ヒックンが87歳のひいおばあちゃんに電話しました。おばあちゃんにナルクンの声を聞かせたいと言って、受話器をナルクンの口元に持って行くのですが、タイミングよく声が出ません。

「ナルクンの声を聞かせるのは、もう少し大きくなってからね」とわたしが言うと、ヒックンは「おばあちゃん。ぼくが代わりにナルクンの声出すね」

と言って、「アー、アー。アウー、アウ」とナルクンのまねをしました。
みんな大笑いです。

おばあちゃんは、ナルクンの声を聞かせようとしたヒックンのやさしさに感動して「元気が出たわ」と言いました。そのことをヒックンに伝えると、「おばあちゃん、元気がなかったの?」と心配そうにしていました。
人の心を思いやる子どもに育っていることを感謝しました。
ヒックンは「ああ、楽しかった。また来るからね」と言って帰って行きました。

帰った後はどっと疲れが出ます。疲れるということで、クリスチャン・ペンクラブで聞いた話しを思い出しました。一部紹介させていただきますね。

聖書には次のように書かれています。

「あなたは知らないのか。聞いていないのか。主は永遠の神、地の果てまで創造された方。疲れることなく、たゆむことなく、その英知は測り知れない。 疲れた者には力を与え、精力のない者には活気をつける。若者も疲れ、たゆみ、若い男もつまずき倒れる。しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。(イザヤ40:28-31)」

年をとると「疲れた」というのが口癖になります。疲れを知らなかった若いころが懐かしく思えます。
でも、聖書には「若者も疲れる」と書かれています。それは、神からの慰めです。
「主を待ち望む者は新しく力を得……」
と書かれていますが、主を待ち望む者とはイエス様によって、新しく造られた者、すなわちクリスチャンをさします。

わたしたちは年をとって死ぬことが決まっています。裁きを受けることも決まっています。イエス・キリストにある者は、キリストの十字架と復活によって新しく力を与えられ、永遠のいのちを与えられると約束されています。その神の約束は、わたしたちの問題とは関係がありません。

『神の約束が先行している』と聞いて嬉しくなりました。
クリスチャンは、死に向かって歩いているけれど、復活の力に預かっているのです。
神様は「鷲のように翼をかって上る」ことができるほど、新しい力で生かしてくださるのです。




にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へにほんブログ村
↑ここをクリックしてください。そうすると、より多くの方がこのブログを読んでくださるようになります。


偶然ではなく

2014-05-20 16:48:58 | 日本クリスチャン・ペンクラブ
わたしが所属している日本クリスチャン・ペンクラブでは年に数回ニュースレターを発行しています。
ペンクラブ会員、クリスチャン用に出しているというより、外へ向かって発信しています。

今回は「救いの証」特集です。どのようにしてキリストを信じるようになったかを10数名が書いています。

人それぞれ違った道をたどってキリストに導かれました。信じるに至ったいきさつは、まわりの人も本人も予想できなかったことではないでしょうか。偶然のように導かれていくのですが、それは偶然ではなく神様があらかじめ計画されていたことだったと後で気づくのです。神様の必然といえるでしょう。

わたしの文章も掲載されています。わたしは誰かに誘われたのでも、誰かに伝えられたのでもなく、三浦綾子の本を読んで教会へ導かれました。

でも、本を読んだだけで教会へ行けたのは、その前に伏線が敷かれてあったからです。そして、おそらくミッションスクールの先生もわたしの救いのために祈っていてくださったことでしょう。

クリスチャン・ペンクラブは今年で62年目に入りました。初代会長が「花子とアン」の村岡花子だということに喜びを感じます。
そのことについても詳しく書かれていますので、ぜひペンクラブHPを開いてニュースレターをお読みください。


にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へにほんブログ村
↑ここをクリックしてください。そうすると、より多くの方がこのブログを読んでくださるようになります。

何もできなくてもいい

2014-01-28 15:43:50 | 日本クリスチャン・ペンクラブ
24日は児童文学者協会茨城支部の例会、25日は日本クリスチャン・ペンクラブ(JCP)の例会と続きました。JCP例会は会場がお茶の水なので、毎回前日に都内の実家へ行って泊まっています。

24日。児童文学例会の会場が土浦駅の近くなので、終了前に出て3時の電車に乗り実家に向かいました。
実家に着いたのは5時。夕食の支度を母と一緒にすることになっていたのに、着いたらもう出来上がっていました。(夕飯は6時なのですが、母はいつも3時半ごろから夕飯の支度をしています)

母はこの夏、体調を崩して5㎏も体重が減ってしまったのですが、すっかり元気快復していました。でも、ひとまわり小さくなった気がします。

久しぶりにゆっくり話しました。神戸に住んでいたころの思い出話などして話に花が咲きました。信仰の話はなかなかできなかったのですが、JCPに提出する小さなあかし文章を読んでもらったときに「イエス様を信じたからこそ、今の私がある」と言いました。


クリスチャン・ペンクラブの今年の聖句はイザヤ書40:28-30です。

あなたは知らないのか 聞いていないのか
主は永遠の神、地の果てまで創造された方。
疲れることなく、たゆむことなく、その英知は測り知れない。
疲れた者には力を与え、
精力のない者には活気をつける。
若者も疲れ、たゆみ、
若い男もつまずき倒れる。
しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、
鷲のように翼をかって上ることができる。
走ってもたゆまず、歩いても疲れない。(イザヤ40:28-31)


わたしは、しばしば疲れ果てて歩くことさえできなくなってしまいます。自分の限界を感じ、あきらめの中に身を置いてため息ばかりつくことがあります。祈ることさえできず、希望を失ってしまうことがあります。

でも、この聖書の言葉を読むと力づけられます。主を待ち望む者は、大空を飛ぶことができるというのです。不可能なことが可能になるのです。

出エジプト記19:4には「あなたがたは、わたしがエジプトにしたこと、また、あなたがたをわしの翼に乗せ、わたしのもとに連れて来たところを見た」と書かれています。
自分の力では一歩も進めなくても、神様が鷲の翼に載せて運んで下さるのです。

とべなくても、走れなくても、歩けなくてもいいのです。神様が運んで下さるのですから。
何もできなくても、すぐ疲れてしまってもいいのです。神様が力を与えて下さるのですから。



にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へにほんブログ村
↑ここをクリックしてください。そうすると、より多くの方がこのブログを読んでくださるようになります。

悲しむ者の幸い

2013-12-03 20:32:47 | 日本クリスチャン・ペンクラブ
30日土曜日は日本クリスチャン・ペンクラブ(JCP)のクリスマス会でした。11月なのにクリスマス会です。 12月はそれぞれの教会で行われるクリスマス会の準備などで忙しいので、ペンクラブのクリスマス会は一足早いのです。

ピアノ、ヴァイオリン、オカリナの演奏、朗読劇があり、すてきなクリスマスでした。

わたしは朗読劇の準備をさせていただきました。といっても配役を決め、台本を渡しただけです。練習する時間はありません。各自家で練習してもらって、当日の朝一回合わせただけです。今年はBGMと素晴らしい絵(紙芝居)が加わりました。

わたしは場面に合わせて絵を出す役をしました。タイミングを間違えずに絵を出すことに集中していたため、朗読劇が客観的にどうだったのかわかりませんでしたが、「よかった」という声が多く聞こえてきました。

「悲しみを越えて」というメッセージを聞いて心打たれました。

今年の3月に理事長のI先生が召されて、JCPのメンバーは悲しみに覆われました。
主よ、なぜですかと問いかけたくなります。問いかけてもどうにもならないのですが……。

I先生がいらっしゃらなくて、不安の中で例会が開かれました。
その中で神様は祝福してくださいました。主は最善をもって色々なことを導いてくださることを体験しました。

イエス様は「悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです。(マタイ5:4)」と言われました。

イザヤ53:3にはイエス様のことを「悲しみの人」と書いてあります。

イエス様が悲しみの人であるからこそ、悲しむ者と共に歩んでくださるのですね。そして、ほんとうの慰めを与えてくださるのです。
イエス様こそが慰め主なのだと伺って、悲しむ者の幸いをかみしめました。

初めて参加された方が4人もおられて、本当にうれしい一日でした。

怒涛のような日曜日が過ぎると、風邪がぶり返して昨日は声がまったく出ませんでした。クリスマス会の練習で子どもたち相手に大声を張り上げたからです。今日はだいぶ快復してきましたが、まだかすれ声です。

教会学校のクリスマス会は、悲しみが喜びにかえられるというテーマで劇をします。


にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へにほんブログ村
↑ここをクリックしてください。そうすると、より多くの方がこのブログを読んでくださるようになります。


わたしはある

2013-10-01 11:17:26 | 日本クリスチャン・ペンクラブ
27日から都内の実家に行って1泊してきました。今回は娘と一緒に行きました。娘は草取りの手伝い。わたしは料理と掃除の手伝いをしてきました。

母はこの夏の暑さで食欲が落ち、4㎏も体重が減ったと言っていました。わたしでもきつかったのですから、84歳の母にはさぞかし辛い暑さだったことでしょう。でもなんとか体を壊さず元気でいてくれることを感謝しました。


28日は日本クリスチャン・ペンクラブ9月例会でお茶の水までいってきました。
礼拝であかしをさせていただくことになっていたので、何日も前からずっと緊張していました。タイトルは「最近の私とあかし文章道」です。
原稿を書いて覚え始めてからも迷いがあって、内容はこれでいいのかなと不安に思っていました。

以前文章に書いて発表したことがある内容が含まれているので、覚えている人にとっては退屈なのではないかなどと思ったり……あかし文章を書くことにおいてベテランの先輩方の前で語る資格があるのだろうか……とまったく自信がなかったのです。

ちょうど当日の朝に読んだデボーション冊子、ディリ―ブレッド(RBC)に書かれている言葉に励まされました。
世界的に有名な伝道者ビリー・グラハム師がケンブリッチ大学で講演するとき、自分は洗練された思想家たちに語る資格はないと感じ、分不相応でいたらない者だと思ったというのです。

ビリー・グラハム先生でさえそのような恐れを抱かれたエピソードを読んで励まされました。
モーセも神様から命じられたことに対して「私はいったい何者なのでしょう」と言って躊躇しています。
冊子の文章を紹介します。

【「〇〇をしなさい」と神に示されたとき、自分の実力を疑問視するかもしれませんが、それでも、神は信頼できるお方です。私たちの欠点は、神の完全さと比べるなら取るに足りません。「私は何者……」と感じるとき、神の御名は「わたしはある」であることを思い出しましょう。】

神様はその日の朝、わたしに最もふさわしい文章を備えてくださったのです。目には見えないけれど確かに「ある」お方。その存在をはっきりと感じ、共にいてくださることを実感しながら語らせていただきました。


追記
HP「生かされて…土筆文香」詩の部屋 久々に更新しました。




にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へにほんブログ村
↑ここをクリックしてください。そうすると、より多くの方がこのブログを読んでくださるようになります。

7年目の卒業式

2013-09-26 16:13:26 | 日本クリスチャン・ペンクラブ
日本クリスチャン・ペンクラブ関東では、1年おきに本を出版しています。同じテーマで会員の書いたあかし文章を掲載するのです。字数も決まっていて400字のものと1200字のものがあります。
1200字はそれほど苦労しないで書けますが、短編より長編が向いているわたしにとって400字を書くのは大変なことです。書いては消し、書いては消して、しまいには肝心なことまで消し、何を書いているのかわからなくなってしまうこともあります。

来年出版される本に掲載する400字のテーマは春・夏・秋・冬です。
今、秋のエッセイに取り組んでいて、明後日の例会に持っていくために先ほどまで最後の推敲をしていました。
今日は春のエッセイを紹介させていただきます。


          7年目の卒業式                   
                                土筆文香

 黒いガウンを身にまとい、角帽をかぶった私は、卒業証書を受け取っていた。
 乳癌を患ったとき、生かされている時間は限られていると、当たり前のことを自覚した。

 それまで神様から与えられた時間をなんと無駄にしていたのだろうと思った。
 自由に使える時間を神様に捧げたいと思い、お茶の水聖書学院に入学した。通信の学びは神様の恵みを受ける祝福の場となった。  
 
 難しいと思っていた旧約聖書にはイエス様を示す言葉や出来事がたくさん書かれていた。反逆の民イスラエルは、神様から心が離れていた自分のことだと思った。神様に背を向けて歩んでいた私をじっと忍耐して待って下さった神様。
ホセアが裏切った妻ゴメルを赦したように神様は私のことも赦し、戻って来るのをじっと待っていて下さったのだ。

 夢中で学んでいるうちに単位が満たされ、2013年の春、7年目にして卒業式の日を迎えた。神様が成し遂げさせて下さったのだ。



明後日のJCP例会では「最近の私とあかし文章道」という題でお証をすることになっています。



にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へにほんブログ村
↑ここをクリックしてください。そうすると、より多くの方がこのブログを読んでくださるようになります。


研修会(その3)

2013-06-15 16:17:27 | 日本クリスチャン・ペンクラブ
今回の研修会のメインは作品合評です。「雲」という共通テーマでエッセイや小説、童話などを書き、あらかじめ添付ファイルで送り合い、お互いの作品を読んでいました。傑作揃いです。他の方の作品を読むと、自分の作品が小さくしぼんでいくようです。

2日間の研修で2回の合評会が行われました。1時間半かけてじっくりと5作品を合評します。

感想、批評を言うのは簡単ではありません。しっかり読み込まないと言えません。きついことを言って相手が傷ついてしまったらどうしよう……という恐れも抱きながら。それでも伝えたいことは、はっきり言いました。わたしの作品に対しても忌憚なく言ってほしいからです。

より良い作品とするためには何度も書き直しが必要で、そのためには他者からの視点が必要なのです。もちろん、人によって受け止め方が違うので、同じ個所を読んでまったく別の感じ方をされる場合もあります。だから、けなされても落ち込む必要はないのです。

以前こんなことがありました。JCPではなく、児童文学者協会の合評会のとき、「こんなつまらない作品書いて、書く意味があるのかしら」と言った人がいました。あまりにもひどい言葉だったので、言われた方は深く傷ついたのではないかと思いました。終わってから声をかけると、「あの人はそう思ったのでしょ。でも、わたしにとっては、ちゃんと意味がある作品だから……」とけろっとしていました。わたしは、その姿勢を見習いたいと思いました。

話がそれましたが、今回わたしが提出した作品は「似顔絵描きの一生」という童話です。
舞台は中世のフランス。イエス様を描こうとした似顔絵描きの主人公が、イエス様の瞳の色がわからないためイエス様を求め続け、生涯の終わりに描き上げるというストーリーです。

イエス様を求める切なる思いを書きたかったのです。イエス様のみこころを完全にあらわす作品を書くにはどうしたらよいか求め続けている自分の気持ちとだぶらせました。

子どもだけでなく、大人も対象にしています。めずらしく「よかった」という声が聞こえて嬉しく思いました。もう少し書き直してなんとか完成させたいです。

2日目はY・M先生手作りのお心の込められた昼食をいただきました。おいしくて夢中でいただいたので写真を撮るのを忘れてしまいました。




雀のお宿といわれている旅館の磯部館に泊まりました。ごちそうをいただき、温泉につかってゆっくりしました。夜はメンバーが一部屋に集まり、信仰と創作への熱い思いを語り合いました。充実した2日間でした。


               おわり


にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へにほんブログ村
↑ここをクリックしてください。そうすると、より多くの方がこのブログを読んでくださるようになります。

研修会(その2)

2013-06-13 17:13:00 | 日本クリスチャン・ペンクラブ
日本クリスチャン・ペンクラブの研修会は、安中聖書教会の会堂をお借りして行われました。参加者は11名です。(上の写真は2日目に訪れた安中教会)


研究発表では新島襄についての話を伺いました。
新島襄は、いま大ブームになっているNHK大河ドラマ「八重の桜」の主人公、新島八重の夫です。


新島襄の肖像画

新島襄は安中藩士・新島民治の子として江戸神田一ツ橋の上州安中藩邸で生まれました。幼名を七五三太(しめた)というと聞いて、変わった名前だなあと思いました。

それは、女子が4人続いた後の初の男子誕生に喜んで、祖父が「しめた」と言ったことから命名されたらしいです。

20歳のとき、初めて漢訳の聖書を読み、21歳でアメリカ商船ベルリン号でアメリカに向けて密出国します。それから9年の間アメリカで過ごすのですが、船の中で知り合ったA・ハーディ夫妻の支援をうけて、アーモスト大学、アンドバー神学校で学ぶことができました。
23歳で洗礼を受け、神学校卒業後、宣教師として日本に戻ります。帰国してから「同志社英学校」を設立します。

当時、出国を禁じられていた日本からアメリカに行けたこと。何の保証もない21歳の青年が異国の地で大学や神学校にまで通わせてもらえたこと。宣教師となって帰国したこと。どれひとつとってもびっくりすることばかりです。
それらの背後に神の守りと導きがあったと思わずにはいられません。

新島襄は、
「この世に対する神の愛は無限に大きく強烈である」
「この世の意味を見出さなければ神の愛を知ることができない」

と「神の愛」を熱く語りました。







研修会2日目に訪れた「新島襄記念会堂」(日本基督教団 安中教会)です。
大正8年に新島襄召天30年を記念して建設されたそうです、石造りの重厚な建物でした。
       
                    つづく


にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へにほんブログ村
↑ここをクリックしてください。そうすると、より多くの方がこのブログを読んでくださるようになります。




研修会(その1)

2013-06-12 17:23:58 | 日本クリスチャン・ペンクラブ
お久しぶりです。
1週間もブログを更新しなかったのは珍しいことです。昼間はずっと出かける用事が続いていたので、夜に更新しようと思っていました。
でも、体調がおもわしくなかったので無理するのはやめました。

先週金曜日は、教会学校の小学科夏期学校で出かける場所の下見に行きました。
土曜日は教会で教会学校教師研修会。子ども用のいすに4時間近く座っていて腰を痛めてしまいました。

日曜日は朝8時半からの礼拝に出て、教会学校の奉仕のあと、三鷹の実家に向かいました。

6/10、11に日本クリスチャン・ペンクラブ(JCP)の研修会が群馬県安中で行われるため、その前日に実家に泊まらせてもらったのです。
幸い日曜日には体調が整えられて、無事参加できました。

高崎(群馬県)集合だったので、東京駅から新幹線で行くこともできたのですが、三鷹から新宿、新宿から大宮、大宮から高崎までは各駅停車で向かいました。高崎でメンバーの方と会えて、ほっとしました。高崎から信越線で磯部へ向かいました。磯部(安中市)は初めて訪れる場所です。写真はとれなかったのですが、日本三大奇勝の一つと言われる妙義山の山並みがみえました。


磯部駅から歩いて5分のところに建つ教会が安中聖書教会です。この教会の会堂を研修会場として使わせていただきました。
牧師のY・M先生が温かく迎えてくださいました。


教会堂のそばに小さな納骨堂が建っていました。(上の写真の左端にある納骨堂を正面から撮った写真です)

                           つづく


日本クリスチャンペンクラブのHP更新しました。ぜひごらんください。



にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へにほんブログ村
↑ここをクリックしてください。そうすると、より多くの方がこのブログを読んでくださるようになります。


池田先生を偲んで

2013-03-30 15:59:24 | 日本クリスチャン・ペンクラブ
28日は、日本クリスチャン・ペンクラブの理事長であり、霞が関キリスト教会の牧師、池田勇人先生の葬儀でした。

葬儀の行われた霞が関キリスト教会は、埼玉県川越市で、最寄りの駅まで池袋から50分ほどかかります。
わたしは前日に三鷹の実家に泊まって出かけました。
会堂に入りきれないほどの大勢の方々が葬儀に参列していました。スクリーンには池田先生のあらゆる場面の写真が映し出されていました。

いつも優しかった先生を思い出して胸がいっぱいになりました。
葬儀で池田先生が46歳の時に遺言を書いておられたことを聞きました.
かつて池田先生が「人は、いつ召されるかわからないので、死の備えをしているのです」と言われたのを思い出しました。
葬儀で賛美した聖歌「救い主イエスと」、「重くとも汝が十字架」は、そのとき葬儀に歌うように希望されていたものでした。

池田先生に初めてお目にかかったのは14年ぐらい前でしょうか、土浦めぐみ教会でメッセージをして下さったときでした。童謡「赤とんぼ」の作詞者三木露風がクリスチャンであること、竿の先にとまったトンボは十字架を意味しているというお話が深く印象に残っています。
でも、そのときは個人的に言葉を交わすことがありませんでした。

それから数年後、クリスチャン新聞社のあかし文学賞にわたしの書いた小説が入選しました。入選の知らせを受ける一日前、池田先生からお手紙が届きました。日本クリスチャン・ペンクラブの例会へのお誘いでした。
池田先生がなぜわたしの住所をご存じで、なぜペンクラブに誘って下さっているのかわからずにいました。
翌日クリスチャン新聞社から入選の知らせの電話をいただき、池田先生があかし文学賞の選者のおひとりだと知って、ようやく理由がわかったのでした。

それでもすぐには例会に行かず、出向いたのは半年たった秋のことでした。その年はちょうどクリスチャン・ペンクラブ50周年の年でした。池田先生はわたしのことを待っていて下さったように歓迎して下さいました。その日に入会を決め、それから10年、ペンクラブに連なっています。

わたしの書いた小説「リピート・シンドローム」が出版されたのは、池田先生のおかげです。池田先生に原稿を見せると、すぐにキリスト新聞社の社長さんに送って下さいました。池田先生と社長さんとはお知り合いだったのです。すぐに出版の話になりました。
本名で出さないほうがいいということで、ペンネームを考えなければなりませんでした。
それで、ペンネームをつけてくださいと池田先生に頼みました。今から考えると、大変なお願いをしてしまったようで、先生からは「ペンネーム、考えています。しばらく待ってください」とメールが届いた後、1か月ぐらいしていくつか候補を挙げて下さいました。
谷野百合というのもあって、それは池田先生のペンネームでもあったのですが、それがよければ差し上げますといわれました。わたしは恐れ多くて、また、自分自身が華やかな百合より、地味な土筆に似ている気がして土筆文香を選ばせていただきました。

本が出版されてからは、何十冊も持って松原湖や神学校に出向いて下さり、本を紹介して売って下さいました。

思い出を書きはじめたら原稿用紙何十枚にもなってしまうので、やめますが、わたしだけではなく、多くの方々がそれぞれ池田先生のしてくださったことに感謝の思いを抱いていることがわかって驚いています。

池田先生は、教会員やペンクラブ会員だけでなく、出会った者ひとりひとりに実に細やかな愛の配慮をしてくださっていたのです。

「まことに、あなたがたに告げます、あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。(マタイ25:40)」の聖書の言葉をまさに実践されたのです。

63歳で召されるとは早すぎる気がしてなりませんが、神様の時だったのですね。

「兄弟たちよ。私は自分はすでに捕えられたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標をめざして一心に走っているのです。」葬儀で読まれた聖書箇所ピリピ3:10~14 より



にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へにほんブログ村
↑ここをクリックしてください。そうすると、より多くの方がこのブログを読んでくださるようになります。

悲しき桜

2013-03-25 20:13:17 | 日本クリスチャン・ペンクラブ
23日がお茶の水で行われる日本クリスチャン・ペンクラブ(JCP)の例会だったので、22日から実家に帰っていました。

桜がきれいなので、母と吉祥寺駅で待ち合わせし、井の頭公園にお花見に行ってきました。ほぼ満開で、平日なのにたくさんの人で賑わっていました。

桜の花の下を自分の足で歩きたいと言われたJCP理事長の池田先生の言葉を思い出していたら、母と一緒にあと何回桜が見られるのだろう……と少し悲しくなりました。

その日の夜、池田先生が12時17分に天国へ召されたという知らせを受けました。母と昼食をとっている時間でした。9日ほど前、JCPのメンバーとホスピスへお見舞いに行ったばかりでした。先生は想像していたよりもお元気で、お話もでき、賛美して帰ってきたのですが、痩せて小さくなってしまった先生にお目にかかってから、悲しみが固まって胸の中に凍りついてしまったので、ブログに書くこともできないでいました。
書いたら、凍ったものが一気に噴き出して涙が止まらなくなりそうだったからです。

先生の癌がみつかったときはすでに転移しており、医師から数か月の命と言われていたのです。ところが、それから2年もいのちが保たれました。昨年の10月にはJCP60周年記念会で力強いメッセージをしてくださいました。

ホスピスに入られてからは、もうすぐ命が尽きようとしていることは誰の目にもあきらかで、それでも奇跡の快復を祈っていました。
覚悟はしていたとはいえ、こんなに早くその日がくると思っていなかったのでショックでした。

わたしの中の悲しみの塊が爆発するのではないかと思いましたが、不思議なほどに涙は少ししか出ませんでした。JCPの仲間が、「先生が痛みや苦しみから解放され、天国で安らいでいることは確か」と言った言葉に慰めを受けたのです。
同じように先生の死を悲しんでいる仲間がいる。その共有した思いがあることに救われています。告別式では泣いてしまうかもしれませんが……。

【「あなたの身辺整理をせよ」との声を聞く時が、誰にでもやってきます。その時が大いなる絶望の時となる時でなく、整理をする時間的余裕を神様が与えてくださったと、前向きにとらえ直させてください。】
                   池田先生の最後のメッセージの祈りより


にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へにほんブログ村
↑ここをクリックしてください。そうすると、より多くの方がこのブログを読んでくださるようになります。

恐れに対抗するには・・・・・・

2013-02-04 12:39:09 | 日本クリスチャン・ペンクラブ
2日(土)は日本クリスチャン・ペンクラブ(JCP)の例会に参加しました。お茶の水で行われるので、前日から出かけて三鷹の実家に泊まりました。

実家の庭に雪がまだ積もっていたのでびっくりしました。母は雪の上を歩いて水やりをしていました。転ぶのではないかと心配でしたが、ずいぶん用心して歩いていました。昨年腕を骨折したことで用心深くなったと自分で言っています。軽い怪我のおかげで大怪我が予防されているのかもしれません。


JCP例会では、参加者ひとりひとりが書くことと読書について今年の抱負を語りました。みなさんの高い志に圧倒されました。
また、K先生によるメッセージは心に残りました。印象に残ったことを紹介させていただきます。

信仰には積極的信仰と、受動的信仰があります。
積極的信仰とは、仕事、勉強、貯金など、人の努力に神の支えがあることです。

受動的信仰には次の3つがあります。

①人間的に見て不可能と思われる危機的状況にあるとき、すべて神様にゆだねる信仰。
②人の力ではあきらかに無理な場合。人の魂の救いやいのちのことを神様におまかせする信仰。
③神から新しい使命を求めるとき、神のみ前にゆだねる信仰。

旧約聖書イザヤ書7章には、アラムと北イスラエルの同盟が南ユダ王国に迫ってきたときのことが書かれています。
「すると、王の心も民の心も、林の木々が風で揺らぐように動揺した。(イザヤ7:2)」と書かれているように、アハズ王も国民も動揺します。

そのとき、イザヤは神様の言葉を告げます。
「気をつけて、静かにしていなさい、恐れてはなりません。(イザヤ7:4)」
自分の力では絶対に勝てない。このままだと国が滅ぼされてしまう。そんな危機的状況にあるとき、神様に身をゆだねていれば救われ、力を得るのです。


このメッセージをわたしが小説書くということにあてはめて考えてみました。
何のために書くのかという明確な使命と作品のテーマが与えられるまでは書き出さず、与えられることを求めて祈りつつ待ちました。使命とテーマが与えられたとき、書きはじめました。書きはじめるまでは受動的信仰で、書くということは積極的信仰になるのでしょうか。

一文字も書かずに祈っていて、朝になったら作品が書き上がっていた……なんていうことはありませんね。

書いているときに生じる闘いについては、積極的信仰、受動的信仰のどちらで対処したらいいのでしょうか?
「また、こんなつまらないものを書いて……誰も読んでくれないよ」
「時間の無駄だよ」
という内なる声に恐れをなして、書けなくなってしまうのです。この声に勝つにはどうしたらいいのでしょう……。

「気をつけて、静かにしていなさい、恐れてはなりません。」
このみ言葉をもって対抗します。



にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へにほんブログ村
↑ここをクリックしてください。そうすると、より多くの方がこのブログを読んでくださるようになります


雲の柱が動くとき

2013-01-21 16:06:28 | 日本クリスチャン・ペンクラブ
昨年12月に日本クリスチャン・ペンクラブ(JCP)のレターに載せるエッセイを募集していました。今年の抱負を400字で書くのです。
年が改まると抱負を聞かれることが多いのですが、できればパスしたい気持ちになります。抱負を掲げても、2、3か月もすると忘れ、年の終わりになって、ああ……年の初めにはこんなこと言ってたんだ……と思い出す始末です。

立派なことを掲げれば掲げるほど、できなかったときの落胆が大きいので、今年は特別大きなことを掲げませんでした。

タイトルは「雲の柱が動くとき」です。文章の内容からすると「雲の柱が留まって」になりますが、もうすぐ動き出す予感がしたので、そういうタイトルになりました。
まずは紹介します。
                  
雲の柱が動くとき


常に何かを書いていた。昨年はOBIの卒業論文、長編児童小説と短編童話数編書いた。
長編を書き終え卒論を提出したら、そのあと書けなくなった。この20年、ひとつの作品を書き上げると、一週間もしないうちに次の作品を書きはじめていたのに……。

創作するとき、ストーリーが結末まで一気に思い浮かび、それから書きはじめる場合と、結末はわからないが、書いているうちに何とかなると思って書きはじめる場合がある。

後者の場合は迷いがあり、たいてい失敗する。未完のまま放り出してしまうこともある。

前者はゴールが決まっているので、迷いなく書ける。神様がストーリーを与えてくださったからだ。

雲の柱が留まっているときは、じっと留まったイスラエルの民のように私も待つことにする。雲の柱が動くとき、新しい物語が生まれる。今年は待つ年になるのか、再スタートの年になるのか、神様だけがご存じである。



雲の柱というのは、旧約聖書の出エジプト記に出てきます。イスラエルの民はエジプトで奴隷のようにこき使われ、虐げられていました。民の叫び声を聞いた神様は、モーセという指導者をたててイスラエルの民をエジプトから脱出させました。

イスラエルの民は、神様が与えてくださるという約束の地を目指して旅をしました。何もない荒野を旅するイスラエルの民が迷わないように、昼は雲の柱、夜は火の柱をたて、柱が動くと民はそのあとについて進み、留まると天幕を張って何日も宿営をしました。そのことを題材として書いたエッセイです。
 
雲の柱まかせだなんて、なんと主体性がない……。自分の意志はないのか? と思われる方もいると思います。自分の意志と力で、努力で勝ち取っていくべきなのにこれじゃ他人任せじゃないか! と言う人もいるでしょう。
 
他人任せといっても、人に任せるわけではありません。任せる方が神様だということに注目してほしいのです。神様に力をいただかなければ何もできないわたしなのです。ですから、神様のGOサインを待っていたのです。
自分の思い、感情の高まりに任せて出発するのではなく、神様の導きを待つというのは、簡単なようで、実は難しいことです。進むより留まる方が忍耐を必要とします。

このエッセイを書いたのは昨年の12月16日です。そして、今年の1月10日ごろ雲の柱が動き出しました。最初は動いたのかどうかわかりませんでした。自分勝手な思い込みということもあるので、すぐには書きはじめませんでした。そうしたら、何度も夢を見ました。書くことを促されている夢でした。

神様は、意外にも早くGOサインを出してくださったのです。新しい作品を書きはじめました。ものすごくスローペースなのですが……神様の栄光をあらわすことができますように。



にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へにほんブログ村
↑ここをクリックしてください。そうすると、より多くの方がこのブログを読んでくださるようになります。

正夢? 逆夢?

2012-10-07 21:56:09 | 日本クリスチャン・ペンクラブ
6日は日本クリスチャン・ペンクラブ(JCP)の60周年記念感謝会でした。この日のために半年も前から準備を重ね、祈って備えてきました。

わたしは準備委員のひとりとして関わらせていただきましたが、この一週間に3回も記念会の夢を見ました。「こんなはずじゃなかったのに……」という夢が2回。前日に見た夢は、何もかもうまくいった夢でした。

さて、現実は……正夢? 逆夢? 

朝からハプニングがありました。
前日三鷹の実家に泊まって、当日は朝8時過ぎに出かけました。Suicaで改札を通り、満員電車に乗り御茶ノ水駅に着いたところまでは順調のようでした。ところが、改札を出ようとしたらSuicaがないのです。今まで、切符を落としたことはあっても、財布と鍵とSuicaは落としたことがなかったのですから、まさか……と思いました。Suicaには名前記入もしていなくて、6千円近く入っていたのです。また、父の形見の定期入れに入れていました。

改札で鞄をかきまわしながら、これは夢なのでは……と思ったほどでした。
でも、そんなことで立ち止まっている場合ではありません。早く会場に行かなければ……改札で電車賃を払って、そのあとはSuicaのことは考えないようにしました。

会場準備は順調でしたが、出版されたばかりの本が届いていないことがわかり、また夢ではないかと思うほど焦る気持ちでいっぱいでした。その本は、JCP関東の会員が書いたあかし文章の作品集です。出席されたひとりひとりにお渡しする予定でした。今日の日に間に合わせるために委員たちが一生懸命編集作業をして出来上がった本でした。

手違いがあって、同じOCCビルなのですが、別のところに届いていたことがわかり、その部屋をあけていただくのに大変な思いをし、ようやく本を手にすることができたときは、開会礼拝が始まっていました。

会場は46人の出席者でいっぱいでした。理事長I先生がメッセージされる姿に涙が出てきました。
(メッセージの前半が聞けなかったのは残念でしたが・・・・・・・)

闘病生活を送っておられたI先生がこの場所に来られ、お話をされていること自体が奇跡です。

講師の先生方による講演「遠藤周作の信仰と文学」、「夏目漱石の文学と聖書」
そして、素晴らしい賛美。文章作法の学び……どれも実りある内容でした。久しぶりにお会いした関西、中部の方々との語らいの時も祝福された時間でした。

神様はすべてを備え、最善を行い、祝福をあふれさせてくださいました。

そして、帰り。Suicaがもしかして届いているかもしれないと思い、三鷹駅の遺失物事務所に行くと……あったのです。父の形見の定期入れに入れてあったSuicaが。

届けてくれた親切な人がいたのです。「戻ってよかったですね」と駅の人が言ってくれました。神様の慰めとあわれみですね。

その夜、土浦では花火大会でした。三鷹はその時間大雨でしたが、土浦は、花火がはじまるころ雨が上がったそうです。ヒックンもきて花火を楽しんでくれたようです。

わたしは実家に2泊して、今日、実家近くの教会で聖餐礼拝を受けて土浦に帰ってきました。


にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へにほんブログ村
↑ここをクリックしてください。そうすると、より多くの方がこのブログを読んでくださるようになります


拍手ボタンです

web拍手