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生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

きみのこと待っていたんだよ

2011-09-17 17:16:05 | 日記
15日、16日は息子一家と出かけました。
写真を見てどこへ行ったかおわかりの方もおられるでしょう。アラブ諸国へ行ったのではありません。東京ディズニーシーです。

毎年8月に息子一家と旅行をしています。3年前は那須へ。一昨年は伊豆高原。そして昨年は北海道へ行ってきました。今年はヒックンママがお盆に休みがとれなかったので、旅行が9月になりしました。
ヒックンを自然の中で思いきり遊ばせてやりたいと思ったのですが、関東内ではどこへ行っても原発事故による放射能の影響が心配です。

ヒックンに「今まで出かけて楽しかったところはどこ?」と聞くと「ディズニーランド」と答えたので、ディズニーリゾートに行くことにしました。

平日なのでツーディパスポート付きのオフィシャルホテルは意外と安く、窓からランドの見える部屋を予約できました。
ディズニーランドに行くのは何年ぶりでしょうか……。子どもたちが小学生のころまでは日帰りで何回か訪れました。

わたしが最後に行ったときは、まだディズニーシーができてなかったので、10年以上前であることは確かです。そのとき、次に訪れるときは、孫を連れてくることになるなんて想像すらしませんでした。

4歳のヒックンは、暗いところとスピードのある乗り物は大嫌いなので、パパ、ママと別行動することにしました。主人とわたしはヒックンと同じぐらいの体力なのでちょうどよかったのです。
ただ、暑かったのでとても疲れました。

9月半ばにもなればきっと涼しくなると思っていたのですが、誤算でした。じりじりとした真夏の暑さで、熱中症になったら大変と思い、水分補給しながらひたすら日陰を求めて歩いていました。
それでもアトラクションの中は涼しく、割合すいていて待ち時間が短かくてすんだことは幸いでした。

ヒックンは、午前中ははりきっているのですが、午後になるとだんだん眠くなってきて、「ママに会いたくなっちゃった」とぐずりだします。一日目は早朝から出かけたので、ディズニーシーの船の中で眠ってしまい、主人がそのまま抱っこして涼しいところで休ませました。

2日目のランドでは眠くなって機嫌が悪くなったとき、ちょうどパレードが始まり、目の前で見ることができたので大喜び。休む間がなかったので夕方には疲れてベンチで寝転んでいました。

ヒックンはディズニーシーでミッキーのマジカルワンド(光る魔法の杖)を買ってもらって大喜びでした。マジカルワンドをモニュメントの印に向けてスイッチを押すと光って音が鳴ります。「きみのこと待っていたんだよ」とミッキーの声が聞こえてきて、驚いていました。

「ミッキーがヒックンのこと待ってたんだって、どうして?」と聞くので、
「ミッキーはヒックンのことが大好きなんだよ」と言うとニコニコしていました。

ランドで魅惑のチキルームでショーを観ていると、スティッチが出てきて「ぼく、歌わせてもらってもいいかな・・・」と観客に尋ねました。ヒックンは「いいよ」と大きな声で答え、主人やわたしにも「いいよって言わなきゃ、スティッチがかわいそうだよ」と言っていました。

夕方息子たちと合流した時、「ヒックンが『ママに会いたい』って何回も言ってたよ」と伝えると、息子が少しムッとして「パパには会いたくなかったのか?」と言いました。
すかさず「パパとママに会いたかったんだよ」とヒックン。しっかり顔色をみて答えていました。

息子たちは夜のパレードまでいるつもりだったらしいのですが、ヒックンのようすをみて6時ごろ帰途につきました。車に乗った途端、ヒックンは満足しきった様子で眠ってしまいました。9時前に無事帰宅。すべて守られたことを主に感謝しました。



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勉強の動機

2011-07-25 16:18:48 | 日記
今日は朝からぼーっとしています。しなければならないことはたくさんあるのに何ひとつ手につきません。

金曜日から昨日までの密度の濃い3日間を思えば、今日はゆっくりしていてもいいかなと思います。

22日は、朝からお茶の水聖書学院(OBI)に出かけました。卒業研究のための資料としてOBIで東京キリスト教学園から本を借りてくださったので、それを閲覧するためでした。
夏休みなので誰もいない教室を貸していただいて本を読み、必要なところを書き写すという作業を5時間近く続けました。

コピーをとってはいけないと言われたので、一本のボールペンを頼りにひたすら書き写しました。

その日は都内の実家に泊まることにしていたので、時間はたっぷりとれました。いつもなら、「3時のお茶の時間までには来てね」と母に言われるのですが、今回は娘がお菓子を買って3時までに母のところへ行き、夕飯の支度も手伝うことになっているので、わたしは夕飯までに行けばいいのです。

家事いっさいから離れて勉強できて、何て幸せなんだろう。何て楽しい時間なんだろうと思いました。
考えてみると、わたしが勉強を楽しいと感じるなんて不思議です。

なぜなら、高校生まで学校の勉強が大嫌いだったからです。わたしは作文と国語のテストが苦手でした。数学もあまり好きではありませんでした。高校では赤点をとることの恐怖から勉強していたようなものです。唯一好きだったのは物理でした。実験のレポートを書くのが楽しかったのです。

そのころは、勉強して何の役に立つのだろう? 何のために勉強するのだろう?という疑問があり、勉強する動機がはっきりしていなかったので、頑張ろうという気持ちになれなかったのです。

今は、動機がはっきりしています。聖書のこと、イエスさまのことをもっと知りたいという気持ち。それだけです。

自分ではどうすることもできない罪の問題を解決してくださったイエス・キリスト。
いつもうつむいていたわたしに生きる喜びを与えて下さったイエス・キリストのことをもっと知りたい。そのことがわたしを駆り立てています。

翌日の土曜日は日本クリスチャン・ペンクラブの例会に出席しました。喜怒哀楽で400字エッセイを書いていますが、今回は最後の『楽』でした。ぎりぎりまで推敲をくり返していましたが、タイムアウトになり、完成とはいえないかたちで持って行きました。
グループに分かれての合評で推敲のヒントをいただけたのでよかったです。

そして昨日は夕方まで教会でした。
この数日の涼しさは神様からのプレゼントのようでした。




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母のこと

2011-06-27 19:53:55 | 日記

金曜日は都内の実家に行って泊まり、土曜日は、お茶の水で行われた日本クリスチャン・ペンクラブ(JCP)の童話エッセイの会へ参加しました。

実家では草取りと掃除を手伝い、夕食は母と一緒に作りました。
母はわたしより元気です。朝、夜明けとともに目が覚めると言って、わたしが泊まった日も5時前に起きて草取りを始めていました。

母は週に3回も体操教室に通い、ひとりなのにお惣菜はほとんど買わず、毎食ちゃんと作っているのですから、たいしたものです。(わたしが一人暮らしになったら、ほとんど料理はしないでしょう)
2、3か月に一度友人たちと旅行をし、1か月に一度は自宅に友人を招いて麻雀をしているのですから、81歳とはとても思えません。

でも、わたしは母の寝室が二階にあることを心配しています。もし夜中に階段で足を踏み外したりしたら……。階下に寝るよう薦めるのですが、母は素直に言うことを聞く人ではありません。

2年前、「2・3年後には土浦の老人ホームに入る」と言っていたのに、「当分入らないことにした」と言い出したので、元気なうちは仕方ないのかな・・・と思いました。

母になかなか信仰の話ができませんが、JCPに提出する作品を毎回読んでもらっています。今回の作品は原稿用紙52枚の童話で長かったのですが、喜んで読んでくれました。感想は「よく、こんな話思いつくね」の一言だけでしたが……。

昨日のことも書きたいのですが、昨日から腰を痛めてしまって長い間パソコンの前に座っていられないので今日はこのへんで......。



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コミュニケーションの難しさ

2011-06-23 21:32:40 | 日記
急に暑くなりました。昨日、今日は洗濯日和なのですが、「晴れでも雨でも同じ」と、ため息をついています。放射能が気になり、震災以来、洗濯物やふとんは外に干していないからです。マンションで洗濯物を外に干している家は半数ぐらいでしょうか……。

食べ物はいちおう産地を確かめて買いますが、県内産の野菜も食べています。水道水も飲んでいます。孫が来るときだけ、ミネラルウオーターを買って調理にも使っています。

教会学校教師会で夏期学校の行き先を話し合いましたが、今年は難しいです。川遊びはダメ。海もダメ。公園でお弁当を食べるのもダメ……。茨城県ですから、原発の影響を考えずにはいられません。


水曜礼拝ではコミュニケーションをとることがいかに難しいか教えられました。
語る側と受け取る側にズレがあること。伝わらないことを前提に語ること。
夫婦間でもそれは常々感じています。

以心伝心という言葉がありますが、わたしたちには当てはまりません。
伝わっていると思い込んでいただけで、実は伝わっていなかったことがたくさんあるのです。同じ言葉で言い表しても、イメージするものが全然違うことがあります。

また、言葉に対する感じ方の違いがあります。
主人はものすごく無口で、どうしても必要な時以外口を開きません。必要なことも単語で、できるだけ短く言うので、こちらには伝わってきません。

主人が歩く先にわたしがいると「邪魔」と一言。わたしはその言葉に傷つきます。そんなに深い意味はないと思うのですが、わたしの存在そのものが邪魔なのだと思えて悲しくなるのです。
「どいて」と言い換えるだけでどんなに違うことか……。
一方主人にしてみれば、わたしが「邪魔」と言われるたびに傷ついていたなんて、全く気づいていません。

あるとき、「邪魔って言われると、存在を邪魔にされたようで傷ついている」と、はっきり言いました。そうしたらもう「邪魔」とは言わなくなりました。

食事の味付けにしても感想を言わないので、おいしいのかどうかわかりません。
お酒を飲む人は塩辛い味付けが好みだと思い込んでいた私は、煮物は甘さを控えて作っていました。
ところが義母の味付けは、ものすごく甘いのです(甘さは売っている惣菜の倍ぐらい)。あるとき、義母から蕗の煮付けをもらってきました。夕食時に主人が「この味付けがうまい」と初めて感想を言いました。
甘い味付けが好きだったなんて……結婚して30年近くたってからわかるなんて……。

娘はそんなちぐはぐなわたしたちを見て、
「お父さんは言葉が少なすぎる。お母さんはよくしゃべるくせに肝心なことを聞かないし、言わない」と言いました。全くその通りです。


正しいコミュニケーションをするために大切なことは、人間の論理性と感性(感情・情感)を認識すること
なのだそうです。

考え方も感性も相手と自分は違うのだということを意識しながら伝えなければ・・・と思いました。



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おしゃべりなヒックン

2011-05-14 17:07:40 | 日記

4歳1か月のヒックンが水疱瘡になったので月曜、火曜の2日間預かりました。そのときはすでに熱が下がり、発疹の痒みもおさまっていました。月曜日は主人が家にいたのでヒックンはおもにおじいちゃんに遊んでもらいました。

写真は主人手作りの高速道路です。
2台の車を競争させられるので、電池で動く道路よりおもしろいようです。

火曜日はわたしひとりしか面倒を見る人がいませんでした。ヒックンを小児科に連れて行くという役目があったので、わたしは緊張していました。

子どもたちが小さいときは自転車の前と後ろに乗せてどこへでも出かけていましたが、ヒックンを自転車に乗せるのはためらわれ、タクシーで行くことにしました。

ヒックンは、どこへ行くにもパパかママの車で出かけるので、タクシーに乗ると言ったら大喜びです。タクシーの中から見える車の車種を次々と言うので、タクシーの運転手さんが感心していました。

わたしは車は色の違いしかわからないのに、どうして見分けるのかと思ったら、タイヤとマークを見るのだそうです。

「あれは、デミオ。○○ちゃんのお母さんの車」「あっ、プリウス。ママの車といっちょ(一緒)だ!」「カローラは○○先生の車」と、保育園の友達や先生の車まで覚えています。

タクシーは間もなく病院前で止まりました。ビルの3階なので、どこから入ったらよいかわからなく、うろうろしていると、「こっち、こっち」と数日前にも行ってよく知っているヒックンに教えてもらいました。
診察室で椅子に座る時は不安そうにしていましたが、「よくなっています。明日から保育園に行っていいですよ」と先生に言われ、ようやくニッコリしました。

病院のすぐ前にバス停があったので、帰りはバスに乗って帰りました。ヒックンにとってバスに乗るのは生まれてから数回目です。停留所近くになったときチャイムを押して大喜びしました。水疱瘡が治ったことと無事に病院へいってくることができたことに感謝しました。

「保育園とゆこちゃん(わたしの呼び名)ちとどっちがいい?」と聞くと、「ゆこちゃんち」と答えたので嬉しくなりました。
でも、明日は保育園へ行ってくれないとゆこちゃんがダウンしちゃうからね。


ヒックンとの会話を紹介します。

リボン柄のついた服を着ていたら、
「こんどヒックンが来るときもこのお洋服着ていてね」

「ママが大好き。だって、ママ可愛いんだもん」
「ゆこちゃんは可愛い?」
「あした、髪の毛切ったら可愛くなるよ」

トミカのDVDを見て・・・・
「トミカの新車発売日は、第三土曜日だよ。あした買ってね」
(第三土曜日の意味はわからずに言っている)

一緒にピアノを弾いていて、ヒックンはあきてやめたのにわたしがいつまでも弾いていると、
「ごはんのしたく、しなくていいの?」

神様によって成長させていただいている孫にいろんなことを教えられています。



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創作の闘い

2011-04-09 09:03:22 | 日記
昨日は、土浦で年に4回ほど行っている児童文学の会の集まりでした。仲間たちと3か月ぶりの再会です。
このようなときですから、仲間と顔を合わせられる喜びはひとしおです。作品合評より、地震のことを話している時間が長かった気がします。
県北の方は欠席でしたが、メンバーの無事を確かめあってほっとしています。

人類の歴史の中で巨大地震と津波と原発事故という3つを同時に経験した人たちはいませんでした。被災県であり、原発事故の起きた福島の隣接県でもある茨城に住んでいるわたしたちは、稀な境遇だといえるでしょう。自分の立ち位置をはっきりさせて、時間をかけて執筆活動を続けていきましょうとの発言がありました。

早くも避難所のことを作品に書いた方もいましたが、わたしはまだ今回の災害を作品にすることはできません。
心の傷になっているからです。それに災害はまだ続いているからです。
一昨日の余震は、寝入ったばかりのときでしたが、飛び起きました。原発も終息していません。災害のことを書くとしたら、ずっと先になるでしょう。

子どもたちに神さまの愛を伝えるために童話や児童小説を書き始めて19年。
ほとんど途切れることなく継続して次々創作していましたが、昨年あたりから途切れがちです。闘いに疲れてきたせいかもしれません。

創作をするとき、ものすごい闘いがあるのです。『こんな作品書いたって何にもならない。どれだけ書いても上達しないし、本になる可能性は限りなくゼロに近い。忘れっぽくなり、体力も衰える一方なので、新しく長編を書くことはできない。』という内なる声が聞こえてくるのです。
そんな声に負けて何か月も創作しなかったことがありました。今回は、内なる声と闘いながら短編をようやく書きました。

全く自信がなくて、酷評されるかもしれないと覚悟して合評会に提出しました。
(ひどいときは、物語のつくりそのものがダメだと言われることもあるので……。)
褒められることはまずない厳しい合評会です。

ところが、「こんな災害のあった時に作品を書いてきて偉い」と褒められました。
内容について褒められたわけではないのですが……。

色々指摘されましたが、「物語のつくりはいい」といわれてほっとしました。
さっそく書き直そうと思っていますが、また闘いです。

罪や誘惑との闘いに勝つ秘訣は、真正面から闘うのでなく、さらりとかわすこと。み言葉(聖書の言葉)を思い出すことです。

書けなくなる誘惑との闘いに勝利するには、自分の力で頑張って書こうと思わずに、神様に書かせてもらうというへりくだった気持ちになることだと思います。

自分には書ないと思ったときは「私は私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。(ピリピ4:13)」というみ言葉を思い起こします。
書けないはずはないのです。イエス様が書かせて下さるのですから。


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光はやみの中に輝いている

2011-03-16 16:48:43 | 日記
地震から5日目になり、少し落ち着きました。今週予定していたことすべてが中止になってしまいました。

計画停電に茨城県が除かれたので助かりました。まだ、ガスが止まったままだからです。水道は出ていますが、いつ止まるかわからない状況なので節水しています。

お風呂に入れないこと、調理がままならないこと・・・不足を訴えればいくらでもありますが、被災者の方々のことを思うと何も言えません。
テレビに写される方々の様子をみて胸がつぶれそうに痛みます。原発の近くの方はどれだけ不安なことでしょう。家族を亡くされたかたはどれだけ心が痛んでいるでしょう。
どうかひとりひとりが守られ、すべての必要が満たされますようにお祈りします。

今まで当たり前だと思っていたこと・・・水道からいつでも水が出、スイッチ入れればお風呂が沸かせ、ガスがつき、電気がつき・・・それが断たれて初めて当たり前ではなかったのだと気づきます。

地震の当日は一日水が出ず、停電してしまいました。出ないとわかっているのに何度水道のレバーを押してしまったことでしょう。

電気がないとテレビやPCがつかず、情報が入ってこないことの不安でいっぱいになりました。(ラジオがあったので助かりましたが・・・)

ガスは、カセットコンロとホットプレートで代用していますが、ガスボンベがあっという間になくなってしまいました。ガスボンベはどこの店でも売り切れなので今日から手作りコンロで調理します。

「火がついた。水が出た。電気が通った。感謝だね、感謝だね」と娘と言いあって、日常のひとつひとつのことに感謝しています。


「感謝することを忘れてしまった人は、人生で眠ってしまった人だ」
と「宝島」の作者ロバート・ルイス・スティーブンソンが言ったそうです。

「感謝は苦しみの中で生まれ、苦しみの中から育つ」とOBIで聞きました。
1620年、102人のピューリタンの信徒を乗せたメイフラワー号がマサチューセッツに着いたのですが、寒さのため半数が召されてしまったそうです。それでも苦しみの中にあって感謝祭を行ったという話を聞いて、心打たれました。


*写真は停電したとき作ったサラダ油の手作りランプです。

「光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。(ヨハネ1:5)」



*ちゃきさんの新しいブログ土の器(この土台の上に)をブックマークに入れました。ぜひごらんください。



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地震から守られました

2011-03-14 14:45:40 | 日記

今回の地震には驚かされました。

阪神大震災を思い起こすと、いつかはこちら(茨城県)でも大地震が起こるのではないかと思っていました。でも、小さな地震が頻繁に起きているのできっと大丈夫と楽観的に考えていました。

そのとき、娘とわたしは自宅にいました。最初はいつもの弱い地震だと思っていました。ところがいつまでもおさまらず、揺れはどんどん大きくなります。

どこが安全なのか考える間もなく、その場にすわりこんでしまいました。少し揺れがおさまると、娘はてきぱきと玄関や部屋の戸を開けて、防災用品バッグを持って来ました。わたしは腰が抜けたようになって動けません。頭の中も真っ白です。

娘がラジオをつけて、大変大きな地震であることを知りました。
まず電気、ガスが止まり、しばらくして水道も止まってしまいました。電気は夜10時ごろ復旧しました。(水道は今朝から復旧、ガスはいまだに止まっています)

携帯も電話も通じません。主人とはすぐに連絡はつきませんでした。
車で30分のところに勤めている主人は、4時間かかって帰ってきました。停電で信号機が作動していないので渋滞していたそうです。

わたしは、かぜをひいて微熱があったのですが、びっくりしたせいか熱が下がってしまいました。
家の中のものの被害は少なかったです。タンスや食器棚、テレビ、PC、プリンター等に地震止めをしており、食器棚の扉は簡単に開かないようになっていたからです。インスタント食品など軽い物を入れていた戸棚だけとめていなかったので傾き、中味が全部落ちました。

でも、割れたものはひとつもありませんでした。ピアノも大丈夫でした。
友人の家は、ピアノが20センチも動き、壁に当たって壁にひびが入ったと言っていました。

ヒックンは、保育園で誕生会をしていたところだったそうです。3月生まれのヒックンはみんなからお祝いしてもらって、ケーキを一口食べたところで地震が起き、座布団をかぶってホールに避難したそうです。無事でよかったけれど、ケーキ、一口しか食べられなかった・・・とがっかりしていました。

とにかく、守られたことを感謝します。

逆らうことのできない大きな力の前には人間は何もすることができないと実感しました。
なぜこんな災害が起こるのか・・・それはわかりませんが、すべて神さまの御手の中にあって起きたことです。

被災された方、いまも助けを求めておられる方が守られますように祈っています。


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ナルニア国物語第3章を観て

2011-03-09 20:38:05 | 日記

映画「ナルニア国物語 第3章 アスラン王と魔法の島」を観ました。
ナルニアには特別な思いがあります。子どもたちが小さいとき、ナルニアの本7冊を半年かかって読み聞かせたので、親子でストーリーの中に浸っていました。

1章、2章も娘と一緒に観に行きました。そのことを過去のブログに書いています。1章は2006年4/1 2章は2008年5/31です。
今日観た3章は、わたしとしてはいちばん良かったです。

水曜礼拝の後、教会のすぐ近くにあるイオンの映画館へ行きました。
3Dのメガネを借りて観ました。3D映像初体験です。すごい迫力でした。

映画はナルニアの本「朝びらき丸東の海へ」の内容で、原作と少し違う部分もありましたが、原作のイメージが損なわれることなく描かれていました。

人間の名誉欲、金銭欲、人をうらやむ気持ち、美しくなりたいという願望、自己中心の罪が描かれていたことがよかったです。
「恐れるな」というセリフが生きていました。

ドラゴンになったユースチスが、アスランに衣を裂かれて少年の姿にもどる場面は、キリストを信じて新しく生まれることを意味しているように思いました。


「あちらの世界では、わたしはほかの名前をもっている」
このセリフはアスランが子どもたちと別れるときに言った言葉です。

ほかの名というのは、イエス・キリストという名を示していますが、キリストを知らない人にはわからないでしょう。単に「ライオン」と思うかもしれません。

作者のC・S・ルイスがこの作品を読んだ子どもたちにキリストを知ってもらいたいという一心で書いた言葉です。この言葉がセリフとなっていたことが嬉しかったです。

リーピチープがアスランの国に行ってしまう場面では涙があふれました。
聖書信仰に基づいて書かれたファンタジー作品が、現在このようにして3Dの映画となったことが嬉しいです。
3章で最後の予定だそうですが、本は7巻あります。次作が作られるように祈ります。


拍手ボタン(右側、自己紹介の下にあります)100になりました! 嬉しいです。
ボタンが押されるたび、励まされています。
押してくださった方、ありがとうございます。これからも、よろしくおねがいしますね。


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空に笑顔が・・・・・・

2011-03-03 20:44:17 | 日記

この画像はカナダの宣教師から送られてきたものです。
画像には


A smile from God!
One in a million shot
Send God's smile to someone you want to bless today!


と、添え書きがあります。

まさに、神様から贈られた笑顔ですね。


「これは、主が設けられた日である。この日を喜び楽しもう。(詩篇118:24)」
という聖書の言葉を思い浮かべました。

久々にわたしのHP「生かされて・・・土筆文香」のギャラリーの部屋を更新しました。
この画像のほか壮大な自然の写真を詩篇19篇とともに紹介しています。ぜひごらんください。


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星空の旅

2011-02-16 21:14:56 | 日記

12日に六本木のスカイプラネタリウムにひとりで行ってきました。わたしは、プラネタリウムが大好きで、つくばエキスポセンターのプラネタリウムにもよく行きます。
スカイプラネタリウムは、歩きながら星空を旅するという体験型プラネタリウムだというので、以前から行きたいと思っていました。

先月実家に帰ったときに立ち寄るつもりでしたが、忙しくてその時間がとれませんでした。
今回はJCPの会が延期になり、時間が空きました。雪が積もりそうなら急いで帰らなければなりませんが、幸いみぞれまじりの雨でした。

場所は六本木駅から0分と書いてあるので、すぐにわかると思ったのに駅を出ても何の案内もありません。高層ビルが立ち並んでいる中、おのぼりさん丸出しでうろうろ歩きまわりました。
3回も人に尋ねて、ようやく森ビルのエレベーターを見つけました。会場は展望台のある52階です。

土曜日で、しかも翌日13日までの開催だったので大勢の人が並んでいました。
初めに入った部屋にはオリオン座の模型がありました。

オリオン座は長方形で囲まれた中央部に斜めに三ツ星があるように見えますが、それは地球から見た場合だけです。角度を変えて宇宙から見ると、決してそのようには見えないことがわかりました。
夜空の星は布に貼り付けられているように見えますが、実は奥行きがあるのです。
三次元なので当たり前のことなのですが、三ツ星は隣同士に並んでいるわけではないのです。

視点を変えるとまるで違ったものに見えてきます。ひとつの出来事を辛い出来事としてみていても、角度を変えると貴重な体験と思え、感謝できることがあります。 

ひとりの人間を見るにしても、角度を変えてみると別の性格の人に見えたり……。
神さまの視点から見ると、現代社会は、わたしたち人間は、どんなふうにみえるのでしょう?
色々と考えさせられました。

最新の天文観測データーに基づいて再現された一千光年の宇宙空間が用意されていました。星空の中を歩いているようです。
スクリーンを見ると、137億光年の宇宙旅行をして帰ってきたような感覚になりました。
宇宙の果ては137億光年先にあるそうですが、それは想像もつかないほどの大きさです。果たしてそこに宇宙の果てがあるのかどうか・・・。

地球から見ることのできる星だけではなく、宇宙には数えられないほどたくさんの星があります。その星ひとつひとつを、造られた神さま。宇宙を創造された神さまの素晴らしさ、偉大さを思いました。
ダビデは星を見上げて詩を書いています。



詩篇8篇3-9

あなたの指のわざである天を見、
あなたが整えられた月や星を見ますのに、
人とは、何者なのでしょう。
あなたがこれを心に留められるとは。
人の子とは、何者なのでしょう。
あなたがこれを顧みられるとは。
あなたは、人を、神よりいくらか劣るものとし、
これに栄光と誉の冠をかぶらせました。
あなたの御手の多くのわざを人に治めさせ、
万物を彼の足の下に置かれました。
すべて、羊も牛も、また、野の獣も、
空の鳥、海の魚、海路を通うものも
私たちの主、主よ。
あなたの御名は全地にわたり、
なんと力強いことでしょう。


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心の塀が壊されて

2011-02-09 16:51:27 | 日記

友人の優子さんが2/8の「メメントドミニ」で、童話「わがままな大男」について次のように書いておられます。

この大男の姿は我々人間に巣食らっている本質でもあろう。
童話に登場する両方の手のひらと両足に釘のあとがある「小さな子ども」は、神の子イエス・キリストであり、ワイルドは神の愛によって人間は救われることを述べているのである。

大男の庭は大男の心のありさまであり、しかし、いつしか「自分の心の高い塀に気づき、自らの手で塀を打ち破った」のである。

(ブックマークの「メメントドミニ」をごらんください。)

我が家にある絵本の題名は「わがままな巨人」で、釘あとがあることは省略されていますが、原作にはおそらく書かれていたでしょう。

無意識のうちに自分のまわりに塀をめぐらせることって、結構ありますね。
「わがままな巨人」を読んで父のことを思い出しました。

わたしの父は厳格で頑固な人でした。人の話を聞いていると、いつの間にかお説教する姿勢になっていました。父に逆らったり、口答えすると激怒するので、母もわたしや妹も恐れていました。

父にキリストを伝えたくても、話を聞いてくれないのでどうしようもありませんでした。
父は癌になる数年前に腹部大動脈瘤で緊急手術を受けたことがあります。
「危なかったですよ。もう少し遅ければ、破裂していました」と医師から告げられたとき、「運がよかったんだなあ」と言っていました。

そのときから、父は自分のはりめぐらしていた高い塀に気づき、それを少しずつ打ち壊していたのです。
父が大動脈瘤で入院している時に、三浦綾子さんの本「永遠のことば」を持って行きました。
読んでくれるかどうかわからなかったのですが、少しでも心を開いてくれればと思って祈りつつ渡しました。

数年後に末期がんになったとき、父が「永遠のことば」を熱心に読み、書き写していたことを知りました。
父の心の塀がくずれていたので、わたしが話したイエス・キリストのことやホスピスでチャプレンの先生が語る言葉を素直に聞き、受け入れることができたのだと思います。

巨人が小さな男の子と出会って喜んで天国にいったように、父もイエス様と共に天国へ行ったのだなあと思いました。



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外なる人は衰えても

2011-01-30 16:21:30 | 日記
27日から昨日まで出かけていました。
27日は義母が遺族年金手続きをするために一緒に年金事務所へ行きました。義父が1月2日に召されたので、色々な手続きがたくさんあります。義母一人ではとても大変なのでお手伝いさせていただきました。
年金事務所は実家から電車とモノレールを乗り継いでいきます。やっと着いたと思ったら混んでいて一時間半ぐらい待たされました。

書類がそろっているか何度も確認したのに、一枚足りなくて手続きは完了しませんでした。足りない分は郵送でもかまわないと言われたのでほっとしました。
義母は、「こんなこともひとりでできないなんて、申し訳ない。申し訳ない」と繰り返し言っていました。

申し訳ないなんて思う必要はないんです。むしろ高齢者がこのようなややこしい手続きをしなければならないことに問題があるのではないかと思います。

お役所の手続きは、とても大変です。どんな書類が必要なのか、説明を読んでもなかなかわかりません。本籍が今住んでいる市にないので、取り寄せなければなりませんでしたし、取り寄せるために必要な物を問い合わせたり・・・とても84歳の義母一人でできることではありません。

高齢者の身になって考えてみると、大変なことがたくさんあることに気づきました。
年をとると目はかすみ、耳は遠くなります。(すでにわたしにもその兆候が表れています)早口で聞き取りにくい声で話されると何を言っているのかわかりません。

何度も聞き返したりすると、面倒くさそうに答える人、バカにしたように接する人もいます。ひどいときは、「息子さんか娘さんと一緒にあらためて来て下さい」と言われてしまうこともあるそうです。
子どものいない高齢者はどうしたらいいのでしょう。

「市役所に行ったとき、名前や住所、本籍地など、次々と質問されたの……認知症と疑われたみたい・・・」と、義母は嘆いていました。


28日は三鷹の実家に行き、母に頼まれて買い物につきあいました。電器店でテレビを購入したのですが、店員さんが早口でエコポイントの申請のことや、カードの申し込み方法など説明するので、母は聞き取れませんでした。

カードの申し込みはパソコン画面で行うので、母にはできないことでした。
「あんたが一緒について行ってくれてよかったわ。」
と言ってくれました。


29日は日本クリスチャン・ペンクラブ(JCP)の例会でした。
久しぶりにみなさんと再会し、書くことに対する熱い思いを伺うことができて感謝しました。
「喜怒哀楽」の「喜」をテーマにした400字エッセイの合評も実りある時間でした。80歳の方が毎週礼拝をするたびに新しくなる喜びについて書かれている文章を読んで、はっと心打たれました。


聖書の言葉
ですから、私たちは勇気を失いません。たとい外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています(Ⅱコリント4-16)


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15年ぶりの再会

2011-01-15 19:53:44 | 日記

昨日は茨城児童文学の会でした。

作品集「エフラテール」の完成後、2人の方が都合で退会して、メンバーは全員で8名になってしまいました。(クリスチャンはわたしひとりです)
そんなとき新しい方が入会されて、大きな喜びに包まれました。

新しい方といっても、以前同人「青い星」でご一緒させていただいた方です。その方が15年ぶりに戻ってきてくださったのです。

15年間の空白を埋めるように皆でその方を囲んでお話しました。色々なことがあったと言われましたが、わたしもこの15年を振り返ると色々なことがありました。
乳がんという大きな病気もしましたが、守られて今ここにいられるのだなあと思いました。

これからの創作の方向性について語り合ったとき、ひとりの方が「わたしは宗教は信じないけれど、やはり作品には、文香さんのように筋の通った思想がないとダメだと思った」
と言われたので驚きました。

わたしは信仰をぬきにした作品は書けないので、ずっと神さまの愛を示す文章を書き続けていました。そのことが認められたようで嬉しく思いました。
ときには、あからさまに出しすぎて、ダメだと言われましたが……。

作品を通して読者に何を訴えたいか、そういうものがないと、書き続けるのが困難になるのかもしれません。

「元気になる力より、老化の方がまさっているから困る」
と言った方もいました。

確かに肉体は衰えていきます。でも、魂は毎日新しくなっています。
「ですから、私たちは勇気を失いません。たとい外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています(Ⅱコリント4-16)」


合評は、わたしの10枚の童話、一作品だけでした。20から30枚の作品にして、もっと丁寧に心理を書いていかないと読者は納得できないと言われました。自分だけはよくわかっているのですが、伝わっていなかったのです。少し時間をおいてから、書き直します。


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義父への手紙

2011-01-07 17:49:24 | 日記
無事葬儀が終わりました。息子一家も参列しました。息子たちの車に乗せてもらって帰ったので早く戻れ、感謝でした。

義父は91歳で召されたので、葬儀には悲壮感はありませんでした。でもお別れは、やはりつらいです。お元気なときの義父の姿を思い出して涙が出ました。棺には、孫たちとひ孫の書いた絵や手紙。義父の愛用していた絵筆を入れました。

昨年の12月21日にわたしが義父に書いた手紙を紹介させていただきます。(義父はクリスチャンではありませんので、クリスチャン用語は使っていません。)

前回書いた「予期せぬ出来事」をまだお読みでない方は、その記事を先にお読みください。


お父さん。
やけどされて救急車で運ばれたことを聞いたときは、とても驚き、心配しました。大事に至らなくてよかったですね。

病院生活は心落ち着かないことと思います。お父さんを一日も早く家にお連れして今までの通りの生活をしていただければ……と望んでいますが、現実にはそれが難しいのです。

これまでずっとお母さんがお父さんのお世話をしてきましたが、それが限界にきているのです。お母さんはお元気そうに見えますが、持病があり、少しも無理できない体です。病院の先生からも疲れるようなことをしてはいけないと言われています。かなりひどい腰痛もあるようです。年齢も84歳になりました。

わたしたちが話し合った結果、これまでの生活を続けていたら、お母さんが倒れてしまう危険が大きいので、お父さんには退院したらホームへ入っていただくのが最善だということになりました。ここの病院の先生も、ケアーマネージャーさんも、皆同じ意見です。

わたしは、お父さんがお母さんに腹を立てておられるのを見るととても辛く、自分を責めてしまいます。
もし、わたしが乳がんにならなければ、同居していたでしょう。そうしたら、お父さんにこんな思いをさせなくてすんだのにと思います。
                 (中略)

もしかしてお父さんは老人ホームを姥捨て山のように思っていらっしゃいませんか?
ホームに入れることは親を捨てることではありません。大切なお父さんを決して見捨てるわけではないのですよ。

お父さんが幸せな気持ちで毎日を過ごして欲しいと心から願っているのです。
むしろホームのほうが介護の専門の方がおられますし、リハビリもでき、食事の心配もなく、お風呂にも入れてもらえ、快適だと思うのですが・・・。

でも、以前ショートステイでホームに入ったとき、いやだったとおっしゃっていましたね。やりたくもない折り紙や風船つきをさせられて子ども扱いされたような気になられたのですよね。
高齢者だからといって十把一絡げにされるのはひどいですね。人格を尊重していないことですよね。
ひとりひとり違うのですから、それぞれ、自分のやりたいことができる施設をと考えています。

お父さんは91歳ですね。わたしが初めてお会いした時は、退職されたばかりだったように思いますが、絵を描くのがお好きで、お母さんとよく旅行されて写真を撮っておられましたよね。

脳梗塞になられたけれどリハビリで回復され、絵筆をにぎって素晴らしい絵をたくさん描かれましたね。そんなお父さんを尊敬しています。ヒックン(ひ孫)の絵を描いてくださったときは、感激しました。
90歳近くになって油絵を描いておられる人は少ないと思いますよ。また、描いてほしいです。

実家の父が亡くなってからは、お父さんを実の父親のように思っています。
お父さんがお元気で心穏やかな日々を過ごせますようにお祈りしています。



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