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生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

足のともしび

2019-04-23 15:02:37 | 日記
19日朝、娘が2人目の子どもを出産しました。2481gの女の子です。予定日より10日も早かったので、驚きました。入院の準備やらレンタルベッドの手配が前日にできたところでした。
夜中に陣痛が来て、家の人を起こすのは悪いと思って、ぎりぎりまでがまんしていたそうです。痛みの間隔が10分になったので、あらかじめ予約しておいたマタニティー陣痛タクシーを呼びました。わたしは娘の電話の声で目が覚ましました。

あわてて着替え始めたわたしに、「ついていかなくて大丈夫だから。ひとりでいくから」と落ち着いた様子でいいました。

娘はわたしが睡眠不足になると、すぐ具合が悪くなることを知っているからです。
娘は笑顔で出かけていきました。それから5時間後、午前9時に無事生まれました。
神様が与えてくださった新しいいのちに心が震えました。

お祈りしてくださった方々に感謝します。

21日はなんとかイースター礼拝に行けました。疲れてふらふら状態で、今にも倒れそうで不安でいっぱいだったのですが、「大丈夫です」という言葉を聞いて、主が御手をさしのべて支えてくださっていることがわかりました。

「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。(詩篇119:105)」


『神様は足元を照らしてくださいます。ずっと道は続いていますが、神様は、一歩踏み出すとその先だけを照らしてくださいます。もっと先を照らさないのは、高慢にならないため、神を忘れないためです。』という牧師先生の言葉に励まされました。




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手をつないで

2019-04-15 11:55:38 | 教会
上の写真は14日(日曜日)の写真です。
雨と風で散ってしまったと思っていたのに、まだこんなに咲いていました。

桜は咲いても必ず散ります。当たり前のことです。散らない桜があったら、それは造り物でしょう。
人間も必ず死を迎えます。死なない人はいません。でも、なぜか死について話す人は少ないです。避けているようにも思えます。

どんなに成功したって、ノーベル賞をとったって、大富豪になったって、人生の最後は死です。
むなしいとは思いませんか? テレビでは、どうしたら若く見えるか、死ぬ前まで健康でいるにはどうしたらよいか? などと、そのようなことばかり言っています。
肝心の死の問題についてまともに語る人は少ないです。それは死を克服していないと語れないことだからです

わたしは中学生のころ、なにもかも空しくなり、最後はどうせ死ぬのだからどうでもいい。と投げやりな気持ちで生きていました。

昨日の教会礼拝でのメッセージでは、まさに死の問題解決について明確に語られました。

旧約聖書創世記を読むと、ノアの洪水以前の人達は、寿命が長く、一番長い人で986歳です。でも、寿命が長いからと言って死なないわけではありません。
寿命が短い人でも聖書には「生んで、生きて、死んだ」と書かれています。人生が「生んで、生きて、死んだ」だけのものだったら、なんとはかないのでしょう。
例外もあります。エノクとエリヤです。

創世記5:24には「エノクは神とともに歩んだ。神は彼を取られたので、彼はいなくなった。」と書かれています。ともに歩んだとは、神と手をつないで歩んだということだそうです。

エノクはなんてすばらしい人生をおくったのでしょう。なんの経歴がなくても、エリヤのようにすごい力を持たなくても、エノクは神様の心と全くひとつになっていたのでしょう。
エノクが神様に近づけたのは、罪の問題が解決していたからです。
もし、解決していなければ神に近づくことができません。

イエス様が、十字架にかかって死んでくださったのは、わたしたち人間のため、あなたのためなのです。神様は、ご自分が造って愛しているあなたが罪のために滅びてしまうことが辛くて助ける方法を示しました。それは神のひとり子であるイエス・キリストを十字架につけて死にわたすことでした。
自分の子どもの身代わりに自分の命を差し出す人はいるでしょう。でも、人のために自分の愛する子を苦しめて死に至らせることのできる方は神様だけです。
イエス様は神の子なので、罪はありません。罪ある人間の身代わりになって罰を受けてくださいました。

イエス様は、神様に従われました。けれども、死んで終わりではありませんでした。
3日目によみがえられたのです。(教会ではこの日をイースターとしてお祝いしています)

そのおかげで誰でもイエス様を信じるだけで罪赦され、永遠のいのちをいただけるようになりました。肉体の死はあっても、イエス・キリストにある者は、決して死ぬことがないのです。

わたしは、このことを信じてから、むなしさがなくなりました。いつまでも残るもののために生かされたいと思います。エノクのように神様と手をつないで。

「こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。(Ⅰコリント13:13)」



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お花見日和

2019-04-08 15:31:57 | ティーンズ
桜川の土手の桜が満開になりました。

今年ほど桜が咲くのを待ち遠しいと思ったことはありませんでした。

金曜日は孫を連れてお花見にいきました。このときは五分咲きでした。日曜日は礼拝の後、TEENSの子どもたちと花見に出かけ、みんなでくし団子を食べました。このときはほぼ満開。天気も良く、暑いぐらいでした。

TEENSでは、毎年四月の初めの日曜日にお花見をすることになっていますが、桜の開花がまだだったり、咲いても雨が降っていたり、風が冷たかったりで、花見日和だったことがこの10年ぐらいなかったそうです。

それで担当の先生が最初から花見をあきらめて、室内でのゲームを考えておられました。
ところが、前日に絶好の花火日和になりそうだとわかったので、『ぜひ、お花見しましょう』というメールが飛び交って、花見が実現しました。



人の心を和ませる桜を造ってくださった神様に感謝します。
桜は神様からのプレゼントです。


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生きてていいんだよ

2019-04-03 16:35:06 | エッセイ
桜川の桜はもうすぐ満開になりそうです。お花見はまだ行っていません。寒くて行く気になれないのです。明後日は暖かくなると天気予報で言っているので、期待して待ちます。
娘は臨月を迎えました。孫のソークンはよく食べ、よく笑い、よく遊んでいます。

先日(3/25)の文章を書いた心境について少し書かせていただきます。

わたしは子どもの頃、非常に大きな劣等感を抱いていました。
それは、祖母や両親が厳しく、なかなか認めてもらえず、否定されることが多かったからだと思っていました。人のせいにしていましたが、今思うと、わたしは不器用で、自信がないために一歩ひいてしまうところがありました。

人との付き合いもへたで、学校ではほとんど話をしなかったので、友達が少なかったです。自分から声をかけることができませんでした。中二のときには友達が一人もいませんでした。同じクラスの人に「あの人変わっているね」などと陰口を言われて、心に深い傷を負っていました。

「何もできなくていい。あなたの存在そのものが価値あるのだから、そのままでいいんだよ」と言ってくれる人がいたら、どんなにうれしかったことでしょう。
中二のわたしは、孤独の中で自分の存在とは何か考えました。

わたしは、『どうせ偶然に生まれたのだから、死ぬ時ぐらい好きなようにさせて』と、自分のいのちを軽々しく考えていました。これまで自分一人で生きてきたような高慢な思いを抱いて、両親や周りの人の痛みを考えてもみませんでした。

それでも大いなる存在については何かを感じていました。このみじめな自分をあたたかな目で見つめ、見守ってくれる人がいるような気がしていました。でもそれは勝手な自分の思いに過ぎないのだと打ち消してしまいました。

けれどもわたしを造り、ずっと見守り、愛してくださった方がおられたのです。このことを知ったとき、涙が止まりませんでした。(それを知ったのは20歳を過ぎていましたが……)
「そのままでいいのだよ」と存在を認めてもらって、生きてていいんだ、生かされているんだと思いました。



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中学生の私に伝えたいこと

2019-03-25 15:06:55 | 日本クリスチャン・ペンクラブ
23日は、日本クリスチャン・ペンクラブの例会がありました。例会は今年初めての参加です。1月の例会はインフルエンザだったので行けず、2月の小さな集いのときも具合が悪くて行けませんでした。
お茶の水がとてつもなく遠く感じられました。
具合悪いときは、もう二度と行けないのではないかと思いました。(ちょっと大げさですね)

お茶の水クリスチャンセンターに着いたときは、喜びが沸き上がってきました。元気にしてくださった主に感謝しました。

今回の課題は、自分史余話です。これまで長い時間をかけてペン仲間たちと自分史を書いてきました。5月には出版されます。
まだ書ききれてない部分やこれも書きたかったという余話を書いてくるという宿題が出たので、こま切れにしかない時間を利用して書きました。

中学生の時の辛かったことを自分史で書いたので、もし、今の自分が悩み苦しんでいる私に神様のこと、イエス様のことを伝えられたらと思って書きました。
紹介します。

              
           中学生の私に伝えたいこと
              

中学2年の時、私は自分の存在価値がわからず、死を願うほどでした。自分がどういう存在なのか教えてもらえたら、あれほど苦しむことはなかったのに…と思いました。現在の自分が中学生の私に話したらどんな会話になるか想像してみました。

「どうして泣いているの?」

「死にたい……。何をやってもダメなの。生きる資格がない」

「生きるのに資格なんかいらないわ」

「でも、みんな言うの。あの人、変わっているねって」

「みんなってだれ。家の人? クラスの人? 学校の人? 日本中、世界中の人? 」

「……」

「変わっているって言われたの? 変わっていていいのよ。それがあなたの個性だから」

「私には生きる価値がない……」

「そんなことないわ。あなたには大きな価値があり、あなたにしかできないことがあるの」

「私にしかできないことって?」

「今はわからなくても、将来必ず見つけられるわ」

「どうして価値があるってわかるの?」

「それは、あなたを造った方が『非常によかった』と言われたからよ」

「私を造った方?」

「神様はね、天と地とその中にあるすべてのものをお造りになったの。そして、造ったものに『よし』と言われたの。神様は人間……あなたのことも造って『よし』と言われ、『愛する子ども』とまで言っ
てくださったの。

「でも、私は愛される資格がない。罪があるから」

「あなたの罪は赦されているわ。聖書には『わたしはあなたのそむきの罪を雲のように、あなたに罪をかすみのようにぬぐい去った』と書かれているの。

神様は、あなたの罪を赦すために愛するひとり子イエスを十字架につけてくださったの。あなたの罪は赦されたのよ。

もう泣かないで。あなたはひとりじゃないから」


『わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。(イザヤ43:4)』



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新たな任務

2019-03-18 15:34:15 | 教会
体調を崩している間に、季節は冬から春へと移り変わっていきました。

孫たちも大きくなり、ヒックンは今日小学校の卒業式を迎えました。ナルクンは、我が家で着ていたパジャマがつんつるてんになり、ソークンは、はちきれそうなほっぺたで笑顔を見せてくれます。

1か月もブログを更新しないでいたら、多くの問い合わせがありました。Gooブログのアクセス数をみると、しばらく更新していないのに訪問者数がほとんど変わらないので不思議に思っていました。体調が悪いという記事で終わっていたので、多くの方が心配してくださったようです。お目にかかったことのない方まで……。

わたしはなんと幸いなのでしょう! 感謝します。おかげさまで元気になりました。以前に比べるとさらに体力が落ちましたが、その分神様が補ってくださいます。

日曜日は、主任牧師の離任式が行われました。メッセージは使徒の働き20:22-27からです。

パウロは神様から命じられて異邦人への伝道を命がけでしてきました。最後には義援金を運ぶという任務が与えられました。任務を果たしたとき、責められることのない良心の平安が与えられました。
パウロは「けれども、私が走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません。(使徒の働き20:24)」と言っています。

わたしも晩年には、「走るべき行程を走り尽くしたと、堂々と言える人になりたいですが、そのためには、どうしたらよいのでししょうか?

「主よ、わたしはどうしたらよいのですか?」と問いかけ、新しい任務をいただくように勧められました。
果たして今までわたしは神様に、「わたしはどうしたらよいのですか?」と真剣に問いかけたことがあったでしょうか……。
わたしの残された任務は何なのか、祈り求めています。


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近況報告

2019-03-06 16:57:12 | 家族
お久しぶりです。娘と孫が我が家に来て3週間になりました。毎日がせいいっぱいでパソコンを開いても、ブログを書く余裕がありませんでした。

1歳7か月の孫、ソークンは何にでも興味を持ち、引き出しを開けたり、ベランダに出ようとしたり、洗面所に入ってきたり……。うっかりしていると大怪我をしかねない状態なので、あちこちに養生テープを張り、台所の入り口にネットを張っています。

それでも、「それは危ないから返して」と言うと、たいていは素直に手放してくれます。でも、スマホとリモコン類は別で、取り上げると大泣きします。
おもちゃよりそのようなものが好きです。

最近のブームはスリッパを片足にはいて歩くことです。

わたしはインフルエンザが抜けたと思ったら、今度は微熱を伴う風邪にかかって咳がひどく、しばらく調子が悪かったです。
娘を世話するどころか逆に世話されていました。


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インフルエンザでした

2019-02-03 17:24:24 | 日記
ブログ更新が滞っていました。インフルエンザに罹り、ダウンしていたのです。

予防注射を打っていたので、熱は39.4℃で、40℃以上にはなりませんでしたが、
体のあちこちが痛み、ひどい倦怠感に襲われました。喘息も出てきてしまい、
咳で夜眠れませんでした。

「なぜこんな目に合わないといけないの? 」と思わずイエス様に訴えましたが、『きっと意味のあることに違いない』と思うと平安が訪れました。

聖書の言葉「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。(ヨハネ14:27)」

今日は発病して10日目。まだ身体はだるかったのですが、久しぶりに教会へ行きました。その間に家庭集会があったのですが、お茶とお弁当の用意を友人に頼んで、欠席しました。この家庭集会は30年近く続いていますが、わたしが欠席したのは初めてです。

教会へ行くと親しい方の何人かがインフルエンザに罹っていると聞きました。今年のインフルエンザは感染力が強いのですね。

わたしが具合悪かった間、ずっと食事の支度をしてくれた主人に感謝!!


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3万5千回の選択

2019-01-14 16:21:06 | 教会
「聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは神の国とイエスが生きていることの証人となります。(使徒の働き1:3,8より)」
これは、2019年の土浦めぐみ教会の年間聖句です。

最初の文字をみると、精霊を想い浮かべる方が多いでしょう。山や木や石、動物などに宿る霊のことを精霊といいますが、聖霊は、天地万物を創造した神の霊のことです。
「それでは神の霊とは何でしょう?」と問いかけられたら、じゅうぶんに説明することができません。
聖霊の働きは聖書の世界でのことであって、今を生きる人たちには関係ないと思う方もいるでしょう。でも、目には見えなくても聖霊は確かにおられ、今も働いておられるのです。

わたしは確かに聖霊によらなければ、こんなことは起こらなかったという出来事を目の当たりにしてきました。

頑固で人の話を聞くよりお説教をすることが大切と思って生きていた父が、聖書の言葉を読んで、涙を流しました。
「神様なんかいません」と自信を持って宣言していた母が、イエス様を求めるようになりました。
ありえないことでした。聖霊が働いて父と母の心に触れてくださったからこそ、ふたりとも神様を信じるようになったのです。


「人は一日に3万5千回の選択をし、決断している。」と牧師先生が言われました。

「人はさまざまなことを選び取って行動しています。その中のほとんどが、自分の安全と利益のために決定しています。祈りさえもそうです」

と聞いてドキッとしました。神様のため、人のためにと思って選択しても実は自分のためだったりするのです。

このような者がキリストの証人として生きることができるのでしょうか?
神様の答えは「生きることができます」でした。

神様はあえて愚かな人間を用いて宣教の業を進められるということを励みに、福音(イエス様のしてくださったこと)を伝えていきたいです。



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今年もよろしくお願いします

2019-01-08 16:50:11 | 家族
追記あり
遅ればせながら……
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いい致します。

年末年始にかけて息子一家と娘一家が泊りに来ました。

はりきっておせち料理を作り、孫たちと遊び、大忙しでした。買い物は、暮れには婿殿が、年明けは息子が車を出してくれたので助かりました。
31日は朝早くからいちども休まないで動いていたので、正月早々ダウンしてしまいました。少し休んだらよくなりましたが……。体力のないことはわかっていたのに、つい動きすぎてしまいました。

残念ながら元旦礼拝には行けませんでした。その日はお嫁さんと娘が夕飯の支度をしてくれました。

ナルクンが「ゆこちゃん、腰痛いの? これつけるとよくなるよ」と言って自分がお風呂上りにつけてもらっているクリームを持ってきてくれました。

娘に二人目の赤ちゃんが与えられました。里帰り出産のため、春にはこちらに帰ってきます。ソークンは1歳9か月でお兄ちゃんになります。お兄ちゃんになるという意味がわかるでしょうか?

追記

夫は里芋のポテトサラダを3週間毎日食べ続けたのに血圧が下がらなかったので、ついに病院へ行くことを決心しました。昨年の暮れに内科を受診し、血液検査を受けました。昨日その結果が出て、降圧剤が処方されました。これで安心というわけでもありませんが、まずはほっとしました。これから食事療法を始めようと思います。


日本クリスチャン・ペンクラブのHP更新しました




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そうなんだ

2018-12-28 20:28:41 | 日記
毎年、年末には『今年を振り返って』と題してブログを書いていました。今年も書こうとしたら、何も思い出せません。(もしかして認知症?)

覚えていることは、学生時代の友人Nちゃんが癌で天に召されたこと。そして仲間9人で追悼旅行へ長野まで行ったことです。

先日、大掃除で状差を整理していたら、何通もNちゃんからの手紙が見つかりました。Nちゃんは、クリスチャンではありません。

Nちゃんのご主人が2013年に召されたのですが、そのことを知ってお花料を送ったときのお礼の手紙には次のように書かれています。

『グリム、(学生時代、人形劇部の仲間内ではこのニックネームで呼ばれています)聖書の言葉をいつも添えてくれているけれど、今回は今の不安にピタッと合っていて「そうなんだ」と先が明るくなりました。』


わたしは手紙に以下のような聖書の言葉を書いていました。

あなたがたのあった試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。(1コリント10:13)


それから5年後。Nちゃんが召される日までの一週間、メールを送ることができたので、イエス様のことを伝えました。でも、どのように受け止めてくれたかわかりませんでした。

これでよかったのだろうか……と不安に思っていたのですが、手紙に書かれていたように「そうなんだ」と受け入れてくれたような気がしてうれしくなりました。

明日から娘一家が帰省し、息子一家も来るので、年内のブログの更新は今日までとなります。皆さまが、よいお年を迎えられるようにお祈りします。


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3週間たちました

2018-12-22 17:30:00 | 家族
里芋のポテトサラダを作って毎日食べ続けると、血圧が劇的に下がるというのを夫がテレビで見て、やってみようと言いました。
基礎検診で血圧が180もあったのです。それより、病院へ行った方がいいとすすめたのですが、頑として聞きません。

三週間食べ続けても血圧が下がらなければ病院へ行くと約束してもらって、始めました。このことは12月1日のブログに書きました。
作るのは30分以上かかり、一日分が里芋7個ときゅうり1本なので大変な量です。一日おきに二日分を作りましたが、途中で挫折しそうになりました。

わたしの役目は里芋を洗ってレンジで蒸す。きゅうりを輪切りにする。の二つだけでしたが、だんだんうんざりしてきました。夫は里芋の皮をむき、つぶしてきゅうりと混ぜ、調味料を入れることを黙々とやっていました。

そして今日まで一日も欠かすことなく食べ続けたのですが、その結果、変わりなしでした。
それでも、「よく続けられたね」と夫と自分自身を誉めました。里芋ポテトサラダはこれからも時々食べると言っています。病院は年内に予約がとれたのでまずは安心しまいた。

血圧が劇的に下がるようなことをテレビで言っていましたが、人によって効果は違うのだと思います。

テレビといえば、昨日NHKの「チコちゃんに叱られる」を何気なく聞いていたら、「クリスマスは何の日?」という声が聞こえてきました

クリスマスは、キリストの誕生日です。でも、日にちについては聖書の中には、はっきりと書かれていません。

キリストの誕生日はわからないのですが、12月25日は、キリストが誕生したことを祝う日です。
キリストの誕生を祝う主な候補日が12あり、その中から冬至である12月25日が選ばれました。その理由は、冬至は1年で1番日が短い日で、この日から徐々に日が長くなっていきます。

人類に光をもたらすキリストの誕生日なので、12月25日に決まりました」と言うのを聞いて「チコちゃん、その通り!!」と思わず拍手してしまいました。

テレビの話題が続いて、テレビばかり見ているように思われたかもしれませんが、夫は昼間ずっとテレビをつけっぱなしにしているのです。わたしは同じ部屋でPCで文章を書いています。以前は気が散って仕方なかったのですが、最近はほとんど気にならなくなりました。家事をしているときはBGMのように聞き流していますが……。

クリスマスの本当の意味について視聴率の高い番組で語られたことがうれしいです。

聖書の言葉
「この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。(ヨハネ1:4)」


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自分史

2018-12-18 20:53:05 | 日本クリスチャン・ペンクラブ
来春、日本クリスチャン・ペンクラブから21人の方が書いた自分史の本が出版されます。本の題名は「百花繚乱」です。『それぞれのミニ自分史』という副題がついています。

これまで「花鳥風月」「喜怒哀楽」、「春夏秋冬」、「山川草木」をなど4字熟語のエッセーを書いて本にしていきましたが、4字熟語シリーズの5冊目として作っています。

ひとりひとりの人生を花にたとえると、どの花も精いっぱいの輝きを見せて咲き誇っているということから「百花繚乱」という題名になったようです。

その本の校正に携わっていますが、本一冊分をPC画面で読まなくてはならないと知ったとき、正直辛いと思いました。ブルーライトで目がチラチラしていたからです。

自分史なので、ひとり原稿用紙20枚以上書いています。全部で350ページ以上になります。読む量の多さに辟易していましたが、21人の人生の重みがずっしりと伝わってきて、どんな人生を歩んでも、イエス様との出会いですばらしい人生に導かれることを実感でき、生きて働かれる神様の力に圧倒されてしまいました。

3日間かけて読みましたが、校正はこれで終わりではありません。まだまだ続きますが、出版を楽しみに頑張ります。



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星をめあてに

2018-12-11 15:52:43 | 教会
先月29日から始めた里芋ポテトサラダ、なんとか続いています。血圧はほとんど変化なしですが、夫はとにかく3週間続けると言っているので、協力しています。

一昨日の日曜日は6人の方の洗礼式がありました。
その中で高校三年生のHくんの証しに心打たれました。Hくんは自閉症です。最初に出会ったときは、Hくんが小学一年生のときでした。

教会学校のキャンプで急に泣き出したので「どうしたの?」 と聞くと、「アンパンマンの始まる時間なのにテレビがない」と言って泣き続けました。なだめるのに時間がかかったことを思い出しました。

なかなかコミュニケーションがとりにくかったのですが、わたしがTEENSの教師になって中高生礼拝に出ていたとき、ちゃんと覚えていて声をかけてくれました。

Hくんの証は幼子のように正直でわかりやすいものでした。パパ、ママの言うことを聞かずに悪いことをした話しをし、ごめんなさいと謝りました。
それから、今まで出会った人の名前を挙げ、この人たちのおかげでイエス様を信じるようになったと、表明しました。
洗礼を受けたHくんの顔は輝いていました。涙があふれました。


洗礼礼拝で語られたメッセージの一部を紹介させていただきます。

今から約2千年前、イエス様がお生まれになったとき、今まで見たことのないような星が現れました。それを見た東方の博士たちは、救い主誕生の知らせに違いないと思い、星を目当てに旅に出ました。

博士たちとは誰のことか? 東方とはどこか? いろいろな説があるようですが、はっきりしていません。
東方の博士たちは、ユダヤ人ではなく、外の人です。どれぐらいの距離を旅したかわかりませんが、いのちがけの旅でした。

なぜこれほどまでして、救い主に会いたいと思ったのでしょうか。おそらく、ユダヤ人の知り合いがいて、聖書の内容を伝え聞いていたからではないでしょうか。

博士たちが救い主のところへ行ったのは、イエス・キリストがユダヤ人の救い主ではなく、全人類の救い主だということを表しています。
人間は、星を動かしたり、出現させたりできません。人知を超えたものです。人知を超えた神のメッセージを「啓示」と言います。
新しくクリスチャンになった人は、啓示(神の導き)にゆだねて未知の世界に旅立っていくようにとの奨めがありました。



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クリスマスというと何を思い浮かべますか?

2018-12-05 16:47:41 | 教会
クリスマスというと何を思い浮かべますか?

ツリー、リース、サンタクロース、トナカイ、七面鳥、プレゼント、イルミネーションなど・・・・・・。
どんなに豪華なクリスマスを過ごしても、心の中に空洞があって寂しくてたまらないと思っている人もいるでしょう。そのことを他の人には知られたくなくて、明るくふるまったり、騒いだりすることもあるでしょう。
あるいはゲームに没頭してむなしさを感じないようにしている人もいるでしょう。

でも、人は誰でもむなしさを感じています。人の心に空洞があるのは当たり前なのです。
では、どうしたら空洞を埋めることができるのでしょう。

「たったひとつの光が私たちに与えられている」
先日の日曜礼拝で牧師先生が言われました。

光とはイエス様のことです。イエス様は小さな赤ちゃんとなって地上に来てくださいました。
聖書には「彼はいたんだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともなく、まことをもって広義をもたらす。(イザヤ42:3)」と書かれています。

茎の中に空洞があって、すぐに折れてしまいそうな葦を折らず、消えかかっている燈心を消すこともなく……というのは、わたしたち弱い人間に対するイエス様の愛が現れていると思います。
「広義をもたらす」とは、迷いやすいわたしたちが、神様の示す正しく進むべき道を歩めるようにしてくださるということです。

クリスマスは神の子イエス様の誕生日です。
わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。(イザヤ43:4)」
と言ってくださるイエス様。そのままで愛してくださるイエス様。イエス様を心の中に迎え入れたとき、心の空洞が埋められ、むなしさの代わりに喜びが訪れます。



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