長谷川(広)2勝、山本(オ)5勝、那須野(横)4勝、帆足(西)6勝、久保田(神)3勝男子100ボルト(ジャマイカ)9秒72世界新軟式野球一関一校優勝3連覇
「”日本で介護福祉士に”比女性の夢支える 香美市の朝日さん里親に」
日本で介護福祉士として働きたい――。そんな夢を持つフィリピン人女性を、香美市の男性が里親になり応援している。日本のNGOが建てた高校、大学に通い日本を知りあこがれた。ただ、夢をかなえるにはフィリピン人の介護福祉士の受け入れが盛り込まれた「日比経済連携協定」の批准が不可欠。里親の男性は「早く批准され、彼女が日本で介護福祉士として働けるようになれば」と話している。
サリガンバ・メリーアンさん(23)と、香美市土佐山田町東本町五丁目の朝日昭夫さん(69)。
朝日さんは平成14年、太平洋戦争中に病死した父親の慰霊で、日本フィリピンボランティア協会のツアーに参加。フィリピンのダバオ市を訪れた。
そこで、当時同協会が建てた高校の生徒との交流会に参加していたサリガンバさんと出会った。彼女は学校で学んだ日本の知識をさらに深め、日本で働き家族を楽にさせたいと思っており、朝日さんとメールなどで連絡を取り合っていた。
ところが17年の10月、サリガンバさんから「日本に行けることになった。大学をやめる」という突然のメール。フィリピン人の介護福祉士が日本で働くのは難しいと知っていた朝日さんは、「おかしい」と現地に詳しい知人に相談した。
その結果「日本のビザを用意できる」とだまして多額の金を要求する詐欺と分かり、未然に防げたという。
経済連携協定は、フィリピンで看護大学か四年制大学を卒業し、介護福祉士の研修を終えた人が対象。来日後、介護施設で働きながら、4年以内に国家試験に合格すれば引き続き就労できる。平成18年に締結された。
ただ、物品の貿易も含まれており、フィリピン側に「日本の有害廃棄物受け入れを容認する」として反発が強いことなどから、批准されていない。
朝日さんは18年から里親になり、大学の学費などを援助。そのかいあってサリガンバさんは今年3月、介護福祉士の資格を取得して大学を卒業。現地の老人ホームでボランティアをしていたが、批准が待てず、家計のため6月からタイで働くことを決めたという。
朝日さんは「彼女はまだ日本で働く夢をあきらめていない。協定が批准されたら、とにかく一度日本に来て挑戦してほしい」と話していた。(2008年05月30日)
日本には、もう既に素晴らしい実績がある。
すべてが朝日さんのように「里親」とはいかないが、受入れを決めた以上、国際交流・親善のレベルから医療・介護・福祉分野の専門職として人材の育成にあたり、質の高い介護福祉士・看護師を養成してもらいたい。
どうすれば受入れとその後の関係がうまくいくのか?日本人とフィリピン人やインドネシア人との人間関係をどうやって円滑に作っていくのか?すでに実践してきた朝日さんからお聞きするような姿勢が必要な気がする。
過去「経済連携協定」の類は、各種産業や農業の分野で行われきたと聞く。見解の相違や行き違いでトラブルが絶えないことも・・・!。
是非、福祉・介護・医療の分野では成功するよう見守りたい。
「”日本で介護福祉士に”比女性の夢支える 香美市の朝日さん里親に」
日本で介護福祉士として働きたい――。そんな夢を持つフィリピン人女性を、香美市の男性が里親になり応援している。日本のNGOが建てた高校、大学に通い日本を知りあこがれた。ただ、夢をかなえるにはフィリピン人の介護福祉士の受け入れが盛り込まれた「日比経済連携協定」の批准が不可欠。里親の男性は「早く批准され、彼女が日本で介護福祉士として働けるようになれば」と話している。
サリガンバ・メリーアンさん(23)と、香美市土佐山田町東本町五丁目の朝日昭夫さん(69)。
朝日さんは平成14年、太平洋戦争中に病死した父親の慰霊で、日本フィリピンボランティア協会のツアーに参加。フィリピンのダバオ市を訪れた。
そこで、当時同協会が建てた高校の生徒との交流会に参加していたサリガンバさんと出会った。彼女は学校で学んだ日本の知識をさらに深め、日本で働き家族を楽にさせたいと思っており、朝日さんとメールなどで連絡を取り合っていた。
ところが17年の10月、サリガンバさんから「日本に行けることになった。大学をやめる」という突然のメール。フィリピン人の介護福祉士が日本で働くのは難しいと知っていた朝日さんは、「おかしい」と現地に詳しい知人に相談した。
その結果「日本のビザを用意できる」とだまして多額の金を要求する詐欺と分かり、未然に防げたという。
経済連携協定は、フィリピンで看護大学か四年制大学を卒業し、介護福祉士の研修を終えた人が対象。来日後、介護施設で働きながら、4年以内に国家試験に合格すれば引き続き就労できる。平成18年に締結された。
ただ、物品の貿易も含まれており、フィリピン側に「日本の有害廃棄物受け入れを容認する」として反発が強いことなどから、批准されていない。
朝日さんは18年から里親になり、大学の学費などを援助。そのかいあってサリガンバさんは今年3月、介護福祉士の資格を取得して大学を卒業。現地の老人ホームでボランティアをしていたが、批准が待てず、家計のため6月からタイで働くことを決めたという。
朝日さんは「彼女はまだ日本で働く夢をあきらめていない。協定が批准されたら、とにかく一度日本に来て挑戦してほしい」と話していた。(2008年05月30日)
日本には、もう既に素晴らしい実績がある。
すべてが朝日さんのように「里親」とはいかないが、受入れを決めた以上、国際交流・親善のレベルから医療・介護・福祉分野の専門職として人材の育成にあたり、質の高い介護福祉士・看護師を養成してもらいたい。
どうすれば受入れとその後の関係がうまくいくのか?日本人とフィリピン人やインドネシア人との人間関係をどうやって円滑に作っていくのか?すでに実践してきた朝日さんからお聞きするような姿勢が必要な気がする。
過去「経済連携協定」の類は、各種産業や農業の分野で行われきたと聞く。見解の相違や行き違いでトラブルが絶えないことも・・・!。
是非、福祉・介護・医療の分野では成功するよう見守りたい。