それは勘違いでしょう

 連休前に届いていた『波』(新潮社の月刊PR誌)を、竹の子の土佐煮をつまみながら、ビールを飲みながら読んでいて、現在発売中の『考える人』2010年春号の紹介記事の中にこんな件(くだり)があるのを見つけた。

 「はじめて読む聖書」特集の『考える人』最新号(春号)がお陰様で好評です▼キリスト教徒が総人口の1%を超えたことのない日本でも、聖書は1年間に50万冊も売れているそうです。日本人の多くは、聖書を聖典としてではなく、生き方を考える手がかりとして、あるいは広い意味での文学として読んできたのではないでしょうか。(『波』2010年5月号65頁から転載)

 この記事の筆者は、毎年50万人が自分でお金を出して聖書を買って読んでいると思っているようだが、それは大きな間違い。勘違いである。郷秋<Gauche>は知っているのです。毎年新学期になると日本聖書協会(郷秋<Gauche>の記憶が正しければ、以前は日本聖書普及協会と名乗っていたはずだ)からキリスト教に対して理解があると思われる学校に、新入生用にと大量の聖書が送られてくるのを。そして、卒業期になると一度も開かれた事のない聖書が大量にゴミ箱に捨てられていることを。

 考えてもみて欲しい。年に50万冊が売れる本なら、どこの書店でも平積になっていて良いはずなのに、そんなことはない。中程度の規模の書店でさえも聖書を探すのが難しいほど聖書が店頭におかれていることは少ない。このことに件(くだん)の記事の筆者は気がついていないのである。

 日本において聖書が毎年50万冊売れていると云うのは、大方、日本聖書協会あたりが発表した発行部数を見てそのすべてが実際に販売されていると筆者が思い込んだ結果である。<Gauche>は聖書そのもの、そこに書かれ事柄について「難癖」をつけているのではない。ただ、毎年50万人の日本人が、この書物を身銭を切って買い、そして読んでいると云うのは明らかな事実誤認であると云っているのである。為念。


 例によって記事本文と何の関係もない今日の一枚は、昨日に続いて三春の枝垂れ桜。三春にはホントに枝垂れ桜が多い。ちなみにこれは三春町沼沢(字舘か?)にある「弘法桜」。昨日ご紹介した「雪村庵」よりも更に知名度の低い桜であるが、なかなか見事であったぞ。
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