『美しき町・西班牙犬の家』 佐藤春夫 ☆☆☆☆
本日読了。
この人の小説を読むのは初めてだった。日本には珍しい硬質な幻想小説の書き手である。稲垣タルホとか中井英夫に通じるものがある。特に『西班牙犬の家』『美しい村』は傑作。『西班牙犬の家』はどういうオチがつくのか最後まで読めず、ファンタジックなオチがついたところであっさり終わる。タルホの掌編を引き伸ばしたような印象。『美しい村』は比較的長い話で、幻想小説というより奇妙なシチュエーションというかイベントの話。この人の真骨頂と思われる、独特のポエティックな雰囲気に浸れる。
佐藤春夫の文章には軽さがある。それは薄味という悪い意味でなく、タルホやコクトーに通じるエレガントな軽さである。一昔前の作家なので、軽い文体と言っても語彙や言い回しに昔風のところもあり、そこがアクセントになってまた面白い。英語のカタカナ書きの多用もとぼけててオシャレだ。中井英夫もこういう路線の作家だが、佐藤春夫の方が一枚上手という気がする。オフビートなユーモアもあり、『美しい村』など複数の箇所で声を上げて笑ってしまった。例えばこんなところだ。
”数字というものに何の親しみをも持たない生活をしている私は、そこにはただ、零がいくつもある数字が段々に層をなして重っているのを見た。”
”それには勿論あの老建築技師、横たわって平行し合ったり、喰い違ったり立ち上って並んだり、それを上から押しつけたりさまざまに生きている直線より他には一切何もない世界のなかで息をしていたあの老建築技師の異常な熱心が与って力あったことは言うまでもない。”
これだけ読んでも何が面白いんだと思うかもしれないが、一連の流れの中でこういう文章が出てくると起爆力を持ったギャグとなる。本人がギャグのつもりで書いたかどうかは知らないが、少なくとも私は笑えたのでギャグということにしておく。
日本の作家でこういう小説の書き手はかなり珍しいと思う。私が知らないだけかも知れないが。
もう一つなんとなく感じたのはオブジェ嗜好の香りだ。『西班牙犬の家』では散歩する主人公が見慣れない家を見つけ、窓から中を覗いて観察するが、その部屋にある水盤の描写などにうっすらとオブジェ嗜好者の精神を感じる。『美しい村』ではもちろん主人公達が構想する美しい村の構想や、それを模型にしていく細部の描写に感じる。けれども他の短篇では感じなかったので私の勘違いかも知れない。少なくともミルハウザーやレーモン・ルーセルほど強烈ではない。だからオブジェ嗜好の「香り」ということで。でもこういうのは私としては非常に好もしい。
解説によるとこの人は器用だけど本質がつかめないという評価をされた人のようだ。確かにこの本の短篇もそれぞれ趣向が異なっていて、どれも非常にうまいが、本当は何がやりたいのか良くわからないようなところもある。こんな具合だ。
『西班牙犬の家』『美しい村』:ポエティックな幻想譚
『星』:中国の寓話風
『陳述』:ミステリ人間ドラマ
『李鴻章』:歴史小説のようなふりをした、とぼけたファルス?
『月下の再会』:ちょっと不思議な、ちょっといい話
『F.O.U.』:現代のおとぎ話
『山妖海異』:日本の怪異紹介エッセー
この人の本領は『西班牙犬の家』や『美しい村』のような軽やかなポエジーと幻想にあると見るべきだろうが、『李鴻章』や『F.O.U.』のなんとも不思議な、「あれ、これで終わり? 今の何だったの?」というケムにまかれたような読後感も捨てがたいなあ。
これを読んで国書刊行会の日本幻想文学集成11「佐藤春夫 海辺の望楼にて」を入手することにする。
本日読了。
この人の小説を読むのは初めてだった。日本には珍しい硬質な幻想小説の書き手である。稲垣タルホとか中井英夫に通じるものがある。特に『西班牙犬の家』『美しい村』は傑作。『西班牙犬の家』はどういうオチがつくのか最後まで読めず、ファンタジックなオチがついたところであっさり終わる。タルホの掌編を引き伸ばしたような印象。『美しい村』は比較的長い話で、幻想小説というより奇妙なシチュエーションというかイベントの話。この人の真骨頂と思われる、独特のポエティックな雰囲気に浸れる。
佐藤春夫の文章には軽さがある。それは薄味という悪い意味でなく、タルホやコクトーに通じるエレガントな軽さである。一昔前の作家なので、軽い文体と言っても語彙や言い回しに昔風のところもあり、そこがアクセントになってまた面白い。英語のカタカナ書きの多用もとぼけててオシャレだ。中井英夫もこういう路線の作家だが、佐藤春夫の方が一枚上手という気がする。オフビートなユーモアもあり、『美しい村』など複数の箇所で声を上げて笑ってしまった。例えばこんなところだ。
”数字というものに何の親しみをも持たない生活をしている私は、そこにはただ、零がいくつもある数字が段々に層をなして重っているのを見た。”
”それには勿論あの老建築技師、横たわって平行し合ったり、喰い違ったり立ち上って並んだり、それを上から押しつけたりさまざまに生きている直線より他には一切何もない世界のなかで息をしていたあの老建築技師の異常な熱心が与って力あったことは言うまでもない。”
これだけ読んでも何が面白いんだと思うかもしれないが、一連の流れの中でこういう文章が出てくると起爆力を持ったギャグとなる。本人がギャグのつもりで書いたかどうかは知らないが、少なくとも私は笑えたのでギャグということにしておく。
日本の作家でこういう小説の書き手はかなり珍しいと思う。私が知らないだけかも知れないが。
もう一つなんとなく感じたのはオブジェ嗜好の香りだ。『西班牙犬の家』では散歩する主人公が見慣れない家を見つけ、窓から中を覗いて観察するが、その部屋にある水盤の描写などにうっすらとオブジェ嗜好者の精神を感じる。『美しい村』ではもちろん主人公達が構想する美しい村の構想や、それを模型にしていく細部の描写に感じる。けれども他の短篇では感じなかったので私の勘違いかも知れない。少なくともミルハウザーやレーモン・ルーセルほど強烈ではない。だからオブジェ嗜好の「香り」ということで。でもこういうのは私としては非常に好もしい。
解説によるとこの人は器用だけど本質がつかめないという評価をされた人のようだ。確かにこの本の短篇もそれぞれ趣向が異なっていて、どれも非常にうまいが、本当は何がやりたいのか良くわからないようなところもある。こんな具合だ。
『西班牙犬の家』『美しい村』:ポエティックな幻想譚
『星』:中国の寓話風
『陳述』:ミステリ人間ドラマ
『李鴻章』:歴史小説のようなふりをした、とぼけたファルス?
『月下の再会』:ちょっと不思議な、ちょっといい話
『F.O.U.』:現代のおとぎ話
『山妖海異』:日本の怪異紹介エッセー
この人の本領は『西班牙犬の家』や『美しい村』のような軽やかなポエジーと幻想にあると見るべきだろうが、『李鴻章』や『F.O.U.』のなんとも不思議な、「あれ、これで終わり? 今の何だったの?」というケムにまかれたような読後感も捨てがたいなあ。
これを読んで国書刊行会の日本幻想文学集成11「佐藤春夫 海辺の望楼にて」を入手することにする。
おっしゃるように「オブジェ嗜好の香り…」に納得しました。