アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

覘き小平次

2014-02-10 21:52:41 | 
『覘き小平次』 京極夏彦   ☆☆☆★

 これまで読んだ京極夏彦の小説の中では『嗤う伊右衛門』が特に好きである。というわけで、本書は『嗤う伊右衛門』に続く有名な怪談を再構成するシリーズ第二弾ということで手に取った。が、私は浅学にして本書の下敷きである山東京伝の「復讐奇談安積沼」という怪談を知らない。だからどこをどうひねってあるのか分からない。哀号。

 小平次という役者が主人公だが、この小平次、幽霊しか演じることができない。おまけに平素はひたすら押入れに閉じこもって、わずかな隙間から自分の女房を覗いているだけという変態である。つまりまともな生活を送れない社会不適応者であって、皆に「廃者」として馬鹿にされている。あるいは不気味がられている。が、幽霊を演じさせれば絶品である。この小平次を中心に、小平次の色っぽい女房、ヤクザな遊び人、無慈悲な人斬り、美形の女形役者、などがわらわらと登場して絡み合う。ポイントとしては、それぞれ独特の生い立ちと人生観を背負っているこれらの登場人物がみんな小平次という「ただ存在するだけ」の廃者を気にし、意識し、あるいは理由は分からないまま苛立たせられ、自らの存在を見直すことを強いられたり人に強いたりするということだ。つまり小平次は触媒のような存在で、本人の心理はほとんど描写されないかわり、他人を照射する存在なのである。

 要するに大抵の人間は何かのために、あるいは何かをなすために生きているのに対し、小平次は何のためでもなくただ存在するだけであり、それが大抵の人間にとっては耐え難いほど不気味な、恐ろしいものだ、ということらしい。なかなか形而上学的なテーマをはらんでいる。この物語はいわば形而上学的怪談、といっていいかも知れない。
 
 ストーリーは、この小平次が幽霊役を依頼されて芝居の旅に出、そこで利用されて結果的に悪人退治をし、感謝されて評判になり、と思ったら殺され、と思ったら実はこっそり助けられて女房のもとへ戻ってきて、まわりの連中がびっくりしてドタバタ騒いで、少々血なまぐさいクライマックスを迎える。原典を知らないので確かなことは言えないが、殺されたと思ったら実は死んでなかったというところが京極流のモディフィケーションで、つまり怪談を怪談でなくしたらしい。

 とはいえ、ストーリーははっきり言って地味である。本書はストーリーより、それぞれ異様な生き様を体現するキャラ達と、それらの相互干渉の妙を愉しむ本だと思う。ただしややこしく絡み合った人間関係や後で明らかになる意外な絆など、仕掛けはたいそう凝っている。かなり緻密な設計図にもとづいて組み立てられた小説に違いない。が、一方でキャラ達の動機や行動原理はかなり極端で、ある意味マンガ的にトリッキーで、面白いけれども説得力には欠ける。また、仕掛けに凝りすぎて辻褄合わせがかなり強引に、説明的になっているきらいもある。がんばって辻褄合わせをしている感じがする。そこが個人的には惜しい。

 例によって独特の妖しい雰囲気はたっぷり愉しめるので、辻褄合わせは少し抑えて、よりシンプルな、曖昧さを残した物語にした方が良かったんじゃないかと思う。残念ながら、やはり『嗤う伊右衛門』には及ばなかった。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿