アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

武州公秘話

2009-05-21 20:43:31 | 
『武州公秘話』 谷崎潤一郎   ☆☆☆☆

 谷崎潤一郎の『乱菊物語』が大好きなので、同じく伝奇ロマンということで本書を購入してみた。『乱菊物語』の荒唐無稽さ、濃厚な幻想性には及ばなかったが、なかなか面白かった。かなり変わった小説だ。

 これは武州公の少年期、青年期からその秘められた性癖を語るエピソードを抜き出して並べてみせる、という体裁になっている。秘められた性癖というのははっきり言うと変態性欲であり、彼の場合、生首と美女、という組み合わせである。美女の生首ではなく、武士の生首を持って撫でたり洗ったりする美女、に興奮するのである。自分がその生首になったところを想像すると特にイイらしい。これはもう間違いなく、かなりの変態である。多少の変態なら理解がある私でも、こればっかりは分からない。生首フェチ、とでもいうのだろうか。まあとにかく、そういう話なので生首が頻繁に出てくる。残酷な耽美性を持った伝奇ロマンである。

 それから本書は武州公に関する二つの手記、妙覚尼著『見し夜の夢』と道阿弥著『道阿弥話』をもとに書かれたことになっていて、冒頭からいかにもそれらしく紹介してある(妙覚尼と道阿弥の肖像画まで掲載してある)が、解説によればこれらの手記は架空のものらしい。しかし「『道阿弥話』に曰く…」と言って古文を引用したり、両者の記述を比較してこっちの方がおそらく事実に即している、なんてもっともらしい注釈をつけながらエピソードを紹介したりして、衒学的な味わいを醸しつつ物語が進む。面白い仕掛けである。解説に書かれている通り、これによって確かに語りの厚みが増しているように思う。

 ちなみに私は武州公=武蔵守輝勝という人が正史においてどういう人物であるのかまったく知らない。この小説で読む限りはかなり猛々しい、勇猛果敢な人物らしいが、この本では公の生首フェチに関するエピソードしか書かれていないので、武州公の人となりを全体的に知りたいという人には不向きである。

 さて話は時系列に沿って断続的に進む。まずは少年時代、彼は篭城の際に盗み見た首を洗う美少女を姿を見て恍惚となる。しかも「女首」と呼ばれる、鼻の欠けた生首に特に興奮する。鼻が欠けていた方がいいらしいのである。そこで少年時代の武州公=法師丸は首を入手しようと敵陣に忍び込み、結果的に敵の将を討つ。結果オーライである。が、本来の目的である首は入手できず、削いだ鼻だけ持って帰る。
 次に青年時代に飛び、桔梗の方が登場する。桔梗の方は鼻を削がれた将の娘であり、ひそかに自分が嫁がされた夫の鼻を削いで復讐しようと考えているが(桔梗の方は夫がそれをやったと信じている)、鼻削ぎの真犯人である武州公は桔梗の方が鼻のない夫と寝所にいたらどれほどイイ感じだろうか、とまたまたわけの分からないフェチ心を起こし、桔梗の方に近づいて協力を申し出、姦計をもって自分の主君の鼻を削いでしまう。とんでもない奴である。そんなわけのわからない理由でそこまでするか。

 ところで本書には鼻を削ぎ落とすシーンが何度か出てくる。妙に淡々と描かれていてあんまり痛そうでもないが、個人的には生きたまま鼻を削がれるというのはちょっとたまらないものがある。死ぬほど痛いに決まっている。読んでいて鼻がムズムズしてきた。

 さて武州公はやがて故郷に帰り一国一城の主となる。そして幼い妻を自分好みに仕立てようとするが失敗する。妻をそそのかして道化者の鼻をそぎ落とさせようとするのだ。うまくいくわけがない。その後、例の鼻をそぎ落とされたかつての主君、則重をついに攻め滅ぼしてしまう。桔梗の方を再び自分のものにするためである。しかしこの則重というのもかわいそうな人で、ミツクチにされたり片方の耳を落とされたり(鼻を落とす企みの失敗の結果だ)したあげく鼻をそがれ、しまいには攻め滅ぼされてしまう。この人はミツクチで鼻がないので、空気が洩れて何を喋っても「はなへ、はなへともうふに」なんて感じになってしまうのである。かわいそうだが結構笑える。こういうコミカルな場面もところどころにある。

 さて則重を攻め滅ぼしたものの、桔梗の方は結局武州公のもとへは戻らなかった、というところでこの小説はあっさり終わってしまう。武州公はまだ20代なのに。結局これは武州公と桔梗の方の物語、ということらしい。さすが練達の語り口でユニークな奇譚を堪能できるが、やはりこれはヘンな小説である。


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