アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

愛のゆくえ

2014-09-27 00:13:43 | 
『愛のゆくえ』 リチャード・ブローティガン   ☆☆☆★

 『西瓜糖の日々』に続く、ブローティガン四作目の長編。再読。あまりらしくない邦題だが、原題を直訳すると「妊娠中絶 - 歴史的ロマンス1966年」となる。ブローティガンらしいポエティックで非現実的な設定と、いつも以上に淡々とした描写で構成された静謐な作品だ。

 主人公の「ぼく」は風変わりな図書館のたった一人の職員である。それは普通の人々が書いた、世界で一冊だけの小説を収納する図書館で、「ぼく」は子供から年寄りまでのさまざまな人々が書いた小説を受け取り、登録し、大切に書架に並べる。そういう孤独な「ぼく」がある日、美しすぎる肉体を持て余す娘ヴァイダと出会い、恋に落ちる。ヴァイダも図書館で暮らし始め、やがてヴァイダが妊娠すると、「ぼく」とヴァイダはまだ子供を持たないことに同意し、妊娠中絶をするために二人でメキシコのティファナに旅行する。

 この小説の中で起きるのは、基本的に「ぼく」とヴァイダがティファナに出かけ、中絶手術を受け、また帰って来る。それだけである。ただし、旅行から帰ってくると「ぼく」は図書館職員をクビになっていて、平穏で孤独でどこかヌクヌクした図書館の世界を離れて、これから外に出て暮らしていかなければならないという環境の変化が示唆される。それから冒頭では、「ぼく」とヴァイダが知り合ったなれそめや、図書館に本を持ってくる人たちのことも語られる。

 訳者あとがきにあるように、ブローティガンの世界は徹底してアンチドラマティックであり、アンチヒロイックである。静謐で、すべてが淡々と進んでいく。「妊娠中絶」という当人たちにとっては充分に深刻な事態も、「ぼく」とヴァイダの間に不和を招くことも議論を引き起こすこともない。穏やかに同意され、旅行も順調に進み、アクシデントも予想外の出来事も起きない。本書が逆説的に「特異な小説」たり得るのはこの点においてだ。何かしら劇的な事件が起きるのが小説であり物語という通念を、この小説はあっけらかんと覆す。そういう先入観に縛られた読者は本書に新鮮な驚きを感じるだろう。そしてその上で、あらためて「妊娠中絶」旅行というものの痛ましさと哀しさをもって、小説を成立させてみせる。これがブローティガンの凄さだ。

 ただ本書においてはその繊細さと優しさが、脆弱さという欠点にも見えてしまう。「ぼく」が運営する図書館のように、どこか自閉症的で、あまりにもはかなく抒情的である。現実というものの残酷で確かな肌触りがない。「妊娠中絶」の哀しささえも繊細で、ふわふわしていて、ガラス細工のように美しい。そうしたブローティガンの、優しさとうらはらの「弱さ」が本書には顕著だと思うので、個人的には『アメリカの鱒釣り』『芝生の復讐』ほどの高評価は与えることができない。ただ、作家の高橋源一郎は解説で、ブローティガン作品の中で本書が一番好きと書いている。

 ブローティガンの世界は優しく(友情や愛に満ちている)、ユートピア的で(すごい美人のヴァイダが「ぼく」を愛してくれるし、世界から引きこもったままでも暮らしていける)、風変わりで(御伽噺のような図書館のシステム)、痛々しい(妊娠中絶)。そしてもちろん、あの詩的で天衣無縫でオフビートな比喩が全篇を彩ることによって、空にかかる虹を思わせるブローティガンの世界が完成するのである。



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