アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

アメリカの鱒釣り

2010-09-08 20:35:17 | 
『アメリカの鱒釣り』 リチャード・ブロ-ティガン   ☆☆☆☆☆

 ブローティガンの代表作とされる『アメリカの鱒釣り』を再読。訳者の藤本和子氏はあとがきで、ブローティガンの作品をいくつか読むなら本書から始めるのがいい、なぜならこの本にはブローティガンのいいところがまとめてつまっているように感じられるから、と書いている。後半部分に異存はないが、ブローティガン初心者がこれから入った方がいいかどうかは、ちょっと難しいところだと思う。私自身、最初に読んだ時は「なんだこれ?」となってしまい、ソッコーの斜め読みで済ませてしまったからだ。私がブローティガンにはまったのは『芝生の復讐』からだった。

 とにかく、かっとんでいる。相当にシュールである。つかみどころがないとも言える。私は最初、「ほう、釣りについての小説か」と思って手に取ったのだが、読んでみるとアメリカの鱒釣りちんちくりんとか、アメリカの鱒釣りペン先とか、アメリカの鱒釣りホテルとかが出てくる。それが何なのか、まったく説明はない。アメリカの鱒釣りと文通したりするのである。なんのこっちゃ。釣りの話題はまあ、そこここに出てはくるが、それが物語の土台になるなんてこともなく、銅像の話とか、ケチャップの作り方とかが気ままに書いてある。

 『芝生の復讐』にもかっとんだ短篇はあるが、たとえば冒頭の『芝生の復讐』はわりとまともだ。しかしこの『アメリカの鱒釣り』は徹頭徹尾、最初から最後までかっとんでいる。全体で一貫した筋がないどころか、短い断章の中ですら一貫性はない。イメージはひたすら折れ曲がり乱反射する。言葉でしかできないイメージの遊びが氾濫し、アクロバティックな言語の曲芸が矢継ぎ早に繰り出される。読者はぽかんと口を開けてそれに見入るしかない。私の場合、この小説のすごさを理解するには三回ぐらい読み返さなければならなかった。

 本書は断章の集積であり、一つ一つの章はせいぜい3ページから5ページぐらいだ。この軽やかな形式の中で、ブローティガンの何物にも縛られない想像力がぶんぶん音を立てて旋回し、その軌跡が虹色に輝いている。まさに言葉の錬金術だ。先に書いたように「アメリカの鱒釣り」から手紙が来たり、倉庫の中で川や滝が売られていたりするという自由自在なイメージもすごいが、更に感嘆するのはブローティガンの視点が移動するその閃光の如きスピードと、それを見事にコントロールする運動神経である。たとえば断章の中で気ままにユーモラスなエピソードを描写していたかと思うと、終わり近くになっていきなり視点が旋回してムードが一変したり、圧倒的な詩情が溢れ出したりする。たった一行の文章、時にはほんの一つの単語だけで、それが起きる。この展開の鮮やかさと切れ味には本当にほれぼれしてしまう。

 そしてまた、その運動のパターンが一様ではない。方程式がないのである。にもかかわらず、どれもこれもオリンピック選手並みに鮮やかに身を翻して着地を決める。それはこの本の冒頭から「木を叩いて その1」「木を叩いて その2」「赤い唇」「クールエイド中毒者」「胡桃ケチャップのいっぷう変わったつくりかた」あたりまで読んだだけでも明白だ。これこそアートである。誰も『アメリカの鱒釣り』におけるブローティガンを真似することはできないだろう。
 
 柴田元幸のエッセーが巻末に収録されているが、その中に「…こんなふうに、作品を意味に還元するよりも、まずは一行一行の奇想ぶり、変化に富んだ語り口の面白さ、その背後に見える憂鬱などに耽溺するよう誘ってくれているように思える小説に出会って、ものすごい解放感を感じたのだった」とある。これは本書の特色をよく言い表していると思う。あまりにアクロバティックな言葉の使い方に好みは分かれるかも知れないが、個人的に本書はデュラスの『愛人』と同じく、言葉だけでここまでできるかという超絶エクリチュールの格好のサンプルになっているのである。


最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (Unknown)
2013-01-02 20:21:20
その通り。ブローティガンの初期の作品はまさに超絶技巧レトリックの見本市である。
返信する

コメントを投稿