崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

生き方の成熟

2016年01月16日 04時55分27秒 | 旅行
九州大学韓国研究センター長の松原孝俊教授の定年記念エッセー集に寄稿するために古い日記を探して読んだ。日記には彼の名前が散在している。懐かしい。彼とは偶然のように会ったが必然の出会いだったと思った。多くの縁が一回きりになり、絶縁となった人も多い中われわれの友情は長く続いてきたことがわかる。その縁は40年近く脈々とつながり磨かれてきた。自分の日記を読むということは決して愉快なことだけではない。不快なこと、心痛いこと、難しかったことが想起されるからである。過去には現在より不快なことが多かったように思う。
 今植民地時代の日記を分析しているが、その記録者の心を大切にしながら読まなければならないと思っている。「歴史認識」という過去の不快な問題に触れている人が多い。多くの人は過去の不快感を感じざるを得ない。それは不幸なことである。過去に限らない。現在の人間関係でも不快なことが多々ある。そこに深く入り込まず、愉快に過ごせるようにすることが必要である。不浄の喪を開け、新しくなること、民俗学用語では「ケとハレ」の変化である。旧年から新年への流れ、それはただの節目ではない。生き方の成熟を意味するものである。

日本映像民俗学の会 第38回研究大会 in TOKYO

2016年01月15日 05時38分50秒 | 日記
日本映像民俗学の会 第38回研究大会 in TOKYO

海域の植民地、その映像と記録
国策映画「北進日本」と「海の生命線」が語るもの

主催 一般社団法人 日本映像民俗学の会
共催 法政大学沖縄文化研究所
日時 2016年3月26日(土)〜3月27日(日)
会場 法政大学 市ヶ谷キャンパス
26日 市ヶ谷キャンパス 外濠校舎 S307教室
27日 市ヶ谷キャンパス ボアソナード・タワー 26階 スカイホール
大会参加費(2日間) 1,000円 (学生:500円)
一般公開 参加自由

<研究大会テーマ>
海域の植民地、その映像と記録
国策映画「北進日本」と「海の生命線」が語るもの

2016年3月26日(土) 10:00〜
開会のあいさつ
10:00 開会にあたって 北村皆雄 映像民俗学の会代表
第1部 海域と植民地:沖縄と台湾
10:10 〜 10:40 研究大会テーマの趣旨 亘 純吉 駒沢女子大学 教授
"『Japan -日本-(タイトル不詳)』
(制作年・制作会社不詳) 10min."
10:40 〜 12:00 "『海の民 -沖縄島物語』 1940 30min.
東亜發聾映画" 後田多 敦 神奈川大学 准教授
<昼休み>
13:00 〜 14:40 "『南進台湾〜国策記録映画』 1939 64min. 台湾総督府後援 実業時代社・
財界之日本社 (50min.に短縮)" 紀 旭峰 早稲田大学 台湾研究所 准教授
" 『国民道場』 (製作年代不明) 11min.
台湾総督府製作  "
第2部 会員作品発表
特集 南の海と生活
14:45 〜 15:45 『光と風と!幻の漂海民ーフィリピン・スールー海』1987 45min 北村皆雄 "映像作家
ヴィジュアルフォークロア"
15:55 〜 16:30 "『不漁時ハラン(供物奉納儀礼) 』2007
 23.min
<フィリピン ビサイヤ海 バンタヤン島 1993年の記録>" 牛島 巌 "本会 前代表
筑波大学 名誉教授"
16:30 〜 17:30 他会員作品上映

懇親会
18:00 〜 20:00 市ヶ谷「おかってや」(予定)

2016年3月27日(日)
第3部 海域の植民地
10:00 〜 10:20 "異文化のイメージ
-国策映画とオリエンタリズム-" 亘 純吉 駒沢女子大学 教授
10:20 〜 11:35 "『海の生命線 -我が南洋群島-』
1933 72min. 横濱シネマ商会
提供:毎日映画社"
11:40 〜 12:15 小学校地理映画大系『南洋諸島』 10min 佐藤知条 湖北短期大学 講師
<昼休み>
13:15 〜 15:15 『北進日本』について 崔吉城 "東亜大学 教授
広島大学名誉教授"
"『北進日本』 98min. 1934
横濱シネマ商会"
<休憩>
15:20 〜 16:50 フォーラム 海域の植民地、その映像と記録
<司会> 崔吉城 "東亜大学 教授
広島大学名誉教授"
"牛島 巌   佐藤知条  北村皆雄
後田多 敦 紀 旭峰 亘 純吉  "
17:00 閉会

学問は危険と苦労の路程

2016年01月14日 05時15分05秒 | 旅行
韓国の二つの姉妹校の学生と教授が訪問してこられた。4年前私が韓国を訪問して提携した春海大学校の10余名、担当の先生も交代した。引率の先生が伝えてくれた音信とお土産はこの冬一番の寒さを温めてくれた。その大学校より前に訪ねた姉妹校の世明大学校のキーパーソンの金弼東教授夫婦がお見舞いに拙宅を訪ねてくれた。彼は韓国啓明大学校と広島大学院の二重の教え子である。講義の後であったが楽しい時間であった。
 金弼東教授は啓明大学校の教え子が多い中でも韓国で最も知られている日本研究者の一人である。彼は私に似て酒やたばこを飲まず、無趣味で研究に邁進する。最近著の分厚い『戦後の日本の文化外交研究』を寄贈してくれた。しかし慰安婦問題にはまったく触れていない。彼は危険性があるから避けているという。私は学問は危険と苦労の路程であり、楽しみもあると論破した。私は彼を教えた時期に日本学科の教授として反日感情と戦わなければならなかった。その危険な路程はまだ終わっていない中、新著を出す準備をしている。

「老人には未来がない」

2016年01月13日 04時49分50秒 | 旅行
回復祝いを東亜大学国際交流学科の教員たちから頂き、嬉しい。下関市会議員の田辺よし子氏からも生のお花を特殊処理したドライフラワーをいただいて、嬉しい。昨日は定期受診、異常なし、嬉しい。韓国の東亜大学の李学春教授と新羅大学の宮城准教授が来校した。学長と大学院金田研究科長と同席して歓迎した。彼は日本、韓国、シンガポールに同名の東亜大学の三校連携の共同授業を提案した。彼らは突然の訪問、そして突然の提案であった。日本人は戸惑うだろう。私は早速この夏に実行してみたいという彼の意見に賛成した。
 連携即決は嬉しい。私はテンポが早いのが好きである。それは清水昭俊氏が年賀状に書いたように高齢者になると「10年先の話には関心がない」という年齢意識からかもしれない。それは「老人には未来がない」ということになるだろうか。20年、30年後を考えることは若者にしかできないものであろうか。高齢者には未来がない、希望がない、つまり絶望しかないことを意味するのであろうか。実は逆であろう。多くの高齢者は死後の世界を考えているからである。実は長い未来を考えているともいえる。個人は亡くなってもこの世は続く。人は死後もこの世に生きると考える。だから老人は死後のために、同時にこの世のために生きるのである。帰宅時、学長が自ら車で送って下さった。昨日は嬉しい、感謝一杯の日であった。

IS戦闘員が母親を処刑

2016年01月12日 05時50分15秒 | 旅行
カイロ共同が伝えたニュースによるとIS戦闘員が母親を処刑したという。日本では親が子供を殺す事件をよく耳にするが父母を殺したという事件はあまりない。王座を狙った息子が父親を殺すことは神話などで知られているが、母親を殺すということは極限の敗倫兒である。北朝鮮の金正恩氏が父の姉の夫の叔父を粛清したことは韓国人にはショックが大きい。尊属殺害罪は朝鮮王朝では十悪の一つであり、現行韓国の刑法第250条第2項でも普通の殺人より加重している。ドイツおよび日本をはじめとする大多数国家がかなり以前に尊属殺害罪の規定を廃止したように韓国でも廃止論が上がっている。しかしそれには強い反発もある。
 親孝行が強い韓国社会において倫理規範と刑法の関係が対立している。結局法思想と伝統思想の関連性におよぶ問題である。廃止論者は法は道徳とは別だという。つまり法は社会の正義などを理想としているので古い伝統的な因習は打破すべきだという。場合によって正しい法精神を強調すると全国民を罪人とせざるをえない。立派な(憲法)精神が社会の伝統や慣習より先を走るような法の運用は問題であろう。

リサイクルの力

2016年01月11日 05時30分43秒 | 旅行
 私は不要物はすぐ捨てる性格であるが、家内は保つ傾向が強い。私は早く捨てて後悔することもある。家内はお菓子の箱や包装紙までとっておく。家内に5,6年間一度も着ない古着を捨てるように言ってももったいないと言う。その度に私はゴミの中で生活する人が住民に迷惑をかけている映像を思い出す。私の半分趣味のような模様替えは、物を捨てるところから始まる。家具を移動しながら掃除、宝物探しのように紛失物が見つかったりすると嬉しい。
 捨てるものが全部ゴミとは限らない。日本で使わなくなった車両がミャンマーのヤンゴン市内を走っているニュースがあった。ミャンマーに行った時、韓国や日本の古いバスが走るのを見た。ハングルや日本語の広告などの表示がそのままであった。以前サハリンでもそのような光景を多く見た。稚内ではロシアへ中古車を売り、お金を儲けた家があり、家内と一緒に訪ねてインタビューしたことがある。今中国への輸出ができず困っているというが、古い車のスクラップで成功した人の話も聞いたことがある。捨てる物の再生、リサイクルの力は大きい。
写真はhttp://www2s.biglobe.ne.jp/~chuko/myam-2.htm

年賀状

2016年01月10日 05時26分52秒 | 旅行
 2016年用の年賀はがきの総発行枚数が約32億167万枚だったと発表があった。昨年より約1億枚少なかったという。我が夫婦に届いた年賀状は200枚弱、例年に比して少し減っている。高齢者と若者からのものが少なく、私と同年代か、やや下の年齢の方からが多い。古くからの付き合い、恩恵の授受関係、師弟関係、出版などの仕事関係が多い。中国の留学生からも年賀状を数枚いただいた。中には70枚も出したという留学生もいる。日本文化を理解して身に付けようとしていると思う。しかし韓国出身の知り合いは日本に長く住んで、もう半分は日本人になったと言っている人からは年賀状はきていない。形式主義だと無視しているはずである日本文化を身につけていないか無視しているのだろう。
 形式だけではなく形式が実践に作用する。多くの年賀状は決まり文句のような挨拶であるがそれさえ注意して読むべきである。余白の筆記も面白い。少し紹介すると90才の直木賞作家の古川薫氏「もう少し生きる所存です」、清水昭俊氏「10年先の将来計画などをニュースで耳にします、自分には関係ないな」、末成道男氏東アジア人類学関係動画として少しづつ整理公開します」、産経新聞の加藤達也氏「激励していただきありがとう」、堀マドカ氏「研究者としての姿勢にどれだけ学び、、、」など。

占い商文化

2016年01月09日 06時15分05秒 | 旅行
 新年デパートの初売りにはいろいろな催しがある。広場をたくさん区切って作られた占い場も満員である。新年の運勢を占うのは中国で盛んであった易学が伝来し、日本でも流行している。神社のおみくじ、宝くじ、パチンコなどの大小の占い商文化がそれである。最も商魂に乗ったものがデパートの福袋である。今年はおみくじや、御守り、福袋が中国人の暴買いに恵まれて歓声を上げている。私は20年ほど前に韓国人とヨーロッパ旅ツアーに参加した時韓国人は高級スイス時計を十数個も暴買いをした光景を想起している。古代では日本人が中国に行って買ったものの中には今では貴重な文化財になっているものもある。
 中国人の暴買いの人気ある品目は薬類、のど飴、マスクなど衛生的なものが多いのはよく理解できる。中国の環境汚染を意識していることを反映している。ただ日用品を買うようにみえるが実は中国社会を反映している。最近メディアに大きく報道されたウォシュレット便座が人気があるという。特に便座はトイレ文化の後進国という汚名を洗う革命的な変化を持たらす契機になるものと考える。

杭州絹

2016年01月08日 04時36分47秒 | 旅行
 新年最初の講義、学生たちから新年の挨拶が多い。韓国と中国の留学生が多く、旧暦の正月の文化圏からの学生たちも新年を日本で迎え日本の雰囲気を知ったようである。講義中、私は日本語の聞く能力をテストするために短い話をする。昨日の「観光人類学」では「美人天国の韓国」をもって外見主義を批判する話をした。それに都君が外見を無視し勉強ばかりする人への批判、良いコメントであった。書いてもらった感想文を読んで学生たちの日本語が向上した。全体的に日本語の能力が伸びて嬉しい。2年生の留学生たちに日本語で講義ができる。私の留学生時代を振り返ってみると恥ずかしい。
 年末年始中国に帰省した院生王さんからはシルクのマフラーを土産にもらった。中国には「上は天国、下は蘇杭(蘇州と杭州)あり」というほど、シルクの本場としても有名な杭州からのものである。今そのシルクのマフラーを韓国名人作のものと二重に巻いている。急に私の美意識が2倍増となる。首は私のもっともシャレのポイント、特に冬の間はマフラーは必須品である。それは風邪予防、その上、今では手術の傷跡を隠すにも必要なものである。まさに必須品であり、贅沢品である。

新年鼎談

2016年01月07日 05時06分19秒 | 旅行
昨日恒例の大学の始業式と新年会があった。まず櫛田学長から大学の5年間の長期計画が発表された。大学の国際化について日本から外国への留学数が相対的に少ない。韓国ではアメリカへの留学数が6万強に対して日本は2万弱であり、人口比例が対照的である。日本が戦前広くアジアを侵略したエネルギーはどこに行ったのだろうか。自制であろうか。続いて新年会の乾杯の音頭は大学教育担当理事の金田晉教授によるもので学長の国際化とつなげて将来日本も外国人と一緒に多文化人口構造の中で生活するようになるだろう。1989年ベルリンの壁が壊れて冷戦構造が終わったようであるが、戦争状況が平時であり、平和は創設しなければならないと語り、積極的平和を願い祝杯を挙げた。
 その直後二人は私の研究室に来られ3人の新年鼎談のように楽しい放談の時間になった。二人の対談より鼎談のような3人の話題は多く、楽しい。その場合二人が対談のように語りあい、一人は聞き手のようにフィードバックをするようになる。3人ともに語り欲が強い場合は声も大きくなる。それをおばちゃんたちの雑談、韓国語のスダである。われわれ3人の時は私か学長が聞くほうでありコメントや反応をする。昨日の鼎談では金田先生が主導し、「花燃ゆ」「アサが来た」が話題になった。それには私が積極的に聞き手となり盛り上がった。学長は静かに反応をしておられた。鼎談とはもともと釜を3本の脚でバランスをとって支えたことが語源であるが、話者の構成によっては不均衡になることもある。

観光客が少ないのは平和都市

2016年01月06日 04時58分55秒 | 旅行
広島で旅行業務をしている人の話によると観光客が少ないという。広島には日本三景の宮島があっても「平和都市」と宣伝したことに原因があると言う。原爆のイメージが強く、学校の修学旅行地の対象ではあっても観光地として価値は低いという分析であろう。参拝客や義務付けられた公務員が炸熱の日射に汗をかきながら黙祷して帰る所であり、たのしみに心から行ってみたい所ではない。観光客が少ないのは平和都市作りの政策であり、観光戦略ではなかったようである。このような都市は広島以外に長崎もであるが、長崎にはハウステンボスなどの遊ぶところを含み観光名所も多く、原爆のイメージだけではない。世界的にはアウグスビツ、南京など残酷さとして知られているところがある。それらには別に観光戦略が必要であろう。
 彼女は今政治的関係の悪い国、特に反日国家の韓国への日本人の観光客が少なくなっているという。中近東へ行こうとしないことと同様に悪い、危険なイメージが強いところには観光客は行かない。日本人には反日より高麗人参や焼肉のイメージをもって宣伝した方がより効果的かも知れない。私は韓国の反日国家のイメージを和らげるために新著作業を行っている。以前『親日と反日:危険な韓日関係』という本を出したので今度は中立的に書いている。本題に反日と言う単語を使わずよいものは何だろう。
*写真は本文とは関係なく、一昨日の門司港の日の出

内助の功

2016年01月05日 05時15分14秒 | エッセイ
 中国浙江工商大学研究所所々長の金俊氏家族がお見舞いに来られた。彼の奥さんと娘は日本、夫の金氏が中国へ単身赴任のようになっている家族である。十数年前延辺空港で暴雪で出発が5時間遅れ、その待ち時間に彼と学問の話を長時間したことがきっかけで広島大学に留学した縁である。私が彼の大学のシンポジウムに参加したり家族ぐるみで付き合っている。先日入院中に慰労電話があり、昨日は三百数十キロを車で5時間かけ来られ昼食を一緒にした。
 6年前北京大学付属病院で金氏のお父さんが心臓手術を受けて元気でいらっしゃること、また手術、入院の予約金の工面と介護の苦労話が長かった。特にお金の工面には日本で働いている息子の嫁の金氏の妻の内助の功が大きかったようである。中国の先端医療技術の発展と家族による介護システムをよく知ることができた。続いての話題は一人娘を名門中学校に入れるまでの話であった。奥さんは日本で留学中の夫の金氏のために働いたが、今は娘のためにも全力を尽くしている。高学力主義である教育パパとママに私はノーコメントで一貫したが、一言「劣等感をなくすことにはプラスかもしれない」と言った。家内はその数々の両親のサポートと本人の努力に感嘆していた。食事中、夫への不満の話の火花が家内に飛んで私が運転できないことが話題になっていた。女性同士では夫の話題が主であろうと聞き流した。

生き残ったことに感謝

2016年01月04日 05時32分02秒 | 旅行
日本では1月に成人式が多く行われる。成人年齢は近代法律で20歳と定まっていたが、18歳に下げた。韓国では伝統的に冠礼、日本では江戸時代の元服では成人年齢が正確ではなかったが15歳前後であった。明治時代に法律によって20歳と定め、それが全植民地に普及、実施されてきた。成熟度の変化と犯罪に対応するためにも18歳に下げたのである。しかし現在世界的には成人年齢が14歳~20歳の間と多様である。成人年齢は社会と時代によって異なっているのである。
 慰安婦の年齢が13-14歳の少女だといわれて未成年であることを強調する人がいる。オーストラリア在住の韓国出身の社会学者Sejin Pak氏のFBへの投稿がある(上の図表参考)。彼は朴裕河氏の20-21歳,少女ではない成人だという説を検討して、平均的な慰安婦とは18才であり、少女というより「若い成人」と結論付けた。客観的な分析による文として参考にしてもよいと思う。しかし「13-4歳の少女を大量的に強制連行して性奴隷」言説を壊すことは難しいだろう。私は戦時を平和時に裁くことには疑問を持っている。もう一つの戦争を起こしうるからである。私は戦死せざるを得なかった命を考えると、とにかく生き残ったことに感謝すべきだと思っている。人権より命が大切である。

リズムが毀される

2016年01月03日 06時39分42秒 | 旅行
大晦日と正月を挟んだ長い休日が続いている。正月を二重にしている中国文化圏ではどうなるのだろう。新正月(陽暦)と旧正月、両方を休日としている。労働から解放されて休む、遊ぶ楽しい時期である。年の始まりの節目という年中のリズムである。しかし同時に日常のリズムが毀される。正規放送が少なく、特にニュースとドラマなどの番組で時間を意識しながら暮らす人はリズムが崩れるかもしれない。
 先日本欄で韓国では少なくとも私の世代では旧正月に反して「新正」には近代化と国際化という意識があったと書いたが、それについて韓国から数人の反応があった。韓国の知識人の中では新正を祝う新しい動きがあるという内容である。その中で私信であるメールではあるが敢えて紹介したい。昨日韓国を研究する文化人類学者の秀村研二氏から私の友人の故禹宗虎社長の奥さんからのメールが転送されてきた。私が1980年代に秀村氏を友人の故人宅に下宿(同居)するように紹介し、いまだに家族ぐるみで付き合っている。その家で故人の祭祀(茶礼)を新正で行ったという知らせである。 (写真は正月を飾った花を手直したもの)

アワビ

2016年01月02日 05時31分42秒 | 旅行
韓国語で「十年知己」という言葉が良く使われ、10年間長く付き合った友が本当の友人であるという意味である。私が下関に来た時の民団団長であった李相福氏がその一人である。彼は持病で健康に気を付けているが、私の回復によいと言いながら大きいアワビとサザエをくれた。特に韓国では子供の栄養食、回復期の患者や老弱者のための健康食として効果があるということでたくさん使われる。中国の秦始皇帝が不老長寿のために食べたという口承があり、李氏朝鮮時代の地方官吏の済州島の観察使が王様には必はず捧げるべきものだと言われたほど昔から健康食材として有名である。私はただ高級なものとして遠ざけて、食べた記憶が少ないものである。このよう特にアワビやサザエは昔から尊くもてなし用の水産物であり、御刺身として食べたことはあっても、お土産で頂いても殻から外して調理をしたことがない家内は困った。
 日本では刺身として食べることが多いが韓国では主に‘お粥’を作って食べる。家族が分けあって食べることができるのは‘お粥’が最も適切な料理法であったのだろう。結局ネット上の料理方法によって今の私の健康状態に合わせて家内はアワビ粥(전복죽)を作った。一味、別味である。贈ってくれた人、料理した人、そして神秘的に言われた薬効の話に圧倒され、勾玉でも食べる気持であった。美味しかった。感謝である。自然から栄養を取り、自然から薬剤をとる。今服用している薬も多くは自然の中からとれたものであろう。「ご飯が補薬である」という母の言葉を想起している。