崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

「死後結婚」

2016年01月25日 03時50分12秒 | 日記
 昨朝東京の今年最低気温の寒さ、会場まで歩きながらなになに名所という立て看板が目に入った。吉良邸などの縁の地であり、名人の墓や犬猫の墓を見た。東京両国一つでも数多くの名人、英雄が生まれ去ったので東京都では数万人否、数え切れないほど多いはずである。私が住んでいる下関では年中高杉晋作など数人の名前で町作りをしているのとは対照的である。両国の相撲取りさんの銅像街を通り抜けて線路辺の一角にチラシの看板が見えた。演劇や映画など古典雑技に関心ある人が集まるアジトとようなところである。本当に人が集まるだろうか。演芸ものの公演などに慣れた主催者の黒崎八重子氏と一緒に舞台設定、映像機器のチェクに時間がかかった。昼食かねての打ち合わせ会では十数年ぶりに会う絵解き研究者の林雅彦先生、パンソリなどで物語りを語る趙博氏、日本大学の民俗学者の佐藤弘美氏に会った。
 会場は超満員、定刻に斉藤氏の総合司会で始まり私の講演でスタート、自作の映像「死後結婚」(24分)を上映しながら1960年代の被差別民間宗教者、旅芸能人であるムーダンたちが東海岸を歩きながら儀礼を行った現場を紹介した。今は文化財となったこと、それは主に韓国のナショナリズム、民族主義によるものだと話した。次は趙博氏が太鼓で民俗音楽の基本的な長短、リズム、そして「西便制」の映画を1時間以上掛けて語った。
 第3部のような座談会は林氏の司会で行った。彼は私との縁を語り、私がそれを受けて話をした。パンソリの「パン(版)」とは元々ムーダンのダンゴル版(檀家たち)の広さ、広場から生まれたこと、パンソリは巫俗から起源した関係に触れた。伊藤喜雄氏は歌い歩く盲女たちの内部世界に触れたので、私は同感して秘密集団の世界に触れた。閉会と同時に第4部のような懇親会が続いた。雑談も多かったが、深みのある話もあった。私は差別について質問され、社会制度などではなく、人の生き方の質に迫って話をした。例えば韓国のドラマのように、差別する側の金持ち上流社会人の生き方より、むしろ庶民、被差別の人々の生き方が価値あるよう思えると話し、多くの方が頷いていた。最後まで残ってくれた人の中には成城大学院時代の同窓生で今は日本大学の教授の山本質素氏がいた。ホテルロビーまで同行してくれた映像作家北村皆雄氏、伊東喜雄氏と延々と話は続いた。楽しく、有益な日であった。
 *写真前列左から林、私、趙、後列は斉藤、黒崎、伊東