崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

井月と金笠

2016年01月28日 05時39分12秒 | 旅行
映像作家北村皆雄氏と三浦庸子氏からお見舞いと北村氏の最新著『俳人井月』(岩波書店)をいただいた。彼とは30年以上の友達、ただ知り合ってつきあう程度でなく創造的な多くの仕事を一緒にしてきた同業同志者でもある。彼と映像を作ってテレビに放映したこともあるが映像研究も一緒にしている。封切りが押し詰まった 2時間のドキュメンタリー<冥界婚>にも考証などに私も加わった。彼は自分の故郷の放浪詩人である井月を映像化した記録映画を作ったが、今回井月に関する本を書いた。私は突然静かな彼とむき会う気持ちで読んでいる。井月への私の知識は浅いが彼の平坦なやわらかい文章と深く掘り下げる追求力に引き付けられて心酔してしまった。
 この本を読めばまず浮び上がるのは朝鮮朝後期の詩人であるキム・サッカッ(金笠)である。彼は科挙に及第、官職に着いたがそれを捨てて20才頃から放浪生活を始めた。そして自ら空を見られない罪人だと考えて常に大きい笠を被って全国を放浪して権力者と金持ちを風刺した詩人だった。『金笠詩集』がある。定住農耕民族にとって放浪というのはもの乞いと不良を連想することになるが、歌人たちは他郷を歩いて考えて世の中を風刺して生きたのだ。 北村さんの<放浪の系譜>章では万葉集から現在に至る露呈を披瀝している。今は観光という波に群れ流れ行き来する時代になって思考が乾いてしまった。放浪は人を考えさせる。それで詩が作られるのであろう。私は韓国では詩集がベストセラーになるなど韓国人の叙情が高いと思ったことがあるが、日本の俳句が新聞などで幅が広くて愛用されることには驚いた。