崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

台風

2015年07月17日 04時25分45秒 | 旅行
 今日は中国大連理工大学の崔戈准教授を迎える。しかし大型台風11号が心配であった。今は朝の4時台四国と中国を縦断し、17日午後に日本海側に進む見込み、福岡空港軽油の来客には問題がなさそうである。台風のことになると進路に関心を持つ。幸いにも下関ではほぼ10年間直撃されたことはなく、地震もなかった。気温の差も比較的に小さく自然環境に恵まれている。ここの住民の一人として安心している。まずは自分のところに台風が来なくてよかったと思っていまう。日本人、東アジア人、国際人と意識しても自然災害の危険さを意識的に共有することは難しい。しかし国家的レベルで行政を行う人は常に関心を広く持たなければならない。
 私は韓国中部内陸の出身であり「台風怒濤」という比喩的なことばはよく知っていても大型台風を体験した覚えがない。ただ広島で秒速30~40を体験したことがある。そこで風の怖さを初めて知って以来台風を恐れるようになった。日本には地震、台風など自然災害が多い。雨もよく降る。火山があり、温泉も多く自然環境は悪くない。雨が全然降らない中央アジアなどの砂漠を車で走ったことを思い出す。その時、水が貴重なものであると痛感した。また今日本の中でも関東地域では40度近く気温が上がり、熱中症が脅威になっている。私は零下30~40度の地域で寒さを体験したことがある。太陽は熱と光を発してくれている。地球の中にはまた火の塊がある。その表面に人間が賢明に生きている。冥王星も探査しているというニュース、人間は凄い、偉い。

東亜大学東アジア研究所講演会
-中国のアメリカ政策-

講師:崔 戈(さい かく)
 講師プロフィール
1977年生 
北京外国語大学博士
アメリカコロンビア大学共同博士コース修了
現:大連理工大学外国語学部 副教授
大連理工大学アジア太平洋及グローバル問題研究所副所長
兼職:中国国際関係学会 理事    中華アメリカ学会 理事
    中国アジア太平洋学会 理事  大連市国際関係学会副会長 など


講演主旨
 第二次世界大戦後、アメリカは日本・韓国との同盟を強化し、中国と対置してきた。しかし、1990年代から旧ソ連の崩壊と中国経済の発展によって、アメリカの東アジア政策が変化した。特に、21世紀の新興国である中国を牽制するため、アメリカの戦略重点を東アジアに移転した。その戦略の中心は同盟国連盟強化;新興国(中国を含む)との関係構築強化;地域的イニシアティブ強化;貿易と投資の拡大;東アジア米軍基地の拡大化;民主と人権の促進などが挙げられる。その具体政策は、軍事的には第二列島線を基軸にして同盟国との軍事体制を再構築すること。経済的には、東アジアの一体化進行に介入、中国の地域経済圏への主導権を阻害するなどの措置を採っている。
 これに対して、中国側は「一帯一路」、「アジア投資銀行」などの対応措置を採っている。更に、「非衝突・非対抗、相互尊重、 ウインウイン関係」という「新型大国関係構築」を提唱したが、アメリカは消極的な反応であった。
 中米の未来像はどうなるのか、中国はアメリカに対して対抗政策を採るのか、パートナシップな関係を求めるのか。中米の関係によって東アジアにおいて中東のような紛争や戦争が起きるのかについて個人的な意見を語る。

「強行採決か」

2015年07月16日 05時13分05秒 | 旅行
 昨夜生放送のプライムニュースに野党議員の話では自民党の横暴、強行採決を批判する熱論が続いた。自民党の片山氏は守勢の態度であった。番組の終わりに近いところにある視聴者から届いたファックスを読み上げた。民主主義の選挙によって選ばれた議員たちが多数決で採決したものがなぜ「強行採決」か。野党議員たちの困った表情のまま番組は終わった。ある韓国のタクシー運転さんが言った言葉を思い出した。「黙っていて選挙の時に人を変えればよい」。自民党に希望を持てずに民主党へ変えたが、更に自民党に復帰させたのは日本国民の意思によるものである。今日与党が単独で法案の採決を強行して可決しても独裁とは言えない。それに不満を持つなら選挙で野党を絶対多数にして平和法案を作ればよい。
 今の争点は憲法違反か否か、という。それだけを以て今度の法案を「戦争法案」と非難する人が多い。違憲か護憲かは法律の解釈の話である。法律が作られた以前の心が平和か、戦争かにも注意すべきであろう。日本ではイエスが非難した律法主義が横行しているように私は感ずる。国民に説明するという首相は法律を超えて考えてほしい。軍=戦争ではない、法=真理ではない。日本の憲法は日本のアジア侵略と植民地、戦争の加害者という反省と責任から与えられた貴重な宝物である。それを磨いて平和を保ってきたのである。しかし隣国などはそれを覗き、弱みとして武力刺激を与えてきた。日本国民が危機感を感じたのは事実である。防衛のためにある法律を検討するようになったのは理解できる。中国や韓国に言って置きたい。東アジアの平和のために戦争はしない日本の憲法を日本が守れるように、それを両国も見守って欲しい。

今日は7月15日の「中元」

2015年07月15日 04時49分42秒 | 旅行
今日は7月15日は「中元」の日、重要な祭日である。韓国では陰暦を使うのでまだ先である。仏教行事としては韓国も日本と同様先祖供養として供え物をし、盂蘭盆経を唱える。韓国ではほぼなくなったが日本では中国の中元の供え物と結びつき、この時期に贈り物のやりとりをするようになっている。供える品物をやりとりする習慣から贈答文化が盛り上がっり「お中元」となっている。今は希釈、なくなりつつある民俗ではあるが完全に消えたと言えない。連載するある新聞社と中国の林氏などからお中元をいただいている。
 贈答文化が盛んに残っているところは商店街であろう。韓国では中元が完全に消えたと言っても贈答文化の痕跡が強く残っている。それは供え物を交換する習慣である。贈答は基本的には直接、人同士が交換するのではない。親戚などが訪問する時には仏壇のような喪庁や位牌の前に供えるようになる。今でもお葬式においては基本的には霊前に供えるのが韓国の風習である。日常生活においてもお土産を持って行ってもなにも言わず置き帰り、後にそれに気がつくのが常である。この習慣はそのままお土産交換にも影響していることである。  日本はお葬祭と土産は、はっきり区別されている。つまり仏を通してのお香典とお土産の交換のやり方が異なっている。しかし韓国人は土産も人と直接交換するという感覚が薄い。誤解が生じやすい。私が土産に持って行った花を忘れ物ではないかと電話で確認されたことを思い出す。両方とも日韓文化の理解が足りなかったことを物語る。日本では「お客様は神様」という言葉があるが、それは韓国で実行されていると言える。

ソバ畑

2015年07月14日 04時43分37秒 | 旅行
 山村の温泉旅館では3人相部屋だった。私の生活リズムの早寝早起きが二人に迷惑になるのではないかと気になった。若い人に迷惑にならないように注意はしたが互いに不便さを感じなかったようである。それは若い人でも、生活リズムが私とそれほど変わっていなかったからである。私が4時からコンピューターを開く時既に林氏は作業中であった。伝統的な旅館式のホテルでは食事がメーインである。朝食にはソバの粒を汁にしたものが出た。信州の名物ともいう。古くは貧困層の食べ物が今では名物となっている。私は美味しさというより幼いころを思い出す。私は貧しきソバ畑の貧困の農家を思い出す。数人の家族を延命させたソバ畑に米軍がキャンプを張った。軍部隊は雑草地と思ったのかもしれない。主婦の怒りの抗議で軍からタバコや缶詰などがたくさん届けられて生き延びてきた女性、今はあの世の人になっている。私には懐かしさではなく、戒めの食事、節約を訴えているように感じた。
 後期高齢者になった通知を受けた。長く生きていることへの感謝と疎外感を持つような気分であった。ホテルに忘れ物、林氏に運転してもらい、取りに行った。彼に申し訳なくお礼を言うと、「崔先生とのドライブであり、記念すべき」だという。私は若い時には敬老思想を意識することなく、そのような言葉を使ったことはなかったことを反省した。昨夜鑑賞した山田洋次監督の「おとうと」の中に老婆が疎外されてつぶやいている画像が忘れられない。若い時から年寄りを多く見てきてもそれが自分の将来とは思わなかった。また老いていくことに感情などを表現していない。老いを語るのも老人の役目かもしれない。

私の臆病

2015年07月13日 06時06分40秒 | 旅行
長野県伊那市「満蒙開拓平和記念館」は長い「野」ではなく山とトンネルばかりであった。この地から満蒙開拓団として移住した人は日本一多かった。日本人は全員が帰還した。朝鮮半島からも開拓移住した人がいたが基本的は一人も帰らず残って中国人になっている。私はその朝鮮人開拓村の営口に行ってみたことがある。日本は植民したができず朝鮮人が成し遂げたような形になった。記念館で証言の映像を長く視聴した。大きい、本当に大きい夢を以て満洲へ行って広い土地の新しい地主になって喜んでいた最中敗戦、ソ連軍の侵入、略奪され、性暴行され、殺される話が延々と続く。それは個人的な話に終わらない。日本帝国の運命であった。アジア、太平洋、アメリカまで帝国を拡大していこうという幻の夢が敗れ、敗戦の悲惨さを味わった。日本の夢は終わった。しかし、まだ終わっていない大国主義国家がある。帝国主義、大国主義は辞めるべき教訓を考えてほしい。
 ソ連軍に暴行される目撃証言には心痛くした。最近私は魚釣りの映像さえ見るのが辛い。自ら心が弱くなって社会生活さえ支障が生じるのではないかと心配することもある。しかし考えると逞しい男たちによって戦争が起きたのではないだろうか。戦前「不逞00人」という差別のことばがあった。孟子の言葉「惻隠之心」といえる。いま日本は逞しく防衛政策をとっている。隣国の脅威が刺激になっている。中国は大国主義をやめるべきである。帝国の滅亡は決まっている歴史の教訓がある。私の臆病のような弱い心を誤解してはいけない。平和は弱く強い心から成り立つものである。


満蒙開拓平和記念館

2015年07月12日 04時17分59秒 | 旅行
先日韓国で長く高速バスに乗ったのが大変だったので長野県満蒙開拓平和記念館行きのバスに乗るのは負担であった。しかし日韓の高速バスの比較ができるチャンスでもあった。名古屋駅のバスセンター11時出発は定時正確であった。それは韓国の方は時間になると同時に出発、日本の方が30秒ほど遅かったが、バスは座席などが広く、窓ガラスも広く、綺麗に清掃されていた。韓国のバスはカーテンが多く、窓ガラスが狭く、運転席のガラスも展望が狭かった。案内放送や目的までの表示が日本語と中国語併記、安全ベルトなどの細かい注意がある。先日韓国でトイレ休憩が問題であると書いたが日本の高速バスにはトイレがついており、使用方法も案内があった。道路の良し悪しの施設とは違った運転さんのお客様を大事にすることの差は大きかった。韓国の運転さんは客より上格という態度は根本的に変わっていない。それは政治家が国民を扱うのとも似ている。超現代的なバスであっても日韓の差はただ機械の差ではなく、運転さんとお客の関係が大きく異なっている。これは社会の構造をあらわすものであろう。
 山の中の駒場停留場に下りたら約束もしていないのに上水流君と林さんが迎えてくれて嬉しかった。満蒙開拓平和記念館とは植民地記念館である。日本で植民地記念館と言うのは異様な感がした。特に満州を開拓したと言うテーマ博物館に中国からの文句はないのだろうか、韓国であればおそらく問題になるだろう。講演を聴き、インタービューを行った。86歳の熊谷秋穂氏、11歳の時、海外への旅行として夢をもってついて行って終戦と逃避行、抑留された経験談を堂々と語り、今の中国は我々日本人が教えた結果だとも言っておられた。戦後8年間「抑留」されたということは日本での造語であり、中国では優遇された話であった。中国や台湾でも戦後日本人が残されて留用されたが韓国では日本人は原則的に一人も残さず追い出したのはなぜだろう。民族性かGHQの方針であったのか知りたくなった。後に林氏に聞いたところでは韓国ではサーカスのグループに日本人女性が残ったと言うこと、朝鮮人と結婚した日本人妻は韓国にも多少残っている。

公開録画

2015年07月11日 04時50分47秒 | 旅行
昨日は私の「日本文化論」を公開録画した。中国からの留学生はほぼ参加しなかった。TVカメラの前でV字を見せながら喜ぶ人が多かったが逆の人も多い。長い間TV局に勤めた二人はまだカメラの前では恥ずかしく思うのだろうと言う。否、中国では間違って顔を出すと酷い目にあうことがあるという人もいた。講義は自然体そのままに撮られたと思う。まず先週のテーマ「日本人の贈答」について学生たちのコメント、贈り物は「心の文化」という私の意見に大いに賛同した内容であった。昨日のテーマは「日本食」であった。まず韓国、中国、モンゴルでの日本食の状況を見せてから「寿司」について説明を加えた。生の魚を食べる文化圏は日本を中心とした東南アジアの地図で指名した。牛肉を生で食べる「肉膾」、「馬刺し」などの最も肉の味をよく知った多様なメニューがあることがわかる。特に早くから日本人は魚を生で食べることは、衛生文化の発展ともいえる。
 もう一つは稲作文化の米、ご飯が主食となっていることの起源は中国、特に中国の南部から東南アジア稲作文化圏ではモチ性つまり粘りけの米が好まれることに至る。私の研究で神にささげる餅は韓国は粳米、日本は糯米の差があることを説明した。日本人は韓国人より粘り気が好きであること、日本食の中に納豆、長芋など粘り気のある食べ物が多い。昨日私を含めほぼ全員が納豆は好きではないと言った。日本人はねばねばを好む。「粘り強い日本人」(?)とよく言われている。心の文化の「贈答」、衛生文化の象徴の「鮨、刺身」、モチの粘り気文化という3点を学生たちと楽しく議論することができた。これからは権藤博志氏と藤中和岳氏の編集に大いに期待する。写真は藤中氏が撮ったもの。

堀麗子『終着駅おぼろ』

2015年07月10日 04時40分51秒 | 旅行
下関の豊浦町宇賀の海辺の村に住んでいる堀麗子氏(88歳)からの郵便物、車椅子生活の様子を伺ってご無沙汰中、俳句集『終着駅おぼろ』が届いた。「浜おもとにわかに沖の暗くなり 風車群連なる丘の大夕焼 黄落の中にとどまり車椅子」「夜もすがら玄界灘に北風すさぶ」など思い考え感じたことや幼い時に住んでいた巨文島などを綴っている。二人の有名画家を生み育てた母親、その一人の孫女から先日朗報が届いた。韓国大邱の大学に勤めた堀まどか氏が大阪市立大学に転勤することになったこと、昨日引っ越しを終えたという電話を受けた。その娘も国際学校を卒業して中学生になる好機に移動、私はただ嬉しくなった。下関で4代の付き合い、そこには植民地、戦後の歴史が底流する。しかしそれを越えて美しい付き合いである。
 東亜大学国際交流学科のビジネスコース開設記念講演会で住友重機械工業会社の相談役の日納義郎氏の「グローバリゼイションの現状」を拝聴した(写真)。ロバート・ライシュ著『The Work of Nations』を理解するという内容。アメリカが先進した技術による商品を世界に売るような国際化が日本からのブーメラン状態などを受け壁にぶつかり、本当の国際化の商品を作っていく過程を分かりやすく説明された。昨日は読書会を中止して参加した甲斐が十分にあった。特に抽象化能力、体系的な思考、共同作業などを重視するアメリカの教育に至るところには感動した。さらにアメリカ人がイギリス人を、イギリス人はインド人を、インド人はシンガポール人を、シンガポール人は中国人を利用する英語から中国語への協力の拡大を語った。私は植民地時代に大英帝国がインド人をアフリカへ移住させ、開発した植民地的移住式の連続とも考えた。充実した勉強会であった。

下関広域日韓親善協会の総会

2015年07月09日 04時39分29秒 | 旅行
夕べ下関広域日韓親善協会の総会へ行く道は長かった。時間の余裕をもって大学に寄りチラシをもっていくつもりでバス停留場で時刻表をみて無理と判り、その近くの友人の事務室で共同通信の記者に会い今度の朴裕河氏の講演について話をした。本屋に寄り偶然に西村淳子氏に会った。家を出る前に彼女のFBコメントを読んだばかりではあるが、直接会うのは数年ぶり、私の本を買いに来たという。彼女が買った『韓国の米軍慰安婦はなぜ生まれたか』にサインをして、会場に急いだ。下関の韓国通の友人や在日民団のリーダーたちと久しぶりに会った。久しぶりに握手をした人が私の健康を確認でもしたように「お健康ですね」と言われた。主治医の池田先生は私の歩きをみて健康を見るといったのを合わせて私は手足から元気であるとある程度自信がついた。
 6時から日韓両国国旗への敬礼時には両国の国歌が流れた。韓国の愛国歌は忘れることなく久しぶりに鑑賞する気持であった。君が代は歌詞も知らないが曲は特異に感ずる。一般的に国歌はスポーツの応援歌のようにリズムが多く入っているが日本のものは歌よりはクラシックの一部を聞くような感がある。二つの国歌を鑑賞、国家とは何かを一瞬だけ考えた。続いて代表の友松氏の報告、下関市の国際課長の安永尚史氏の祝辞などが順に行われた。テーブルを一緒にした安永氏が寄ってこられて20年前から会いたかったという。彼は私の『正論』への寄稿文を読んで客観的な立場で信念を曲げず一貫している学者だと、その時からお会いしたかったと語り、下関に住んでいながら初対面となったと嬉しそうに話かけてくれた。カラオケが始まった時、会場を辞したが携帯を忘れ、再度とテーブルに付き、照れ隠しに愛想笑をして会場の雰囲気を壊さないようにそっと帰ってきた。

絹代塾が始まる

2015年07月08日 04時53分01秒 | 旅行
昨日は日韓親善協会広域下関会の会長友松氏と今年の第4回「楽しい韓国文化論」教室に関して相談した。難しい日韓関係をいわばヨン様ブームで改善したのに、李・朴大統領によって関係悪化の状況ではあるが、民間次元では良好関係を持続させるべきであるなど意見を交換した。日本では韓国文化や韓国人が好きになった人口数は歴史上初めてのことかもしれない貴重な状況が政治家や社会運動家たちによって悪くなったことはとても残念である。後半期にはもっと楽しく韓国文化を論ずる教室を持つことに意見が一致した。
 続いて絹代塾の事務局長の河波茅子氏と権藤博志氏が訪ねて来られた。河波氏は塾の活動を山口県が支援してくれる決定通知を見せてくれた。嬉しかった。満州映画協会に勤めた両親を持つ彼女に満洲映画研究者の林楽青氏を紹介した(写真)。林氏の研究に彼女の協力を心から願った。 30回記念行事の計画などを議論した。権藤氏の沖縄戦跡地を訪ねた27分の映像を皆で視聴した。この作品を7月22日に市民に公開することとした。河波氏のナレーション、フィナレーはジェット機が離陸する騒音であった。拍手をした。彼の従来の作品とは異なる斬新的なもので驚いた。彼は私と河波さんにだけ褒められたと照れくさそうに言った。私のそれだけでも十分評価をされたすばらしい作品だの言葉に彼は笑顔で応じた。

強制労働

2015年07月07日 06時16分42秒 | 旅行
今日は七夕である(写真http://sozai-site.com/hagaki/temp/natu/tanabata/02)。中国から伝播された民俗ではあるが意味解釈などは日韓において一部異なる部分がある。日本では学問の日とも言われているが、韓国では主に恋人の再会の日とされている。世界遺産の登録を巡って日韓の妥協の内容で強制労働‘forced to work’の意味が異なっている。日本政府は‘forced to work’を「働かされた」というが、韓国は強制的に労役したという。言葉遊びのようなこの言葉には、法律をめぐる話以前にもともと重要な意味がある。韓国では「嫁生活は辛い」という民謡があるほど強制労役に近いと言われてきた。会社などの多くの職場では強制労役のようなものが多い。わがマンションから見下ろせる建築現場を見ながら強制労役とどう違うか考える。
 働くことについては肯定的な人と否定的な人がいる。その結果は大きく異なる。韓国の国民的な強制労役といえば兵役であろう。日本では徴用を「苦役」ともいう。刑務所では労役せず生活ができると思う人もいるらしい。多くの人がそう思うと刑務制度は存在しにくくなる。問題は自由意識があるか、労働に肯定的か、否かであろう。韓国では兵役は国民の意志で作られた法律によって行われる「神聖な義務」だという。しかしもう少し民主化が進むと苦役への裁判沙汰になるだろう。戦争中日本は多くの法律を作って人を戦争や労役に動員した。国家総動員法にもとづいて国民総動員令を出して帝国臣民を動員したのがその一つである。それはまだ多くの国が持っている兵役の義務(?)と似ている。ただ戦時と、そうではない時の差に過ぎない。

「終戦から休戦へ」

2015年07月06日 05時08分07秒 | 旅行
 昨日本欄に載せた世界遺産指定の審査に韓国側の発言内容をめぐる日韓の調整が難航した件は最終的に満場一致で決定、素晴らしい結果となった。日韓関係の新しい礎石となるとも思われて嬉しい。韓国は「戦時中に朝鮮人労働者が強制徴用されていた」と主張したが譲ったのである。日本では19件ほど世界遺産があり、端島の全島、いつか日本全国が指定されるような勢いである。中国は相対的に指定されているものが少ない。文化施設の保護のためにではあるが、過剰な観光化により施設が毀損されることもある。昨日多くの新聞には遺産決定を契機に観光宣伝が先走っていた。村おこしなど利用欲が著しい。それよりは保存保護の工夫が先であろう。
 今年は終戦70周年と平和への論議が期待されるが、メディアの騒ぎが盛んな状況になって憎しみをぶつけ合うようなもう一回戦争でもするような記事報道が多い。昨日ある民放では沖縄の人が本島への恨みを強く主張するのを聞いた。皇民化運動や戦争動員など韓国が日本に訴える内容とほぼ同様であった。台湾はオランダ・スペイン、清、日本、アメリカなどに支配されてきた。また昨日「台湾、戦勝70年パレード」という記事には驚いた。いわば日本の植民地では親日国と言われている台湾さえ「抗日戦争での勝戦」ということだろうか。国民党が日中戦争で戦ったということは認めても台湾さえ「抗日勝戦」というと唖然としてしまう。米軍の勝利の恩恵を受けて、植民地から解放されたのに何を言っているのか。私は東アジアにおけるこのような勝手な戦後の歴史認識を聞きながら大いに失望している。70周年「終戦から休戦へ」と主張したい。

「明治日本の産業革命遺産」

2015年07月05日 05時01分30秒 | 旅行
ドイツで開かれている世界遺産委員会で、日本が推薦した「明治日本の産業革命遺産」の審査が持ち越されたという。尹炳世韓国外相が登録に協力を約束していただけに、予想外だった。ユネスコの会議と政治は切り離して考えるべきであろう。1972年ユネスコ総会で世界遺産条約が採択され、日本は1992年加盟以来委員会のメンバーとして活躍している。1994年「古都京都の文化財」1996年「広島原爆ドーム」が世界遺産に指定された。今度「明治日本の産業革命遺産」の指定には、委員会で猛活躍している韓国のメンバーにより、戦時中の強制労働の歴史をめぐる否定的な意見が出されたことによって難航している。これよりはもっと問題になりそうだったのが「広島原爆ドーム」であろう。なぜなら多くの韓国人も死んで、今なお被爆者がいるからである。写真は2006年筆者が撮影したもの。
 そもそも世界遺産として指定することは文化財などを保護・保存するのが目的であったはずである。しかし国際政治の力争いになっている感がしてしょうがない。オリンピックもその現象が多い。今度の件に関しては韓国の過剰な政治的強権乱用のように感じざるを得ない。本来の保護・保存するという目的に立脚して世界遺産委員会で客観的に正しく判断し、決裂しないようになることを強く希望する。私は10月ソウルで開かれる10数ケの民俗関係連合学会で文化財法をめぐって基調講演を依頼されている。その際にこの件を含めてきちんと話をしたい。読者のご意見を願う。


地縁、血縁、学縁

2015年07月04日 05時57分33秒 | 旅行
中国からの女子学生3人が訪ねてきた。日本語が上手い。日本の初印象を聞くのは私の口癖のようなもの、揃って「キレイ」という。韓国の学生も大体そのように感じるようであり、日本はキレイな国、衛生的な意味か、整理整頓が良いということか、詳しく聞く前にお客山さんが来られた。下関の方でフェイスブック友が直接訪ねてこられたのである。突然書き込みで会うことにした、長身のハンサムな40代の美男子、俳優かも知れないと感じた。河原敏男氏、日本バレーボール協会上級コーチ、長府高等学校の教師である。地元の方であり、二人の間につながっているネット探しが始まった。私の友人の朴氏と映画監督のクースヨン氏など、共通の「在日」の知人、櫛田学長との豊浦高校の学縁、佐古監督とのスポーツなどの繋がり、延々とネットが繋がりネット上の結び目のようなキーパーソンがいた。そのネットを固め強めるために高校生と留学生の交流会を近いうちに行うことにした。
 昔韓国で初めてあった人とはまず姓を以てネットを探したのはごく一般的なことであった。インドではカーストから始まるなど社会によってネット探しの方法や様式がある。ネット社会では直接関係がなくても無限につながることもある。私の友人の息子の嫁の友人の親の先輩の先生の同郷人の…のようにして総理や大統領までつなげることができる。日本では直接知り合いのネットに留まる。地縁、血縁、学縁などに留まり、それも面識のある範囲に限る。日本のネットの延長は韓国、中国、インドより短い。面識が重要である。会うことの意味は大きい。