崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

満蒙開拓平和記念館

2015年07月12日 04時17分59秒 | 旅行
先日韓国で長く高速バスに乗ったのが大変だったので長野県満蒙開拓平和記念館行きのバスに乗るのは負担であった。しかし日韓の高速バスの比較ができるチャンスでもあった。名古屋駅のバスセンター11時出発は定時正確であった。それは韓国の方は時間になると同時に出発、日本の方が30秒ほど遅かったが、バスは座席などが広く、窓ガラスも広く、綺麗に清掃されていた。韓国のバスはカーテンが多く、窓ガラスが狭く、運転席のガラスも展望が狭かった。案内放送や目的までの表示が日本語と中国語併記、安全ベルトなどの細かい注意がある。先日韓国でトイレ休憩が問題であると書いたが日本の高速バスにはトイレがついており、使用方法も案内があった。道路の良し悪しの施設とは違った運転さんのお客様を大事にすることの差は大きかった。韓国の運転さんは客より上格という態度は根本的に変わっていない。それは政治家が国民を扱うのとも似ている。超現代的なバスであっても日韓の差はただ機械の差ではなく、運転さんとお客の関係が大きく異なっている。これは社会の構造をあらわすものであろう。
 山の中の駒場停留場に下りたら約束もしていないのに上水流君と林さんが迎えてくれて嬉しかった。満蒙開拓平和記念館とは植民地記念館である。日本で植民地記念館と言うのは異様な感がした。特に満州を開拓したと言うテーマ博物館に中国からの文句はないのだろうか、韓国であればおそらく問題になるだろう。講演を聴き、インタービューを行った。86歳の熊谷秋穂氏、11歳の時、海外への旅行として夢をもってついて行って終戦と逃避行、抑留された経験談を堂々と語り、今の中国は我々日本人が教えた結果だとも言っておられた。戦後8年間「抑留」されたということは日本での造語であり、中国では優遇された話であった。中国や台湾でも戦後日本人が残されて留用されたが韓国では日本人は原則的に一人も残さず追い出したのはなぜだろう。民族性かGHQの方針であったのか知りたくなった。後に林氏に聞いたところでは韓国ではサーカスのグループに日本人女性が残ったと言うこと、朝鮮人と結婚した日本人妻は韓国にも多少残っている。