崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

「被害を大きく受ける」

2015年07月27日 05時38分59秒 | 旅行
 今日は1953年7月27日朝鮮戦争の休戦日である。私が景福中学に入学した年であった。戦争中、入学し休戦となった。しかし歓迎するムードは一切なかった。北朝鮮によって南侵されたが反撃して、北進し、統一が目前になった時、中国から支援軍が参戦して国連軍の苦戦になり38度線近くで休戦することに不満な雰囲気さえあった。戦争が嫌だとは誰しも言うが実際戦争が始まると休戦とか平和とかの言葉は意味を失くし、勝つことしか考えないことを私は経験的に知っている。おそらく今平和の時代の平和主義者も戦争が始まると勝つこと、ひたすら勝戦しか考えないだろう。スポーツやゲームのように戦争はそのメカニズムによって進行する怖さがある。
 今の日韓関係の不和をときどき私は戦争中のように感じている。休戦することは難しい。扇動する人がいる。支援する人がいる。前線の戦線を担当する政治家、愛国主義を語る国民が多い。反日と嫌韓が高調する。中止することは難しい。喧嘩もそうである。始まったらやめることは難しい。中止するか休戦するためには必要なものがある。それは被害である。お互いに「被害を大きく受ける」ことが休戦に、平和に至るということを知らなければならない。だから戦争が起こらないようにするしかない。愛国、愛族の愛はよいが、愛は敵を持ちやすいことに注意すべきである。教育が必要である。(写真は朝鮮戦争勃発記念式、韓国群山で筆写撮影)