崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

陰暦では時間が遅くて(?)

2013年01月29日 05時20分41秒 | エッセイ
小倉在住のドイツ語専門の赤毛先生がフェスブックに書かれた文を見つけた。そこに載っていても時々知らず失礼することがあるが、今度は早く気が付いた。「おつかれさまです。Koreanistikの古いファイルから1982年(S.57)九州史学会研究発表要旨が出てきました。「沖縄・韓国の比較民俗学的視角」(啓明大学校崔吉城)と題するものです。数次にわたる現地調査をもとにした実証性のある内容とお見受けしました。もっとも、門外漢の自分としては「琉球弧」といったmythologischなロマンに魅かれますが。」。実は当時韓国からパスポートが間に合わずこの会議には参加できず家内が代わりに参加しました。
 また小生のブログへの今朝早く黒羊氏のコメント(2013-01-29 03:03:51)「信仰の伝道することではなく、知識として宗教理解の教育はもっと必要である。今年から下関市では「下関文化らく~ざ(楽座)」というのが開催されますが、この様な場所で、宗教理解の講座が開かれても良いように思います。」にも感謝である。
 古いスクラップの中から広島の「中国新聞」に私が当時広島県立広島女子大学の原田環教授と対談した記事を見つけた。二人とも若かった写真が懐かしい。原田先生とは共同編集や教育と研究などで長い間協力関係にある。私は広島大学を定年して東亜大学へ移った。彼は去年定年の時多くの蔵書の一部を私が所長を勤めている研究所へ寄贈をしてくれた。離れて暮らしてもその距離感は感じない。親しい友人でも信頼性が薄い場合があり、逆に遠く離れている人からでも信頼されることもあり嬉しい。多くの読者とは距離を感じることなく文通ができるようになった。韓国では旧友が多いが、高齢になってインタネットで文通もできない。久しぶりに韓国から遅れながら年賀状がメールで送られてきている。日本では正月が過ぎ、バレンタインデーを迎えるが、中国文化圏ではまだ正月までは随分の日数が残っている。新年なりすでに一月も下旬になって早さを感じているが、陰暦では時間の流れが遅く感じられて(?)それも良いとも思える。(写真は「中国新聞」2001.7.27)

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2 コメント

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バレンタイン (倉光誠一)
2013-01-29 20:39:41
 韓国でも日本と同じようにバレンタインにチョコレートを贈る習慣がありますでしょうか?
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韓国は日本のように定着しておりません (崔吉城)
2013-01-30 09:01:30
昨年の本欄のことです。
 2月14日にマニラの百貨店などではバレンタインデーを祝う人々で溢れていた。その家族や男女でいっぱいのレストランでフィリピン料理を食べた。キリスト教徒にとって祭日から恋人たちの日となり、日本でも、バレンタインデーの習慣が定着している。今では尊敬する人や愛する人へ、又友達にもバレンタインにチョコレートを送る日になっている。調査旅行から帰ったら中年と高齢の二人の女性からチョコレートが届いていた。私は人にあげる時ももらう時も大事にすることを母から教えられた。仏教のお布施のようにあげたい気持ちを持っている人、西洋ではチップの文化がそれである。私の父は多くの人を支援する心を持って、それを実行した。
 プレゼントや土産をもらう心も大事である。時には物としては不要かもしれないが物から心を読むことが大事である。同僚の山本だんからいただいた鉢植えの花を大切に育て、今ピンクのかわいい花が咲いている。それだけではない。数十年前にもらった観葉植物の鉢が大きくなって葉も繁っている。記念品などを未だに使っているものも多い。私は古い礼儀作法を言うのではないことは読者もキャッチしていると思う。また商品などをただで貰う気持ちでもない。何気ないプレゼント、丁寧なプレゼントからはその心、愛、幸せを貰い、送り主の人格を考えている。プレゼントを送り貰う心はその人の人格や人生観とも言える。
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