崔吉城との対話

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講演「金色夜叉」と「長恨夢」

2013年01月25日 06時19分00秒 | エッセイ
先日田中絹代塾で講演したものが長周新聞に報道された。この新聞は歴史は長くても特殊な思想偏向を持っているような下関の地方新聞である。下関に住むようになって以来定期購読している。主に文化面に目がいく。特に竹下一氏の記事は要領よく正確にまとまれていて、多くの愛読者がいる。私に関する記事などもそうである。ここに先日の記事全文を紹介する。

日本と韓国の描き方の違い:講演「金色夜叉」と「長恨夢」崔吉城教授が二つの映画を解説

「金色夜叉」と「長恨夢」と題する講演と映画上映が20日、下関市の田中絹代ぶんか館で開催された。
 講師の崔吉城・東亜大学教授(東アジア文研究所所長)が、尾崎紅葉原作の『金色夜叉』(1937年、清水博監督)とその韓国版とされる『長恨夢』(1968年、申相玉監督)の二つの映画を比較しながら生活習慣の違いや監督の技法を解説。シェークスピアのような「多くの人人の内面の反省を迫る」作品とは異なり、「金権主義と恋愛」や「社会的に成功したが金で堕落する問題」などを通俗的に描いた小説、ドラマだが、それを通して文学、映画、ドラマが持つ普遍性についての論議となった。崔教授は、未完成で終わった新聞連載小説『金色夜叉』が昭和には入って映画や新派劇となって影響を与えたこと植民地朝鮮でも趙重桓が翻案した『長恨夢』が『毎日新報』に連載され、幾度か映画化され今なお「李守一と沈順愛の悲愛物語」として広く知られていることなどを紹介した。
 また、「金色夜叉は日本帝国の文学、映画などが植民地に大きく影響した典型的な事例だ」と指摘。戦前の日本の植民地統治下の映画製作について、満州では映画を作られたが、台湾や朝鮮では作らせず、日本国内や朝鮮総督府で作った」が、戦前のフィルムが残っていないことにも触れた。金色夜叉はダイヤモンドに目がくらんだ女性を「超明治式の婦人」として描いたが、韓国では、自分の過ちを真底悔やんだ「烈女物語」として改作されている。
 崔教授は、「今は著作権が問題なるが、当時は世界的外国の文学作品をもとに、その国の実情に即して創作るる「翻案文学」と言うジャンルが存在したこと、「翻案小説は多く商業性と植民地的特性を反映する。とくに商業性は近代に目立つ特徴で、翻案は創作的技法の一部として活用された」と指摘。金と結婚をめぐって通俗的に描く流れは、今の韓流ドラマにも通底するものであることも論議になった。

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