崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

「金色夜叉」と「長恨夢」

2013年01月15日 05時18分50秒 | エッセイ
 
韓国人で私と同世代の人で尾崎紅葉の小説「金色夜叉」を知っている人は少ないだろうが、趙重桓の翻案小説の「長恨夢」を知っている人は多いだろう。しかもその主人公の名前の李守一と沈順愛を知らない人はいないだろう。もっともポピュラーなことを知らないと「スパイ」だという言い方があるがこれこそ知らないと常識外れであろう。1897年読売新聞に連載したものが 植民地時代に「毎日申報」に連載され、」(1926、田中絹代主演)が人気を得て以来「ダイアモンドか、純愛か」が一般化されたのである。残念ながらフィルムは残っていない。その理由として日帝が焼却したとか、朝鮮戦争で焼けたといわれたが、私は当時の麦わら帽子に利用されたフィルム・リボンを見つけて使い捨てたことを明らかにした。今週の日曜日20日2時から田中絹代塾で私が講師になって1969年(申相玉監督)を鑑賞しながらその意味を議論したい。
 私がこの映像に関心を持つのは日本帝国において日本の文学や映画などが植民地へ大きく影響したその典型的な例だと思ったからである。先日「しものせき映画祭」では1931年のサイレント映画を活弁士麻生八咫氏によって上映されたことがある。こんどそれに次ぐものとして1932年、1937年のもの、「長恨夢」の3編のストリー、画像を比較してその意味を探ってみる。宮は富豪の富山のところへ嫁ぐ。貫一はそれに激怒し、宮を蹴る。この場面が有名になり、熱海サンビーチ「お宮の松」(静岡県熱海市)の銅像が立っている。金権主義と恋愛の通俗メロドラマと通俗小説をどう評価すべきか。三島由紀夫が当時「新鮮」だと評価したが、今でも新鮮ではないだろうか。