今毎回の授業に最終講義の気持ちで臨んでいる。学生に出席を確認し、それを要求する。私からは出席は教育の基本であり、教員から学生への関心であり、また大げさに言うと学生への愛情である。私のこの心は学生たちにも伝わったようで昨日も全員出席であった。講義は文化人類学、最終段階なので宗教に関するものを扱っており、、岩下、上寺の発表に続いて私が10余年前シベリアで撮ったシャーマンの映像を見せた。私のライフワークのシャーマニズム研究を振り返ってみることができた楽しい時間でもあった。白川君は「シャーマンの儀式の映像を見ていろんなシャーマンがいることを初めて知りました」とコメントを送ってくれた。シャーマンが神がかる主要な要素として激しい音楽(リズム)とダンスがあるが現代の若者のポップからでも見出せるということにはみな頷いていた。
講義中自殺を考えたことがある人はいますかと何気なく投げた言葉に手をしっかり挙げた人がいた。意外なことであった。私は文学少年時代に何度も考えたことがあった。小学校の同級生で別の中学校に入った友人が自殺したことにショックを受けたことがあった。今から考えると思春期、文学少年期には自殺を考えたりすることが一般的だと思っていたが日本の学生たちからは今まであまり反応がなかった。しかし、昨日は自殺を考えた人がいることで非常に意外なことと思った。しかも自殺未遂の体験があり、そのことを話してくれた。他の学生たちも関心が高い表情をしていた。彼は社会人入学生のインテリー、。目が覚めた朝は天地が明るく、幻しく美しく感じたという。
私は彼の命が助かったことこと、またその死と生の経験によって人が変わったことを予想した。他の生物には自殺はない。人間には自殺という現象がある。命を切ることの問題よりそこには生まれ変わる思想が潜在している。生と死の戦い、それは生き方の問題でもある。自殺を勧めるわけにはいかないが、自殺の問題を深く考えてみることは必要であろう。今私の下で高齢者の自殺に関して博士論文を書いている人の発表を予定している。その根本的な思想が話題になって欲しい。
私は彼の命が助かったことこと、またその死と生の経験によって人が変わったことを予想した。他の生物には自殺はない。人間には自殺という現象がある。命を切ることの問題よりそこには生まれ変わる思想が潜在している。生と死の戦い、それは生き方の問題でもある。自殺を勧めるわけにはいかないが、自殺の問題を深く考えてみることは必要であろう。今私の下で高齢者の自殺に関して博士論文を書いている人の発表を予定している。その根本的な思想が話題になって欲しい。