崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

写真トリミング(切り取り)

2011年07月05日 05時13分31秒 | エッセイ
 今翻訳の本(原書は英語)の書評を書いているが、真面目な直訳で読破するのに苦労した。その翻訳文を引用しながら書評を書いているがとてもむずかしい。私も数冊翻訳したことがあるが、文脈きちんと理解した上で自分の文章で書こうとしてきた。最近韓国では日本語の本が韓国語で翻訳された本が氾濫している。日本語の漢字をよく理解されていない状態の直訳で、読みにくいし意味不明の部分も多い。中には新嘗祭を「新営」と翻訳したり「謝す」の誤りが「感謝」というような逆の意味で訳されたりする。
 今古い本を翻訳して写真などを再配置して入れて読みやすくする作業をしている。原典の意図を守りながら読みやすく、理解しやすくする作業である。一昔前までは写真を本文の中に挿入することができず、本文の前と後にまとめられていた。それを今本文と関連するところに入れている。原作者の意図を十分活かすようにしている。ある初歩的な研究者が写真をトリミングしたものは価値がないというのを聞いたが場合によって写真をトリミングすることによってより効果がでることもある。私の一冊の本がある翻訳家によって今翻訳されている。私は一切意見を出さない。それは彼の作品になるからである。