崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

登り釜

2011年07月06日 05時23分06秒 | エッセイ
 大学にも登り釜を作ったらどうかと思っている。広い敷地の中の小山の麓に作って欲しいと関係者と話をしているうちに私は生まれ故郷の登り釜や高麗青磁の遺跡まで古く広く「過去たち」を想起した。わが生まれ故郷にはキムチつぼなどを作る登り釜があった。そこで働く人々は村の人ではなく、外から移入してきた人だったので子供の私は接することはなかった。ただ近くに赤土を掘って運ぶのを見た。また売りに歩くことも知っている。しかし朝鮮戦争の時その赤土を掘った穴の傍で人を銃殺してその穴に埋めるのを見たことがあり、その後登り釜は長く残骸だけが残った。わが故郷の地域は庶民の食器のサバルを生産したところとして知られている。現在は芸術家たちのもの意外に村落レベルで登り釜を見ることさえ稀である。朝鮮の焼き物文化が日本に伝わって名産となり、その伝統が続いているといわれている。
 私は高校時代から古いものが好き、ナルゴニー(老者)というニックネームがついた。大学1年生のときからは骨董品に関心を持ち、中には貴重なものもあった。特にシャーマンの巫具などを室内に飾っていた。訪ねてきた人たちは私の母がシャーマンであると思い、噂が広がって母から処分するように言われたこともあった。最近その残りを国立国楽院に寄贈したのである。文化財専門委員の時代に高麗青磁の遺跡を調査し、数多く登り釜を見た。焼く体験はほんのわずかであるが、熱によって色が変わることは神秘的でもあった。登り釜を作って皆でそれを楽しむのをみたい。