崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

ジャジャン麺

2011年07月10日 05時19分41秒 | エッセイ
 いつだったか下関韓国教育院の徐院長に会った時、韓国のジャジャン麺を食べたいと言ったのを覚えていて下さり、昨日は十数名の韓国の留学生とともに招待された。他の大学にも声を掛けたというが参加者は東亜大学の教員3人と学生だけであった。院長の手作りのジャジャ麺は中国の黒味噌と豚肉や玉ねぎなどをいれた本格的な韓国料理であった。私は黒味噌で味付けされたジャジャン麺を見た瞬間、お替りができるか気になった。同席した副学長の鵜沢氏は初めて食べるというのを聞いてもそ味でどんな表情をするのか気にかけることもなく、夢中で食べ、お替わりをした。下関で韓国の本場のジャジャ面を初めて食べた。学生の中には3回以上もお替わりする人もいた。
私は満腹、満足であった。
 しかし、それは「食事」であって「食事会」ではなかった。結果的に食事がメインになってしまった。学生の中には初めから食事以外のことには積極的ではなく食べるだけのことであれば参加するという意見もあったという。私は食べる競争のようなことになるかと思い、批判的であった。しかし時間的に私が食べ終わってすぐ席を離れなければならなかったので私自身が食べるだけでその場を離れてしまった。考えてみると私は食事会から途中で脱席したことが多かったことを含めて反省する。一般的には昼食会、晩餐会などでは儀式があり、場合によっては長いスピーチが行なわれるのが普通である。その時は一流の料理でも味を楽しむことさえできないことがある。その時「食べる」本能から「宴」文化へ昇格するのである。昨日の私は食事に行って満腹して帰ってきたが、食事会「宴」に参加したことことにならなかったことを反省する。