崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

日本文化の「韓国人」、韓国文化の「日本人」

2009年10月13日 06時12分02秒 | エッセイ
 先日深夜まで小さい畳部屋で10人弱の人が集まって談話した。その議論を聞きながら大きく4つのカテゴリーの人々が集まっていることが分かった。Aは自ら明らかにしていないが、普通の日本人である。Bは日本人と在日朝鮮人(韓国籍、日本名)と結婚した人、Cは韓国籍の在日韓国人同士で結婚した人であり、「韓国人」である。Dは韓国からのニューカマーで日本の国籍をとった「日本人」である。日本ではこのような人々が集まるのは珍しくはない。
 CとDは特に対照的であって私には面白く感じられた。Cは日本で生まれて韓国籍の方であり、日本式の通名で育って自ら韓国名の本名を使いはじめ「韓国人」という。Dは韓国育ちで日本に来て最近日本の国籍をとった「日本人」である。Cは日本文化の韓国人、Dは韓国文化の「日本人」であり、日本語さえ不完全な人である。日本には韓国文化とはほど遠い、韓国語で自分の名前の発音も正確にできない「韓国人」が多い。このような混在すること自体が多様な社会であることを表す。このままの社会事情を自然と思うことが望ましい。しかし私が面白いと感じたことは在日朝鮮・韓国人の中には「日本文化の韓国人」たちが韓国をもってアデンティティを主張することを知っているからである。
 国籍は簡単に変えるものではないが、国籍をもってアイデンティティを主張する必要はないと思う。この部屋に集まった人の中にはいなかったが、異人種の「変な外人」も含む人たちが自然に談話する普通の社会が真の国際化であろう。