崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

「在日は被害妄想か」

2009年10月14日 06時26分22秒 | エッセイ
教会の祈りの項目に私の健康のことが載っており、多くの人から心配していただき、祈っていただいていることを聞いて照れてしまった。また心から感謝もした。喀血の後に服薬などして一か月ぶりに昨日検査を受けた。担当の池田先生から右の胸の影が無くなったことと結核の心配は検査の結果ではないとの朗報があった。しかし続けて服薬をする必要があり、1か月後に再診することとした。心配してくれた人、祈ってくれた多くの人に感謝する。
 病院から大学に戻って7時近くまで多くの仕事をこなした。下関の在日に関する講義の後、また在日差別に関する報道局からの取材インタビューに応じて長く話をした。また私が指導するテロに関する論文についての評価などを行い、遅く帰宅した。昨日の話題の主な内容は差別、攻撃、報復、恨みなどであった。特に「在日」が主なテーマであった。
 昨日のブログに在日朝鮮人のことを書いたことに早速二人の在日(?)の方からコメントが書かれている、「在日朝鮮人」「在日コリアンは…」と括れない在日コリアンの複雑さ、「在日はほんとややっこしいです」と指摘された。世代別、国籍(帰化)、政治・社会活動(民団、総連、韓統連、帰化人の会、ニューカマの韓人会、青年団体)、アイデンティティなどでさまざまなカテゴリーがある。しかし日本人からは目に見え難い存在でもある。日本人の中には見えない「異質な存在」をわざわざ見つけて差別するひともいる。しかし差別は一方的でもあるが受け手が存在する。多くの在日の方は自ら「破戒」の主人公の丑松のように被害妄想的な人も多い。また差別を楯にする生き方をする人もいる。彼らは私に「在日を理解していない」という。そうかも知れない。