崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

データ復元不可能

2009年10月12日 05時52分55秒 | エッセイ
 先日外付けハードディスクを誤って落下してしまってパソコンに繋いで使用しようとしたところ、ブーブーという音がしているがデータの読み込みができない。データ復元の会社の宣伝をみて、実物を送って1週間ほどでデータ復元不可能と判断された。多くのアルバムや調査資料写真を何カ月もかけてスキャンして保存して元の資料をほぼ捨てたのに大変困っている。また完全に死んだ(?)ものとは思わず一抹の希望をもって他のところでなおせるところを探した。まるで末期患者のように病院を転々と探している心境である。
 普段は過度な宣伝と思う広告文が目に着く。復元できるという宣伝会社はまだ多くある。私の人生の写真記憶を戻すためのSOSである。写真は記憶と使えるものを選んだものである。私の真の記憶は曖昧であり選べないものもある。朝鮮戦争や数多く失敗した不幸な記憶は忘れたいが忘れない。一定期間過ぎると徐々に忘れるが無意識にデータとして状況によって復元される。器械による記憶はかなり正確さはあっても消える時は完全に消えてしまう。
 韓国で末期患者たちが祈るカルト教会を調査したことがある。死を直前にしても一抹の希望を持って祈っている。そこには恥も痛みも問題ではない。ただ生き残ることである。正常な人からは異様に感じるが当人はそうではない。危機にさらされた人を理解しようとしてその場に座っていた。今、私は記憶喪失の危機にいる。