崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

安重根銅像除幕式

2009年10月27日 05時24分20秒 | エッセイ
 10月26日は安重根が伊藤博文を旧満州国哈爾濱駅で暗殺した日である。日本では百周忌であり、韓国では「義擧」日として記念している。昨日韓国富川市では異色的な安氏の銅像除幕式が行われた。3年前韓国人が中国哈爾濱にその銅像を建てようとしたが中国側から外国人の銅像を建てることは困ると断わられ、このたびそれを富川市に運搬して建てるようになったようである。この歴史的な事件は日中韓の問題であり、もっと広く国際的に根本的な問題でもある。
 日本植民地に反対して起きた3.1運動は日本側からは暴徒となり、立場を替えて聖戦や義擧などがテロや殺人になる。それは国家・民族の間に限らず個人的にもいえることである。自我と他者の関係がそうなっている。自分は正しい、やさしいなどの自らの評価は、他者からはそうではないことが多い。敵対関係になるとその態度は極端になるのである。他者が自我の枠に入ると敵対関係はなくなる。つまり他者が存在しない世界が理想的な平和な世界であろう。しかし他者や敵は常に存在するのが世の中である。そこにアメリカが核を持っているのは安心であり、北朝鮮が持つのは危険であるという論理の飛躍もある。核をなくす戦略も重要であるが敵対関係をなくす外交政治がもっと優先であろう。(写真は連合通信から)