崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

植民地を生きた人の研究

2009年10月18日 07時06分30秒 | エッセイ
 昨日大阪の国立民族学博物館で行われた研究会に参加した。朝早くから遅くまでの日程であった。この研究会は3年間続いており、終りに近くなっている。しかし来年まで延長になった。日本人類学史を検討するテーマで私は植民地朝鮮を担当している。昨日は朝鮮総督府の嘱託として多くの調査資料を韓国に残した鳥居龍蔵の南米においての1937年調査に関する発表(関雄二)があった。戦前の日本の国際的なパワーなのか、帝国植民地のパワーといえるものなのだろうか。
 彼に関しては「植民地主義者」と「学者」としての評価が分かれている。日本でも彼の研究を全く無視する学者や重視する学者がいる。私は学問の成果をそのまま評価するのは良いことであり、当然であろうが、時代や世間の思潮によって植民地時代と戦後の今とが異なるような評価は正しくないとコメントをした。張赫宙などが朝鮮人として日本語で文学活動をしたということは言及されることがなかったが時代が変わったということで、新しく評価される。私はそのような文学の思潮は高く評価しない。時代や世間の風潮にとらわれずに評価できる人への評価の評価を強調したい。