崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

ソウル1945

2010年08月15日 06時18分33秒 | エッセイ
 2006年KBS放映のドラマ「ソウル1945 (서울1945)」を鑑賞している。親日派の生活、終戦後の南北分断の事情の歴史ドラマで男女の愛と憎しみで繋げて続いていく。親日派の敗亡と生き残り。長い時代、植民地と解放の混乱時代を圧縮して当時の人々の生き方を見せる。まだこれから朝鮮戦争の部分が残っている。
 このドラマはへギョン(写真)、ウニョク、ドンウ、ソッキョンという代表性を持った4人の人物を通じて、混乱時代を描いている。ソッキョンとゲヒ(へギョン)という2人の女性から愛される高等文官試験にも合格したウニョクは熱情と冷酷、さらに決断力を持っている。ムン・ソッキョンは子爵の一人娘としてピアノを学び東京コンクールで大賞を受賞する芸術性をみせていた。天皇に子爵の称号と共に巨大な財産を賜った親日政治家ムン・ジャングァン子爵を父に、朝鮮人だがその美貌と鋭い才知で寺内総督の養女となったアメカオリを母に持つ幸福な小公女。一度も挫折したことが無いので万事に傲慢で自信満々。彼女の侍女をしたへギョンとの逆転、葛藤が愛という糸によってドラマが連続している。
 混乱中には貧富の逆転が激しく変化する。私は朝鮮戦争の体験からその混乱期をドラマで見て同感するところが多い。私の近い親族の一家は代々貧乏であったが、戦争中米軍部隊に抗議したハプニングで一トラク分の物質を貰って売り、立ち上がり駐屯キャンプに依存して田んぼを買い生活が豊かになる。一方伝統的な豊かな家は廃れていく。そこには倫理や愛もない、人間破壊しかない。アクションドラマでありながらピストルは飾りのようにポーズだけで、発砲することはほぼない。
そのドラマを見る私はいつもヒューマニストのようである。おそらく多くの視聴者はそうであろう。そのヒューマニストは激変の時代には犠牲になるのが普通である。時代の変化を恐れている保守主義が強いことが理解できる。