崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

拍手

2010年08月25日 06時16分16秒 | エッセイ
 日本で音楽会や公演で拍手が少ないと感ずる時がある。それは感動が少ないことをさすのではない。拍手を起こすトリガーtrigger引き金が難しいからであろう。司会者などが「拍手でお迎えしましょう」とか手信号で拍手を誘うことがあれば無難に拍手がでる。日本では北朝鮮の金正日の感動のない拍手を資料映像でよく流している。戦前の日本やナチス・ドイツは国民に愛国を強要し拍手を独裁を煽るのに使い尽くした。(写真はMein Kampf)
 昨日ナチス研究者である同僚の山本氏からナチスドイツに関する映画「橋」と「我が闘争」を借りて鑑賞した。一貫して拍手と万歳の連続のように感じた。ヒットラーの国粋主義が人気を集め、政権を握って独裁政権、個人英雄崇拝、ユダヤ人差別、戦争と敗戦などを鑑賞しながら悲惨な歴史を振り返ってみるのもとても辛いと思った。ドイツ人さえ嫌な感が生れてくる。中国の留学生からのレポートに映画に出てくる日本人を見たひとがその残酷さから日本人さえ嫌になったという話を聞いて納得できる感がした。
 拍手や万歳にも毒素が入っている。しかし自然な感動の拍手や万歳は美しい。汚染された愛国を純化して「拍手をする美しい生活」を奨励したい。