崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

広島大学院で集中講義

2010年08月05日 04時55分15秒 | エッセイ
 数年前から続けて広島大学院で集中講義「植民地文化論」を行っている。植民地歴史を若い世代にどう伝えるべきか議論した。植民地や戦争から被害を強調しながら平和を教えるのが正しいか。明日が広島原爆投下記念日であり、広島は被爆都市として被害の主張が強く、平和へのイメージは弱い。それはトルストイの「戦争と平和」のようなイメージと似ている。被害を強調することが平和になるという漠然とした想定であろう。中国が南京虐殺をもって被害を強調するように韓国では独立記念館に日本警察から拷問を受けたことを展示して歴史を正しく教えるという。
 私は戦争を通して平和を教育する論理には反対である。多くの戦争は平和のために行われ、「正しい戦争」とも主張された。平和のためにもっと戦争しなければならないという考え方になるかもしれない。しかし戦争や敵を想定した平和教育はいけないと思っている。何をどう教えるか。アメリカの子供教育テレビプログラムの「セサミ・ストリート」のように子供たちが「遊び」ながら「協力」し、「愛する」ように教えることが望ましい。そこでは主語が愛と平和であり、被害と悲惨ではない。