崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

8月15日は「8.15」

2010年08月08日 06時00分31秒 | エッセイ
 今日は山口民団主催の第65周年光復節記念式典に招待され参加する。韓国では原爆投下日を記念することはまったくない。日本では8月15日より6日(広島)、9日(長崎)が大きく記念される。日本は戦争の被害国であるかのように認識されている。「英米畜生」の言葉が復帰するかもしれない。アメリカ大使が罪人のように広島の式典に参加した。原爆ドームの負の遺産が文化遺産になっている。
 8.15を韓国と台湾では「光復節」「解放記念日」、日本では「終戦、敗戦記念日」、中国や北朝鮮では「勝戦記念日」となっている。東アジアの歴史認識の差がはっきりしている。日本の歴史認識が他の国から違っていると指摘されている。それは加害国家の日本が被害国家に変身したからであろう。(写真は花電車)
 実はどの国の国民でも被害者である。国民は国家という組織を通して福祉などを保障してもらうことがあるが、多くは国家によって苦労した。またそのような国家が絶対多数である。若いとき読んだ「西部戦線異状なし」に敵対する軍人同士が同じ塹壕に落ちてなぜ戦争するのかという疑問を投げ掛けている場面が印象的である。8.15は「8.15」である。東アジア諸国の共通認識の課題であり、国家間の対立的認識は不要である。