崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

北京から

2010年08月04日 05時50分09秒 | エッセイ
 北京駐在の日本人の知人に私の古希記念論文集『交渉する東アジア』を送ってお礼のメールがきた。それは次のような文である。

「久しぶりにアパート一階の郵便受けを見たら(ほとんど郵便が来ないし)いちいち鍵を開けないといけないのであまり見ていません)分厚い封筒が入っていまして何故かボロボロになっていてどうしたんだろう?と見てみたら崔先生が送ってくださった本でした。誰かが意図的に開封したようでした。(中略)早速、先生のお書きになった「大英帝国の大逆罪人となったケースメント」を読ませていただきました。確かに近隣国を植民地にしたという意味でイギリスとアイルランドの関係は興味深いものがあると思いました。その狭間で双方から裏切り者と呼ばれたケースメントのあり方は今の私たちにも実に参考になると思います。北京にいて中国人と親交を深めれば深めるほど日本人からはある種の距離感を持たれるようになります。その辺を何とかする視点はないものかといつも思っていますが先生がお書きになっているケースメントの場合カソリックとプロテスタントを両方ともつつみこむキリスト教という基盤が偏狭なナショナリズムを超える契機になっているのかもしれないと思いました。日本と韓国・朝鮮、中国の場合どこにそうしたものがあり得るのか。なかなか難しいと思いました。」

 このメールからは拙稿のケースメントの事例研究に関して好意と読みの深さが強く感じられる。日中や日韓の間に生きる立場が浮き彫りにした良い読後感だと思う。昨日から続いている広島大学院で今日の集中講義でケースメントの事例を紹介し、議論したい。