崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

続「ソウル1945」

2010年08月17日 05時18分48秒 | エッセイ
 東洋経済日報への寄稿、光復節特集の「8.15と平和への願い」が大型写真と共に掲載された。私の人生を8.15、6.25、4.19.5.16などで綴ることができる。そのはじめの8.15について思い、日本と韓国へ痛切な願いを書いた。昨日の本欄で紹介した野口の証言と映画「ソウル1945」の視聴で心がかなり沈滞している。
 数ヶ月前朴仙容氏の薦めで貸していただいたDVDの71回分の視聴を夕べ完了した。後半の部分は私が体験した時代であり、心痛いところが多かった。激変時代にも家族愛、友情、恋愛、忠誠と復讐、戦況の逆転などが描かれている。その戦争の主舞台が我が故郷で甘嶽山、議政府などになっている。主点は同じ生まれ故郷出身の二人の男性と二人の女性の友情と恋愛の物語が戦争による激変でもつながっていくことである。その時代を多少知っている私にとっては李承晩大統領の奥さんの顔が出ていない、飛行機の爆撃のない歩兵だけの戦争のようであり、私が体験した戦争とはかなり異なっていた。軍人の「忠誠」という敬礼は休戦後ナショナリズムで生じたものなのに戦争中になっているなど徹底的な考証はされていない。
 しかし大きい教訓を感動的に受けた。植民地、38度線、休戦線による悲劇はすべてといえるほど朝鮮半島の悪い政治によるものであること。解放された自由を育てていくことができず派閥政治で分断させた事実である。その結果「統一戦争」など悲惨な戦争になったのである。人々は「悪い時代」とか「悪縁」などで犠牲になっていた。近い歴史を知っている私は常に「政治家を信じない」と戒め、この映画でもアメリカ戦争映画にでるような一人のヒューマニストのドンウのような人物を教育する必要があるなど、今年の終戦記念日前後には考えさせられたことが多い。DVDを長期間貸して下さった朴氏に感謝する。また今週日曜日22日には終戦直前の映画「愛と誓い」をもって講演することになっている。