『最後だとわかっていたなら・・・』
あなたが眠りにつくのを見るのが 最後だとわかっていたら わたしは もっとちゃんとカバーをかけて 神様にその魂を守ってくださるように祈っただろう
あなたがドアを出て行くのを見るのが 最後だとわかっていたら わたしは あなたを抱きしめて キスをして そしてまたもう一度呼び寄せて 抱きしめただろう
あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが 最後だとわかっていたら わたしは その一部始終をビデオにとって 毎日繰り返し見ただろう
あなたは言わなくても わかってくれていたかもしれないけれど 最後だとわかっていたなら 一言だけでもいい・・・「あなたを愛してる」と わたしは 伝えただろう
たしかにいつも明日はやってくる でももしそれがわたしの勘違いで 今日で全てが終わるのだとしたら、 わたしは 今日 どんなにあなたを愛しているか 伝えたい
そして わたしたちは 忘れないようにしたい
若い人にも 年老いた人にも 明日は誰にも約束されていないのだということを 愛する人を抱きしめられるのは 今日が最後になるかもしれないことを
明日が来るのを待っているなら 今日でもいいはず もし明日が来ないとしたら あなたは今日を後悔するだろうから
微笑みや 抱擁や キスをするための ほんのちょっとの時間を どうして惜しんだのかと 忙しさを理由に その人の最後の願いとなってしまったことを どうして してあげられなかったのかと
だから 今日 あなたの大切な人たちを しっかりと抱きしめよう そして その人を愛していること いつでも いつまでも大切な存在だということを そっと伝えよう
「ごめんね」や「許してね」や「ありがとう」や「気にしないで」を 伝える時を持とう そうすれば もし明日が来ないとしても あなたは今日を後悔しないだろうから
引用: 『最後だとわかっていたなら』 作 / ノーマ・コーネット・マレック 訳 / 佐川睦 出版社 / サンクチュアリ出版
アメリカのノーマ・コーネット・マレックという女性が我が子をなくした時に書いた詩だそうです。
震災当日、実際に私がなくして後悔したものは幸いにも肉親ではなく、息子たちの一番大事にしていた小さなおもちゃでした。
朝、(金沢に戻るために実家を出る前に)カバンに入れればいいわ。。。と、前夜リビングのテーブルに置きっぱなしにして寝ました。
寒さと恐ろしさと訳がわからない状況のなか、めちゃくちゃになってしまった家の中で
「昨日のうちにカバンに入れておけば・・・」と場違いなことをぼんやり考えていました。
素直に口に出すのは難しいけど、腹を立てたり怒ったりしそうなとき、いつもこの詩を思い出しています。
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