カームラサンの奥之院興廃記

好きな音楽のこと、惹かれる短歌のことなどを、気の向くままに綴っていきます。

石橋湛山さん。

2020-04-12 07:58:54 | Weblog

石橋湛山さん語録より。

元来官僚が国民を指導するというが如きは、革命時代の一時的変態に過ぎない。 国民一般が一人前に発達したる後においては、政治は必然に国民によって行われるべきであり、 役人は国民の公僕に帰るべきである。 而して、政治が国民自らの手に帰するとは、一はかくして最もよくその要求を達成し得る政治を行い、 一はかくして最もよくその政治を監督し得る意味にほかならない。 このためには、政治はできるだけ地方分権でなくてはならぬ。 現に活社会に敏腕を振るいつつある最も優秀の人材を自由に行政につきものの中央集権、 画一主義、官僚万能主義(特に文官任用令の如き)というが如き行政制度は、根本的改革の必要に迫られざるを得ない。 今日の我が国民が真に要求する行政整理は即ちかくの如きものでなければならぬ。
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気になった。

2020-04-11 19:22:14 | Weblog
チャイコフスキーの交響曲第6番の初演のときの会場の聴衆の反応についてWikipedia記事がどう書いているか唐突に気になって覗いてみたが、

1893年10月16日(グレゴリオ暦では10月28日)にチャイコフスキー自身の指揮によりサンクトペテルブルクで交響曲第6番は初演された。あまりに独創的な終楽章もあってか、初演では当惑する聴衆もいたものの、この曲へのチャイコフスキーの自信が揺らぐことはなかった。そして、初演のわずか9日後、チャイコフスキーはコレラ及び肺水腫が原因で急死し、この曲は彼の最後の大作となった。

という感じの記述だった。じつは先日たまたま書店でヴァイオリニストのレオポルト・アウアーの自伝を立ち読みする機会があった。その本のなかで、アウアーもチャイコフスキーの交響曲第6番初演の会場に居り、演奏が終わった後の聴衆の様子とチャイコフスキーの姿を目撃していた旨書いていた。それによると、聴衆はチャイコフスキーの新作交響曲に熱狂的な反応を示したらしい。チャイコフスキーも非常に上機嫌で陽気だったという。

Wikipediaの〈当惑する聴衆もいた〉が何を典拠にされたのか気になった。
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レクイエム。

2020-04-11 17:24:36 | Weblog
一昨日の夜にラジオから録音した、トゥガン・ソヒエフ指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団によるチャイコフスキーの交響曲第1番『冬の日の幻想』を、今のこの世界へのレクイエムのように、昨日も今日も時間があるとずっと聴いている感じだ。とりわけ今朝は、昨晩ご逝去されたという大林宣彦監督の訃報に言葉を失った。大林監督の作品ではやはり、新尾道三部作のひとつの『ふたり』がいちばん好きかもしれないとあらためて思った。主題歌の『草の想い』も素晴らしい。

心よりお悔やみ申し上げます。大林監督、お疲れ様でした。ありがとうございました。


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草の想い。

2020-04-11 07:20:18 | Weblog

『草の想い』(作詞大林宣彦、作曲久石譲)は、大林宣彦監督の映画『ふたり』(原作赤川次郎)の劇中歌、テーマ曲として作られた楽曲。


劇中歌(歌:中嶋朋子)
https://youtu.be/ah0v9Ch4SNE


テーマ曲(歌:大林宣彦&久石譲)
https://youtu.be/HiztYzEsgzE

 

昨日は、しごとのあと、神保町に寄ってスタジオジブリの『熱風』4月号を入手。今朝は、大林宣彦監督ご逝去の報に打ちのめされた。これまで拝見してきた大林監督の映画作品では、やはり、原作赤川次郎氏&大林宣彦監督&音楽久石譲氏による『ふたり』がいちばん深く心に残っているかもしれない。数々の素晴らしい作品をありがとうございました。お悔やみ申し上げます。

合掌。

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追悼。

2020-04-11 02:37:36 | Weblog
2006年12月1日(金)に立正大学石橋湛山記念講堂で開催された五反田映画祭。大林監督の作品『ふたり』『転校生』が上映されて、その後大林監督のお話を伺ったことが、ありありと思い出されます。ご逝去まことに残念です。

【五反田映画祭】
http://www.sinakan.jp/joyful/joyw.cgi?page=20

■ 日時  2006年12月1日 金曜日         
第一部  14時30分開演          
上映映画/大林監督「ふたり」1991年

第二部  18時開演             
上映映画/大林監督「転校生」1982年     

トークショー 大林宣彦監督「大林映画塾」 
                             
■ 場所  立正大学石橋湛山記念講堂           
                             
■ 入場無料  入場券は東京都品川区五反田商店街加盟店にあります。必ず入場券を持参下さい。
  
■ 主催 五反田商店街振興組合
  協賛 立正大学・イマジカ

 映画祭は、きらびやかな赤絨毯とは無縁の、あくまでも手作り感満載のアットホームな雰囲気ながら、内容がじつに豊か。『ふたり』も『転校生』もそれまでに何十回も見てきても、また新たな発見がありました。おもしろかったです。
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『冬の日の幻想』第2楽章。

2020-04-10 06:01:43 | Weblog

昨晩はトゥガン・ソヒエフ氏の指揮したロイヤル・コンセルトヘボー管弦楽団コンサートのラジオ番組を録音予約して早く休んだ。今朝はやく目覚めて聴いた。ブラームス『ハイドンの主題による変奏曲』もバルトーク『ビオラ協奏曲』も非常に良かったが、とりわけ胸に刺さったのはチャイコフスキー『交響曲第1番〈冬の日の幻想〉』第2楽章。極めて静謐でありながら雄弁。尽きせぬ祈りの思いに溢れた音楽。こういう神がかった第2楽章をこれまで聴いたことがなくて、耳も頭も縛られたみたいに動けなくなった。まことに素晴らしかった。

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ヴァイオリンコンチェルト。

2020-04-09 09:48:18 | Weblog

昨日から頭の奥で鳴り始めて今もずっと鳴っているヴァイオリンとオーケストラのコンチェルトを、今朝も少しメモした。
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大変な災厄。

2020-04-08 06:18:09 | Weblog
国境警備隊から〈国籍不明のブルドーザーが何台も国境線を突破してブルネグロの町へ向かっている〉と報告を受けたブルネグロ飛行男爵は、〈想像力は死んだ。想像せよ。〉と呟いて、白鳥のように両手を広げて寝床に仰向けに寝転がった。

詞書「その年、大変な災厄が起こつた。生き残つたひとびとは暫くの間、地下での生活を余儀なくされた。」

ブルネグロの城地下深き湖にあり 打ち捨てられたる貸しボート乗り場

そのひとをかあさんと呼ぶ不思議。湖の駅に汽車は来てゐて

お別れのときが来てゐますと後ろから声せり 知つてゐましたよ慥(たし)かに

赤き布に包(くる)まれて弁当箱は僕の手のなか 揺すれば焼売(シューマイ)と焼き銀杏鳴りぬ

ぶつぶつと声だし本を読む人なり 隣席(となり)の青き鞄の主は

「時刻表通りじや」とぽつつり独りごつ水売り老婆の虹色グラス

湖の駅のホームの突端に立ち尽くしかあさんは手を振り続けたり

地下照らす灯りは青くあをく光る虫たちの羽でできてゐました



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この春の。

2020-04-07 06:41:28 | Weblog
この春のこのような世情をまったく予期していなかった昨年の秋に思いがけなく不思議な出会い、繋がりがあって、これまで知ることのなかったご先祖さまがたのことを深く濃くあれこれ考えたり思ったりする機会や時間をいま頂けている不思議な恩寵を思うと、いつも変わらず絶えず此岸(こちら)に注がれている彼岸(あちら)のご先祖さまがたの温かな眼差しを感じないわけにはいきません。本当に不思議です。
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夢なぞ。

2020-04-05 07:24:08 | Weblog

夢のメモ。。

そこは、どこかの体育館で、大勢の避難してきたひとが家族単位で休んでいた。我が家も、亡き父含めて、家族みんなで来ていた。突然、隣り辺りで休んでいたある家族のひとりの男性が父親を亡くした悲しみを大声で叫びながら泣き出して倒れ込み、その妻らしい女性が介抱していたが、なかなかその泣く男性を宥めるのはむずかしいようだった。その男性の母親らしき女性がおろおろして我が家のところへやって来た。〈申し訳ありません。介抱するお手伝いしていただけませんか〉と言うので、亡き父が〈私も1951年に父を亡くしてますから〉とその母親に従いて男性のもとへ行った。しばらくすると男性の泣き声が止んだ。亡き父が手をかざしていた男性の体からもやもやした青い濃い煙のようなものが出てきた。亡き父が周囲に〈危ないです。青いものに触れてはいけません〉と言っている。。。そこで目が覚めた。


ところで。

伊坂幸太郎氏の小説『重力ピエロ』(新潮文庫)の冒頭の一文、

春が二階から落ちてきた。

はきっと、夏目漱石『坊っちゃん』の冒頭の、主人公が子ども時代に二階から飛び降りて腰を抜かしたら父親から「そんなことで腰を抜かす奴があるか」と叱責されたエピソードを述懐する部分から着想されたものではないだろうかと思う。

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