カームラサンの奥之院興廃記

好きな音楽のこと、惹かれる短歌のことなどを、気の向くままに綴っていきます。

山下さんの一首のこと

2006-01-07 12:59:09 | Weblog
 私はウォームビズ派です。

 今朝も寒いです。。。こういうときは夏の日差しが恋しいです。

 人間というものは、というよりも、私という存在は、本当に勝手だなと反省します。去年の夏の蝉時雨の道で、こんなに熱い夏なんかなくなってしまえばいい、と神様にむかって祈っていたくらいの私が、今は、夏の灼熱の太陽を待ち望んでいます。。。なんという皮肉、矛盾でしょうか。。。本当に寒いです。

                ☆

 山下泉さんの歌集『光の引用』から。

 好きな一首。

ひとつ街に通うことなくなりし道はあり園庭の聖母も陽に灼かれいん 山下泉

                ☆

 はじめ、上句の「ひとつ街に通うことなくなりし道」というフレーズだけを見たとき、途中から廃道になってしまって行き止まりになり街に辿りつけなくなった道のことを想像しました。

 道は、通る誰かがいる間は道である。

とある人が言っていたような憶えがあります。

 「道」という素材は、非常に魅力的です。

 そして下句を見ます。山下さんのこの一首の「読み」を考える場合、下句が上句に負けず劣らず面白いです。

 真夏の太陽に照らされて、園の庭に聖母マリアの像があるという内容です。正確には、園の庭の聖母マリア像は真夏の太陽に灼かれているだろうというのです。

 そうすると、短歌の読みの不思議で面白いところなのですが、下句の内容にひっぱられて上句の読みも変わってくるように思えてきます。

 私はこの一首をこんな風に読みたいと思うのです。


 熱い夏。我が子は小学一年生になり夏休みを迎えている。街の幼稚園までの道も、卒園以来すっかり通ることがなくなってしまった。去年まで我が子と通った街の幼稚園の庭の聖母マリア像にも灼熱の陽光が降り注いでいることだろうな。

 山下さんの作品は本当にいいなと思います。好きです。
コメント
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