カームラサンの奥之院興廃記

好きな音楽のこと、惹かれる短歌のことなどを、気の向くままに綴っていきます。

新聞の訃音記事からメモ

2006-11-24 11:53:13 | Weblog
 新聞の訃音記事からメモです。。。

訃報:灰谷健次郎さん72歳=児童文学作家
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/fu/news/20061124k0000m060078000c.html

 「兎(うさぎ)の眼(め)」などの作品で人間の心の優しさを描くとともに、教育問題にも発言した児童文学作家の灰谷健次郎(はいたに・けんじろう)さんが23日午前4時30分、食道がんのため静岡県内の病院で死去した。72歳。葬儀は近親者で行い、お別れの会などは行わない。自宅、喪主は非公表。
 神戸市生まれ。大阪学芸大(現大阪教育大)卒業後、小学校教諭を務めたが、学校管理が強まるなか退職。沖縄やアジアを放浪した後、作家活動に専念する。74年に発表した「兎の眼」は、女性教師と子供のふれあいを通じて真の教育のあり方を問い、国際アンデルセン賞特別優良作品に選ばれた。また「太陽の子」と合わせて、路傍の石文学賞を受賞した。両作品は映画化され、「兎の眼」は大人にも読まれベストセラーになった。
 80年に神戸市から兵庫県・淡路島の山中に移って自給自足の生活を始めた。その後も沖縄県の渡嘉敷島、静岡県熱海市に転居を繰り返し、独自のライフスタイルで執筆を続ける傍ら、83年には自らの教育理念に基づく保育園を神戸市に作った。
 97年には神戸・小6男児殺人事件で新潮社の写真週刊誌「フォーカス」が容疑者の少年の顔写真を掲載したことに抗議し、「兎の眼」など約30作品の版権を引き揚げた。04年12月に食道がんの手術をし、今年9月に再入院していた。
 他の著書に、短編集「ひとりぼっちの動物園」(小学館文学賞)、長編小説「天の瞳」、「灰谷健次郎の本」(全24巻)、「灰谷健次郎の発言」(全8巻)など。
 ▽映画「兎の眼」で教師を演じた檀ふみさん 「兎の眼」はすばらしい作品で、登場人物もしっかり描いておられた。映画では思うように演じられず、今でも胸が痛みます。やさしく繊細で傷つきやすい少年の心を持った方で、世の中の悲しみをみつめるような鋭いまなざしも印象に残っています。他方、ちゃめっ気もあり、離島に家を建てたのでとお誘いを受け、お風呂が、外から丸見えだと、笑って明かされたこともありました。
(毎日新聞 2006年11月23日 20時12分 (最終更新時間 11月23日 21時20分))

 灰谷さんの作品は、小学生の頃からずっと読んできています。好きな作家のおひとりでした。
 謹んでご冥福をお祈りいたします。

+++++

《灰谷文学について考察している興味深いサイトのいくつか》

『灰谷文学の是非を問う-もとい 是是を問う-』(1999.4.23)
http://kojikato.at.infoseek.co.jp/kenji01.htm#index

【はじめに】

 灰谷健次郎ほどその作品に賞賛と批判が飛び交う作家というのも珍しい。
 一人の作家、というよりも一つの作品が多くの人の心を打つ一方で、同時に多くの批判にも晒されるというのはどういうことだろう。
 少なくとも灰谷文学が人を感動させる力を持ちながらも(その感動がホンモノであるかどうかはさておき)、同時に読み手に何がしかの疑問、不満、反発、あるいは誤解を抱かせる要素をも持っているのは確かなようだ。かく言う私自身も、灰谷文学に深く感動する一方で、無条件に支持しかねている読者のひとりである。
 灰谷作品に関する評論は数多くある。
 興味深いのは、それら(ごく短いコメントも含めて)の殆どが、共通のパターンを持っているという点だ。すなわち「こういう欠点はあるけれども」という条件付きの賞賛が大半であるという点。無論、それらの欠点を根拠に灰谷文学を全否定するかのような声も少なからずある。しかし私は、そういった批判の声に時に深く頷き、いくつかの作品には強い苛立ちを覚えつつも灰谷健次郎を支持し続けている。

 果たして灰谷健次郎は真に上質の作家なのか。それとも人気だけの食わせ物なのか。灰谷文学の数々の評論を取り上げるという形で検証して行きたい。検証する前から結論は決めているのだけれど。

※出典で「74.10」など年月を記しているものは全て「日本児童文学」の号数を表しています。

- 目次(予定)-

【「兎の眼」は傑作か】
 灰谷健次郎の児童文学第1作を検証。
 - 序 -
 (1)賞賛
 (2)条件付き賞賛
 (3)批判あるいは全否定
 (4)各批判の妥当性
 (5)「兎の眼」は児童文学の古典となり得るか

【清水真沙子「良心のいきつくところ」と神宮輝夫「現代児童文学作家対談7」】
 灰谷文学を高く評価しながらも、同時に厳しく批判する清水真沙子の評論と、灰谷文学に極めて好意的な神宮輝夫(と灰谷健次郎)の対談。両者の灰谷評の比較を交えて灰谷文学の欠点を検証。(執筆中)

【二元論の人間観】
 ダメ人間を糾弾する。これはよくも悪くも灰谷文学とは切っても切れない要素である。灰谷文学の批判として最も槍玉に上がる「二元論の人間観」を検証。(執筆中)

【寄せ集め】(執筆中)

【参考文献(順不同)】

上野瞭「『まがり角』の発想」(晶文社「われら時代のピーターパン」収載)
今江祥智「兎の眼、子どもの眼」(理論社「今江祥智の本 第21巻」収載)
今江祥智 新潮文庫「兎の眼」(灰谷健次郎)解説
河合隼雄「読むこと・書くこと」(理論社「想像力の冒険 わたしの創造作法」収載。今江祥智・上野瞭・灰谷健次郎責任編集)
清水真沙子「良心のいきつくところ」(大和書房「子どもの本の現在」収載)
ひこ・田中「『兎の眼』の眼」(ホームページ「児童文学書評」収載)
ひこ・田中「はるかなユートピア」(パロル舎「ぱろる9」収載)
今江祥智・上野瞭・灰谷健次郎「現代児童文学作家対談7」(偕成社)
「日本児童文学」各号

***

中央大学・小池香苗氏による《灰谷健次郎論》
http://comet.tamacc.chuo-u.ac.jp/2000zemi/koike/haitani.html          

はじめに

 灰谷健次郎氏の作品を研究しようと思ったのは、作品に魅せられたからである。
 初めて灰谷氏の作品を読んだのは、小学生の時だったと思う。家の本棚に『太陽の子』がぽつんと置いてあった。主人公は小学校五年生のふうちゃんという女の子だった。同じような年なのに、この子はなんて一生懸命生きているのだろうと、衝撃を受け、涙をぽろぽろ落としながら、時には笑いながら読んでいたことを覚えている。
 そして中学生になり、読売新聞に『天の瞳』が連載された。私は第一話を読んだだけで、その作品の虜になってしまった。特に倫太郎という主人公に強烈に惹きつけられた。まさに一目惚れだった。天真爛漫で、まっすぐで、予想のつかない言動、感受性がとても強く、そして繊細な倫太郎に、私は恋をした。
 この作品はしばしば灰谷氏のライフワークであると言われている。灰谷氏は、読売新聞社の連載を受けようかどうか迷っていたとき、師と仰ぐ小宮山量平氏に「これこそが子どもだという、あなたの子ども像を完成させなさい」と言われ、「わたしはこの言葉を素直に、心の糧として『天の瞳』を書いた」(読売新聞 一九九五年九月)といっている。つまり、この作品には灰谷健次郎氏の理想が詰まっているのではないだろうか。
 当時読書好きとはいい難い私が、毎日朝刊の『天の瞳』をむさぼるように読んでいた。なぜ、あんなにも惹かれたのだろうか。一話一話読むたびに、胸が躍動した。『天の瞳』は、中学生の私にとって、クスクス、と思わず微笑んでしまうようにおもしろく、そして考えさせられる作品だった。
 灰谷健次郎氏の作品を読むと、私はいつも何かしらの刺激を受けていたように思う。それは時には胸がきゅんとなる痛みであったり、心の中がじわぁっと温かくなるような人のぬくもりのようなものであったりしたと思う。
 私は、灰谷健次郎氏について研究し、灰谷健次郎氏の理想とは一体どのようなものなのか、また作品に込められた思いはいかなるものなのかを読み取り、灰谷健次郎氏の作品の魅力に迫りたいと思う。

第一章 灰谷健次郎氏の足跡
 第一節 誕生~教師時代
 第二節  長兄の自死
 ○『兎の眼』
 ○『太陽の子』
 第三節 島暮らし
第二章『天の瞳』
 第一節 倫太郎は問題児か
 第二節 出合いー添う生き方ー
 第三節 いのち
 第四節 目の描写
 第五節 作品の明るさ
おわりに
 灰谷氏の作品に触れると、ある時は「自分の生は、どれほどたくさんのひとのかなしみの果てにあるのかと思うと、気が遠くなる思いだった。」という、ふうちゃんのように、またある時は「生きている人だけの世の中じゃないよ。生きている人の中に死んだ人もいっしょに生きているから、人間はやさしい気持を持つことができるのよ」という、ふうちゃんのおかあさんのように、登場人物に「生」について語らせ、時には胸をさし、心を思いっきり叩かれるような痛い思いがする。しかし、 それでもやはり読後はなんだか心があたたかくなって、「読んでよかった」と思う。それは、灰谷健次郎氏の作品が優しさに包まれて、いのちがあふれているからだろう。
 灰谷氏のまなざしは鋭く、子どもをありのまま受け入れようとする信念は強い。「絶望をくぐらないところに、本当の優しさはない」という林竹二師の教えは、灰谷健次郎氏の心身に行き渡っている精神である。だからこそ灰谷氏の作品は厳しく、そしてやさしい。そしてどこまでも添うて生きようと志が作品から感じられる。灰谷健次郎氏の心をうたった詩がある。

「あなたの知らないところに
 いろいろな人生がある
 あなたの人生が
 かけがえのないように
 あなたの知らない人生も
 また かけがえがない
 人を愛するということは
 知らない人生を
 知るということだ」
『ひとりぼっちの動物園』より

 灰谷健次郎氏の作品に触れ、どんなに厳しいことを言われ、心が押しつぶされるくらい苦しいことを言われていても、こんな素敵な詩を記す灰谷健次郎氏を私は好きだな、と思う。いのちが嫌いだから厳しいのではなく、いのちを尊敬しているからこそ厳しくならざるをえないのである。
 本当にまっすぐ相手を見つめて、心を見ようとしている姿勢は、まるでふうちゃんであり、倫太郎のようだ。登場人物にモデルはいても、ふうちゃんや倫太郎はフィクションである。しかし、灰谷健次郎氏はいつもその時その時に持ちうる魂を全て注ぎ込み、作品を生み出しているのではないだろうか。『太陽の子』の執筆後についてこう語っている。
「『太陽の子』を書き終えたとき、もう何も書けないという思いが最初にきた。作品の中で、自分が生き、生き抜いて、そして終わったという、そういう感じだった。」(「生」の根源 )と。
 この姿勢は、『兎の眼』を書いた時から『天の瞳』を書く今に至るまでなんら変わっていないということを、作品を読んでいて感じる。
 厳しく、そしてやさしい灰谷氏。作品ひとつひとつに、灰谷健次郎氏のいのちが吹き込まれている。だからこそ、私は灰谷健次郎氏の作品を読むたびに、魅せられるのだと思う。
 私はこれからも、灰谷健次郎氏の作品を読み続けていくだろう。
 そして、いつか、灰谷健次郎氏に出合いたい。(了)
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