カームラサンの奥之院興廃記

好きな音楽のこと、惹かれる短歌のことなどを、気の向くままに綴っていきます。

蟲。その2。

2024-08-05 16:12:35 | Weblog

蟲。から続く。

 

で、いざ出発当日。夕方まで普段通りの仕事をして、いったん自宅へ戻って仕事鞄を置き、お墓掃除&お参りセット一式の入った大荷物に持ち替えて、バス電車乗り継ぎバスタ新宿へ。バスタ新宿で無事にハローブリッジ号へ乗車し、一路高松へ。翌朝、高松駅高速バスターミナルには予定時刻よりも1時間ほど早く6時半頃着いた。早速、予約した駅前の宿へ大荷物を持っていって、島へ持って行く小回りカバンに必要な品々を入れ直して、残り荷物を預かってもらった。それから、高松駅構内のコンビニで朝食を買おうと店内を見て廻るも、コンビニ隣りの駅弁屋が7時から開店ということで、わざわざコンビニで全国共通メニューの弁当を買って高松の朝食にするのも何だかアホ臭く思われて、せっかくだからこれぞという目ぼしい美味しいものはないかなとコンビニ外や駅外を見回すと、たまたま、駅前のうどん屋めりけんやさんの7時開店の看板と入店待ち行列が目に飛び込んできた。これだ、とさっそく行列に並んで無事に絶品の朝うどんの朝食(とろたまぶっかけうどんと甘唐辛子天と美味茄子天)を頂くことができた。店内ではテレビニュースが流れていた。何気なく目にしたテレビの、その日の未明、東海道新幹線の軌道上で作業車両同士が衝突脱線し、東海道新幹線は始発から上り下りともに全線不通、復旧の見通し立たず、のニュース映像にぞぞぞぞと背筋が寒くなった。休み期間5日間とはいえそのなかで西日本の何箇所かの墓を巡り最後の一泊二日は東京郊外実家に寄って実家の用事をいろいろこなさなければならず、お墓掃除&お参り旅は実質タイトな4日間を有効に使って済ませなければならない。4日目昼間には確実に東京に戻って来られていなければならない。1日も無駄にできないわけで、あのときしきりにしつこく耳奥で囁いてくれた蟲に深く感謝した。(続く)

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蟲。

2024-08-05 15:17:25 | Weblog
蟲の知らせということがある。今夏その蟲に深く感謝した話を綴りたい。
先月下旬、毎夏にいただける仕事休み5日間を使ってお墓掃除&お参り旅を計画し実行した。計画当初、昨年同様に、早朝の品川駅発のぞみ号一番列車で岡山駅に出、そこから岡山新港経由で島に向かおうと考えた。昨年岡山駅前に取った宿の朝食も非常に美味しかったこともあって、まずは大きな荷物を朝から預かってもらえるし、とその宿を早々に押さえた。それが、高松方面行きの夜間高速バス利用に何が何でもしなくてはと方針が変わったのは、新幹線岡山駅経由ルートになんだか妙な不思議な胸騒ぎを覚えてのことだった。そもそも高松方面行きの夜間高速バス便は、コロナ禍以降、JRバス関東が運行撤退したのをはじめ、運行本数が相当に減って、安くて割合快適目なバス便チケット争奪はなかなか厳しいことになっていた。さらに、バス便の場合、席の状況によってしっかり寝られないこともままある。それが、どういうわけか、〈今回は高速バス便利用が良さそうですよ〉と耳奥にいる蟲がしきりに囁くようになって、私は当初立てた岡山駅経由ルートに不安を覚えるようになった。で、かつて何回か使ったこともある西東京バス運行のバスタ新宿発高松方面行きハローブリッジ号の予約サイトを覗いた。すると、運良く席がいくつかまだあった。早速席を押さえ、高松駅前の宿を予約し直して岡山駅前の宿の予約をキャンセルした。(続く)
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杉山晴康先生のこと。

2024-08-05 12:53:11 | Weblog
1989年4月、大学に入って一年次必修の法学概論の講義は日本法史の杉山晴康先生がご担当だった。先生のきっぷの良い江戸っ子べらんめぇ調の名調子が時折耳奥に蘇る。

杉山 晴康氏(すぎやま・はるやす=早稲田大名誉教授、日本法史)2015年10月12日14時50分、老衰のため神奈川県横浜市内の病院で死去、94歳。東京都出身。通夜は14日午後6時、葬儀・告別式は15日午前11時から東京都大田区南雪谷2の1の7、公益社雪谷会館で。喪主は次男幸隆(ゆきたか)氏。 東京新聞

新聞の訃音記事から当時の先生のご年齢を推察すると、68歳ぐらいでいらしたということに少々驚く。先生は、法律は守ろうとする意識がなければそもそも存在する意味を発揮できないというお話しの時、あれは私が法学部長の頃でしたが、ラグビー部出身の某政治家が私に面会を求めて来ましてね、息子を早稲田に入れたいのだが、というお話でした。それでしたら御子息が試験を受けられて正々堂々と合格されたら入れます、ときっぱりお答えしました。カッカッカッ。先生のそのお声が、時折耳奥に懐かしく蘇る。
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