カームラサンの奥之院興廃記

好きな音楽のこと、惹かれる短歌のことなどを、気の向くままに綴っていきます。

初期歌篇(2000年3月5日以降)の一部より。

2016-07-01 16:08:28 | Weblog

実家のタンス引き出しの中の、文字の消えかかったファックス感熱紙にあった初期歌篇より、一部のメモ。


寝台車の窓より覗きし夜のホーム生者も死者もレインコート着てをり

満州国東満総省牡丹江東聖林街にわが祖父果てつ

星沈む夜更け過ぎまで語りあひぬバックに亡き君のチェロを流して

最期の日ブルッフの「コル・ニドライ」聴きたしと眠たげな猫はあくび噛みをり

神様が棲んでると君が言つたからこの紙袋を僕は捨てられない

きみが眼を逸らせる先に一本の朴の樹ありて高く聳ゆる

草壁から土庄(とのしやう)に行く島バスに吾は乗りたり畑の蝶と

上空(うへ)向けばシリウスの光ぽつねんと孤立無援と思ひき吾は

ヨナ呑んだ鯨を呑んだ象呑んだうはばみの絵だよとサンテグジュペリ

亡き曾祖母はもんぺを履いてしやがみをりぬ黄昏時のしづかな部屋に

外界(とつかい)の王國(わうこく)の衛士と呼びかけたき海月は白きマントをまとひて

闇中に幾千の螢飛び交ひてわが行く軌道(レール)の果てを照らしぬ

尿(いばり)中の飲み屋の吾の魂魄はM13号星の男と同調してをり

樹に耳をあて樹の声に耳澄ます樹は立つたまま僕を抱き締めた

自転車でわたしはあしたに来る人をむかしの波止場に迎へに行つた

木を伐りて石をかつぎて井戸を掘りしとその人の名は神話に残るのみ

月光(つきかげ)に照らさるる門扉のその中にわが幼年期はあるかもしれぬ

誰のためともなく唄ひはじめるレクイエム太古の記憶のままに譜面もなくて

宇宙駅のみづうみに臨む駅舎の壁バーミヤンの大仏は眼を瞑りをり

宇宙駅のしづかなる朝のパン売りは鰮(イハシ)サンドをひとり食みをり

海に臨む砂山のうへ海風は巻きて吹きをり童子墓のうへ

アトリエの夢のひつじは樹の中を吸ひあげらるるみづおとを聴く

星よ降れ倒壊せしビルの傍らで消防士に手向けむと花持てる少女に

エレベーターはその朝も百階に人を運べり優しきピアノ流るるフロア

送り灯は昼と夜のあはひを照らしをりぼーんぼーんと太鼓は海を渡る

しづもれる湖にたゆたふ一艘の小舟に読みさしの聖書置かれぬ

廃線の山の端かげの駅舎壁「幸せになります」の文字薄れゆく

朝の空に浮かぶ傘あり夕べ私が電車に忘れた傘かもしれぬ

果樹園を見下ろす窓辺のきみが描きし〈果樹園の道〉きみの遺作の

霧に沈む村はやはらかに目覚めゆく村外れのチェリストは眠りの中に

湖の畔(くろ)の作曲小舎の辺り 小禽(ことり)の巣箱は掛けられてをり

あの夏の行方も僕らは知らなくて汀伝ひに蟹を追ひかけて行つた

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どこかに。

2016-07-01 09:38:21 | Weblog
どこかに私たちのための〈場所〉がある。平和と静けさと自由さとに満ちて、その〈場所〉はいつでも私たちを待っている。

これは、バーンスタインの『ウェストサイドストーリー』の中の歌曲〈サムウェア〉の歌詞冒頭の一節。好きなことばです。


昨日は実家で、昔実家にファックスした短歌作品記事のダメになりかかっている感熱紙の整理、書き写し。もうすっかり忘れていた昔詠んだ短歌作品29首余りをレスキューしました。
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