2024/03/20 読売新聞オンライン
巡視船「ふそう」を背に記念撮影に臨む栄船長(前列左から3人目)ら乗組員たち
巡視船「ふそう」から降ろされた国旗と海上保安庁旗を栄船長(右)から受け取る舞鶴海保の千田部長
海上保安庁から除籍され、ふそうの船種記号「PLH」がペンキで塗りつぶされた
舞鶴海保で引退 34隻221人救助
船長「同じ年月重ねた」
38年にわたって日本周辺の広大な海を守った船が、引退の時を迎えた。舞鶴海上保安部(舞鶴市)の巡視船「ふそう」(5300トン)。海保として初めてヘリコプター2機を搭載し、遠く2000キロ先での運用も視野に入れて建造された往時のエースは、近く母港の舞鶴を去る。
15日、舞鶴港第3ふ頭で開かれた解役式。青空に向けて延びるマストから、コンパスを描いた濃紺の旗が下ろされた。1986年3月19日の就役以来、潮風になびいてきた海上保安庁旗。船尾に掲げてあった国旗と一緒に、栄和志船長が舞鶴海保の千田亨部長に手渡す。
「昭和、平成、令和と三つの時代で活躍した航跡を、諸君らと共に深く心に刻みたい」。千田部長は船と、31人の乗組員をねぎらった。
ふそうは当初、「みずほ」という名で横浜海上保安部(横浜市)に配属された。広い飛行甲板を備える全長130メートルの船体は、海保として当時最大だった。
77年に日本の漁業管轄水域が200カイリに広がるなど、国内外の海洋秩序は大きく変わった。大型巡視船の増強が海保に求められていたなか、同船の登場によって外洋での警備、救難能力は格段に向上した。
地球41周分に相当する164万2635キロを航行した同船。この間、546件もの海難で出動し、34隻、221人を救助。海上犯罪の検挙は61件に及んだ。阪神大震災や東日本大震災などの大災害や、海賊対処の能力向上支援で東南アジア諸国へも派遣された。
最後の大仕事は昨年12月、鹿児島県・屋久島沖に墜落した米軍輸送機オスプレイの捜索だった。乗船実習の学生を乗せながらの救難業務。練習船として第一線から退いた後も、外洋を得意とする能力を発揮した。
その指揮を執った栄船長は、同船就役から1か月とたたない1986年4月に海上保安大学校へ入校。それからほどなく、呉港に入った同船を見る機会があった。「こんなにでかい船があるんだ」。心が躍ったことが、記憶にある。
「私の海保人生と同じ年月を重ねた船。最後に立ち会え、感無量です」
解役式から週末を挟んだ18日、白い船体に記された「PLH 21」の船種記号と番号が、ペンキで消された。船は近く業者に渡され、解体される。