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ワニの化石や復元骨格などの企画展/多賀町

2024年03月01日 | ニュース

2024/03/01 読売新聞オンライン

マチカネワニの復元骨格(多賀町立博物館)

多賀町で発見されたワニの歯の化石

2日から企画展 化石や復元骨格270点

 多賀町には大昔、ワニがいた――。そんな驚きの事実を知ってもらおうと、同町立博物館は2日から、地元の地層から出土したり、県内外の博物館などが所蔵したりするワニの化石や復元骨格などを集めた企画展を開催する。多賀町のワニに関しては謎が多く、最先端の研究に基づいて古代の姿に迫る内容となっている。

企画展は「多賀のワニ化石とその仲間たち」。

町内の約180万年前の地層から見つかったワニの歯の化石5点や、体長7メートルにもおよぶ巨大な古代ワニのマチカネワニの復元骨格(京都市青少年科学センター所蔵)、大阪府岸和田市の工事現場で見つかったキシワダワニ化石のレプリカ(きしわだ自然資料館所蔵)など約270点を展示する。

多賀町内の5点のワニの化石は、全身骨格化石の「アケボノゾウ化石多賀標本」(国の天然記念物)と同じ時期の地層から見つかっており、大昔の多賀町にはゾウもワニもいたことがうかがえる。

ワニの歯は鋭くとがっているものと、やや鈍いドングリ形などで、複数の種類のワニの化石の可能性があるが、標本数も少なく、分類学的な位置づけなど不明点も多いという。

企画展では、ほかに関連行事として、24日、きしわだ自然資料館専門員の谷本正浩氏による講演会「多賀のワニ化石の謎・謎・謎!」(午前10時半~正午)や、専門家らによる座談会「ワニもゾウもいた180万年前の多賀町の自然を考える」(午後2~4時)が予定されている。

町立博物館の高橋進館長は「各地から集めた化石を通じて、多くのワニや様々な動物が暮らしていた古代の日本の風景に思いをはせてもらいたい」と話している。

企画展は4月7日まで。観覧無料、午前10時~午後6時(土、日曜日は午後5時閉館)。期間中の月曜日と14、17、20日は休館。講演会と座談会は、各定員50人。いずれも事前申し込みが必要で、2日から受け付けを開始する。問い合わせは多賀町立博物館(0749・48・2077)。

 

 

 

 

 

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新領解文 唱和委ねる…本願寺派

2024年03月01日 | ニュース

2024/03/01  読売新聞オンライン

浄土真宗本願寺派(本山・西本願寺、下京区)が昨年発表した新しい「 領解文りょうげもん 」について、実務トップの池田行信総長は、寺院行事で必ず唱える「100%唱和」としていた方針を見直し、全国の教区や寺院にそれぞれ唱和の判断を委ねることにすると述べた。

領解文は室町時代の蓮如の作とされ、信仰上の要点がまとめられている。昨年1月、現代人にも分かりやすい言葉で伝えようと制定された新しい領解文を大谷光淳門主が発表し、宗派は100%唱和を目指すとしていた。

2月28日に最高議決機関・宗会が開会。池田総長は執務方針演説で、新しい領解文に異論や厳しい意見が寄せられていると明かした。その上で「(唱和の推進は)宗門内の混乱を長引かせる」として、2024年度の宗務の基本方針案に掲げないと表明。さらに、今後については、各教区の教務所長や寺院の住職がそれぞれ「判断し行うこと」にするとした。

新領解文を巡っては、宗派の教学最高位の勧学と司教で作る有志の会が「誤解と混乱を招く表現がある」などと訴えていた。

 

 

 

 

 

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大丸京都店でチャリティーオークション「芸術家と文化人の作品展」

2024年03月01日 | ニュース

2024/03/01 読売新聞オンライン

ちばてつやさんが寄贈した色紙「あしたのジョー」(左)などが並ぶ会場

 大丸京都店 被災地など支援

 能登半島地震の被災地やウクライナの病院支援のためのチャリティーオークション「芸術家と文化人の作品展」が、大丸京都店(下京区)で開かれている。収益は国際援助団体「日本国際民間協力会」(中京区)に贈られ、現地での活動などに生かされる。

茶道三千家の家元や前家元、漫画家のちばてつやさん、女優の藤原紀香さんら約80人が寄贈した書やイラスト、帯など約120点を展示し、入札を行う。実行委員会の福田菜摘さん(21)は「支援を継続するため、協力してもらえれば」と話す。

4日まで、入場無料。問い合わせは実行委(075・241・0674)。

 

 

 

 

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野球カステラ 私が守る 

2024年03月01日 | ニュース

2024/03/01  読売新聞オンライン

「手焼き煎餅おおたに」で修業中の和田さん(神戸市中央区で)

おおたにの野球カステラ

中旬に独立へ 2児の母 修業乗り越え

バットやグラブなどをかたどった神戸名物「野球カステラ」を作る職人に、神戸市兵庫区の和田絵三子さん(44)がなる。100年以上の歴史があるが、職人の高齢化が進んで店舗数も減っていた。子育てしながらも修業を終えた和田さんは3月中旬、兵庫区内に店舗をオープンする。

野球カステラは、大正期に神戸市の旧居留地で野球が人気だったことから、市内の瓦せんべい店が作り始めたとされる。小麦粉、卵、砂糖、ハチミツなどが原料。グラブは手首のベルト部分のボタン留めがあり、キャッチャーマスクは剣道の面のよう。レトロさも楽しめる。

昭和60年代には市内にある煎餅店50店ほどが扱っていたが、阪神大震災や後継ぎ問題などが原因で、現在は約10店まで減少した。

地元出身の和田さんは幼い頃、祖母とともに東山商店街に行くたびに買ってもらっていたという。しかし2020年末、なじみの店が閉店し、そこはかとない寂しさを感じていた。

その頃、野球カステラを製造、販売する「手焼き煎餅おおたに」(神戸市中央区)で女性が修業していることを耳にした。「自分で神戸の名産を守れたら、こんなにいいことはない」と思い、21年5月に店主の大谷芳弘さん(75)に弟子入りを志願した。

和田さんは夫と6歳の長女と3歳の長男の4人家族。子育てや和菓子店での仕事の合間を縫い、生地の作り方や焼き方を教わった。ほどよい火加減をつかめず、真っ黒に焦がしてしまうことも。大谷さんは「いくらでも失敗したらいい。何回も焼いてコツをつかもう」と見守ってくれた。

 

 店を持つとの気持ちで飛び込んだ世界。腕を磨くのと同時に、開業に向けて道具を集める必要があったが、焼き型やガスバーナーは製造を終えていた。特別に発注すると焼き型一つで10万円。野球カステラの相場は1袋15個入り300円程度で、初期投資のことを考えると、独立を諦めることも脳裏をよぎった。

 

 そんなとき、支援に名乗りを上げたのが、野球カステラ愛好会の志方功一さん(46)。23年11月に神戸煎餅協会と協力し、閉店した店から焼き型やガスバーナーを引き受け、新規店に提供する「焼き型バンク」を始めた。それで集まった道具を和田さんに提供したのだ。

「優しい師匠に出会えたので続けられた」。2月で修業を終えた和田さんは3月13日、兵庫区中道通に「手焼き煎餅えみり堂」を開き、野球カステラや瓦せんべいを製造、販売する予定だ。「不安はあるが、伝統を守っていきたい。私に続く、女性職人も出てきてくれれば」と話した。

 

 

 

 

 

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<お水取り>本行へ 神仏の加護祈る

2024年03月01日 | ニュース

2024/03/01   読売新聞オンライン

松明の炎を前に大中臣祓の作法を行う上野さん(奈良市で)

奈良・東大寺二月堂の 修二会しゅにえ (お水取り)で、本行に臨む僧侶「 練行衆れんぎょうしゅう 」の11人が29日、前行を終えて二月堂近くの参籠宿所に移った。1日からの本行では一日を六つの「時」に分け、堂内で様々な行法を営み、宿所で寝泊まりする。

午後3時過ぎ、練行衆は精進生活を送った境内の戒壇院別火坊を離れ、参籠宿所へ向かった。同6時頃からは、宿所そばで神仏の加護を祈る「 大中臣祓おおなかとみのはらえ 」があり、密教や神道の作法を担う「 咒師しゅし 」の上野周真・真言院住職が 松明たいまつ の炎を前に 祓詞はらえことば を黙読し、 御幣ごへい を振ってその場と練行衆を清めた。

 

 

 

 

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若草伽藍 想定より小規模?

2024年03月01日 | ニュース

2024/03/01 読売新聞オンライン

「若草伽藍」南端の溝とみられる跡(点線部分)などが確認された発掘現場(右奥は法隆寺五重塔)(斑鳩町で)

 

法隆寺発掘調査

 斑鳩町にある法隆寺の若草 伽藍がらん 跡(7世紀前半)で、南端とみられる溝の遺構を初めて確認したと町教委が29日、発表した。溝はこれまでの推定より北側に位置しており、伽藍の規模は想定より小さかった可能性があるという

南端とみられる溝遺構 初確認

 若草伽藍は、聖徳太子が創建したとされ、日本書紀によると、670年に焼失。現在の西院伽藍の南東約200メートルにあり、1939年の発掘調査で金堂跡と塔跡が見つかった。建物の配置は西院伽藍より西に約20度傾いている。

今回の調査で確認された溝は長さ約16メートル、幅約2メートル、深さ約0・5メートル。溝からは、 忍冬唐草文にんどうからくさもん の型を交互に押した瓦の一部や屋根飾りの「 鴟尾しび 」の破片なども見つかった。いずれも伽藍焼失後に溝に捨てられたとみられる。推定していた中門、南門の遺構は見つからなかった。

若草伽藍跡では、北や西の端とみられる塀の柱穴などの遺構は出ていたが、南端は確認されていなかった。伽藍の範囲はこれまでの調査を基に東西150メートル、南北170メートルと推定されてきたが、南端とみられる溝の遺構は、想定より北に約14メートルずれていたという。

小沢毅・三重大教授(考古学)は「若草伽藍は想定より小規模で、南門はなかった可能性が考えられる。溝の中にあった瓦などの状況から、焼失後に不用なものを片づけた後、西院伽藍に移ったことがわかる」と指摘する。

現地説明会は3日午前10時~午後3時。小雨決行。出土した瓦などは同日、町の観光施設「法隆寺iセンター」で展示される。

 

 

 

 

 

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佐藤一斎  桜知らしめた詩的描写

2024年03月01日 | ニュース

2024/02/29  読売新聞オンライン

佐藤一斎自賛画像軸

中央区日本橋にあった岩村藩邸の屋敷内で生まれた佐藤一斎(1772~1859年)は、文化3年(1806年)2月28日、師である林述斎の勧めで、観桜のために徒歩で小金井橋を訪ねる一行に加わりました。

いざ小金井橋の桜を一望すると、 噂うわさ に 違たが わぬ絶景でした。述斎は、弟子たちに、どうしてここまできて黙っているのかと問いかけます。昌平坂学問所の 大学頭だいがくのかみ である述斎が湯島聖堂から一行を率いてきたのは、鑑賞したその場で互いに品評し合い、先生とともに詩を 詠うた い唱和し合うためでした。

 

 一同吟詠に夢中になるひとときがあり、やがて話柄は「墨東」との比較に移ります。小金井橋の桜ははたして隅田川の桜に匹敵し得るのか、述斎は一斎に向かって意見を求めます。今まさに師弟間で優劣問答が始まらんとするとき、「 忽たちま ち一の大樹の前に 竦立しょうりつ するに 遇あ ふ。狂風の●至して、 飄片ひょうへん の 撩乱りょうらん して雨のごとく 下ふ れば、 渾身こんしん は 冷絶れいぜつ す」と、ドラマティックな場面が展開されます。(●は火が三つに「欠」)前回の「文人の武蔵野」でも紹介したこの場面は、劣勢だった小金井桜が「墨東」の桜を超えた瞬間でした。その瞬間を詩的に捉えて江戸の文人たちに知らしめたのが「小金井橋観桜記」(漢文)でした。

 

 承応2年(1653年)、水源が豊富でおいしい武蔵野の水を、江戸市中の人々にもたらすために玉川上水が築かれました。水辺には樹木が植栽されましたが桜樹はありませんでした。その後、元文2年(1737年)の頃に、徳川幕府の新田開発と桜事業の一環として小金井橋に桜が植栽されます。そのときの桜樹はやがて大きくなり見事な花を咲かせますが、それを鑑賞していた人間はごく 僅わず かでした。

「都の花は歌によみ田舎の花は 陰ひそか に 朽くつ と」(古川古松軒)の「田舎の花」だった小金井桜は、時間をかけてその魅力を江戸に伝え、いわば官製の佐藤一斎「小金井橋観桜記」(1806年)において江戸の文人たちの認める「歌」となり、訪れる人の数も激増し、「小金井橋春景」(「江戸名所図会」1834年、1836年)において「名所」になりました。小金井に初めて桜が植えられてから、およそ100年後のことでした。

 

 

 

 

 

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京アニ事件“犠牲の36人の碑” 宇治市の公園に設置へ

2024年03月01日 | ニュース

03月01日 11時35分   京都NHKNEWSWEB

 

「京都アニメーション」のスタジオが放火され、社員36人が死亡した事件で、会社の本社がある京都府宇治市の公園に、事件を伝える碑が設置されることになりました。

 

5年前(2019年)、京都市伏見区の「京都アニメーション」の第1スタジオが放火され、社員36人が亡くなった事件では、殺人などの罪に問われた青葉真司被告にことし1月、京都地方裁判所が死刑判決を言い渡し、青葉被告は控訴しています。

遺族や会社などでつくる団体「志を繋(つな)ぐ会」は、事件や犠牲者の存在などを記憶にとどめる象徴として碑の設置を計画し、会社の本社がある宇治市内での設置を市に求めていました。

これについて、3月1日、京都アニメーションの八田英明 社長と会見を開いた宇治市の松村淳子 市長は、「大変悲痛な事件で忘れてはならない。被害者や家族、会社の方々の気持ちを受け止めたい」と話し、団体から寄贈を受ける形で碑を設置することを明らかにしました。

碑は、亡くなった36人を表す36羽の鳥が羽ばたく様子が表現されたデザインで、京阪宇治駅近くの「お茶と宇治のまち歴史公園」の中に、事件から5年となることし7月18日までの設置を目指すということです。

八田社長は「訪れた人たちが亡くなったクリエーターたちの思いを考える場所になってほしい」と話していました。

 

 

 

 

 

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井手町 小学生と地域の人たちが特産のタケノコ使ってピザ作り

2024年03月01日 | ニュース

03月01日 11時03分  NHKNEWSWEB

井手町の小学生と地域の人たちが、地元の特産品のタケノコを使ったピザを作って交流を深めました。

 

この交流会は、井手町の交流施設、「まちづくりセンター椿坂」で開かれ、2つの小学校の6年生とまちづくり協議会に参加する地域の人たちなどあわせておよそ50人が参加しました。

交流会では、2人1組になって地元で採れたミニトマトやタケノコのほか、チーズやソースなどをピザ生地にトッピングしていきました。

なかには、タケノコをのせないグループもあり、地域の人が「町の特産品で貴重な食材なのだから食べてみてよ」と呼びかけていました。

そして、ピザを焼く手製の窯の中は600度近い高温になっていて、子どもたちは長い柄がついた専用の器具を使って焦げないよう慎重に焼いていました。

井手町は少子高齢化がすすみ、小学校は2校、中学校は1校だけになっていて、地域ぐるみで子どもを育てていこうと、町役場やまちづくり協議会が定期的に野菜の収穫などの自然体験を行っています。

参加した井手小学校の児童は「火が熱くてびっくりしたけど、体験させてもらえてよかったです」と話していました。

多賀小学校の児童は「学校では6年生の男子は自分1人なので、たくさんの同級生と交流できて地域の人とも話せてうれしいです」と話していました。

 

 

 

 

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滋賀 長浜 26年連続飛来のオオワシ北へ飛び立つ

2024年03月01日 | ニュース

03月01日 07時04分 滋賀NHKNEWSWEB

冬を越すために滋賀県長浜市に26年連続で飛来していた国の天然記念物の「オオワシ」が3か月半の越冬を終えて、繁殖地となる北の方角に向かって飛び立ったことが確認されました。

 

オオワシは、翼を広げると2メートル50センチほどになる大型のワシで、非常に限られた範囲に生息し、国の天然記念物のほか絶滅危惧種に指定されています。

長浜市の山本山では、「山本山のおばあちゃん」の愛称で親しまれている雌のオオワシが毎年、冬を越していて、去年11月に26年連続で飛来したことが確認されました。

観察を続けてきた長浜市の湖北野鳥センターによりますと、このオオワシは2月29日午前10時半ごろ、北の方角に向けて山本山を飛び立ったということです。

繁殖地となるオホーツク海沿岸に戻るとみられています。

今シーズン、オオワシは105日にわたって山本山で過ごし、滞在日数の最長タイ記録だということです。

湖北野鳥センターの植田潤所長は「北に帰るのは寂しいですが、来シーズンも元気な姿を見せてくれることを信じて待ちたいと思います」と話しています。

 

 

 

 

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「天空の城」竹田城跡で山開き 朝来

2024年03月01日 | ニュース

03月01日 13時55分 兵庫NHKNEWSWEB

「天空の城」と呼ばれ親しまれている朝来市の国の史跡・竹田城跡で、今シーズンの山開きが行われ、登山者らが山頂にそびえる石垣の壮大な景観を楽しみました。

 

朝来市和田山町の竹田城跡は、標高およそ350メートルの山頂に、400年以上前に築かれた石垣がほぼそのままの状態で残る国内屈指の規模の山城で、朝霧に包まれると雲の上に浮かぶように見えることから「天空の城」と呼ばれ親しまれています。

冬の間は、積雪や路面の凍結による事故の防止のため、入山が規制されていましたが、3月1日午前8時に、城主にふんした藤岡市長のかけ声で登山口の門が開き、待ちわびた登山者は歩いて山頂を目指しました。

山頂に到着した登山者は、雨が降るなか傘を差してゆっくり散策し、石垣が作り出す壮大な景観を写真に収めたり天守台からの眺めを楽しんだりしていました。

朝来市によりますと、ブームになったおよそ10年前と比べると訪れる人の数は落ち着いていますが、四季折々の景色を楽しもうというリピーターが多いほか、石垣がつくり出す美しい景観が写真映えするとして若い世代だけでなく外国人観光客にも人気だということです。

神戸市から訪れた男子大学生は、「景色がすごくよく、石垣の形がそのまま残っているので感動しました。パワーをもらいました」と話していました。

 

 

 

 

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国内で約1世紀ぶり“新属”の植物を発見 神戸大大学院教授ら

2024年03月01日 | ニュース

03月01日 13時33分  兵庫NHKNEWSWEB

 

キノコのようにも見える奇妙な花を付けた植物が鹿児島県で見つかり、新種というだけでなく、種の上位にあたる「属」のレベルでもまったく新しいものであることがわかりました。

専門家は「日本の植物研究の歴史で、1世紀ぶりとも言える快挙だ」と話しています。

 

神戸大学大学院の末次健司教授らの研究グループによりますと、おととし(2022年)、鹿児島県の大隅半島の山中でキノコのようにも見える直径1.5センチメートルほどの奇妙な形の花を付けた植物が見つかりました。

 

光合成をしないことで知られるユニークな植物「タヌキノショクダイ」に似ていましたが、詳しく調べたところ、▼花がヒトデのように放射状に広がっていることや、▼花の中で6つの雄しべが1本ずつ垂れ下がって雌しべと接しているなど、異なる点が確認されました。

DNAの解析でも遺伝的に大きな差が見られ、この植物は新種というだけでなく、種の上位にあたる「属」と呼ばれるレベルでもまったく新しいものであることがわかりました。

この植物は大部分が地中に埋まっていることから、研究グループは地下を住みかとするアナグマ=ムジナにちなんで「ムジナノショクダイ」と命名し専門誌に発表しました。

 

国内で新たに見つかった植物が新種だけでなく新属として発表されたのは1930年以来、およそ1世紀ぶりということで、末次教授は「植物の調査が世界的にも進んでいる日本で新属・新種が見つかることは非常にまれで、奇跡に近い。日本の植物研究で歴史的な快挙と言える」話していました。

 

 

 

 

 

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自転車の男性はねられ死亡 危険運転致死傷の罪で元会社員起訴

2024年03月01日 | 事  件

02月29日 21時22分  兵庫NHKNEWSWEB

 

去年(令和5年)9月、尼崎市で自転車の男性が車にはねられ死亡した事件で、検察は2月29日、病気の影響で正常な運転ができないおそれがある状態で車を運転していたなどとして44歳の元会社員を危険運転致死傷の罪で起訴しました。

 

起訴されたのは、京都府舞鶴市の元会社員、眞下勝成被告(44)です。

起訴状などによりますと、被告は、去年9月、尼崎市の市道で、病気の影響で正常な運転ができないおそれがある状態で軽乗用車を運転し、自転車に乗っていた当時62歳の男性をはねて死亡させたなどとして、危険運転致死傷の罪に問われています。

これまでの警察の捜査によりますと、信号待ちの車列を避けるようにして対向車線にはみ出した際に、前から来た自転車の男性をはね、その前後にも複数の追突事故を起こしていたということです。

検察は去年10月から被告の責任能力を調べるための「鑑定留置」を行ってきましたが、専門家による精神鑑定の結果などを踏まえ、29日、起訴しました。

認否については明らかにしていません。

 

 

 

 

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香芝 女性に不同意わいせつの疑い 大阪府警の警部補逮捕

2024年03月01日 | 事  件

02月29日 20時23分  奈良NHKNEWSWEB

大阪府警の平野警察署に勤務する51歳の警部補が、奈良県香芝市の路上で女性の胸を触ったとして、逮捕されました。

警察の調べに対し「わいせつ行為はしていない」と容疑を否認しているということです。

 

逮捕されたのは大阪・平野警察署の地域課の警部補で奈良県上牧町に住む壽川和弘容疑者(51)です。

去年11月、奈良県香芝市内の路上で、歩いて帰宅していた20代の女性の胸を触った不同意わいせつの疑いが持たれています。

県警察本部によりますと、警部補は原付きバイクに乗り、女性に道を尋ねるふりをして声をかけ、女性が立ち止まった際に胸を触ってそのままバイクで逃げたということです。

警察の調べに対し、警部補は「わいせつな行為はしていない」と容疑を否認しているということです。

警察は防犯カメラの映像などをもとに捜査を進めたところ、警部補とみられる人物が写っていたということで、詳しいいきさつなどを調べています。 

 

 

 

 

 

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明日香村の石神遺跡で7世紀前半の大きな塀の跡見つかる

2024年03月01日 | ニュース

03月01日 14時46分  奈良NHKNEWSWEB

飛鳥時代に外国からの賓客などをもてなす施設があったといわれる明日香村の石神遺跡で、7世紀前半の大きな塀の跡が見つかりました。

施設を区画していた塀の隅の部分とみられ、調査にあたった奈良文化財研究所は、当時からこの一帯に重要な施設があったことを示す成果だとしています。

 

明日香村の石神遺跡は、飛鳥時代の遺跡で7世紀中ごろの斉明天皇の時代を中心に、海外から訪れた賓客などをもてなす施設があったと考えられています。

奈良文化財研究所が去年(令和5年)12月から遺跡の南部を発掘したところ、それより前の時代の7世紀前半のものとみられる四角の形をした柱の穴が合わせて5つ見つかりました。

柱の穴は1辺の長さと深さが1メートル30センチと規模が大きく、北と西の方向に直線的に並んでいることから、施設を区画していた大きな塀の隅の部分ではないかとみられています。

このうち、西側は、これまでの調査結果とあわせると塀の長さは100メートル以上になるということです。

柱の穴の近くには、以前の調査で見つかった幅1メートルほどの石組みの水路もあり、当時からこの一帯に天皇の宮殿や役所など重要な施設があったと考えられるということです。

奈良文化財研究所の箱崎和久 部長は、「石神遺跡の全体像を知るうえで重要な成果だ」と話しています。

今回の調査成果について、2日、現地で見学会が行われます。

 

 

 

 

 

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