半農半X?土のある農的生活を求めて

「生きることは生活すること」をモットーに都会から田舎へ移り住み、農村の魅力を満喫しながら、日々、人生を楽しく耕しています

やっぱり野菜は美味だった♪

2011年11月30日 | 自分の時間
無農薬野菜のネット通販会社に勤めてちょうど2年で、次の道へ進むこととなりました。

東京でバリバリ働く道から、地元に戻り、ご縁があって入社できたところでしたが、当時の自分の希望に合う会社でした。

当時、私が送ったメールにご返信を頂き、お会い頂いた社長に改めて感謝します。


そして、スタッフもみんな本当に良い人でした。

ビジネスの最前線で、事業の存続と発展、お客さんの存続と発展にかける仕事をしている世界とは違って、その人その人の人柄が出ている職場というのは、なんともアットホームでした。

目標、仕事というのは、その人の持っている素敵な素質を、時に隠してしまい、「仕事」「立場」「役割」などに応じた行動をとるようにしてしまうものです。

そういったことがほとんど感じられない職場というのは、その人その人の素のままでコミュニケーションがとれる気持ちの良い場でした。

そんな職場を離れるのは大変さみしいものではありますが、そのまま居続けるという選択も無く、「流れ」にのって判断をしました。


そして、いろいろ知り合えた農家さんには、本当に勉強をさせてもらえました。

特に、今朝、改めて気づいたことがあります。


それは、やっぱり有機農家さんが作っている野菜は美味いということ

たまたま朝の味噌汁の大根が「昔懐かしの苦い大根」だったのです。

「これって、どこの大根?苦くない?」と妻に聞くと、案の定、ご近所さんからもらった大根でした。


私が子供のころ、大根は嫌いでした。だって、苦かったから。


でも、最近の大根は本当に甘くて、みずみずしくて美味しいです。

それは、自分が大人になったから、ということもあるでしょうが、改めて、今朝、いつも食べている有機農家の農家さんの大根ではない大根を食べてみて「苦い。美味しく無い。。。」ということを明確に気づきました。


逆に言えば、この2年間、当たり前に食べてきた野菜が、いかに普通の食卓にのっているスーパーや大手流通を介した野菜と比べて美味しかったのか、改めて気づく機会になりました。


やっぱり、美味しい野菜を作ろうと思って作っている農家さんの野菜は、決定的に味が違うんですね。


ほとんどそういったことを意識せずに暮らしてきましたが、改めて、そういったことに気づけた日になりました。


そして、これからの活動は、すでに始まっています。

HPも作り、放射能勉強会などをやっています。そして、12月は味噌つくり、来年春は田植え、稲刈りイベントをやっていくことが決まっています。

地域のやくにたつこと、農村と近隣都市部の住民の交流ができること、そして、自分も満足ができることをやっていきたいと思います。


こちらが私のHPです→みんなの農村ネットワーク

お時間があるときにでも見に来てください。で、よければ左下の「いいね!」ボタンを押してください。


ではでは。
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ボジョレー 美味♪

2011年11月29日 | 食べもの
ようやくボジョレー・ヌヴォー飲みました

来月、成田で味噌つくりの講師をお願いする神崎町の神山酒店さんで買ったワインです。

味噌作りをお願いすることもあり、9月ぐらいから足繁く通っており、寺田本家の日本酒は必ずここで買っています。
そして、この前お伺いした時に、先週売れ残り?かわかりませんが、ボジョレー・ヌヴォーが10本ぐらいおいてあったので、1本買わせて頂きました。「行きつけの店」で買うこと自体、楽しいことですしね。

ただ、私はボジョレー・ヌヴォーはあんまり美味しいとは思っていませんでした。何か薄い感じがして

でも、これは当りでした

普通の大手のボジョレー・ヌヴォーですが、奥さんが風邪を引いて、1週間近くお預け状態だったこともあるのですが、舌に踊るピリリとした酸味がたまらなく、ついつい飲みすぎてしまいました

ここ最近は、寺田さんの日本酒ばかりでしたが、やっぱりワインも美味しいですね
そして、神山さんのところのワインだから美味だったのじゃないか、と勝手に満足しています。

また買いに行こうっと
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本;ランドラッシュ 激化する世界農地争奪戦

2011年11月28日 | 素敵な本
久々に農業関係の本を読みました。これは「当り」の本でした。

去年の2月にNHKスペシャルで放送された内容を、その担当者が改めて本にまとめなおした本です。

このNHKスペシャルの内容は、「月刊農業経営者」で出てきたので、なんとなく知っていましたが、番組は見ていなかったので、あまり知りませんでした。

本を読んでみて、なるほど、これは凄く良い内容だ、と思いました。

アマゾンでも売っています→


何がよいか。

1:地に足をついて取材をしているので、非常にリアリティーがある

2:取材対象が豊富。青森からウクライナへ飛んでいる木村さんという農家から、日本の官僚、搾取される土地の住民と搾取する側の資本家まで、よくぞここまで頑張ったな、と思えるほど取材している

3:構成が良い。特に後半のまとめ方、そして最後の木村さんの言葉が、単に「搾取する資本家、国はひどい!」といった批判で終わることなく、メッセージ性がある

ということで、非常に面白い本でした。

 世界の農産物、特に穀物と言われるトウモロコシ、大豆、小麦などは、モンサント社やシンジェンタやカーギルなどの穀物メジャーが牛耳っています。

 ところが、2008年に小麦などの穀物の価格が上がった「食料危機」が世界をかけめぐりました。

 バイオ燃料や局所的な天候不順(干ばつや豪雨など)により、世界の食料が、「穀物メジャー」と言われる5社ではコントロールできないことが露呈され、世界各国が自国の「食料安全保障」について本気で動き出すきっかけを与えた年だったそうです。

 ロシアから見捨てられた地域であるものの、数十年も放置されていたおかげで、化学肥料などの害も無く、世界最高の肥沃な大地が広がると言われているウクライナでは、山手線で囲まれた土地ぐらいの広さを、次々と韓国やニュージーランドなどの企業がただ同然の価格で買いしめ、地元住民を労働者としながら、安価で大量の穀物を作り初めています。

 ウクライナだけでなく、アフリカ諸国でも「土地は外国から資本を呼び込む資源」という位置づけで、国の農地の1/4を提供するなど、双方の思惑で土地をめぐる動きは盛んです。

 投資対象となる、収益になる、という視点で大量に土地を確保し、24時間の3勤交代製で土地を開墾するインド人。どんなものでも売りさばける力を持ち、各国の農場を跋扈する中国人ブローカー。


 豊かな大地は、各国の資本家によりモノカルチャー(単一作物)で覆われます。

 この規模は、見たことが無い日本人では想像がつかないレベルです。


 私は、たまたまマレーでパームオイル「パームヤシ」の森に行ったことがありますが、車で行けども行けども、地平線には「パームヤシ」だけが映え続けている、異様な風景が続いていました。30分、1時間走っても、パールヤシ以外の木は生えていないのです。

 そこは、マレーの資本家が経営し、従業員は劣悪な環境でインドネシア人が雇われている、という、「搾取」と「搾取される側」の関係が、露骨に分かりやすくありました。

 そして、20年~30年、パームヤシが老いてきたら、その広大な森は、一気に燃やされます。日本の焼畑農業とは次元が違います。そして、またそこにパームヤシが植えられるのです。


 世界の穀物生産は、こういった次元でされています。日本で「農業の生産性を向上」という話は、穀物に関して言えば、土台議論することが無意味なほどの規模で行われいるんです。

 そして、「経済作物」である穀物に価値が今まで以上あると判断した各国は、国をあげて「残された土地」の争奪戦を激しく行っています。まるで、かつてヨーロッパの人々が、世界各国を「発見」し、属国にしていったように。


 よく韓国に対して、日本がFTAを結ぶとか、あるいはお手本にしないといけない、とか話があります。
 アメリカを始め各国とFTAを結んでいる韓国は、そもそも国土や産業を「選択と集中」そし、多くの産業や農業を放棄した国です。農地を放棄し、貿易立国として勝負に出ている国です。ウクライナで大量の農地を囲っていますが、それは国のバックアップがあってです。
 かつて、国として経済破綻し、国が公然と企業を財閥化し、その財閥上がりの人物が大統領をしながら今も破綻目前の韓国。
そんな前提が全く違う隣国を参考にする動きは、まだまだ続きます。

 1年か2年前か忘れましたが、何かの雑誌に大前研一が「日本国内でちまちまやっていても無意味。アフリカやウクライナなどで土地を確保しないと世界の競争に乗り遅れる」という文を書いていました。

  グローバルな経済戦争をしている現代では、やり方はさておき、日本も「食糧の安全保障」の観点から、そうした「残された大地」を官民あげて争奪していくべきなのでしょう。
 
 
 でも、本当にそういった競争に参画するべきなのでしょうか?


 本に書いてありましたが、こういったランドラッシュに対する規制策を日本の外務省が作り、国際会議で「不合理に土地を奪うことなく、土地の住民などときちんと話し合っていくべき」という合意を取り付けたそうです。
 
 これは外務省として「成果」だったはずが、これに対して、国連の報告官が「そもそも、モノカルチャーの経済最優先の農業の在り方」を批判し、「それを進める規制策」を批判しました。

 その文章の中にこういったものがありました。

「これまでの農業開発は、大規模化した資本投入型の農業を推進し、地域に食糧を提供してきた小規模生産者への対応をおざなりにしてきた。小規模生産者は、農業の多様性、生物多様性の維持に貢献し、農村に価格変動や気候変動への抵抗力を与え、環境保全にも役立っている」


 その通りだと思います。

 合理的に、経済的に考えれば、アメリカや穀物メジャーなどが唱えた「世界分業体制」を「食料」にも当てはめ、「各国が得意な農産物を作り、他国が安く作れるものはそれを輸入すればよい」という論理が通じるのでしょう。

 でも、そこには「我が社が儲かるのか?」「わが国が一番儲かるのか?」「わが国が一番食料安全保障が担保されるのか?」といった前提をもった企業、国があるのですよね。

 「穀物メジャーの力は衰え、これからはアジアの時代になる」と判断し、跋扈するインド、韓国、中国などの企業、あるいは国々。

 インド、中国なども人口増から来る食料問題に危機感を持ちながら動いています。


 そこに、アジアの最東の島国で、国内市場ではもはや経済成長はなかなか見込めない、超高齢化が進み人口が減っていく、そして何よりも国土が狭く平地がほとんど無い日本が、わざわざ「農産物」のためのランドラッシュに参画する意味はどれだけあるのでしょうか?


 国連の報告官の言うとおり、農村の小規模生産者は、少量多品種の生産が出来ます。農業の多様性を持ち、生物多様性の維持だけでなく、価格変動や気候変動への抵抗力があります。環境保全はもちろん、食料の安全保障にもなります。


 日清食品や山崎パンなどの大手の商品を食べるのが当たり前になっている今の日本では、多数決をとれば、当然「外国の安いもの」を選ぶでしょう。

 でも、イメージしてみましょうよ。

 田舎のおじいさん、おばあさん、家族が村で自給が出来る程度に野菜や牛、豚を飼い暮らしていました。
 そこに、外国の資本がやってきて、土地をかっさらい、その家族は行くあてもなくなりました。
 その地域で、外国の企業が小麦や大豆を大量に作り、世界へ売りさばきます。
 かつて、その土地で貧しくも心は豊かに暮らしていた家族は路頭に迷い、食べるものも無く飢餓で苦しみ、死んでいくようになります。
 その国の土地で、大量に食物が作られているのにも関わらず、その食物はその国の人は食べれず、外国に運ばれ、変わりに、国連などが「飢餓と貧困」にあえいでいる住民へ「食料援助」をしているのです。

 こんなことが、もう何十年も続いているのですが、それが更にスピードを増しているのです。
 そして、その食料が、穀物メジャーや商社を通じて、日本の大手食品製造会社の原材料として仕入れられているのです。それがあるから、「国産よりも安い価格」で色々なものが安くわれわれは買えるんです。

 それが本当に「嬉しいこと」なんでしょうか?


 この本の最後に、青森の農家の木村さんが言っていた言葉が印象に残ります。

 「海外から大量の食べ物を取り寄せ、その半分を捨てている日本。飢餓であえでいる人のことなどイメージすらできず、勝手なことばっかりやっている国民だから、いずれ世界から見捨てられる日がくるよ。食べ物の恨みは恐ろしいんだから」

 
 私もたまに外食をするから、「外国の安いもの」が生活に入っています。

 でも、出来るだけ、日本のもの、地域のものを買うというのは、本当の意味での「食料安全保障」であり、それは、世界各国の安いものを買い集める活動にYESなのかNOなのか、自分で選択する、ということなんですよね。

 農家さんの半分以上があと5年から10年で農家を止めてしまう日本。そして、TPPも始まるでしょう。
 でも、そういったところが一歩身を引いて、顔が見える農家さんの小麦や大豆を使ってパンや豆腐をつくっている商店、あるいは野菜を買うということは、「買い支える」というおこがましい姿勢ではなく、「共に生きていく」という考え方を持った生き方を送ることなんでしょう。

 そういった人達が日本では増えてきていることを常に実感しています。


 ランドラッシュ、今のタイミングで、非常に良い本に出会えました。

 
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田植え・稲刈り、そば作りなどの企画・参加したい人、募集中!

2011年11月24日 | 農的体験・生活
ある人のご紹介で知り合った根本さんという農家さんがいます。

下総町という成田から車で30分ほど銚子方面(佐原方面)に向ったところにある町で、小学校や子ども会など地域の子供達を交えた様々な農業イベントを行っている方です。「美しい地域、農業の素晴らしさを伝えていきたい」という思いは並々ならぬものです。


先日、お忙しいところ、夜19時から2時間ほど、色々お話をお聞き意気投合し、今度は明るい内に、田んぼを見せていただけるようお願いをしていました。
→先日のブログ

そして月曜日に「月のとうふ」さんのインタビューに行った後、立ち寄らせて頂き田んぼを見させて頂きました

50ほどの家々で構成されている小浮(こぶけ)地区。

整備事業で、1枚の田んぼは、普通の3倍ほどの大きさに整備されています。
もちろん、水路もきっちり敷かれています。

田んぼをやるにはもってこいの条件です。

しかし、耕作放棄地があり、その解決に助成金を使いながらも、根本さんを初めとした地域の人は奮闘しています。


根本さんとしては、田んぼをオーナー制度でやってもらったり、耕してくれる人、田植えをしている人を求めています

地域の人だけで管理するのには限界があるからです。

そして、やはり、経済がまわるよう、地域外からのお客さんに来て頂きたいのです。


「そういった話があればいいんだけど」というのが本音。


だからこそ、私も何かこのご縁を活かしたいと思っています。


そこで


・MY田んぼを持ちたい人
・自分のお米を作ってみたい人
・大豆、黒大豆、そばを作ってみたい人
・子供とそういった体験の場が欲しい人



などなど、関心がある人がいれば、個人でもグループでも良いので、是非ご連絡ください
もし、そういった人がいれば、是非ご紹介ください

根本さんの田んぼで現在作っているのは、無農薬栽培で

・お米、もち米
・大豆、黒大豆
・そば


です。

◆お米について
 通常のお米は、コンバインという機械で一気に刈り取りと脱穀を同時にし、乾燥機で乾かしたものです。
一方、昔は稲刈りをした後、天日干しを1週間~10日間ぐらいして、それから脱穀して、籾摺りします。

渋谷東急で売られている(いた?)日本一高いお米が、何故高いか?その理由の1つは天日干しをしているから。

理屈では、天日で稲の状態で干している間に栄養を子孫に溜め込もうと、米の部分に栄養やエネルギーが集まって美味しくなる、と言われているからです。稲を刈ると同時に籾を脱穀してしまう機械作業とは違う味が出る、と言われています。


もちろん、この理屈は実際のところはわかりません。それより、みんなで手で刈り、みんなで天日干しした「体験・苦労」があるからこそ、美味しいお米が更に美味しく感じるのだと思います。

「自分で毎年米を作る」という経験を積むことは、親にとっても子供にとっても本当の「食育」になりますしね
ちなみに「もち米」の収穫は11月ぐらいになります。

★5月のGW→田植え
★6月~8月→時間がある人は草刈りに
★9月→収穫





ザリガニ、タニシ、オケラ、おたまじゃくし、カエル、アメンボ、トンボなど、田んぼは虫の宝庫
虫がいるということは、シラサギ、青サギなどの鳥もたっくさん来ます。

自然観察にも、もってこいですね


◆大豆について
 国産の無農薬の大豆、というだけで普通じゃ買えない(買わない)値段になってしまう悲しい現実があります。
だったら、お米と同様に作っちゃえばいい大豆は脱穀が大変なだけで、栽培はかんたんです

ちなみに自給自足の話では、よく「米と大豆があれば生きていける」と言われます。
炭水化物の米にたんぱく質の大豆があれば、生きていける、ということです。


それだけでなく、大豆があれば、味噌や醤油が作れます。

大豆があれば、黄な粉も作れます。自分で大豆を煎ってミルで挽いてみて下さい。「黄な粉って、砂糖を入れなくてもこんなに甘いんだ」とびっくりしますよ

最近では、生の大豆で豆乳が作れちゃう機会が売られているぐらいですから、大豆があれば、毎日出来たての超美味しい豆乳が飲めます。

もちろん、黒豆も作れますよ

★5月→夏の枝豆用の早生種の種蒔き
★6月→普通の大豆の種まき
★8月→夏の枝豆収穫
★10月→大豆になる前の枝豆収穫
★11月→大豆の収穫
★1月~2月→味噌作り


枝豆は、「枝についている豆」だから枝豆と言います。枝ごと収穫して、茹でる直前に枝から鞘を外して食べたら、超美味ですよ


◆そばについて
 根本さんはそばも作っています。
 自分達で育てたそばで、そばを打って食べるなんて、夢のような話じゃありませんか
 8~9月に種をまいて、11~12月に脱穀、製粉ができます
 つまり、年越しそばは、自分が作ったそば粉で打てる
 しかも、根本さんはそば打ちをして地域の人に振舞っている人。根本さんにそば打ちを教えてもらいましょう

★8月下旬~9月上旬→種まき
★11月→収穫
★12月→そば打ち



ちなみに、「栽培」は来年の話ですが、今年収穫したもので「味噌作り」や「そば打ち」は出来ますよ

成田駅から2駅東にいった「滑川(なめかわ)駅」からすぐ。
車でいくと成田ICから30分です。

ご関心ある方は、ご気軽に info@minson.jp までメール下さい

我が家は個人的にやるので、1家族でも着てくれたら嬉しいです。
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神崎 月のとうふの周浦さん

2011年11月22日 | 素敵な人・友人との時間
月曜日、神崎町でお豆腐屋をやられている「月のとうふ」の店主、周浦さんのインタビューに行ってきました。

自分のHPに成田周辺の農家さんや日本文化を伝える食品を作っているみなさんを紹介するページを追加しようとしています。

その流れで、アポを取って取材に行ってきたのでした。


ちなみに「月のとうふ」さんは、知る人ぞ知る豆腐屋さんです。
神崎町は寺田本家さんが有名ですが、ここ2年でオープンした月のとうふさん、福ちゃんパンが出てきたことにより、すんごく活気付いています。

そして「月のとうふ」の豆腐は美味い
地場大豆を使っているため、輸入大豆やふくゆたかという大豆を使っている豆腐より、なんだか甘く、ぷりんぷりんしています

成田の中心にあるボンベルダ百貨店でたまに催事で販売されたり、あるいは千葉市美浜区にある「アースマーケットプレイス」さんでも扱っています。

なので、神崎町から車で40分以上離れた成田の人でも知っている人はわざわざ買いに行きますし、幕張に住んでいる人が知っていたり、と知られているんです。


そんな周浦さんが月の豆腐を神崎町でオープンしたのは、一昨年の9月。

それまでは、会社員務めをずっとしていたのですが、体を壊し、1年ぐらい入退院を繰り返していたそうです。

それまでは外食ばかりだったそうですが、病気をきっかけに自炊をしたり、自然食品店などで買い物をしたり、勉強したりと「食」に目覚めていったそうです。

そういった生活を続ける中で、それまで続けていた仕事をそれほど面白いとは思っていなかったそうですが、病気をきかっけに「今の仕事は自分にあわない」ということを明確に意識するようになり、食に関わる仕事をしたいと考えたそうです。

その候補が「そば屋」「パン屋」そして「豆腐屋」だったそうです。


そば屋は、夜もお店を開かなくてはいけなく、お日様と共に生活をしたいと思っていた考えに合わないので選びませんでした。

パン屋は、天然酵母パンの店もたくさんあり、大手も強く、競争が激しいため参入する市場ではないと判断しました。

残ったのが豆腐屋さん。


以前、寺田本家さんの「お蔵フェスタ」で知りあった方から池袋にある「大桃豆腐」をご紹介いただき、そこで2年修行したそうです。

その後、週1回、大桃豆腐さんのお店がお休みの日に、お店を使わせて頂き豆腐を作り、神崎町の喫茶店「ゆうゆう」、「神山酒店」さんなどでテスト販売をしていきました。

それが好評だったこともあり、お店をオープンすることになったそうです。


ちなみに奥さんは、大桃豆腐さんのお客さんで、池袋の「たまTUKI(たまにはTUKIでも眺めましょ)」での飲み友達でもあったそうです。


さて、面白いのが周浦さんは「豆腐は好きじゃなかった」ということ。

「昔、僕達が食べていた豆腐って美味しくなかったですよね?」

といわれ、確かに自分が小さい頃の豆腐は美味しくなかったことを思い出しました。


私も豆腐業界に少しタッチしていたこともあります。なので、豆乳の濃度を極力薄めて大豆の原材料費を落とし、グルコノデルタラクトンという凝固剤で固めた、あの何か酸っぱい感じの、舌の上でねちゃねちゃする美味しくない豆腐が、「豆腐嫌い」を生んでいると言われれば、そうだな~と思います。

なんだか、野菜と同じだね。。。


周浦さんのお話では「美味しい豆腐を豆腐屋さんが作り続けていたら、これほど豆腐業界は減っていかなかったかも」とのこと。


確かに。


私達が子供の頃、スーパーが全盛を迎えた頃、それぞれの味を出してきた商店の豆腐屋さんに、豆腐をおろしてくれるようスーパーから依頼があったそうです。もう作れば作るほど売れたそうで、その波にのった豆腐屋さんは、かなりの財を築いたそうです。

そして、大量生産の食品ばかりを食べていたから、私達の舌はおとろえ、そして何より美味しくないものを作ってきたがゆえに、お客さんがその商品から離れていった。。。これは豆腐業界に限らず、食品業界全てに当てはまる現象なんでしょうね。


月のとうふさんの豆腐が美味しいのは、「美味しいものを作りたい」という純粋な想いがある周浦さんが、美味しい地場大豆を使って作っているから。「豆腐の味はほとんど大豆で決まりますよ」と周浦さんは言います。

そして、ふと、今の私の周りには美味しいものが溢れているな~。


月のとうふさんのとうふ、自分の手作り味噌、寺田さんの酒、農家さんのとれたて野菜・・・生産と消費の場が顔が見える範囲、目が届く範囲であれば、美味しいものばかり

そして、そういった地域の小さな経済は、商店主が生きていける程度にはきちんと周るんですよね。

話が脱線しましたが、「普通のビジネスマンの感覚」「食品に対する知識と意識」がある人が、豆腐屋をやるとこうなるんだ、というのが周浦さんの月のとうふなんでしょうね。


周浦さんは「神崎町に納豆屋も欲しい」といいます。


町に1つ1つ、少し前に当たり前にあった商店が復活して行く流れ、本当に素晴らしいと思います。

美味しいものをちゃんと作れば、お客さんがつく時代になった、そういった地域が出てきた、ということなんですよね。


「月のとうふ」、一度食べてみたい人は、宅急便で送りますよ

1丁200円ですが、東京で買ったら300円台で売っている豆腐レベルです。

リピーターがつくのもわかります。

もちろん、みなさんの地元に美味しい豆腐屋さんがあれば、やっぱり地元のものを買うのが一番だと思いますよ。

そういった「時代意識」を持った人が年々増えていると感じます。


ともあれ、神崎方面にお越しの方は、是非「月のとうふ」にお立ち寄り下さい


P・S 普通に食べた方が美味しいのですが、奥さんが月のとうふさんの豆乳で「具だくさん豆乳スープ」と、「とうふの塩麹漬け」を作ってくれました。もちろん絶品でした

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俳優:永島敏行さんとの交流

2011年11月21日 | 自分の時間
日曜日、「成田産業まつり」という農商工連携のお祭りがありました。

そこで、俳優の永島敏行さんを交えた懇談会に出席しました。


永島敏行さんは、俳優業だけでなく、農業にも詳しい方です。

18年前から秋田県で米作りをはじめ、今は千葉県の出身ということもあり、成田市で子供達と田植え・稲刈りイベントをやっています。

東京では「青空市場」というマーケットを開催し、ご自身でも東京で直売所を経営しており、引き売りもしているそうです。

NHKの日曜日、朝6:15からやる「食べ物一直線」の司会も務めている農業に詳しい俳優さんです。


で、永島敏行さんは成田市の「農業大使」も務めています。

その流れで、毎年、田植え・稲刈りのイベントだけでなく、講演会などもやっており、来年の1月22日(日)12:30~15:30、成田市役所で永島敏行さんが講演会をします。

そして、なぜかその講演会の後の永島さんとの「パネルディスカッション」に、私が「パネラー」として参加することになっております。


「農村と消費者をつなぐネットワークを作りたい」という思いや妄想は無限に広がるものの、そう簡単なことではありません。
実際、放射能勉強会、手作りみそ教室、収穫体験の3本しか企画のうち、放射能勉強会しかまだやっていないし、来年も耕作放棄地の開墾とか田んぼのトラストとかを考えている段階の私が、JAの大御所の皆さんや永島敏行さんとパネルディスカッションだなんて、大丈夫かな?と思っています。


ただ、今回の顔合わせを兼ねた「懇談会」で、永島さんが農業のことを良くわかっていて、ご自身でマーケットや直売店を経営されていて、また視点が鋭いことを知りました。恐らく、経営者としても成功するタイプです。

また、私は、有機農業の農家さんとの交流しかもったことがなかったので、JAの中でもやる気のある皆さんの発言を聞けて、大変刺激を受けました。


普通では参加できない場に参加させて頂いたこと、ただただ感謝です。


今回の永島敏行さんの講演会のご縁が、何にどう繋がるかわかりませんが、与えられた役はきっちり果たしたいと思います。






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みんなの家チャオ 寿LIVE

2011年11月20日 | 素敵な空間・イベント
土曜日の午後、ピースボートの頃の友達が、家族と一緒にやっているみんなの家チャオの5周年記念イベントに行ってきました。


実は、私もほとんど知らなかったのですが、初めて行って、とても感動しました。


「みんなの家チャオ」では、身体障害者とその家族、地域の人達が交流するスペースを提供しています。

友人のお父さん・お母さんが自宅を改造して始めたそうで、友人も一緒にやっています。


そして、今回の5周年記念イベントとして、「寿(ことぶき)」という2人組みのユニットを呼んで、LIVEが開催されたのです。


寿は、ピースボートにも乗っていた2人組みのユニット。今年の2月に、成田の古民家レストラン風楽(ふら)で開催されたLIVEでも会ったばかり。(→詳しくはコチラ

いつもパワフルで心温まる歌を歌う2人組みです。


で、実は、ボーカルのナビィは、かつて「1分間のイイ話」にも出たことがあります。
それは、結婚したばかりの旦那が病気で身体障害者になってしまったからです。その時に唄ったのが「前へ向いて歩こう」という「上へ向いて歩こう」の替え歌。


前を向いて歩こう
涙がこぼれてもいいじゃないか
泣きながら歩く
ひとりぼっちじゃなかった夜

幸せは空の上には ないよ!
幸せは胸の中に 肝(チム)の奥に

思い出す愛する人を
ひとりぼっちじゃなかった夜



だから、この「みんなの家チャオ」にも、ぴったり来るアーティストであり、曲なんです。


会場は、大盛り上がり

身体に障害を持っていようとそんなのは関係なく、心に響く歌は、こんなに人の心を揺さぶるのか、と超感動しました。

そして、地域のために、人の為に活動している友人家族のこと、今までほとんど知りませんでしたが、「あ~、凄いな~。素敵だな~」と尊敬すると共に「こういった生き方を自分もしたいな~」と心から思いました。


TVや雑誌などで取り上げられていなくとも、その地域に根ざし、愛され、活動をしている人は世の中にたくさんいるんですよね。

そして、そういった存在の1人に自分もなりたいし、そういった人達を応援できる力も欲しいと思ったイベントになりました。


誘ってくれて、ありがとう
参加させてもらえてありがとう

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放射能勉強会、しました

2011年11月19日 | 自分の時間
放射能勉強会の1回目を開催しました。

生後1ヶ月の赤ちゃんを連れたママさん、2歳と4歳の子供連れなど「小さな子供」を連れた奥様が多かったです。

うちの奥さんが子供の面倒をみる「託児付き」にしたのが良かったようです。
ただ、1人で見るのは限界で参加を見送ってもらった方もいたので、やっぱり人に頼んで託児のキャパを増やさないといけないな~、と思いました。


また、もともとネット、本などで勉強してきましたが、今回に向けて、図書館から本を借りたり、更にネットで色々調べましたが、一番難しいのは「どういった立場」で話をするか。


放射線の影響は、誰もを不安にするもの。
もう半年以上経っているのでかなり不安な気持は無くなってはいるものの、「○○さんが沖縄へ引っ越したんだって」とか、「ホットスポットに住んでいるお友達は大変らしいよ」といった情報が入ると、ママさん達はその都度不安になります。


それもそのはず、数ある専門家でも意見が分かれるほど難しい問題で、また、放射能といった言葉一つとっても、日本語訳が色々な意味でされて、専門家でも使い方が違う世界らしいのです。

なので、「正しい情報」というのは存在しないわけです。誰も答えが明確にはわからないのです。

だからこそ「自分で勉強して、基準をつくって、その自分で決めた基準で判断を出来るようになる」「決めたら、もう悩まずワクワク楽しく生活する」ということが、一番大切だという立場でお話ししました。


特に、「放射性物質の問題は、あえて「活性酸素の問題」と捉えてしまった方がわかりやすいのではないか」という話はしました。
→参考)ニュートン「放射線そのものより、放射線が水分子を分解し、その結果生じる活性酸素が生体分子を傷つける影響の方が大きい」


これも盲目的に信じる必要性は無いと思いますが、味噌が良い、酵素が良い、といった話も、「活性酸素に対抗する」という方が、私達一般人にとっては対応しやすいと思ったからです。


結局、放射線について色々な説があるのは当然といえば当然です。そもそも、レントゲンさんがX線を「発見」したのが1895年、つまり100年ちょっと前に過ぎません。

その翌年ベクレルさんがウラン塩化物が自然にX線に似た光線を放出していることを発見し、キューリー婦人が「原子そのものから光線が出ている」ことをつきとめ、放射能と名づけたそうです。

その後、放射線の研究がされ、1979年に放射線が人に与える影響、特に放射線防護の研究や国際放射線防護法の制定に活躍したシーベルトさんの功績を称え、1979年に「被ばく線量相当量」の単位としてシーベルトが定義されたそうです。

ほんの100年前にX線が「発見」されたばかりなわけで、人への影響についてもまだまだ研究されていないのは当然ですよね。

ちなみに、ベクレル(Bq)、とかシーベルト(Sv)という単位は馴染みが全く無かったわけですが、「人の名前なんだ」ということを知って、少しだけ親近感が持てるようになりました


さて、特に成田周辺の「低線量」地帯でどう判断するか、という問題ですが、

【野菜について】
1:土壌が汚染されているのは確かな「事実」
2:千葉県産の野菜は、県の調査を見る限りは、7月以降は、小麦・大麦、お茶、市川市の米、柏市の柿・栗、キノコ以外は20ベクレル(Bq)未満は検出限界の測定器では、どこも検出されていない
3:ある農産物を扱う茨城の問屋さんが、関西の卸先からの要望で厳密にサンプリング調査をしたところ、1ベクレル(Bq)も検出されなかった
4:土壌にセシウムなどが蓄積されている事実はあるが、「移行係数・・・土壌1kgに含まれるベクレル(Bq)数が、そこからとれる野菜1kgにどれだけ移行するか」を見ると、移行係数が高いと言われているさつまいもでも3.3%ほど
→キノコ類、ホットスポットを抜かせば、成人は問題ないと言えるレベル

【魚について】
県の調査をみれば一目瞭然ですが、20ベクレル(Bq)とか50ベクレル(Bq)とかその都度違いますが、3月以降、継続して検出され続けています。特に10月ぐらいから高くなってきており、過去のチェルノブイリのデータなどと同様「海産物の生物濃縮の影響は半年から1年目ぐらいが一番ピークとして出てくる」という話に当てはまるようです。

海産物は、引き続き注意した方が良いわけですね。特に、カルシウムと同様骨に同化しやすいストロンチウムが含まれる骨をそのまま食べる小魚などは、子供には与えない方がベター、と思います。

【空間線量について】
千葉県のモニタリングスポットは市原市にあって、そこの数字を見ると、原発爆発後の3月22~24日がピークで、1時間あたり大体0.1マイクロシーベルト(μSv)でした。4月末には半分の0.05μシーベルト(Sv)まで落ちましたが、その後、5月~10月まで、平均して大体0.044μシーベルト(Sv)です。

原発問題前の平成21年度は0.022~0.044μシーベルト(Sv)/時間だったので、現在は、平均値より少し高い程度ですが、大気中に関してはまあ問題ないと言えるレベルになっているわけです。

そもそもモニタリングポストはチェルノブイリの問題から設置されたので、高いところに設置されている「大気中の数字をみるもの」いうこと、また、市原市と成田市は環境が違うということもありますが、データがそこしかないので、市原市を参考にするしかありません。

そうすると、3月は現在の5倍だったので、成田市でも3月は大気中に現在の5倍の放射線があったのでしょう。

実際は、大気中より、地面に降り注いだ放射性物質からの影響が大きかったとは思いますが、3月~4月に被ばくしたのは、もはや事実です。でも、過去のこと。

大人はセシウムの生体半減期が100日ぐらいといいますが、新陳代謝が早い赤ちゃんなどは1ヶ月も無いそうです。


被ばくしたのは事実であり、低線量の放射線がしばらく残っているものの、成人は問題ないと言えるレベルになっています。子供にとっては、多少は影響があると思いますが、個人的見解ですが、「心配そうな親」の元で暮らす子供より「明るく元気に楽しんで生きている親」の元で暮らす子供の方が、ストレスが少なく、活性酸素も少ないでしょう。

放射能問題で悩んでストレスがあるぐらいなら、それをふっ飛ばすぐらい悩まず楽しく生きている家族の方が、耐性も免疫もあがり、結果、病気になりにくい、それが結論だと思います。

ナーバスな問題で、正答は無い問題ですから、あえて個人的な意見として書かせて頂きました。


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土と平和の祭典 in 神崎 今度の日曜日!

2011年11月17日 | 素敵な空間・イベント
先日、初めて日比谷公園で毎年開催される「土と平和の祭典」(→ブログはこちら)に行ってきましたが、ついに地元(に近い)神崎で、「土と平和の祭典 in 神崎」が、今度の日曜日に開催されます


神崎町のみなさんや、成田周辺のオーガニック関係の方々は、日夜準備にかけまわっています

という私も、本当はお手伝いしたかったのですが、、、11月20日はイベントやらの用事を予め組んでいたこともあり、午後の途中から、参加者として行こうと思っています。

日比谷の土と平和の祭典にいけなかった人、千葉県でこういったイベントに関心がある人、まあ、ともかく、お時間があれば、是非起こし下さい
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渡邉さんの畑♪

2011年11月16日 | 農的体験・生活
今日は、久々に農作業

そして、1ヶ月ぶりぐらいに、渡邉さんのひょっこり農場に行ってきました

先日行ったときは、まだまだ夏野菜の跡や草が映えていたのですが、今日行ってみると、なすやオクラなどの株が片付けられていて、いつの間にか、beautifulな風景になっていました



畑では、籾殻をじっくり炭化させていわゆる「くん炭(たん)」が作られていました。
くん炭は、土壌改良にすんごく良いと言われている有機資材なんです
機関車の煙突みたい


さて、今日のメインの作業はハウスのビニールの張替え。
以前、神崎のじいちゃんのハウスのビニール張りを手伝ったことはあったのですが、ハウスの骨組みが違うのか、やり方もちょいと違いました。


東京から来たMさんと渡邉さん私の3人で、高いところとかドアのところとかをお手伝いさせて頂きました。


途中のおやつは、かぶのスライスしたものとか、くん炭の中でじっくり焼かれた焼き芋。ホックホクで美味しい~


結局、張替えにはなんだかんだいって2時間ぐらいはかかりました。ハウスはビニールをピンと張らなくてはいけないので、一人ではなかなかやりにくいもの。かつ、3人で力をあわせても、古いビニールを外して新しいのを張るのは、慣れていないせいもあり、3時間以上はかかるものでした
作業は大変じゃないのですが、ドアのところなどは調整に少し手間取ったのもあり、時間があっという間に過ぎちゃいました。
「ハウスは人手がある時にやる」というのもうなづけます。一人じゃ1日かかって農作業が出来ないですものね。



4時を過ぎるともう日暮れが間近。夕焼けが始まります。

残った時間で玉ねぎの苗の定植。
今の時期でも間に合うのは、エンドウ豆の播種か玉ねぎの苗の定植ぐらいですね。


17時には、もう真っ暗。星も輝いていましたよ


今日は、初めて水霜(露が凍って霜になったもの)が降りたぐらい気温が下がりました。
だから、夕方は手足が冷えること

寒空の中の畑の風景は素敵でしたが、寒かったので、くん炭に水をかけて消化してから、みんなで早々と退散しました。


これからようやく寒い季節に突入です。
野菜は美味しくなりますが、その分、朝は霜で野菜が凍って収穫が日が出てくるまでは出来ず、夕方は17時前には日が暮れてしまう、という、農家さんにとっては作業時間が限られた季節になります。

そういった大変さを理解しながら、冬の美味しい野菜をたっぷり食べましょうね
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