半農半X?土のある農的生活を求めて

「生きることは生活すること」をモットーに都会から田舎へ移り住み、農村の魅力を満喫しながら、日々、人生を楽しく耕しています

成田の学生でも起業する時代!?

2021年02月27日 | 素敵な人・友人との時間

昨日、成田のカフェのオーナーと私で事業主同士の話をしていました。

私は塾をしたく、物件の見つけ方を聞きにいったのですが、カフェのオーナーはコロナでなかなか大変ということ、また新しく始めた事業についてまだまだ先が見えないことなど、それぞれ思いがあるのです。

そうしたら、たまたま居合わせた人が話しかけてきました。

私はてっきりオーナーの知り合いだと思ったら、初めて来たお客さんで、かつ、大学1年生でした。

私が「塾をやりたいんです」という話をカフェオーナーと話していたのを聞いて、「実は某塾のバイトをしているのですが、バイトなのでこうしたらよいという提案が通らないこともあったり。自分は出来る事は何も無いのですが、勉強法などそういったことは出来ると思っていて、だったら起業しちゃった方が早いんじゃないか、と思っているんです」と。

そんな話にびっくり

いや~、時代ですね~。成田にもこんな子が現われるとは

って、成田市民の私だから言っても問題じゃないと思うのですが、成田はやっぱり千葉や船橋に比べたら田舎なわけです。

空港があるから人口もあるのですが、例えばコロナで「修学旅行は中止、あるいは日帰り」となったのが東京に近い佐倉市までで、ちょうど成田から銚子方面、つまり東京から離れていく方向のエリアは、例年通り修学旅行を実施したのです。

まあ、そんなこと事例にならないかもしれませんが、人口密度や商業という観点で言えば、やはり千葉市や船橋市は成田市民からみれば「都会」なわけで、そういった意識が私にあって、成田在住の大学生が「起業」という単語を使ったことに「時代だな~」と思ったわけです

かつて、私が就職した会社や「企業家排出機関」と銘打っていました。

「起業」ではなく「業をきちんと企てられる」という意味で「企業」です。

すさまじい会社でしたが、実際にきちんと残ってバリバリ働けたメンバーの多くが社長になっています。

世の中で社長を輩出している会社といえば、恐らくリクルートと私がいたベンチャー・リンクという会社、この2つがトップじゃないかと思います。

そういった会社で働いている時のことですが、ちょうど私の3つ下ぐらいの入社組が「ホリエモン世代」で、「独立前提で3年ぐらい修行しに入社しました」なんて世代が多かったのを覚えています。

当時はホリエモンやらマザーズやらネットバブル初期だったと思いますが、その影響を私はもちろん若者は当然受けていて「一発当てて、大きく稼ぐ」といった風潮が世の中に溢れていました。

ホリエモンは議員選挙に出たり球団立ち上げなどとにかく注目を浴びていましたから、「時代の寵児」でしたものね。

その後、今の世の中を見ていると、新聞社などが中心だった野球球団のオーナーはネット企業が多くを占めるようになりましたし、世界的にもGoogle、アマゾン、フェースブック、マイクロソフト、アップルといったネット企業が世の中を支配するようになりました。

そして、ここ最近の潮流は、大本を抑えた者、つまり、プラットフォームを構築してその業界で№1になること、がビジネス商社の道というのが当たり前になりました。

今の若者を見ていると、若者なりに社会問題と思う事を解決するべくファンドや投資家からお金を集めてプラットフォームを作って起業、というパターンが主流のような気がします。

以前も書きましたが、今の若者は「デジタルネイティブ」であると同時に「環境問題ネイティブ」ですからね。

いつでも時代の潮流があるものです。

まあ、それにしても若者が起業を普通に考えられるようになったのは時代ですよね

私の時代までは『一億層中流』といって、定年雇用を前提としてマイフォームを買い、そこそこの物質的豊かさを誰もが享受出来る時代、という認識がありました。

ところが、ここ20年ぐらいで大きく日本は変わり、貧富の差が大きく開いてきました。

また日本はややこしいのですが、その貧富の差が見た目ではわかりにくいんですよね。

しかし、実際、非正規雇用者、シングルマザー、独居老人、独居個人が増えてきていて、普通に子供をもった家族で過ごす、というのが当たり前では無くなってきてしまいました。

つまり、日本も西欧のような社会に近づいていると思うのです。

そうなると、子供達が大人になるに向かっていろいろの選択肢があるのですが、あるレベル以上の大学を出てトップ企業の中堅幹部以上のエリートを狙うのか、はたまた起業してビジネスオーナーになるのか、環境問題や第一次産業に関わる活動家を目指すのか、料理人や職人のように手に職を持って生きていくのか。

一億総中流では無くなって格差が広がっていますが、意識がある若者にとっては選択肢を色々考えられる時代になったと思うのです。

まあ、これは良い面であって、裏を返せば、そういった意識が無ければ、いつのまにか社会的地位が低いところに押し込められて、あるいはレッテルを貼られて、正社員になれずいつの間にか非正規になって、経済的弱者に陥りやすい時代でもあります。

そして、何より一番大きな問題は、きちんと考えていない子はネットや大企業に与えられたものの中でしか選ぶことしか出来ず、踊らされてただ生きていくだけにもなりやすいという事だと思います。

今一番大事な教育は、こういった「時代認識」を伝える事だと思うのですが、みなさん、いかが思いますか?

 

話を戻して、まあ、それにしても成田でも大学1年生から「起業」という言葉が聞けるとは、時代が本当に変わっていっているな~と思います

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長く生きること

2021年02月26日 | 素敵な家族・子供との時間

母が85歳の誕生日を迎えました。

85歳ってなかなかですよね~。

年を重ねるということは、凄いことですよね。

 

私のおつきあいしている農家さんは、平均年齢が70歳ぐらいなので、いつも「俺らもあと少しだな」とか冗談っぽく話会っています。

私は「生き方」を学ぶのが大好きなので、学生の頃から先輩にワンワンと犬のようについていった生活を送っていました

社会人になって会社に入り、ビジネスをひたすらやっていたわけですが、心を壊し、農村生活に入り浸り、今は農村コーディネーターとして「都市部と農村をつなぐ」という事を目的とした仕事をしています。

そして、長年の夢であった教育業もそろそろ始める予定です。

原発事故をきっかけに独立し、自営業者になって一番変わったことは「生き方=生活」ということでした。

会社員と自営業者との根本的な違いはそこにあると思います。

農家さんも自営業者で私も自営業者ですが、「公私」の違いがほとんど無いのです。

なので「忙しいか?」と聞かれたら、忙しいし、忙しくも無いのです。

というのも「プライベート」という概念が無いのです。

そういった中で、農家のみなさんも「生活=仕事」といった生活をしてきて、「そろそろ俺らもお迎えが来る頃だな」と笑って言い合っています。

あるいは、パートナーに先立たれて「死にたくても死ねないしな。農業しかやることないしな」と農家を続けている方もいます。

母もそうですが、長生きすると「生死はどうでもよくなる」という感覚になるようです。

これは私も学ぼうとして意図的に学んできた事なのですが、「人は何のために生きるのか?」という究極的な問いは、「子孫を残すため」というのが答えだと、いうことを自然や大御所の農家さん達と過ごす中で結論づけました。

人間も自然の一部、動物であって、その使命は「子孫を残す」ことが究極的な生を受けた目的である、ということを、知能ばかりでかくなってしまった人間は、素直に受け取らず、もんもんと過ごしてしまう。

特に西洋からの生き方ビジネスの悪弊のせいで、「自分の本当の生まれてきた意味」とか「自分の才能を活かして」とかいったキャッチフレーズで、悩む日本人が多くなったと思います。

まあ、私もその1人でしたが

でも、単純に考えれば、素直に考えれば「子孫繁栄」が生き物の最も上位の存在目的なのは、当たり前といえば当たり前なのです。

だから、子供が生まれたこと、自分の跡継ぎ、家の跡継ぎが出来た事、ひいては村の跡継ぎが出来た事をみんなで祝うのが日本の戦前戦後ぐらいまでの習慣でしたし、それは凄く当たり前のことだったと思います。

そして、家族の者を食わすため、子供を食わすため、自分の生計を立てるために、自分の仕事、主に農業ですが、これを一生懸命やってきたのが日本人です。

日本人の7割は農家であった、という話ですから、戦前戦後までは、これが当たり前だったわけです。

 

じゃあ、子供がいない人は存在価値が無いの?と言われたそうじゃないわけです。

人間は脳みそが大きくなったことで「社会的動物」という宿命も負いました。

良くも悪くもですが、1人では生きていけない。

だから、人の生きる目的は「子孫がより良く生きられるような社会を作る事」であり、それは自分の子供に対してと限定する必要は無いのです。

もっと大きく言えば「誰かの役に立つこと」が大人の生きる目的となると思うのです。

それは自分の子供がいなくても当然の目的だと思うのです。

 

そういったことを考えた上で、70歳、80歳ぐらいの農家さんや母を見ていると、残念ながら知力や体力が衰えてきます。

一部の超人を抜かしては、生活を送ることがそのまま生きる事になります。

そうなってくると、生業をずっとやってきた人はさておき、そうでなければ社会に役にたっている感が無くなってくるのもわかります。

本来、長老は村の知恵であり、みんなに慕われ尊敬される存在であったはずなのですが、近代はそうはさせません。

ただ、家族に誕生日を祝われる、孫に「大好き」と言われる、そういったささやかな事が嬉しくなるわけです。

 

我が母も85歳にしては良く食べるし、病院も週3回ぐらい行って送迎も大変なのですが、まあ、それでも長生きしている事は凄い事だと思うのです。

そういった「長生きしたね、凄いね」と言ってもらえる老人は、今の社会では幸せな方なのでしょう。

自分が老人になったとき、今以上にむなしさやふがい無さを感じるようになるでしょうが、それでも誰かに「生きているだけで、有り難い」と思ってもらえるような人生を送りたいな~と思います

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資本論

2021年02月25日 | 自分の時間

録画で貯めていたE-テレの「100de名著」の1月の「資本論」を見ました。

「資本論」はマルクスが書いたもので、60~70年代の学生はほとんど読んでいたらしい、ということや、共産主義の思想の軸となった本、というぐらいしかしらず、読んだことはありませんでした。

で、「どんなもんじゃろ?」と何気なく見たら、わかりやすく面白かった~

齋藤さんというマルクス研究で若くして賞をとった方が解説してくれたのですが、詳細は以下リンクを

https://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/105_sihonron/guestcolumn.html

 

ざっくり言うと、「資本論」は旧ソ連など共産主義の思想の軸だったわけですが、ソ連などの崩壊によって「やっぱり資本主義が勝った」という時代になり、「資本論」は忘れ去られてしまっていたわけです。

ところが、資本主義経済の行き過ぎ、というのは誰もが感じるところで、世界のトップ30の資本家で世界全体の半分の富を得ている、とか、アメリカやヨーロッパで仕事が無い人が爆発的に増えており、日本でも非正規雇用者を初めとした収入が200万ちょっと以下の世帯が増え、「一億総中流」というのはもはや過去のものとなってしまった。

世界のトップ経済学者や思想家などは「資本主義のメリットを享受出来る局面は終わって、今は悪いところが沢山出てきた、つまり資本主義の終焉の局面に入った」という人もいる時代になったわけです。

そんな中、資本論を書いたマルクスが実は色々考えていた、という事がわかる様々な資料をまとめた「MEGA」という本が刊行され、「資本論」に書かれていなかったマルクスの思想、考察が明らかになってきたことで、「資本論」に書かれていなかった、あるいは重視されていなかった今の時代に通じる重大な思想が次々と明らかになってきて、にわかに「資本主義に変わる次の世界観」というものがマルクスの思想にあるのではないか、と注目を改めて集めるようになってきたそうです。

例えば、「人間も自然の一部である」という事、「資本主義が行き過ぎるとこのままでは自然を破壊し、そのことが人間にも還ってくる」ということを150年前に警告していたり。

また、「なるほどな~」と思った事をあげると、「富」というのは例えば自然であったり家族との時間であったり、自分で安心で美味しい野菜を作るとか、色々あったのが、「富=お金」としてしまった事の弊害。

例えば、昔の農民にとって今まで当たり前にあったみなで共有していた川の水や土地があり、自分で作って食べていた野菜などがあったわけですが、その野菜を「商品」として売ると、それにより「貨幣」を手に入れ、その「貨幣」によって他の「商品」を買う事が出来、今までは「商品」としていなかったものが、次々と「商品」となっていってお金で考えてしまう、という事がエスカレートしていってしまう。

そうすると「資本家」が現われて「もっと商品を作り貨幣を手に入れる」ことを最大目的とするため、「土地」などを買ってしまい、そこで自給出来ていた農民は「お金」を求めて都市部に出て、「労働者」として働くようになる。

そういった労働者は「生きるためにはお金が必要」となって、「富=お金」というのが拍車がかかり、しかし、それは資本家の元にどんどん集まっていってしまう。

といった、小学生にでもわかるであろう映像と解説は、「わかりやすいな~」と。

 

実際、プランテーションと言われている外国の農場のほとんどは「資本家」と「労働者」になっていますよね。

私が10年以上前にマレーシアに行って見た「パーム椰子」のプランテーションは、車で30分行っても終わらない「パーム椰子」しか生えていない森でした。

地平線の先まで1つの種類の木しか生えていない森、というのは、ものすごく気味が悪かったんです。

そして、そのオーナー、つまり資本家はマレーシア人だったのですが、労働者は「インドネシア人」であり、出稼ぎ労働者でした。

その土地は20年~30年経つと大地の養分が無くなりパーム椰子も駄目になってくるので、一気に「焼き畑」をしてしまう、と聞いて、更に驚いたのを覚えています。

アメリカはもちろん、カナダ、オーストラリアもそうで、「資本家」は投機物として菜種、綿、大豆などを作りますし、アフリカやアマゾンなどの膨大な土地を買い、地下水をくみ上げ、砂漠化するほど作物を作ったら、その土地は捨てて次の大地を購入する、といったのが世界の大きな農業です。

しかし、本来そこには半自給的生活をしていた農民がいたのです。

それがある日、突然「資本家」が現われてその土地を買い占め、追い出された人達は生活基盤が無くなり、仕方なく「労働者」になっていったわけです。

「富」というのはお金だけではなく、暮らしを支える自然やその恵みでもあったのを、「資本の力」でめちゃくちゃにしていったこと、それは自然を破壊し人間にも還ってくる、といった今の時代の問題をマルクスは警告していたわけですね。

 

あと、「構想」と「実業」という話も面白かったです。

例えば、職人は自分でどういったものを作ろうかと「構想」し、それを実際に創り出す、つまり「実業」をしていた。

自分で仕事が完結していたわけです。

ところが、そこに資本家が現われ、作り方をマニュアルや機械化し、「誰でも出来る」「機械でも出来る」事に分業し、「構想」は資本家、「実業」は機械と労働者にやらせる、といったことをしていった。

これにより、労働者は「自分が何を作っているのか、何のために作っているのか、誰のために作っているのか、世界のためになっているのか」といった事を何も考えられないまま、機械と同じ仕事をすることになっていく、という話。

これってやる気の問題にも直結しますよね。

「自分でやりたい」と思ったことを「自分でやる」という話は人のやる気そのものに直結しますよね。逆であればやる気は無くなるし、単なる「労働者」となってしまいますもんね。

会社仕事でもそうですよね。

「会社が何に向かって進んでいて、その中でどういった仕事があって、その中で自分はどんな役割を担っているか」これが明確でなければ何も面白くない・・・なんて事を私は大学時代に考え、就職の際はそれがわかる会社じゃ無いと嫌だ、と思い、実際、面接でもそういった話をしていた記憶があります。

話を元に戻して。。。

グローバル化は「世界分業体制」を作ったわけで、結果、大きな会社で生産から販売まで一貫してやる会社なんて少なくなってしまったわけで、「構想出来る人」と、「労働者と機械をマネージメント出来る人」がお金持ちになり、「単なる実行者=労働者」は賃金が低い、という構造の社会になってしまったわけです。

そして、何より資本主義が行き過ぎると環境問題が立ちはだかる、と警告していたという事が最近明らかになってきたことで、世界でもトップレベルで行き過ぎた資本主義国家アメリカで、今は「資本論」が見直されて、バイデンさんを支持する若者などから大きな注目を浴びている、とのこと。

へ~、という感じです。

全く読もうと思わなかったのですが、こういったことを解説していた齋藤さんの話はわかりやすかったので、齋藤さんの本は読んでみようかな~と思いました

 

 

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2021年度初の「食と命の教室」

2021年02月13日 | 農的体験・生活

2021年の「食と命の教室」が始まりました!

 今年で9年目で、6年ぐらいは毎年、参加者募集に頭を悩ませていましたが、昨年、今年と立て続けに満席となりました。  

 自然災害の多発や温暖化問題の表面化のせいか、一昨年ぐらいから急に有機農業や農村生活に関心が高まりましたが、コロナのせいでしょう、昨年からはそれが爆発している気がします。

 「一気に時代が違うステージに入った」と感じます。

 例えば、3~4年前までは無農薬とかベジタリアンとかは一般的には「あ~、意識高めの人ね」といったように「変わった人」扱いだったのが、今や「ヴィーガン」がおしゃれになってしまいました。

 13年前にこの道に入った私は「半農半X」や「懐かしい未来・幸せの経済学」などの世代なのですが、みなさんご存じでしょうか?

 今日の参加者全員が知らず、有機農業の原点となったレイチェル・カーソンの「沈黙の春」も知っている人もいませんでした。

 そういった意味でも、何を求めて農村生活に興味をもったか、というと、私達世代とは違った事、やはり環境変化やコロナなどが意識を変えさせたのかもしれませんね~

 また、教室とは別で髙柳さんのところにファームステイ中の19歳女子が3人、他にも旦那さんは会社員で奥さんは各地をファームステイで回っていて来年には2人で就農したいという夫婦がショートステイに来ていました。昨日の自然薯掘りのカップルもそうですが、とにかく「時代が変革期に入った」と実感する今日この頃です。

 さて、教室は例年のごとく、自己紹介、髙柳さんのお話の後、1000年続く田んぼの見学です。

「田んぼは山からのわき水が必要だったから、必ず裏に山を抱いてその下には田んぼ、という所に昔の人は住んでいたんだ」という髙柳さん。

逆に言えば「日本全国歩き回ったが、古くからある村はそういった場所に集落があるからわかる。逆に台の上のようなところの住宅街は新しいというのがわかるんだよ」という説にみんな「へ~」っという反応です。

今はわき水が湧く場所は「使いにくい」田んぼになってしまったのですけどね

昔は「宝田」と言われていた場所が、今は機械が入ると沈んでしまうので一番の耕作放棄地となる場所なのです

さて、お昼ご飯はいつもの通り、お母さんの手作り野菜料理

みんな「美味しい~」と大喜び

特に「義理の母が年で台所に立たなくなってきて、私が料理を作る番になってきたのですが、野菜を美味しく作るやり方を学びたい」とおっしゃっていた参加者は、夕方、お母さんから個人的に色々お話を聞いていましたよ

午後は恒例の「夏野菜の種蒔き」です。

夏のミニトマト、ナスは今の時期に蒔かないと4月の植え付けに間に合わないのです。

苗床土を作り、ごま粒のような小さな種を1粒1粒蒔いていきます。

髙柳さんから「これで芽が出なかったら誰がやったのかわかるように名札でもつけておくか(笑)」という言葉に、みなさん笑いながらも真剣です

そして夕方は三浦大根を引っこ抜く時間。

「食べられるだけ持って行っていいぞ」と、廃棄直前の大根ですが、みなさん抜くのが楽しくワイワイガヤガヤ

まあ、収穫は楽しいのですが、髙柳さんは「その人の欲がでるな(笑)」とも。

畑を終えた後、1年間のプログラムややりたい事の確認です。

みなさん、初回にしてはとても反応が良く、普通は3ヶ月ぐらいかかるのにあっという間に仲良くなっていましたよ

今年は満席ですが、既に来年度は5人の申込みが入っている状態。

本当にこういった教室が求められる時代に入ったな~と感じます

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今時女子と自然薯掘り

2021年02月12日 | 農的体験・生活

週末イベント8連発の7発目。

今回は今年2回目の「幻の天然自然薯掘り」でした

ちょっと遠方から来るということでしたが、初めての遅刻で、「大丈夫かな~」と心配していたら、2シートの車で颯爽と現われたのは、26歳&24歳のびっくりするほどのイケメンカップルでした

「いかにも若者」という感じで、農家のお母さんともザワザワしちゃいましたが、びっくりするほど言葉使いや挨拶もきちんと出来、礼儀正しい感じで、見た目とのギャップがあってこれまたびっくり

また、年下の彼女の方が申し込んで彼氏は後から知らされてきてついてきたということ。

彼氏は「もやしっこ」と自称し、彼女の方は「私の方が筋肉あるからね」と、今時っぽさもまたこちらとしてはとても新鮮でした

そして自然薯掘りに行く前のお茶タイムでは、なんと彼女の方は子供の頃は「登校中にノビルをとって食べていた」とのこと

ノビルというのは、野草の1つで、簡単に言えば葉っぱは小さなニラで根っこは小さならっきょうみたいなものです。

あれを生で食うと結構辛いのですが「いや、みんな食べていましたよ」と言うのです。

平成時代生まれでもノビルを登校中に食べるというのですから、かなり農村部ののんびりしたところで暮らしていたんでしょうね~。農家さんも「俺はノビルはさすがに食わなかったけど、落花生とかは盗んで食っていたな~」と

また、「18歳からはテレビは捨ててずっと見ていない」ということで、最近のニュースはほとんどわからないそう。

今時の美人さんの若い子なのに、とにかく農家さんも「凄いな~」とびっくりし通しでした。

さて、そんなこんなで、話をした後、自然薯スポットへレッツゴー

昨年までの農家さんの親戚のスポットは、テレビの企画なども多く数が減ってしまっているので、今年から農家さん自身の耕作放棄地の山間のところで実施。

去年、一緒に手入れをしたとはいえ、こんな感じで篠竹の藪をかきわけながら道具をもって進むので、なかなかの場所です

さて、今回は1本目もかなり太い茎で「20~30年はいっているな」という事で、2人で協力しながら「楽しい~」と特に女子の方が盛り上がっていました。

ただ、木の根っこに当たっていて、そこで先が終わっていたので、まあまあの太さでしたが長さは1m行かず、でした。

2本目は1本目より更に年数がいっているもので、30年以上の大物のはず、だったのですが、今度は「タコ」と農家さんがいうパターンで、いわゆる1本ものなのですが根がいくつかに分かれてしまっていて、かつその先っちょがまたまた木の根っこに当たっていて短めのものになってしまいました。

恐らく先が普通に伸びていたら1mは優に超す大物だったのですが、まあ短くても太くて、見た目は「痩せた鶏の丸焼き」のような形の自然薯でした。

まあ、これが「天然もの」で、掘ってみないとわからない、というのも自然の事。

長さはあまりなかったのですが、20年、30年とじっくり育ったのは間違いないので、畑のものとは栄養素も味わいも全く違うんですよ。

2人も楽しんでくれて「また来たいです」と喜んでくれたのはこちらも嬉しかったです

終わった後、またお茶タイムで色々お話を聞いたのですが、去年、仕事を辞めたそうで、ここ数ヶ月はいろいろな体験に行っているそうです。

特に彼女の方は、例えば、養蚕屋さんにいって桑の葉切りのお手伝いをしたり、今度は機織り勉強に出かける予定が入っている、という感じで、まあ、本当にアクティブ。

また、「畳み好きだから彼には畳み職人になれって言っているんですよ」とか、「ゆくゆくは猟師になりたいんです」などなど、発言も行動も本当に凄く、「いや~、凄いな~」とただただ、農家さんも私も驚いていました。

時代が農村志向になってきている、というのは感じているのですが、それにしてもこういった若者は凄いな~、と。農家さんと私の方も農村志向の今時女子の行動力にとても刺激を受けた楽しい1日でした

 

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人間も鳥もウイルスで大変です

2021年02月10日 | 朝取り野菜ボックスのお手紙

今週の「朝採り野菜BOX」のお手紙です。

人間界はコロナウイルスで大変な事になっていますが、今年は「鳥インフルエンザ」も沢山出ています。

渡り鳥から例年の平均の3倍、昨年の7倍のウイルスが検出されているそうで、ヨーロッパで流行った鳥インフルエンザが、渡り鳥によってロシア、中国、韓国と渡って日本に来て広がっているそうです。

 去年の11月以降、西日本で広範囲に、関東では茨城や千葉県でウイルスが出ています。

殺処分は過去最多の930万羽に上る見通しで千葉県では428万羽と全体の半数近くという状態です。

これにより千葉県全体の採卵用の鶏さんの1/3以上が殺処分されることになるそうです。

恐ろしいですね~。

恐らく養鶏場業界ではコロナどころではないほど大騒ぎになっていると思います。

 養鶏をしている知り合いから聞いた話では、千葉県には日本トップレベルの養鶏場があるそうで、そこが今回のウイルスで100万羽を超す鶏を殺処分したたそうです。

大きな養鶏用は、ネズミなどが菌を持ち込まないようウインドレスといった風も入らないよう完全密封された工場のようなところで育てられています。

しかし、結局は換気扇などを通じてネズミが入ったりして菌が持ち込まれてしまうそうです。

 一方で、ハーモニー卵の小倉さんのような開放鶏舎といってお日様の光や空気が入る養鶏場、あるいは平飼い養鶏場というのもあります。

こちらは外からの菌の出入りは普通にあるでしょうが、鶏さんはウインドレスよりは元気に育てられています。

完全密封でウイルスを入れさせず消毒もたっぷり行うウインドレス、多少の菌は鶏が現金あら免疫がやっつけるはずという考えの鶏舎。

どっちが良いのか?

そしてこの考えって人間にも当てはまりますよね~。

 そして、そもそも死亡原因についても議論の余地があると思います。

日本は欧米に比べるとコロナの感染や重症化率が低く、今年の1月30日時点で年間の死亡者数が5,652人だそうです。

一方で、2019年の全死亡者数138万人の内訳は、がん 38万9841人、肺炎 9万5498人、感染症 2万3529人、インフルエンザ 3571人、交通事故 4295人、自殺 1万9415人、他殺 293人だそうです。

コロナは持病がある方や高齢者などの死亡率が高いので、そういった方々に感染しないよう対策は必要です。

ただ、緊急事態宣言を出し営業自粛や巣ごもりで自殺者が果たしてどれだけ増えたのでしょうか?

例えば、昨年の夏から女性の自殺者数が倍増しています。

コロナ自粛の影響もあるはずです。

 コロナ対策に莫大な公費、尋常ならざるメディア報道による自粛要請をしていますが、数だけみても、命を救う対策に対してアンバランスな状態になっていると思います。

例えばガン発生を抑制するための啓蒙活動や健康支援活動にお金をかけるとか、自殺原因をきちんと調べて救命対策を行うとか。

コロナと比べてもガンや自殺の死亡者数は桁違いなのですから。
 
 そして今回の鶏の殺処分についても「拡大防止のために殺す」というのはどうなのでしょうか?

ある子供がこう言ったそうです。

「動物は皆殺しにするのに、なぜ人間は違うの?人間はワクチンや治療で助けるのに、飼っている動物は全部殺しちゃうの?みんな同じ地球の生き物なのに」。

大人はいったいどう答えれば良いのでしょうかね? 

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週末6連続の味噌作り!

2021年02月07日 | 農的体験・生活

いや~、世の中いろいろありますが、私のところもでいろいろあります。

いろいろあって、久々にどんよりしておりますが、そんな時は体を動かすに限ります。

そして仕事があると言うことは、それをやっている間は気が仕事やお客さんにいっているので、気をもむ暇が無いので、有り難いことです。

そんなこんなで、この(土)(日)も味噌作り。

いや~、それにしても2日連続の味噌作りは体に堪えます

味噌作りというのは、基本的には「洗い物」の仕事なのです。

10時に教室が始まる前に、洗い物をし、倉庫を掃除します。

で、お客さんが来てからは受付、味噌作りの説明、サポート、同時に洗い物もやりつつお昼。

後片付けと洗い物をし、お昼はちゃちゃっと食べ、13時の参加者が来るまでに準備をし、午後の部に備えます。

そして、15時ぐらいまで運営し、そこから洗い物。

という感じで、1日立ちっぱなしでひたすら動いているので、ハードなのです。

また、今年は味噌作り中でなくても、お客さんがいる間はマスクをしないと、という世の中ですので、マスクを1日着用しながらの運営は、味噌作りや注意点を説明している時も、酸素不足になりますし、体に例年より堪える感じがします

それを2日やると、なかなか体にダメージが溜まります。

それでも、いつもの方々にお会い出来、昨年の味噌の出来具合を聞いたり、味噌談義が出来るのは楽しいことです

「一度、自分で作ったらもう市販の味噌には戻れませんよね~」という方々も多いのですが、味噌作りだけで7年目の方もいるのです。

毎年の恒例行事、毎年の顔ぶれ、というのも楽しいものです

そしてこの(土)(日)で、1月から続いた「週末6連続」の味噌作りが終了

ほっと一息です

しかし、今週末は今年2回目も自然薯掘り、そして2021年度初回の「食と命の教室」が待っています。

1~2月の週末は基本的に休み無し。例年は「出張餅つき」があるのですが、今年はコロナで注文が0になってしまいました。

それでも週末休めない、というのは、まあある意味仕事があって良いことなのですが、温泉にでも行ってゆっくりしたい~、という気持ちになります

今度の週末で一区切り。それまで、頑張ろう

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