先週の「食と命の教室」の振り返りで高柳さんのところを訪れたのですが、色々な雑談の中で、ちょこっと話に出たのが「先生」や「教育」のこと。
高柳さんは、農家さんですが、色々知っています。
例えば、「物理は面白いよね~」という話が出ました。
何かと言うと、例えば高柳さんは「太陽は気体というが、何で宇宙空間でなくならないのか?」と思っていたそうですが、鉄でさえ数千度になると気化する、ということを聞いて、合点がいったそうです。
「火葬の場合も、高温で焼いてしますうと骨がなくなっちゃう。骨も気化する。
原爆で影だけ残っているのは、一瞬で体が気化するほどのエネルギーだったから。
そういったように、ものには3相があって、個体、液体、気化とどんなものでも変わる。
そんなことを考えると、物理は面白いよね~」
と言うんですね。
農家さんですよ、高柳さんは
そして「数学も、あれは抽象概念だから、何故数学が必要か語らないとね。例えば家を建てるのも、サイン、コサインとかあって、柱を直角に建てるとか、一番良い比率を考えるとか、どんなところで使うか説明しないとね」と言うんです。
で、私が「そういった先生はいないんじゃないですか。多分、成田市でも数名ぐらいだと思いますよ」と言ったところ「それはかわいそうだね~」という話になったのです。
よく話すのですが、その教科が好きになるかは先生次第ですよね~、ということ。
高柳さんも「そのとおりだと思うよ。「教育=教師そのもの」だから」と言います。
そして「どんな教科の先生も、根底に『教育とは生徒を立派な人に育てること』という思いがあるでしょ?」と言っていました。
どうでしょうか?
「あ~、この先生は、生徒を立派な人に育てたいんだな」と思える先生って、どれだけいるんでしょうか?
高柳さんの言う「立派な人」というのは、「立派な大人」ということで、算数や国語の点数がとれる人という意味ではありません。
でも、私が子どもの頃を振り返っても、「君達には立派な大人になってもらいたい。だから今、これをきちんと勉強して欲しい」といったスタンスで望んでいた先生は、ほとんどいなかった気がします。
もちろん、全力でぶつかってきてくれた先生はいました。
また、自分の教科を好きで愛しているんだろうな~、それを伝えるのも楽しいんだろうな~、という先生は何人かいて記憶に残っています。
そういう先生のことは好きだったし、授業にも身が入りました。
ただ、高柳さんの言うところの「立派な先生」というのは、時代背景が違うせいか、本当に凄いんです。
高柳さんが中学卒業後に進んだのは、南房総にある農村中堅青年養成所というところでした。
そこの先生達は、「農業も素晴らしいが、大切なのはどう生きるかだ」ということを語る先生に数多く出会えたそうです。
「何故、農業をやる必要があるのか?」といった根本的なところを、議論したり、語りあったそうです。
そして、最も大切な教えは「農業を通じて立派な大人になること」だったそうです。
農業技術を学ぶのが目的ではなく、仕事を通じて社会の役に立つ立派な大人になる、それが目的と先生が明言していたわけです。
例えば、養成所の隣のびわの品種改良をしているところで、びわが盗まれた事件がありました。
数千種類の組み合わせを何年もかけて成果をみて、良い組み合わせを探しているところなので、食べられてしまうと、また最初からやり直しで大事なわけです。
そして、犯人は隣の養成所の青年達ということがわかっています。
ところが、先生は生徒を叱るとか、犯人を捜すということはせず、びわの品種改良がいかに大変か、そこで働いている人達がどれだけ努力をしているか、そして、それを盗んで食べるのはどういうことかを説明して終わるのです。
そして、翌日、食堂にはびわがてんこ盛り。
それが先生達のメッセージなわけですよね。
後々の同窓会で、犯人が「あれには参っちゃったよな。あんな対応されちゃ、二度と盗めないよ」と言っていたそうです。
そういった先生の中には、例えば、満州から帰国するときに、日本人を殺せという集団に出くわした時、自ら進み出て、自分達は戦う気がないこと、などを申し出た結果、ギリギリのところで逃がしてもらえることがあった、という人もいて、その場にいた人は「あの先生がいたから私達の命がある。本当に勇気がある人はああいう人なんだ」と言わしめたような人がいるそうです。
世界が違うというか、時代が違うのもあるでしょうが、凄いですよね。
そんな先生達に囲まれていたためか、高柳さんは「そういう意味で、今の人達はかわいそうだな」と言っていました。
ちなみに、そういった先生達がいた養成所だから、県か国の方針にも先生達が沿わないため、ゆくゆくは閉鎖されてしまったそうですが。
実際のところ、これは先生の質の違いというより、大人全般の質の違い、時代の違いだと思います。
古きよき日本人、第二次世界大戦中でも現場では、台湾や韓国の人からも「日本人は違う」と言わしめた日本人。
現地で神として崇められている日本人もいるわけです。
そういった気骨ある、立派な大人の日本人の雰囲気を体験し、体現しようと生きている数少ない生き字引が高柳さんなわけで、そういった時代を思うと、今、自分の襟を正したくなるわけです。
私はこんな時代でも、当時のことを学べるから、そしてそれを体現している高柳さんに会えるから、高柳さんのところに通っているんですよね。