半農半X?土のある農的生活を求めて

「生きることは生活すること」をモットーに都会から田舎へ移り住み、農村の魅力を満喫しながら、日々、人生を楽しく耕しています

今年も終わりです

2016年12月31日 | 自分の時間
今年も終わりです。

一昨年、昨年と体調を崩し、生きているだけでもつらいという状態を味わっていましたが、その分、まともに体を動かせること自体、健康であること自体のありがたさを身に染みて理解した月日でした。

今年は今まで全く信用していなかった厄払いも後厄だけでしたが行い、体調のも気を付け、生真面目な性格(笑)をあえて横に置き、体調優先で無理せず生きて参りましたが、おかげさまで多少気持ち悪くなることがあっても、2~3日寝込むというのは無い1年でした。

本当にありがたい限りです

そして、生活の安定に向けて「あと〇十万円ぐらいあったら、自分の家のためのことではなく、地域のためのことをやろう」と思っていましたが、寺田本家の優さんとの話で、「あ~、やっぱり自分は小さいな」と思い、そもそもの「みんなの農村ネットワーク」を立ち上げた時の思いや、一つ上の次元のことをやろう、という思いで思考を転換したところ、来年に向けてワクワクできる抱負も持てるようになりました。

自営業というのは、どうしても自分の時間を自分の収入として考えがちです。

特に、我が家のようにちょっとしたお金の出費が家計に痛いほどの額しか稼いでいないと「その1日で、あの仕事をやった方が生活の足しになるかな」なんていうことが頭をよぎってしまうわけです。

ところが、立派な方は、自分のことよりも大きなこと、例えば他人のことや苦労している人、困っている人、あるいは地域や社会のためになることをやるんですよね。

まあ、多くの人が自分の生活が安定していて、その上で色々やっている人が多いのですが、本当にすごい人は、まず、そういった公のための仕事をやるんですよね。

そういった心境と言うか人物になれるかどうかわかりませんが、40も過ぎたならば、そういった人になりたいという思いだけは持って生きたいと思っています


ということで、今年も色々ありましたが、来年は我が家のことより地域の様々な方々とつながりながら、地域の人たちに意義ある仕事をしていきたいと思います

そのキャッチフレーズとして「オーガニックシティー成田」を勝手にうたっちゃおうと思っています

今年も1年、どうもありがとうございました。

おかげさまで無事今年も1年過ごせました。

来年も引き続きのお付き合いをどうぞ宜しくお願い致します
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ご縁に生かされて

2016年12月27日 | 自分の時間
あっという間に年末が過ぎていきます。

あれやこれやとなんだかんだ言ってやることがあるので、ちょっと優先順位をつけてやれないことはやらない、と決めたところ、思ったよりすいすいと進んで、いつの間にやらあと数日で今年も終わり。

でも、やりたいな~と思っていたこと、例えば年賀状を25日までに出すとか大掃除とか洗車とかあの仕事とか、「これは」と思ったことがやれているだけで、気分はいつもと違うもんです

また、地域で活動しよう、とやってきたわけですが、ふと振り返ると、やっぱり「ご縁で生きている」ということをふと実感しました。

東京で新規開拓の営業をしている頃とは全く違い、ご縁が出来た中から仕事が生まれ、仕事を作り、それで家庭を支えられていることに、本当にありがたいな~、生かされているな~と思います。

ご縁で生きること、地域に根差すことは両刃の剣といいますか、下手なことをすると悪い噂はすぐに広がります。

逆に、きちんと生きていると、それなりに評価を頂けます。

気に入った人やお金がもらえる人とつきあうという生き方もいいですが、ご縁があった人ときちんとつながって生きていく、というのは、自分を律するという意味でも、自分の生きたいように生きるという意味でも、そしてこの人達のためになりたいと思いながら生きれるという意味でも、色々な意味で良いですよね

そんなことを思う年末の今日この頃です
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何でも使いよう

2016年12月18日 | 自分の時間
子供たちが人形劇を観るというのでそのお見送りをしました。

開場まで時間があったので、その辺の子供たちも含め、大勢で鬼ごっこして「子供は元気なだな~」と思いながら、その後、サイゼリヤでお仕事をしていました。

すると、目の前に疲れた様子のお母さんと年中ぐらいの女の子が入ってきました。

注文を終えるとお母さんはひたすらスマフォ。
料理が来てもピザを食べながらスマフォ。
その間、子供は黙々とピザを食べていました。

お母さんはピザを食べ終え、スマフォを閉じてパスタを食べ始めると、子供は初めてお母さんに笑顔で元気に話しかけ始めました。

子供はお母さんがスマフォをやっている時は話しかけてはいけないという習慣があるのでしょう。

その後、旦那さんらしき方が現れると、子供が「パパ~」と、とっても嬉しそうに話し出しました。
ところが、パパさんらしき人も、最初は話を聞いていましたが、そのうちスマフォ。

夫婦で会話せずスマフォをしていて、子供もひざに乗って沈黙している。

その姿は何とも悲しいというか切ないというか。。。

今日は夫婦喧嘩をしたのかもしれませんが、子供が何だか可哀そうだな~と。


そういえば、夏にうなぎ屋さんに行ったら、ご年配の夫婦がうなぎを食べながらひたすらスマフォをしていました。

「こんな年代の人も、スマフォばかりして会話が無いんだ」とびっくりしました。


うちの奥様も、メールがやたらピコピコ来て、1時間ぐらい、ひたすらメールをしている時もあります。


まあ、たまにはそういったことがあっても良いと思うのですが、どうせ道具を使うなら会話のネタになればいいですよね。

会話がしにくい関係の逃げの道具として機能するのは、どうかな、と思います。

タバコとかも間を持たすのにいいでしょうが、体には悪い。

喫茶店に集まって、みんなでゲームをスマフォでするのは、まあいいのかどうかわかりませんが

子供の3DSと同じで、大人もスマフォ。

昔は「ゲームをやると目が悪くなる」「頭が悪くなる」といって、叱られたもんです。

ゲームもスマフォも面白く作っていて、それをやれば「はまる」状態になるようになっているわけです。

そりゃ、大企業の精鋭が凝りに凝って作っているわけですから。

それに「いや、やばい、はまっている」という危機感と言うか焦燥感を持って自覚しながら踊らされているなら、「いつか止めないと」という意識が働くのでしょうが、今は、そういった感じではないですものね。

なんなんでしょうね~。

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おかげさま農場 高柳さんと大地を耕し語り合う「食と命の教室」

2016年12月16日 | 自分の時間
この1週間、「食と命の教室」のチラシを作っていました。

過去のものと大した変わりはないのですが、マイナーチェンジというか、言葉使いやフレーズを考えたり、写真を考えるだけで、まあ時間はどんどん経って行くわけで、なかなか仕事がこれ以外は進みませんでした

今年は、少し参加費も下げ、受講しやすい形にしました。

・田んぼや畑をやってみたい人
・有機農業に関心がある人
・糀作りや稲わら納豆作りなど、農村の手仕事・技を体得してみたい人
・自然に包まれながら、心と体のバランスをとりもどしたい人
・今の社会に疑問をもっていて、何がおかしいか、気づきを得たい人
・アトピーやアレルギーなど食べ物と命の関係について学びたい人
・まじめに楽しく大人が集まれる寺子屋のような場所に通いたい人

などには、欠かせない場になります。

毎年、参加者の中から会社を辞めて別の道に歩む人が出てくるのが、この教室の特徴です。
何かしら人生の方向転換のきっかけの1つになるんでしょうね。

新年度は2月18日(土)からスタートです
チラシも沢山ありますので、どこか置く場所があればお声がけください。
新年度も楽しく深く学んでいきたいと思います。

詳細は→こちらから
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朱子学、陽明学、論語を学ぶ

2016年12月15日 | 自分の時間
この1年も色々本を読んできましたが、総決算として何が一番ためになったか、というと、やはり「論語」にたどり着いた、ということがあげられます。

「論語」というと堅苦しいイメージがありますが、いわゆる「儒教」ですね。

「儒教」というのも古めかしい、堅苦しいイメージがあったので、私は全く関心がありませんでしたが、入り口が別の所だったので、結果としてたどり着いた感じです。

原発、戦争、政治、経済、貧困、差別、メディア、教育など、様々な社会問題がある中で、あれやこれや考えてきました。

本を読んだりテレビを見て思索をしたり。

で、司馬遼太郎の歴史小説、特に幕末から明治のあたりのを見ると、志士であったり骨のある政治家の姿は「昔の日本人は立派だったんだな」ということを男子なら思うわけです。

坂本龍馬、西郷隆盛、山田方谷、勝海舟、大久保利通、東郷平八郎などなど。

命よりも大事なことにかけている、筋を通す、道を外れない。

「凄いな~」と思っていると、特に幕末は「陽明学」がとても流行ったことがわかりました。

で、その「陽明学」とは何ぞや?と思い本を読んでいくと、安岡正篤の本に出会ったわけです。

これが面白かった

ほとんどが講演形式のものを文章化したものですから読みやすいのですが、古典を紐解きながら今の生き方をわかりやすく話しているわけですね。

例えば、「学ぶ」のは何のため?

それは、「道理を明らかにするため」。

世の中の問題には理由があって、例えば、些細なケンカも、相手の事を良く知り、どんな言動をすれば相手がどう反応するか、きちんとわかっていれば、その思慮にしたがって行動すればケンカは本来起きないはず。

昔の和尚の話なんかを例えて、「悟りを開いた人は自然の摂理から超越できる」と答えた和尚さんが、実際はそれは嘘なので、キツネになってしまった。

で、人間に化けて、自分より立派と思われる和尚さんに「悟りを開いた人は自然の摂理を超越できるのでしょうか?」と聞くと、その和尚さんは「自然の摂理を超越できるのではなく、理をわかっていれば、何があっても惑わされないのだ」と答えたそうです。

それを聞いたキツネは、「理を超越できるのではなく、理は理であって、そのことをよくよく知っているから何事にも惑わされなくなるのだな!」と悟って成仏出来た、という話があります。

まあ、こんな話、興味がある人しか面白くないのですが、私は「勉強することの意味」というのを、明確に示してもらえたのは、これが初めてだったのです。


で、陽明学というのは、朱子学というものに対する対抗というか、対局にあるとも言われている学問です。

ただ、陽明学も朱子学も、ある意味、儒教の中にあるんですね。

いわゆる、孔子の儒教、です。


江戸時代は君主に使え、仁義を尽くす「朱子学」が学問とされ、他は禁止になっていました。
しかし、実践が伴わないのは本物ではない、といった陽明学の主旨が広がっていったのです。

そんなことを知った時に、たまたま見つけた本がこの本でした。


この小倉先生という方は全く知りませんでした。
その内容も全く入門じゃないもう、関心がなかったらまずもって読めない本です

しかし、むちゃくちゃ面白かった

儒教の中に、いわゆる学派のように分かれてあるのが、朱子の作った朱子学と、王陽明が作った陽明学なのですが、その世界観の違いをまあ、ダイナミックに描いているのです。

その2つを知るために、まず前提として「儒教とは何?」というところから入っているのですが、それで私は初めて「儒教ってこんな物だったんだ」と言うのを知りました。

儒教は、宇宙には道徳エネルギーが広がっている。その道徳エネルギーと自分が一体になるとき、何とも得言えない幸福感で自分が満たされる。
その最高の状態を目指すための教えが儒教である、という解説です。

そして、戦争や道にはずれが君主がいる国が多かった時代に、孔子は昔の特に溢れた君主が国を治めていた時代のことを古典で学び、そういったことを今の時代にも再現しようと活動していました。

その思想は「同心円状の愛」と小倉さんは解説します。

まずもって、儒教で大事なのは家族です。家族に対して愛があり、親の言うことを聞き、家族が調和するようにお互いが得をもって働きかけることで、家族が安泰する。

村や一般市民というのは、家族が集まっているわけで、一般市民が安心して暮らしていくには、まず、1つ1つの家族が安心した塊でなければいけない、という考えです。

家族がきんとしていれば、それが集まった村は平和で安心して暮らせる。

それが群になり、国として広がっていく、だから、国の事を思うならば、まず目の前の相手の事を思うことが大事、と言う発想ですね。

で、君主も同じで、1人1人の国民を自分の家族と同じように思えれば、そういった君主の元で国民は安心して暮らせる、という考えです。


そして、孔子様が作った儒教を100年後に弟子たちが本にしたのが「論語」ですが、その「解釈」が弟子によって違うわけです。
孔子は弟子に対して同じことでも言い方を変えていました。
例えば、行動ばかりで思慮が足りない弟子には「何事も熟慮が大事だ。まず親に相談してから何事も始めるべきだ」と言ったり、考えは深くとも一歩を踏み出すのがなかなかできない弟子には「何事もまずは動き出すことが大事だ。考えてばかりでは何も始まらないよ」と言ったり。

あるいは漢文はたんぱくな文なので、解釈をどうするかで、意味が全く変わってきてしまうんですね。

それを自分なりの論理で、論理づくめで体系だてたのが朱子です。

その朱子学があまりに論理的で完璧なのですが、混とんとした時代にあらわれたヒーローのような王陽明は、例えば朱子の「物事をしり、それを自分の中で体系だて、それにより自分の道を考え、、、」というのではなく、「物をみた時点で知っているというのが本質。花が美しいというのは学ぶことではなく、観た瞬間に美しいと思う。物事を本当に知っているというのは、そのものの本質はあって、それを観た瞬間に即座に分かって自分の行動としているものなのだ」という論を立てるわけです。

だから、陽明学を学んだ幕末の志士たちは、「今の江戸幕府はなっていない」と自分でわかった時点で、それはもう結論であって、あれやこれや悩むのではなくすぐに行動に移れる思想をもっていたわけですね。

そんなこんなで、朱子学、陽明学の違いを何となく分かったので、そもそもその元となった「儒教」ってなんなんだろう?と思って見つけたのが、この本。


慶應義塾高校で生徒のアンケート№1のわかりやすい授業で好評だった方が著作家になったそうです。

とてもわかりやすかった

前半が孔子が生きた時代、孔子がどういう道のりを歩んできたか、後半が論語の中にある1説を取り上げ、それを現代社会の会社の上司との関係など事例に当てはめて解説する形式で、優しい文章で、これこそ入門書、という感じでした。


そして思ったのが「自分の考えとシンクロするところが多々ある」ということでした。

原発事故があって、社会の問題に何ら意識を持っていないことに大いに反省し、会社を辞めて今の道に入った私ですが、例えば、東日本大震災の時に、野菜ボックスを知り合いの親戚に毎週送っていたけど「些細なことだけどお金も持たないな」というもどかしい思いを持ちました。

ボランティアにも諸事情があっていけず。

かといって、「絆」という言葉にも何か疑問というか違和感を感じたし、デモ集会に行く人達をみても、あまり賛同するというか自分が行きたいという気持ちも沸きませんでした。

そんな時、読売の橋本五郎さんが小学生か中学生に講義している話を聞いたのです。
「東日本大震災があって、何かをしたいという気持ちがあれば、被災地に行ったりしなくてもいい。そういった気持ちをもって勉強や家のことなど今の生活をきちんとすればいい。それが将来、必ずそういった問題に取り組むことにつながるから」
といったような話でした。

これが腑に落ちたわけです。

サティシュ・クマールという哲人も、世の中、問題が多すぎるけど、何から始めればいいか?という問いに「まずは、自分の食卓を見なさい。自分の食べ物がどこからきて、どういった人達がつくっていて、どう作られているか、それを知ることがすべてにつながる」と答えています。

同様だと思います。

沖縄基地問題のことは、成田空港問題を真剣に考えれば通じます。

世界の食料問題も、自分の食卓や地元の農業をまじめに勉強すれば通じます。

戦争がなぜ起こるのか?は、歴史を紐解くのと同時に、夫婦ケンカが戦争にも繋がっている、ということがわかります。


社会問題をおっかけて、家族を放ったらしにしたり、地元の第一次産業のことを学ばずに、フェアトレードやら海外の有機JASの食品を買う人を見ると「ちょっとまってよ」と思ってしまうのは、全ての問題はローカリゼーションが最後の解決策になるはずだ、と思っているからですが、その考え方は、孔子の考え方とほぼ同じなんですね。

そして、1つ1つの問題は、最後は人の在り方。

徳を求めて、道徳を深めていくことが、全ての問題の根本につながる、というのは、昔の日本人の共通した考えだったはず。

今、立派な人というのは人間が素晴らしく、そういった人は、みんな道徳心があると思います。

90歳ぐらいの方々は、大体が、立派な方が多いですが、それは、江戸時代から戦前まではあった「儒教的考え」が根付いていたからだと思います。

もちろん、為政者によって「国のため」という使われ方をしてしまったところもありますが、戦後、「日本の精神力をそぐ」ことを目的に、アメリカが「論語」や「儒教」などを禁止にし、「個人の尊重」「自由主義」が最高のものと位置づけたことで、色々な問題が起きているわけです。

そう思うと、改めて、世界の問題を解決するためには、1人1人が徳のある人になる、その道を学ぶ、という考え方を取り入れるのは、とてもタイムリーだな、と思うのですが、いかがでしょうか?
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今年最後の「田んぼと畑の耕育教室」 丹波黒大豆の収獲に餅つき♪

2016年12月11日 | 農的体験・生活
(土)(日)は今年最後の「田んぼと畑の耕育教室」でした

1年を締めくくる教室は、高級食材の「丹波黒大豆」の収獲と「餅つき」です

5月からスタートしたこの教室。
田植えの時期は周りは一面の緑に覆われていました。
それが秋には黄金色に染まり、稲刈り後は寂しい土色になり、12月になるとまるで寒々しい季節になります。

風景はもとより、田畑に入って遊んでいたころとは違って、遊び相手のカエルや虫もほとんど見かけなくなります。

そんな季節の移ろいを体験できるのも日本の良いところですし、普段の生活ではあまり感じない変化も、同じ場所に通い続けることで変化を感じるのですよね~。

さて、1日目は強風で、コンテナも倒れるほど


そんな中、まずは丹波黒大豆の収獲です


カラっカラに乾いた丹波黒大豆ですが、子供たちは「枯れちゃったのをとるの?」という質問。
なるほど、確かに枯れるまで待ってから収穫するので、収穫時というより子供たちが言う「枯れちゃったの?」というのは正しい表現ですよね

そんな枯れちゃった大豆を引っこ抜いて、鞘から1粒ずつ豆を取り出します。


鞘の中には黒豆が


5月にみんなで蒔いた種が大きく育ち、10月にはみんなが「むちゃくちゃ美味しかったです」と絶賛した「丹波黒大豆の枝豆」に
それが2ヶ月経つと、黄緑が薄紫色になり黒くなるから不思議ですよね~

さて、みんなで黒豆を収穫した後は、早く終わった家族は縄跳びをしたり、餅の準備を見学したりと様々。

そして、いよいよ餅つきです

私は合いの手をやっていたので写真が撮れませんでしたが、子供たちはもちろん、親御さんも餅つきを楽しんでいましたよ~

そして、つき立ての餅を、お雑煮、あんこ餅、辛味餅、砂糖醤油と色々なトッピングでひたすらお餅を食べました

でも、根本さんの商品で一番人気の「丹波黒大豆の黄な粉」はなんと年末の注文で在庫切れを起こし、黄な粉もちは食べれませんでした。残念


そん中、一番おいしかったのがコレ

玄米餅です。

お米には玄米があるように、当然ですがもち米にも玄米があります。
そのもち米の玄米をそのまま餅にすると、風味が抜群で、むちゃくちゃ美味いんです
また、半殺しといって粒粒をあえて残して、醤油と海苔で食べると、これまた絶品
「もうお腹いっぱいで食べれない~」といっていた子供たちが、「美味い」といつの間にかさらに3つ、4つ食べていました



餅を食べてお腹いっぱいになり、少し遊んだ後は、今回は燻炭器という道具をつかって、もみ殻を焼いて焼き芋をしました

ところが1日目は強風のためなかなか火がつかず、仕方なく横にあった穴で焚火をし、時間がない人はこちらで焼いてもらいました。
でも木材の熾火もなかなかの具合で焼けましたよ、良かった~。


2日目は根本さんが新しい燻炭器を買って来たので、上手に焼けました


美味しそう~紅はるかを炭火で焼くと、もうトロットロで甘くてたまりませんよね~


お芋を食べた後はフリータイム
いつものお友達もみんなで楽しくあそんで帰っていきました。


5月はまだ歩けなかった子が、12月には歩けていたり、「ずいぶん大きくなったね~」なんて子がたくさん出てきます。

小さな子にとっては、まだ短い人生ですから、半年もすれば大きくなるのは当たり前ですね

そんな子供たちが小さいうちに田畑や自然や異年齢の子供たち、家族たちと囲まれながら自由に遊べるこの教室、毎年毎年たくさんの方からお申込みを頂き、楽しい時間を過ごさせて頂いています。

そして今年も大きなけががなく、無事に終了できたことを幸せに思います

新年は最後の教室で「味噌作り」を行います。

この教室はリピーターが多いのですが、最も多いのは味噌作り。それほど美味しいからなんですよね~。

ということで、来年も是非、みんなで楽しく育っていきたいと思います。

あっ、味噌作りをしたい方は、ホームページからお申込み下さい。→「みんなの農村ネットワーク」

また、来年、みんなと会えるのを楽しみにしています
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決断なき原爆投下

2016年12月08日 | 自分の時間
久々に撮りためたビデオを見る時間があったので、9月のNHKスペシャルの「決断なき原爆投下」というものを見ました。

原爆はルーズベルトが急逝した後、トルーマンによって落とされたとされています。
その理由は「戦争を早く終わらせ、双方の死者を減らすため。結果、30万人の兵士が死ななかった」という話がプロパガンダとしてアメリカの多くの人には信じられています。

今回、NHKが取材して資料が出てきて初めて明らかになったことがたくさんでてきたそうなのです。

まあ、NHKというのはこういったものを粘り強く交渉して引き出すのですから、いろいろあってもやはりすごいところは凄いと思います。

まず、グローヴスという原爆計画の責任者がいます。
彼は、1944年の12月に、すでに軍内部向けの資料で「1945年7月に1発、8月に1発、その後、順次17発の原爆を作って落とす」という資料を作っています。

1945年、4月にルーズベルトが突然死に、大統領になったトルーマンは、ルーズベルトと一部の者しかしらなかった原爆計画、いわゆる「マンハッタン計画」の資料に目を通そうとせず、グローヴスは「承認された」と思い、原爆計画を進めていきました。

これが今回のタイトルの「決断なき原爆投下」の所以です。

つまり、トルーマンは、突然大統領になって、戦争をそろそろ終結をどうさせるか、という国際的な交渉や軍部のコントロールに「膨大なプレッシャー」を受けていた時期で、「原爆とは?具体的にはどのように落としていくのか?」ということを深く掘り下げていかなかった、出来なかったんですしょうね。

そしてグローヴスは「原爆の破壊効果を測定する」ために、
・人口が集中している都市
・直径5㎞以上の平地がある
・投下予定の8月までに空襲を受けていない、つまり破壊効果を測定する建物がたくさん残っている
といった条件で、東京から佐世保まで17か所をリストアップし、京都が一番良い、という結論をだしました。

理由は
・効果測定ができる上記の条件が整っている
・平地の周りが山に囲まれていて、爆風が収束されて威力がより増す
・さらに、原爆の威力がいかにすごいかを判断できる知的レベルの住民が住んでいる
といったことです。

また時期に当たっては
・6月は梅雨でだめ
・7月はまだあまり天候が良くない
・8月がベスト
・9月はまた天候が悪くなる
といった発言が気象学者から会議で出ています。

もう、こんな資料を見ただけで、世界史上の最大の非人道的行為だ、ということがわかります。

しかし、陸軍長官で京都にも住んでいたことがあるスティムソンが京都に落とすことを反対します。
理由は、「戦争遂行にあたってアメリカがヒトラー以上の残虐行為をしているという批判が、東京大空襲などに対して世界的に高まっていた時期であり、これ以上市民を巻き沿いにした戦争行為はアメリカのイメージを下げ、日本の戦争後のアメリカに対する忠誠心もそぐ」というものでした。

これに対し、あくまでグローヴスは京都にこだわります。
最大の効果測定ができる条件がそろっていたからです。

7月には資料を偽造して「京都駅、紡績工場などに軍事施設がある」という報告書を出します。
それに対し、スティムソンは「軍事的に意味がない、国益を損なう」と反対します。
グローブスは、京都に落とすことを説得するためにスティムソンの所に6回も通ったそうです。

そして、7月16日にニューメキシコで核実験が初めて成功しました。
一方で、日本では各地の都市が空襲で焼かれ、降伏も時間の問題とされていました。
つまり、原爆を日本に落とす意義はもう無くなっていました。

しかし、グローブスとしては、原爆計画責任者として国家予算22億ドルを使い、効果検証が出来なければ議会を説得したり国民を説得したりできないとし、京都に落とすよう軍部内で動いていました。

それを知ったスティムソンが改めて京都に落とすことを却下します。

そして仕方なく選んだのが広島でした。

先ほどの効果検証の条件に当てはまるからです。

しかし、今回明らかになったのは、トルーマンが明確に原爆を推進したり投下を決断したわけではない、という事実だけでなく、本人が「一般市民、特に女性や子供を殺すのは良くない」と思っていた、という事実です。

それが日記や文章や証言テープからわかったのですね。

ところが、グローブスは「広島は日本でも有数の軍事施設が集まっている陸軍都市である」という報告書を出しました。
アメリカの専門家は「グローブスがトルーマンを意図的に欺こうとした資料」とみています。

7.25にスティムソンも「原爆は軍事施設に対して投下するのであって、子供や女性をターゲットにしないように」と伝えます。

7.25にこれを受けて、グローヴスは「原爆投下指令書」を軍に出します。
「広島、小倉、新潟、長崎の1つに落とす。2つ目は準備が出来次第落とす」という指令書なのですが、これをトルーマンが正式に承認した明確な資料は今のところ見つかっていないようです。

つまり、トルーマンは軍部の動きをコントロール出来ておらず、ある意味、明確に「一般市民が住むところを狙うな」という指示を出せていなかったのですね。

そして、8.6、広島に原爆が落とされます。
この時、トルーマンはポツダム会談の帰り道で大西洋の船の上でした。
この時、市民がたくさんすむ市街地に落とされたという認識はなかったようです。

8.8トルーマンはスティムソンから広島の原爆投下直後の写真を見て「こんな酷い破壊をしてしまった責任は、自分にある」と言っています。
つまり、一般市民がいる市街地に落とすということを見逃してしまった責任をここで初めて知ったそうです。
ところが、すでに次の爆弾の準備がされていて、8.9に長崎に2発目が落とされます。

トルーマンはこのことについて「日本の女性や子供達にしてしまった行為に後悔をしている」という手紙を友人に送っています。

8.10に全閣僚を集め、トルーマンはこれ以上の原爆投下を中止するという決定を下しました。

これにより、グローブスが用意していた3発目以降の原爆は、ようやく投下を中止されることになったのです。


以上が、今回の内容でした。


ここからは私の感想。

対ドイツ、そしてドイツ降伏後は対ソ連のために原爆を実験しておきたかったアメリカ。
その実験国として選ばれた日本。

アメリカの中には日本人や日本という国を理解していた人もいますが、大勢は「憎きイエロージャップ」をやっつけるために、原爆は必要だった、ということになっています。

歴史の流れから見ると、東洋人を見下し、日本を目の上のたんこぶとし、最終的には原爆を落とす流れも彼らなりの理論であったのでしょうが、どんな理由があるにしろ、やってはいけないことをやってしまった、というのは事実だと思います。

アメリカにはそれを謝罪を出来ない国際関係、そして国内の問題があるにしろ、一般市民の我々は「やってはいけないことだった」という見解を持つべきだと思います。

我々日本人も単に戦争反対とか、原発反対とか言っているだけでは、また何かあったら「あれは戦争を早く終わらせ犠牲者を少なくするために必要だった」という論理が通ってしまいますからね。


戦争は国家行為であって、国の外交手段の1つでもあります。

しかし、あってはならない、してはならない。

でも、もし、しなければいけない状況になった時にでも、人間として最低ラインの「これだけはしてはいけない」と言うところだけは、軍人も線を引かなければいけないと思います。

無着成恭さんが高柳さんに「人が人じゃなくなるのが戦争」といいますが、中枢にいる人間は、原爆の事を少しでも理解できるのであれば、「してはならないライン」というのを持たなければいけないと思います。
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房総のむら 竹で作った「たが」

2016年12月06日 | 素敵な空間・イベント
車で10分ちょっとのところに、私が千葉県で最も素晴らしいスポットなんじゃないか、と思う「房総のむら」というところがあります。

ここは昔の農村文化や生活を体験できる場所で、映画やドラマの撮影に使われたりするぐらい、すてきなスポットです。

で、時間があったので子供を連れて久々に行ってきました

子供たちは以前の朝ドラの「とと姉ちゃん」のファンだったので、「とと姉ちゃん」が撮影されたところに期待していったら「工事中」だったり、まあいろいろありましたが、一番良かったのが竹細工のお店。

樽や桶を締め付ける「たが」というのがあるのですが、小さな「たが」を作ってストラップにしよう、というところがありました。

竹をナタで割って、皮をはがしてひごを作り、それを丸めていくのですが、初めて「たが」の作り方を学べただけでなく、その美しさに感動

そして自然にあるものを使って、手仕事で色々なものを作っていた昔の方々の手というか技というか生活に思いを馳せました。

教えてくれたおじさんは、前掛けがどこかの商店のような名前が書いてあったので、竹とかそういった関連のものを扱っている人なのかと思ったのですが「ここの職員です」ということで、実際は何者かわかりませんでした。

ただ、「ここにある樽はすべて醤油作りのメッカの野田の職人さんが作ったものですが、もうその方がやめられてしまったんです。なので、今は千葉県にはたぶん、たがを作れる職人は居ないと思いますよ」とのことでした。

美しいものを観て、体験した感動と、何だかこういった素敵なものが途切れていることへの哀愁を感じて、竹って何か使っていけないかな~、という思いがむくむくと沸いた時間になりました。

しかし、美しいな~。
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最近の畑の「へ~」

2016年12月02日 | 農的体験・生活
最近、冬らしくなってきました。

でも、農家さんは現状はそんなに普通ではない心境です

というのも、先日の「初雪」の翌日、翌々日と大霜が降りたんです。

この時期の大きな霜が2日連続で降りることはなく、この辺の農家さんの小松菜はかなり被害を受けました。

また、寒さに強いターサイさえ寒さで葉っぱが白くなってしまい、「がっくりだよ」と知り合いの農家さんが落胆していました

今年は台風と長雨と大霜とで、被害が多い年ですよね。。。


そんな畑ですが、先日の大霜で小松菜がやられたのに、寒さに弱い春菊を路地で作っている農家さんが「寒さがずっと続くと弱いんだけど、急な寒さには強いんだな」といって出荷をしているのでびっくりしました

春菊は寒さに弱いので有名で、霜が降りるとすぐに傷んで出荷不能となってしまうんですね。

だから成田近辺で路地で作っている人は、ほぼいなく、旭市とか海側の比較的寒さが厳しくない所の方で作っている農家さんが多いのです。

そんなことで、私の畑でもたっぷり春菊を作っているので観にいってみると、確かに、ちょっとだけ葉っぱがやられている程度で、ほとんどがまだまだ元気でした

あの雪の後の寒さでも春菊ってやられないんですね~、びっくり


そして、小松菜や大根を蒔いたはずの畑から、なぜか2株だけかぶが出来ていました
むむむ~、今年はかぶを蒔いていないし、周りでかぶを作っている農家はいないし、なんでだろう?
去年のこぼれ種がたまたまここに2粒だけ残っていたのか?
理由は謎ですが、食べてみたら、むっちゃくちゃ美味しかったです


そしてそして、今、一番おいしいのはホウレン草
みてください、この素敵な姿

私はずっと「日本ホウレン草」を作っています。
というのも、日本ホウレン草の方が美味しいと個人的に思うのです。
今、市場で流通しているのは西洋ホウレン草です。
葉っぱが大きく、収量も大きく、病気にも強い。
一方で日本ホウレン草は葉っぱがギザギザで茎の部分が比較的多くなり収量が少ないんですね。
しかし
やはり日本ホウレン草はホウレン草らしく、昔の人が思い浮かべる「赤い茎」のところが多いんです。
そして、むちゃくちゃ甘い


毎年食べるのですが、赤い茎のところは、ほんと、「砂糖入っているの」というほど甘いんです


まあ、私の畑は肥料不足ですから、1株1株の間をすごく空けているので、2つ上の写真のように1つ1つが大きく光合成もしやすい環境で育てているのもあるのかもしれません。

小松菜もホウレン草も、株間は大体が広くても6㎝とか8センチで、すらっと上の方に伸びて育ちますが、私のホウレン草はいわゆる「ちぢみホウレン草」のように、横に広がり地べたに這うように育てている感じなんですよね。

ほんと、美味いんですよ~

そんなこんなで、毎年同じ畑で同じ野菜を作っていても、あの大霜にやられなかった春菊の強さを発見したり、なぜかカブが生えていてそれが美味しかったり、普通の有機農家さんの作っているものよりも圧倒的に美味しい日本ホウレン草があったり、といつも「へ~」という気づきがあるから、やっぱり面白いですよね
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やはり我が子は天才

2016年12月01日 | 素敵な家族・子供との時間
うちのお兄ちゃんは変わり者、というか、一歩間違えば天才だとやはり思うのです。

先日、弟をいじめていて叱られた後、弟が宿題をしている横で、なにやらこそこそやっているのです。

「みちゃだめ」と言って見せてくれなかったのですが、弟が宿題を終わると、「これ、さっきのお詫び」といって渡したのがこの絵。

いろんな色のカラースタンプインクに自分の指をつけて、指紋で宿題をしている弟の絵を描いて、その絵をお詫びとして渡すわけです。

こんな絵をふと思いついて指で描いてしまう発想や、お詫びをこんな形で示そうと思うところが、ちょっと常人離れしているというか、良く言えば子供らしいというか、すごいな~と思うのです。



で、今日は小学校の放課後子ども教室というもので、クリスマスケーキ作りをやりました。
お母さんスタッフがホットケーキを焼いて、子供たちはトッピングをするというものなのですが、みんなかわいらしいのを作っています。
例えば、女の子なんて、こんな感じでとってもかわいいくトッピングをするわけです。
1枚に生クリームやジャムをぬって、もう1枚を重ね、さらにその上にかわいらしく飾りつけをするわけですよね。



ところが、わが子はこういったものを作るのです。
パンケーキの1枚をちぎって周りの飾りつけに使うなんて子は、40人以上いて、わが子だけ
お母さんスタッフの1人も「これ、すごいね~」とその発想にびっくりです


更に、帰宅後、余ったパンケーキでまた作りたいというのでやらせると、パンケーキを小さくちぎってちらばらせ、ジャムやお菓子も細かく砕いて、小さなチョコのアポロもトッピングして、「いろいろな雪(アポロの庭で)」と自分で作品名を紙に書いて写真を撮る始末。

彼にとって食べ物もまずは芸術の1つ、作品の1つなんですね


こういったことを自由にできるセンスは、ちょっと変わっていると思いますし、まあ、良く言えば天才だな、と思う親でした。
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