半農半X?土のある農的生活を求めて

「生きることは生活すること」をモットーに都会から田舎へ移り住み、農村の魅力を満喫しながら、日々、人生を楽しく耕しています

「食と命の教室」の同窓会

2018年01月29日 | 素敵な空間・イベント
昨日は「食と命の教室」の同窓会でした

「食と命の教室」に1回でも参加した方にお声がけして、その後、どうされているかの近況報告をする会。

高柳さんの「人はご縁で生きているから、1度会ってそれっきり、ではなくて、その後のことも確認することは大切だ。だからこれからもこの同窓会は引き続き、続けていきます」という言葉の通り、ご都合があった方が参加して、久々の顔に笑顔があふれたり、近況を報告したり。

また、最近の問題と思うことや、これからの生き方についてなど、いろいろざっくばらんにフリーで交流しました

そして、今回もいつもの通り、美味しいお母さんのご飯でみんな大喜び


「実家に帰ってくる気持ちでここにきてます」という人もいるのは、高柳さんを「第二のお父さん」と慕ってくれる気持ちがあるのと、このお母さんの昔ながらの田舎料理の2つがあるからですよね

夜勤明けの方もいましたが、みんな「来てよかったです」とほっこりしていました。

楽しく笑いあり、まじめな語りあり、そして美味しいごはんあり、というのがこの教室の特徴。

お土産に長ネギとサニーレタスの持ち帰りもあったのですが、みんな「わ~今、サニーレタスも高いですよね~」と大喜び

おかげさま農場は、世の中の相場がどうであろうと値段を変えません。

そのことに、「値段を変えないんですか?」という質問する人もいましたが、高柳さんは「私はそういう駆け引きは一切しません」とぴしゃり。

お金のために農業をやっているのではない、というポリシーからこの30年間、このスタイルでやってきた高柳さん、格好良いですよね~


そして、今年度の「食と命の教室」は2月17日(土)からスタートします

有機農業歴30年、何百年も前から続く高柳家を継ぎ、次世代に継いで行こうとしている昔ながらの生き方を今も続けている高柳さんと、田んぼの畑に糀作りや稲ワラ納豆作りなど、農村の暮らし、食べ物と命の関係を学んでいく教室です。

「俺らは歴史という縦の線と、地域という横の線の間に生きている。田んぼや畑も含め、どれも自分のものなんて1つもない。ご先祖様から受け継いだものを、自分の代で借りているだけ。それを次の代に渡していくのが自分の務めなのだから、少しは受け継いだ時よりきれいにして渡していきたいよな」と、いう、たぶん、どの日本人もそうであったろう価値観の高柳さん。

こういった人が生きているうちに、次世代を担う方々に1人でも多くあって感じてもらいたいと思います

今年はどんなご縁が生まれるか、楽しみです
https://www.minson.jp/shyokutoinochi/
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『NHKスペシャル「人体」』で腸内細菌の話

2018年01月26日 | 自分の時間
先日の『NHKスペシャル「人体」』で腸内細菌の話が出ていました。

その中で、筋肉が硬貨したり異常なアレルギー反応など急増している重病の免疫暴走を防ぐ菌などとして、「クロストリジウム菌」と「ラクトバチルス(乳酸菌)」の2つの菌が紹介されていました。

この2つの菌の名前を聞いてびっくり

というのも、今、まさに私が仕事で携わっているコアな有機農業グループの最近のトピックとして、この2つの菌をいかに使うか、というのがお題目として挙がっていたからです。

このグループは「医食同源」を科学的にもやっていこう、というグループで、「健康で美味しい野菜作り」を最新の数値分析をもって評価しながら行っています。

例えば、抗酸化力や栄養素や食味などを数値分析できる時代で、「健康に育った抗酸化力が極めて高い野菜は、結果として食味が抜群に良い野菜」ということがわかってきています。

昔の篤農家が、その野菜や豚さんなどの「品質」を競っていたことがありましたが、それを数字分析でやっている感じです。

そして、健康な野菜を作るには、健康な土、例えば鉄の棒が1mぐらい刺さるほどの団粒構造で柔らかく水はけが良い土、そして病原菌やセンチュウなどの害虫を寄せ付けない土作りをするために、堆肥作りに力を入れています。

その堆肥作りに欠かせない2つの菌が、まさに今回のテレビに出てきた腸内の免疫暴走を防ぐ菌としてしょうかいされた「クロストリジウム菌」と「ラクトバチルスコアギュランス菌」の2つなのです

「こんな偶然ってあるののかな~」とびっくりしました。

そして、ふと思ったのですが、野菜も畑の微生物によって生かされ、人間も腸内の微生物によって生かされているわけですが、ふと、もしかしたら現代人は土を食べていないのかな、と思いました。


農産物というのは、ドイツのリービッヒさんが「窒素、リン、カリの3大物質からできている」と「分析学」で導いたため、化学肥料は、この3つの成分を表示しています。

しかし、有機農業のディープな世界では、それは間違っている、ということがわかっています。

1gの土には1億を超す微生物が住んでいます。

そして、腐葉土や虫の死骸を目に小さなミミズや虫などが食べ、その糞や死骸を食べる微生物がいて、それをさらに食べて分解するバクテリアや菌がいる。

その小さな生態系の中で、結果として生みだされる莫大なたんぱく質、アミノ酸、微量要素の鉄、マンガン、銅、などたくさんのものが根っことごちゃまぜになって、根っこの中に住み着いたり、根っこの周りにできる根圏菌が共生して、その栄養素が植物の光合成を助けたり栄養素になっていくわけです。

つまり、健康な植物は、炭水化物やたんぱく質などが分解された残差物を吸うから育つのですね。

人間の胃腸も同じで、戦後に入ってきた「栄養学」のせいで、食べ物を命としてみる東洋的な考え方よりも5大栄養素などと言われる「数字」で考えるようになりました。

そのため、学校給食では摂取必要カルシウムを与えるために、牛乳は欠かせない、となるのです。

しかし、植物は土の中の微生物によって生かされている、というのと同じように、人間も胃腸の中に住み着く微生物によって生かされている、ということが、腸内フローラという言葉でようやく浸透してきました。

生き物は、その母なる大地、野菜で言えば土だし、魚介類で言えば海、人間で言えば腸内の微生物群次第で、健康にも不健康にもなるわけです。


そして、人間というのは、胎内の赤ちゃんの時は無菌だけど、産道を通ってくるときに、母から莫大な菌を与えられるといいます。
そして、その菌が種菌となり、まず飲む母乳によって乳酸菌など爆発的に菌が体に広がって免疫ができるといいます。

そして、その腸内に出来た母なる微生物に与えるエサ=食べ物で、腸内バランスが良ければ病気に、悪ければ血液が汚れ腐敗菌が増え病気になっていく、というのがメカニズムなんですね。

ところが、最近は、奇病が発生している。

それは生き物の食べ物ではなく、添加物や火が通って酵素などの生命が生きていない「栄養素」としての人工物を多く食べているからだ、というのが言われてきました。

ところが、今回の免疫の暴走には「ラクトバチルス」や「クロストリジウム菌」が腸内にほとんどいないことから起こっている、というではないですか


田舎暮らしでは野菜の皮を剥くなんて普通はしないし、野菜の洗い方も雑だし、生姜なんて皮そのものが大事なわけで、ほんのちょっとですが土は多少くっついたまま食べています。

一方で、土は徹底的に洗い落としたり、皮はむくのが当たり前だったり、既製品のサラダとかを食べるのが日常の人は、多分、私たちに比べて土を摂取していない、つまり、本来、土と一緒に取り込んでいたラクトバチルスやクロストリジウム菌など、人類が生まれてからずっと食べ物と一緒に摂取していた菌を、ここ数十年の衛生指導やなんでもきれいにするという思想により、摂らなくなってきてしまった、ということなのかもしれません。

あるいは、有機農業は「微生物の生態系」を大事にしますが、慣行農業は「土を滅菌、つまり良い菌も悪い菌も皆殺ししてから作物を育てる」という発想ですから、土そのものが健全ではなく、偏った不自然な土で育てているのが多いので、野菜そのものに栄養素、もっといえば本来その野菜が共生している菌がいなくなり、不自然な野菜を食べているのかもしれませんね。

ちなみに、先述の栄養素などを測って抗酸化力や生命力ある野菜を作るグループの先生のお話では、例えばミカンの鉄分は、戦後ぐらいの昔に比べて半分以下になった、とか、小松菜や野菜のほとんどの栄養素が昔に比べて極端に減っている、つまり、同じ野菜でも全く別物になってしまった、と警告を鳴らしています。

食物と一緒に多少なりとも自然界の土やらバイ菌を食ってきた私たちが、ここ数十年で一気に衛生的になって、土を含めた環境下の微生物を食べなくなったこと。

あるいは、本来、野菜が健康に生きるために必要な微生物がいない土で育てられたがゆえに、健康ではなく農薬で生かされて育てられた野菜を食べるおうになってしまったことが、もしかしたら腸内細菌のバランスをおかしくしてしまっているのかもしれませんね。

まあ、これは大きな流れからの推測で根拠はありませんが、本来、栄養学や科学の発達で病気が無くなっていくはずが、原因不明な奇病がどんどん増えていっているのには、今の生活に何か根本的な間違いがあるのでしょうね。
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真弓先生の映画「蘇れ 生命(いのち)の力」

2018年01月21日 | 素敵な空間・イベント
今日は小児科医の真弓先生の映画、「蘇れ 生命(いのち)の力」を観てきました

真弓先生というのは、オーガニックの業界、あるいは自然に沿って生きようとしている人たちでは有名な小児科の先生で、薬を出す対処療法ではなく、その子の生まれ、育ちといった全体を見て、食べ物から生活改善を促す、といった先生です。

また「野生動物に学ぶ」ということを指針にされていて、例えば、牛乳を子供に飲ませない、という親御さんがたまにいますが、真弓先生の影響を受けている方が多数います。

一般的には牛乳は「栄養素」としてカルシウムがあるので、学校給食では必須になっています。

一方で、長い歴史を見ても、日本人は牛乳を飲んでこなかったですし、そもそも日本人は牛乳を分解できる酵素が胃袋にある人が多くありません。
牛乳を飲めるのは西欧人で、長い年月をかけて牛乳を飲めるようになってきたわけです。

日本人の胃腸には麹菌や漬物などの乳酸菌とは合いますが、牛乳は異物で、飲めば下痢をする人、息が臭くなる人などが多いのが現状です。
それでも、ヨーグルトは健康に良い、といった宣伝で、乳製品を摂る人はたくさんいます。

でも、養生の世界、日本人の昔ながらの食生活を提唱している研究者からすれば、小魚の方が結局吸収して体内に保存される、とか、分析数字とは違ったところで、日本人にあった食べ物を、という人は多いのですね。


そんな真弓先生のお話は「この60年で、食べ物が大きく変わり、子供たちがおかしくなってきた」というものです。

真弓先生が小児科医になった頃の「子供たちの平均基礎体温」という目安となる数字を映画の中で見せてくれていますが、平均が37℃台なわけです。

昔の子供は平均体温が37℃台で薄着で体が強かった。

国の指導書などもそれが当たり前だった。

ところが、平均体温は1960年台頃から徐々に下がり続け、今では35℃台後半の子供もいます。

これを真弓先生は「大変なことが起きている」と警告を発してきました。

「基礎体温が高いと免疫力も高く、病原菌を寄せ付けない体であった。それが、食べ物が変わり、冷暖房機能が出来、不自然な生活をしていくことで子供たちがおかしくなっていってしまった」ということで、暑ければ暑くて汗をかいて自分の体温を下げる、寒ければ代謝を上げて体温を上げる、という野生の動物と同じ機能を人間も持っていたのが、この70年ぐらいで大きく変わってしまった、という指摘をしています。

これは私の師匠の高柳さん、また、あなたと健康の東城先生をはじめ、ちょっと前の日本人の暮らしを現代に伝えている先人のみなさんの共通した意見です。

牛乳に関しても「乳というのは血液。そして我々、人が他の動物の血液を飲むなんてことは良いわけがない。まして、子供に他の動物の血液を飲ませるのは一番悪い」と警告を発し続けてきました。

そして、熱、発疹、嘔吐、下痢などの表面上の症状、今の症状は問題が無い。
それは体が治そうとしているのだから、薬で押さえつけてはいけない。
それより、どうしてそういうことになったのか、といった子供の体質、その体質にしてしまった食生活や育て方に問題の原因を探していきます。

例えば、「カタカナをひらがなの食事に変えたらいいんです。スープを味噌汁に、ヨーグルトを納豆や漬物に、パンをご飯にすればいいんです」といいます。

こういったことが真弓先生に対する知識でした。


しかし、映画を見て、その肉声を聞いて、そのお人柄を見て、「あぁ、まったく違うな」と思いました。

結局、文章で伝わってくることは知識や情報なのですが、真弓先生の言いたいことは「人間も自然の中の一員。自然に沿った昔の日本人の生き方、暮らし方に戻ろうよ」ということなんですね。

まさに高柳さん、東城先生などと全く同じことなんです。

今の生き方がいかに不自然か。


そして、そういったことについても、指摘し直させるようとするのではなく、また伝えるというより伝わるのが自然であり、無理にこちらから知識を伝達させようとか、考え方を改めさせようということではないのです。

「〇〇が悪いから、それを食べるな、というのも不自然なんです」という感じで、押し付けでは無いんです。

そして、これまた興味深かったのが、かつて、臨死体験をしたということで「あっちの世界が気持ちよい世界だというのはわかっている。でもまだあっちに行かせてもらえない。まだ仕事があるんだろうね」というスタンスで人生を送られているのです。

そして、「野生動物に見習え」とありますが、野生動物はいつ襲われて命を落とすかわからない。
それも自然。
起きたことを素直に受け入れる。
脳梗塞で倒れたのも自然。
お迎えが来るのも自然。

そういったことを淡々と生き様として実践されてきているんですね。

今回、真弓先生の娘さんも来ていて、映画だけではなく、普段の真弓先生の考え方、思想、生き方も教えて頂きました。

娘さんのお話を聞いて感銘を受けたのが「伝えようと思う事自体が不自然。伝わっていくというのが自然なんだと思うんです」という言葉。

「あぁ、そうだよな~」と。

私も「本物は自然に広がっていくはず」という信念をもって今の仕事をしていますし、それが世の中にあっていれば、少しずつでも広がっていく、ことを仕事として実感しています。

そして、いつか、自分の生き様そのものが後世の役に立つように、というのが最大の使命として生きていますが、「本物は伝わっていくのが自然」という思想、大変共感しました。

自分も今の道を精進していこう、と改めて思えた言葉でした。

ちなみに真弓先生がかつて小児科医長だった佐々病院は、私や姉が出産の際にお世話になった病院で、何かのご縁を感じます

あと、映画の中には真弓先生だけでなく、例えば「自然の出産」を推奨していた吉村先生も出ていました。
私も吉村先生の本に感銘したことがあり、また次男は自然出産だったので、懐かしく、また久々に子供が生まれてきたときのことを思い出し涙がウルウルと出ました

ちなみに、夜、寝るときに、子供たちに生まれてきた時がこうだから、今がこうなんだよ、という話をしたら、長男は「家族っていいね~」ととても満たされている感じでしたよ

最後に、懇親会で、神崎町の宮下さんがやっている「おむすび茶屋さつき」のおむすびがふるまわれましたが、久々に食べてとっても美味しかったです

色々な人がつながって、今回の上映会が出来ましたが、とても良い場でした。

参加させて頂き、ありがとうございました
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今年も素敵な寺田本家酒蔵見学会でした

2018年01月20日 | 素敵な空間・イベント
1~2月は土日にきちんと休みが取れるのが1回もない、結構ハードな月です。

というか、農業のオンシーズンではないため、土日の単発イベントが目白押しなんですね。

そんなことで年明けの8日の味噌作りで体を冷やしたのか、大風邪をひいてしまいました

そして、何とか復活した13日の餅つきで、寒い中3時間ぐらい手を冷たくしながら洗いものや熱い餅をさわったり、ということを繰り返し、上半身がサウナ→水風呂のような感じで、かなり心臓にきたみたいで、ノックダウン

翌日ちょっと復活しましたが、朝から夕方まで昼食抜きの味噌作り教室をwヘッダーで2回運営し、体力&生命力が低下しながらなんとか今週を生き延びてきた、という感じです

そして、多少なりとも体力が回復しながら迎えたのが本日、「寺田本家酒蔵見学会」でした


「寺田本家」はオーガニックの世界では知らない人がいないほどの有名な酒蔵さん。

私が神崎町近くに移り住んで、ご縁が出来たのが8~9年前で、私が「みんなの農村ネットワーク」を立ち上げた際に、酒蔵見学会を一緒に年に1回やらせて頂いています

例年、定員の3倍ぐらいのお申し込みがある見学会で、寺田さん人気は毎年増すばかり。

お知り合いになった当時は蔵人頭だった優さんも、今は当主、つまり代表取締役になり、日々、お忙しく過ごしていらっしゃいます。

また、奥様の聡美さんも発酵料理研究家として本を出したり、商品を開発したりと忙しいところ。

そんな状態でも、今年もご一緒にできたのはありがたいですね


そしてふと気づきましたが「自然に学ぶ酒作り」とあるんですね。

これは「あなたと健康」の「自然に学ぼう」という言葉と一緒だということに気づきました

例えば、普通の酒蔵なら立ち入り禁止の糀室などにも誰でも入れてしまうことなど、ありえないのですが、寺田さんはあくまで殺菌・滅菌ではなく、多様な微生物、生態系がある中で力強い生命力が育つという、自然そのものの考え方で作られているところが、他との一番の違いかと思います。

まさに自然の力でできたお酒ですよね。

自然に学ぶというのは、現代人にとって必要なキーワードなんでしょうね。

それを言葉だけでなく飲み物や食べ物で体で学べるのがこういった見学会の良いところ。私も主催者といってもほとんど参加者の1人として存分に楽しませて頂きました。

良きご縁に感謝感謝です
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おお風邪をひきました

2018年01月12日 | 自分の時間
みなさん、いかがお過ごしでしょうか?

私は農村を仕事場にしているので、人混みにはいかないので、もうずっとインフルエンザにはかかっていません

しかし、風邪はたまにひきます。

でも、高熱になる大風邪はここ2年ぐらいひいていなかったのですが、久々に熱をだしました

年始何をしていたかというと、例えば、ピヨちゃんとつっつの生育ぶりを見学に行ったり。


今年のたくあんが結構よくできていたので、エヘンって感じでした


そんな流れでしたが、1発目の教室が8日(月)にありまして、味噌作りをしたのです。

元気はつらつだったのですが、とても寒い日で、朝から水洗いで容器などを水で洗っていると、井戸水自体はぬくいのですが、洗い物を終わった瞬間から吹きすさぶ風で手がガヂガヂになっていくのです

それでも動き回っているので寒さは感じず、教室も満員御礼で楽しく味噌作りを終えました。

お昼ご飯を農家の根本さんと食べているときに、背中にゾクっと来たので「あら、こりゃやばいな。早く温まろう」ということで、昼食後、また水洗いで洗い物をして体を冷やしたものの、夕方すぐに家に帰りましたが、やはり冷え切ったのでしょう。

お風呂に入って何とか悪寒はとったものの、「こりゃやばそうだ」ということで、8時ぐらいには布団に入りました。

その時はまだ気が張っていたのでしょう。本なんか読んだりしていましたが、電気を消して寝ていると、悪寒が止まらないのです

羽毛布団に毛布を重ねても寒く、最後にはパジャマを2重に着て、その上に2枚はおって、という感じでした。

2時間起きに目が覚めてトイレにいき、みたいな感じでしたが、翌日、まともに動けるようになったのはお昼も近い10時過ぎで、頭もガンガン痛かったのです

幸い熱は下がり、一気に高温を出したのでしょうが、その後遺症で脳細胞がかなり死んだらしく、頭が痛く、まあインフルじゃないにしろ医者にいったらやはり風邪のようで、ひたすら体力を回復させるしかない、ということになりました。

火曜日は1日寝ていて、水曜日の仕事も半分お休みし、午後からの野菜ボックスの仕事をし、また寝ました。

木曜日はだいぶ良くなったのですが、まだ体のダメージが回復していない感じで、朝の仕事、午後の学校の教室関係をして、早めに寝て、そして今日がある感じです。

長引く風邪と違って1回高熱で済んでよかったのですが、寄る年波に勝てないというか、体力回復までは時間がかかりますね

明日、あさってとまたイベント続きなので、体調を整え、元気に仕事に戻りたいと思います
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新年、明けましておめでとうございます

2018年01月01日 | 自分の時間
あけましておめでとうございます

平成30年は、初の宗吾霊堂での除夜の鐘つきから始まりました

この数年、私を除いて妻と子供が宗吾霊堂に行き、除夜の鐘をついていましたが、私としては深夜に出歩くと翌日つらいとか、年末ひっそりゆっくりと過ごしたい、みたいな気持ちもあったので行っていませんでした。

ただ、今年は体力も戻ってきており、行こうという気持ちが。
しかし、妻は風邪気味で行かないといい、下の子も眠いから行かないといい、実際、風も吹いて寒くて行きたくないな~という気持ちもありましたが、長男が「行こうよ~」と強くせがむので、2人で行ってきました

今回は珍しく妻が「紅白を観る」ということで、おばあちゃんちでみんなで紅白を見ていたのですが、「そろそろ出発する準備をしなくちゃね」という23時過ぎのタイミングで、なんと安室ちゃんが登場

ということで、安室ちゃんを観てから出発したのでちょっと遅れ気味になり、宗吾霊堂の近くのお友達の家に車を置かせていただき、そこからダッシュで宗吾霊堂へ子供の案内に従い駆け込みました

本当に108番目で行列を打ち切るのかわからなかったのですが、徐々に進んでいくと「108番目を目途に打ち切らせてもらいます」みたいな看板があったのでドキリ。

「108番目に入れなかったら、せっかく来たのに鐘をつけないな~」という思いが沸きましたが、その時点で「これも煩悩だな」ということに気づきました

ということで理性を働かせ「番が回ってこなくても、みんながついているのを聞いて心を清めねばならないね」と邪念を祓っていましたが、最終的には順番が回ってきました。

ただ、次々とつかなければいけないので、なんというか風情とかしみじみ、といったことを感じる余裕は無く、流れ作業でついたので、あまり心象に残る時間にはなりませんでした

その後、お友達家族とも会ったのですが、いつも来ているその家族は「今年は家を出るのが遅かったせいか、鐘はつけなかったんです」とのこと。
やはりある程度早く到着しないとつけないものなんですね。

宗吾霊堂で少し時間を過ごし北区すると、2時過ぎ
下の子も起きていましたが、もう遅いので就寝。

元旦は寝正月でもいいかな、と思っていたのですが、なぜか日の出時刻にバッチリ目が覚めました

ということで、「そうだ、初日の出を毎日拝んでいたんだ」と思い出し、いそいそと着替えて、今年も家の前の森林公園で初日の出を拝みに家を出ました。

もう何十年も元旦のご来光を仰いでいますが、新年のお日様はいいですね

冷たい空気の中で、あのオレンジ色の光が当たりを照らし、自分が光に包まれていく感覚。
日本人がお日様が好きなのはこれもう本能でしょう


また、薄暗かった木々がお日様の光を浴びてオレンジ色に輝くのも私は大好きです
冬の朝の光って、なんでこんなにきれいで美しいのでしょうかね~。



今年も無事に清々しく無事新年を迎えられたことに感謝です

今年も家内安全、家族円満、みんな元気で笑顔に過ごしていけますように。
そして、地域の人、ご縁がある人、そして世界中のみんなが幸せに生きていけますように。
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