半農半X?土のある農的生活を求めて

「生きることは生活すること」をモットーに都会から田舎へ移り住み、農村の魅力を満喫しながら、日々、人生を楽しく耕しています

2016年度最後の「田んぼと畑の耕育教室」

2017年02月28日 | 農的体験・生活
この土日、2016年度最後の「田んぼと畑の耕育教室」でした

乳幼児連れの家族が思いっきり田舎・自然を体験できる場として始めたこの教室。

5月は田植えに始まり、自分で田んぼでドロドロになりながら、自然と戯れる。

自分で植えた苗からミニトマトが出てきて、それを獲って口にほうばる。

稲刈りしたり、カエルを捕まえたり、穴を掘ったり、ザリガニを用水路で釣ったり、メダカを捕まえたり、餅をついたり、そばを打ったり。

私が東京にいた頃にあこがれていたことが、全部詰まっている教室。

子どもを思いっきり自然や田舎の中であそばせたい、という親御さんの気持ちを満たせるよう、そして子供が体いっぱいその場のものを吸い込めるよう、やって参りました。

1~2月は味噌作りで、今年は5日間開催しました。

味噌作りだけのリピーターも多いほど、美味しい味噌が出来るわけですが、これにて今年度も終了です。




2012年から始めたこの教室ですから、5年目が終了となるわけですね。感慨深いものがあります

毎年、参加人数が増え、今ではつねに満員御礼なわけですが、最初は東京の知り合いを中心に10家族ちょっとで初めていたころが懐かしいです

根本さんとも色々ありましたが、今回も大豆が焦げるというトラブルも

しかし運よく手が打てて、何とか無事乗り越えました。

私はもともとビジネスの世界でセミナー運営などは人よりちょっと違った「場の雰囲気」を感じ、マネージメント出来る方だったと思いますが、この教室を続けて、「場をホールドする」というスキルも格段に上がったと思います。

田畑や自然が先生で、その場をいかに整えておくか、入りやすくするか。

あとは親子が自由に存分に楽しんでいただくだけ。

安全管理と全体の流れを観ながら、みんながかなり自由に楽しくあそんできてもらいました。

本当はきちんと体験させた方が良い、という人もいます。

しかし、乳幼児にとっての体験というのは、大人の考える体験とは違います。

1分も田んぼに入れなかった子が、秋になると「自分が育てたお米」といったり、翌年に「田んぼにまた入りたい」と言うんです。

子どもは周りと同一化できるのです。

大人とは違うんですよね。

そんなことを私も学びながら、延べ何千人の親子が参加したことでしょう?

そんな教室も今年度はコレで終了です。

そして2017年度は、準備を整えて3月に入ったら募集を開始したいと思います。

今年度のみなさま、ご参加有難うございました。

そして、また新しい年度、新しい出会いを楽しみにしています


最後に、根本さんが畑で来年度のジャガイモのための肥料撒きを始めました。

糠、蕎麦がら、クズ米、クズ大豆を撒くのですが、それに群がる子供達。
大人も触ってみたら「しっとりふわっ」としていてとても気持ちよかったです

2016年度の終わりに日に、もう2017年度の準備が始まります。

こうやって休むというのはあんまりないのですが、それでも教室自体は3月、4月はお休みですので、来年度に向けて準備をしながら、頑張ってきた自分も少しお休みモードに入りたいと思います
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NHKスペシャル:「見えない貧困 未来を奪われる子どもたち」

2017年02月23日 | 自分の時間
NHKスペシャルのお話。

NHKは色々上層部が問題を起こしているかもしれませんが、最近の民法に比べて、きちんとした番組を作っていると思います。

NHKスペシャルは特に「おっ」という番組が多いです。

最近の「おっ」は「見えない“貧困” ~未来を奪われる子どもたち~」でした。

http://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20170212


子ども達の6人に1人は「相対的貧困」に置かれていると言われています。

恐らく、私の知り合いのほとんどが「相対的貧困ではない」ので、関心を持たないのでしょうが、私が子供の頃に比べて、「貧困層」は増えていると思います。

ちなみに私は「貧困」と「収入が低い」は違う、という持論があります

また、「収入が低い」のと「教育が受けられない」も違う、とも思っています。

「貧困」とは「困っている、困窮している」ということで、我が家の収入は低いですが、東京のセレブよりも良い食べ物を食べ、子供たちには塾やお稽古に通わせながら両親が働いている家庭よりよっぽどコミュニケーションを取り、子供たちの幸せ感を創れていると自負しています(と、自己肯定しています

それはさておき、「相対的貧困」とは、世の中の平均所得の半分以下を指すそうです。

つまり、平均所得が380万ぐらいなら、190万以下であれば「相対的貧困」となります。

そのほとんどが母子家庭です。もちろん、旦那さんが持病で長期労働、つまり正社員にはなれず、結果、パートや期間労働で働かざるを得ない家庭もあります。

で、番組で出ていたのは「貧困は目に見えない」ということです。

・スマフォなど、必要なものは優先してお金をまわしているので、見た目では貧困のように見えない
・高校生などのアルバイト費も世帯収入に入るので、数字としては貧困に見えない
・子供たちが隠すため、教師や周囲が気づきにくい

のが理由として挙げられていました。

びっくりしたのが、ある女子高生。

平日は平均4時間、土日は平均8時間働いています。

何故か?それは学費は自分で賄う、という状態だからです。

番組で取り上げられた家庭は大体が平均手取り20万未満。公の補助費含めてです。

母子家庭でお母さんは働き通し。

子どもはその姿を見て育っているので「おかあさんも大変、無理をしている。だから自分で働かなくちゃ」という思いが自然に育ちます。

それが「良いこと」なのかというと、「子供らしい時間」を過ごせません。

毎日、学校が終わったら部活も出来ず、働き通し。勉強する時間、友達と遊ぶ時間もありません。
それがず~っとほぼ毎日続くのです。

だから学校では眠くて授業中に疲れてぼけーとしてしまいます。

でも、休み時間はそんな働いてる素ぶりを見せず友達と談笑。唯一の日常というか子供らしい時間。

そして毎月の学費や友達との交際費やスマフォ代だけでなく、大学の費用も積み立てています。

「お母さんは就職すると思っている。もし自分が進学を考えていると言ったらびっくりすると思う・・・」ということで、母親にまだ進学したいという気持ちを打ち明けられていません。

そして、学校の「奨学金」の相談で「月間12万ぐらいの借金、つまり12万×12か月×4年=600万近くの借金をするかどうか」を、どこに進学するか、といったこととは別に、高校3年生の女の子が自分1人で決めなくてはならないのです。

親に相談さえできないので、「自分で返すことが前提」ですから、毎日毎日働き通しで、コツコツお金を貯め、アルバイトでどれだけ働けばどれだけ稼げるかを大体体でわかっている子が、これから勉強を頑張らなくちゃいけない、という時期に、「受験料、入学料、学費、生活費」のことを決断しなければいけないのです。

それは当然、親には頼れず、全部自分で返す、ということが前提という思考で。

奨学金のパンフは笑顔のモデルの高校生が写っています。
その写真を見て「なんで、笑ってるんや。。。なんで、笑ってるんや。。。もう、いやや。。。」と心が萎えそうになっているのです。

また、小学生2人の家庭ではお母さんは働き通しで、夜に帰ってきて、また9時に夜勤で2日に1回は家におらず、2人で寝ないといけません。
小学生低学年の小さな子供2人が、2日に1回は子供達だけで寝ている。愛情も欲しかろう、甘えたいであろうと思うと切なくなります。

また、ある高校男子は、Yシャツはずっと姉のおさがりです。女性ものですのでボタンは逆だけど、「みんな気づかないから」ということで、それで3年近く通してきました。

ただ、中学生でキャプテンもやったバスケは、高校では断念。靴1足買うのがどれだけ大変か、家庭のことがわかっているからです。
本も、おじさんが子供の頃に使っていた図鑑などをおさがりでもらったもので、教科書以外の本はほとんど家にありません。

テレビだからそういった子を特別取り上げたのかもしれませんが、働くお母さんには気持ちの余裕が無く、それが子供たちにも伝わるので、子供たちは「自分たちも我慢しなくちゃ、頑張らなくちゃ」という思いが募ります。

それが切迫感となって迫ってくるのです。

そういった子達は「明るい未来なんて考えられない」といいます。
そりゃそうです。ずっとずっと「お金がない」ということを考え続けているわけですから。

大学進学の6割が今は奨学金を頼ると言います。
そのほとんどが、子供たちが全額返すという状態です。

奨学金があることはいいことです。

ただ、それを全部子供たちに返すことを決めさせる前に、出来ることは多々あります。

例えば、目標の成績や社会貢献をすることで、減額する。
例えば、世界的に先進国は公立の大学は無料であり、日本の公立の大学の費用は高すぎるのだから、半額にする、あるいは無料にする。

日本にいると、それが当たり前に思えますが、世界的にみると、「おかしいでしょ、それは」というのが多々あります。

以前聞いた話ですが、アメリカはもっとかわいそうで、退学する子供の10%~20%が「奨学金が返せないから」という理由で止む無く辞めるそうです。

一方で、ドイツやフランス、北欧などは無料です。

経済格差ということで、何でも個の家庭に押し付けるのではなく、国として、制度として、もっとまともにならないものでしょうか?

最近、成田で「こども食堂」を開こうという動きが3か所ぐらいであります。

それにあわせて「学習支援」も付け加えたらどうかな、と考えている今日この頃です。
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ゴミ拾い

2017年02月22日 | 素敵な家族・子供との時間
この前の日曜日、子供を連れて普段は歩かない裏道のちょっとさびれた繁華街の道を通って駅の方に歩いていました。

すると、下の子が落ちている空き缶などのゴミが気になり、せっせと拾い始めたのです。

普段から学校の帰り道などでゴミを拾って帰ってくるという、なんとも生真面目な子なのですが、さすがに繁華街ですから5mも歩けば空き缶が5個ぐらいになってしまいます。

私は「もうその位にしとけば」と行っても、本人は持てる分だけ拾うわけです。

中にはアルコールのものや中身が中途半端に残っているのもあります。

住宅街や人口密度が低い所であればゴミもそう無く、まあ何ともないわけですが、あちこちに落ちているちょっと汚らしいゴミを拾う我が子を見て、止めるのもなんだし、かといって腕に抱えるぐらい持っても本人が汚れてしまうし、どうしたらいいかちょっと困惑してしまいました

子供みたいに素直になって、一緒に「どんどんやろう」と言えない私、なんなんでしょうね~。


そういえば、ちょっと前に住んでいた所は、人口密度も低く、行きかう人達とは誰でも挨拶をする習慣が根付いていましたが、成田に越してきてからは、人が多く、会う人全員に言うわけにもいかないほどのところもあったりして、困惑したことを思い出しました。

自分の住んでいる地域が「ここだ」と分かる時は、ゴミはまあ拾います。

家の前の団地なども落ちていたらまあ拾います。

以前の住宅街であれば、まあ、拾っていました。

しかし、成田に戻ってくると、公道というのでしょうか、通り道のものまでは拾おうという気はおきません。

まあ、少しなら、気分が向いたら拾うこともありますが。。。

これがもっと都会であれば、ゴミ拾いはおろか、当然のごとく行き交う人々と挨拶は出来ません。


適度な人口密度、適度な行動範囲、それがあって初めて「何気ない挨拶」「ちょっとしたゴミ拾い」は私にとっては出来ること、なんでしょうね。

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2017年度 第1回「食と命の教室」

2017年02月18日 | 農的体験・生活
やって参りました、2017年度、1回目の「食と命の教室」です

毎年、色々な大人がまじめに楽しく学ぶこの寺子屋のような教室。

今年は単発の方がとても多く、最後にはお申込みをお断りしたほどです

年間にお申込み頂いた方からは「実は、2~3年前からホームページをチェックしていたんです」というお言葉も
嬉しいですね~

さて、例年通りまずは自己紹介から始まりましたが、今年のみなさんは、ものすごく熱い方がたくさんいました。

マクロビ、あなたと健康などを学んでいる方が半数近くいて、また社会園芸を学んでいる大学3年生から74歳のおばあちゃんまで、まあ、本当に色々な方にご参加頂きました

特に、参加された方々が専門的な仕事をされていて、とても熱い初回となりました。

例えば発達障害支援をしている方がいまして、「お弁当にナゲットとジャガリコを持たせてくるお母さんが『先生、子供を治して下さい』と言ってくるんです」と嘆いていました。

その方は子供の食事を変えようと、有機農産物などで料理をしたものを食べさせることで改善がみられることがわかったそうです。
しかし、どうしてもコストもかかるので自分で有機農業を始めることを決意して、既に農業の学校に通っていて、来年には畑をどこかで借りて農業を始める、ということは決めている方でした。

また、不妊やアトピーの治療をされている方は、「栄養学では限界もあり、またそもそもの精子・卵子が危機的状況で、そこから変えるためには、文化・食卓などの在り方から変えなければと思うようになった」ということで、参加されたそうです。

専門家が行き詰まり、たどり着くところが「食べ物」であり「食卓」であるということに、私も大きな刺激を受けました

「安全・安心」ということは第一義ですが、その先には、「食卓の在り方」、つまり、「食生活」を見直す必要があるということですよね。

さて、自己紹介で1時間ぐらいかかってしまいましたが、そのぐらい熱い教室、今年が楽しみです


その後、いつものごとく里山の散歩です。
今回は時間が押していたので、1,000年以上続く田んぼ地帯と100年ほど前に開墾された畑地帯の2つを見学するのですが、田んぼ地帯だけ見学しました。



高柳さんの話では「我々みたいに地域に根差して生きて来た者には、日本中を歩いても、あぁ、ここは昔から人がすんでいたところだな、というのがわかるんです」と言います。

つまり、山裾の水が沸くようなところは稲作が出来るので、昔から人はそういったところに住み着いてきた、ということです。

逆に台地というか、山の上など、水の手が無いようなところに住宅地があると、「あぁ、ここ100年ぐらいで出来た場所だな」という判断がつくそうです。

千葉では利根川沿い、また新潟や秋田などの大きな平地で今は大規模の稲作が行われていますが、あくまで近年に開拓されたもので、「昔は灌漑設備が整っていなかったから、平地は水の手が悪く、人は住めなかったんだよ」というのは、なるほど~、ですよね

さて、お昼になったので、高柳さんが自分で建てた小屋に戻って、お母さんの美味しいランチです


みなさん「お食事も楽しみにしていたんです」とバクバク食べていました。
何人もの方から「どうやって作っているか、高柳さんの奥様に聞いてみたいです」という言葉出るほど

やっぱり、お母さんの料理は美味しいですよね~

さらに、高柳家特製の甘酒も出てきて、みんな「美味しい~普段、家で作っているのと違う」とびっくりしていました。



さて、午後は「夏野菜の種蒔き」です

高柳家は、いつもこの時期にナスとミニトマトの種を蒔きます。
といっても、ハウスが無いととても育てられませんので、素人の私たちは苗から買った方がいいですけどね

で、まずは苗床作りをします。

まずは「ピートモス」という苔の化石のような保水性がある土をほぐします。


次に鹿沼土という、栃木県鹿沼地域にある土を混ぜ合わせ、ほぐします。
鹿沼土は昔から「保水性があるけど排水性もある土」といわれ、長く農業用の土として重宝されてきたんですよ。

種はゴマのような小さなものなので、土を良くほぐし、混ぜ合わせます。


さて、次は、この混ぜた土を種蒔きポットに入れます。


きれいに入れると、こんな仕上がりになります。


次に水をかけます。種を蒔いてからだと水に流されちゃうからですね。


さあ、いよいよ、ゴマより小さい種を蒔いていきます。

まず、指先で種の3倍ぐらいの穴をあけます。


そこに1粒1粒種を蒔いていきます。


1粒1粒蒔くのは大変なんですよ~
ナスはゴマ粒ぐらいなので、撒いてあるかどうかわからないでしょ?


こんな感じです。


でもミニトマトはさらに小さく、風が吹けば飛んでしまうほど


種があるかどうかがわからない感じです


最後に温床にのっけて、ビニールをかけて終了です。
これで10日ちょっとで芽が出ます。夏に向けて少しずつですが育てていくんですね。


種蒔きが終わった後は、サニーレタスの収獲
包丁で収穫するなんて、普通の人はしたことがないですものね。
さらに袋詰めなんて、素人の方はやったことがないので、みんな「難しい」と言いながら、楽しくやっていました



さてさて、畑仕事が終わった後は、改めて最初の教室に戻り、今年1年でやりたいこと、プログラムや日程のすり合わせをしました。

また、「堆肥ってどう作るんですか?」とか、「有機農業と自然農法ってどう違うんですか?」といった質問も活発に出ました。

高柳さん、実は病み上がりでいまいち調子が出ていなかったのですが、参加者の熱に促されて、尻上がりに調子を上げてきて、いつも以上にお話もたっぷりでしたよ

今年は熱い人が多く、とても楽しみな1年になりそうです。

毎年思うのですが、こういった大人が学べる「寺子屋」のような場所はとても大事ですし、年々、近代日本人の食べ物や病気が悪化していく中、それに比例して、こういった教室に関心を寄せる人が増えていっていると思います。

この教室も5年目。

高柳さんが存命な限りやっていこう、と語り合っているライフワークです。

今年は参加人数が多いかもしれませんので、ご関心がある方は、単発でも結構ですので、お早めにお申込み下さいね。

詳細は→こちらから

今年も楽しく深く学び、良きご縁を繋げていきたいと思います

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種蒔きの季節

2017年02月14日 | 自分の時間
 2月は本来、1年で最も寒い季節のはずですが、もう三寒四温が始まっているような気候ですね。

 道端や畑では雑草や小麦が青々としてきていて、「あ~、そろそろだな」と思います。

 何がそろそろかというと、今年1年の準備をそろそろしなくては、という思いになります。

 特に田畑では、草をとったり、元肥を入れたり。畑ではトンネルで5月出しの大根の種を蒔いていますし、3月植えのジャガイモを用意したり。
 18日(土)の「食と命の教室」では、ハウスの中で夏野菜のミニトマトやナスの種を蒔きます。

 農がある暮らし、地域に根差した暮らしは豊かだと思います。

 地域に根差すことで自分が住んでいる所を大事にしますし、ご縁も大切にしようという気持ちが生まれます。

 また、農があることで、自然の流れに合わせた暮らし方になり、人間都合の目標や計画からは違った世界で生活を営むことが出来ます。

 私も「オーガニックタウン成田」を創ろう、と種まき活動を始めました。

 住んで良し、子供たちにも誇れる成田を創ろうという思いです。

 農閑期だから出来るからですが、田植えなど忙しくなる前の今の時期だからこそ、自分のフィールドを耕したり、色々な種を蒔いていきたいと思います。
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風と土が飛び交う農村

2017年02月08日 | 農的体験・生活
寒い日、暖かい日が交互にある今年の冬ですが、全般的には暖かいですよね。野菜の成長が例年より進んでいるのでわかります。

また雨が本当に少ない

この前の日曜日の雨も少なく、またこれからも雨や雪やらの予報が出ても、乾いた大地を潤すほどにはならなそうです。

農家さんと話していても「今年は3回、砂嵐があったよな」と言います。

成田でも都市部は全く問題ないようで、お風呂場やトイレなど、窓を少しあけていると砂だらけになります

ところが、畑地帯は比べ物にならないほどひどいのです

風で土が舞い上がり、空は茶色くなります。

成田都市部から農村地帯へ車で向かうと、空の向こうが茶色くなっているのがわかるのです。

「あ~、今日も凄そうだな。。。」と思いながら向かうのですが、畑から土や砂が飛んできて、車に「ササ~」っと当たる音がし、すごい時は10m先が見えなくなるぐらいになります

それは「春の風物詩」だったのですが、暦の上では春とはいえ、感覚的には一番寒いこの1~2月に砂嵐が吹くのは、風が凄い、というだけでなく、大地が乾いているのが一番の原因だと思います。


そんな田畑地帯もそろそろ夏秋に向けての準備が始まります。

田んぼは畔を修復したり草を焼いたり、苗を育てるためにハウスの整理をしています。

畑も同様ですし、夏野菜のトマトやナスなどはあと10日ぐらいしたらハウスの中で種を蒔き始めます。

5月出荷の大根のトンネルを、ちょうど今日、張る手伝いをしました。

畑では雑草がどんどん大きくなっていって、寒いのですが暦のとおり生命が躍動し始めています。

科学技術がどうなろうと、自然に合わせて仕事の準備をするのが、農村の変わらぬ風景なんですね
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生産現場と流通(消費者)のギャップ

2017年02月07日 | 仕事の中で
徐々に有機農業農家さんの引退が始まりました。

一般の市場に出す農家さんは育った分を出荷します。
作る作物もそれぞれです。

サツマイモと人参を作る方もいれば、葉物を作る方もいます。

自分の都合にあわせて、体力や好みにあわせて、あとは収入をどれで得るか、という考えです。

最近はニンジンがべらぼうに高くなったので、人参を連作でつくる方も出始めました。

あくまで経済作物ですから、それはもちろん自由なのです。


一方で、有機農業をやっている農家さんは、取引先と半年先の出荷計画をすりあわせます。

例えば、今だったらそろそろ7月のミニトマトなどの出荷量をすり合わせしなくてはいけません。
種蒔きは今月下旬には始まるからです。

取引先の要望に応じて、仲間同士で何を作るか係を決めます。

そして、毎日注文が入った分を出荷します。

これは仕事としては本当に大きな差ですよね?


出来た分だけ出荷する市場出荷。値段は売ってみないとわかりませんが、仕事としては楽です。

それに対し、毎日注文が入り、それに合わせて袋詰めなどをする仕事。値段は年間を通して固定ですから先読みはしやすいですが、毎日、毎日、雨が降ろうと風が吹こうと出荷しなくてはいけません。また、最近は相場が一般の野菜の方が高い、なんていう逆転現象も起きています。

そんな中、知り合いの農家さんで70歳になった方が、有機農業から引退をしたいと言い出しています。

相場には振り回されませんが、仕事としては大変な出荷体系についていくのに、体が大変になってきたからです。

一方で、2020年のオリンピックに向けて、行政から「有機JASや国際規格のGAPを取りませんか?」という案内が来ています。
急きょ高まった需要に対応できないので、国が取得費を全額援助するという事業を始めているからです。

でも、農家のみなさんは冷静です。

「オリンピックが過ぎた後はどうするんだ?」「今まで以上に欠品は許されない、ということになるんだろう?」。

農業は天候次第です。しかし流通側は「欠品は許さない」という姿勢です。

「欠品は許されないから注文予定の倍を作付けして、余った分は自分で売ってくれ」というのが某大手生協の担当者の言葉です。

生協でさえそうですから、大手流通では欠品をしたらクレームです。

有機農業の「生産者も消費者も同じ生活者だ」「1年を通して値段は変えなず、お互いに生活を支え合って行こう」という精神とは程遠いのです。

単に「安心・安全」というものではない所にある有機農業の精神は、流通からは無くなり、農家さん達だけのものとなっています。

そんな農家さん達も、そろそろ引退が始まっています。
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食と命の同窓会

2017年02月04日 | 素敵な空間・イベント
土曜日は「食と命の教室」の年に1度の同窓会でした。

高柳さんとご縁が出来た方は、何かしら生き方に影響を受けます。

また、1年を通じて語り合った仲間は、つながりが深くなります。

1回しか参加していない方も、ここが好きで、高柳さんが好きになると、来たくなります。

そんなご縁が出来た方々が、「教室後、どうなったか?」といった近況報告をしあうのが「同窓会」です。

先月に最終回を迎えた2016年度のメンバーはもちろん、1回目の方も含め、みんなで集まり、みんなでご飯を作り、語り合いながら、高柳さんのお話も聞く。

話は尽きないわけです

実家のご両親が病気になったとか、自分の生きざまをこうしようと思います、とか、みんな、その後、色々あるわけです。

たぶん、世の中の人は「いろいろ」なことがある。

でも、それを普段の生活では見せない、語らないですよね。

そんなことを、このメンバーなら語れる、ということで、色々話をしてくれます。

そして話の内容もそうですが、そんなみんなと場を一緒に出来る。

嬉しいですよね~

遅い人は、仕事が終わった18時過ぎに来まして、最後は20時ぐらいまで。

楽しい1日でした。

そして18日から始まる2017年度の方々も、こういったご縁が出来ると思うとワクワクします

今年度も、素敵なご縁ができますように
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農村に求められるもの

2017年02月03日 | 自分の時間
DMで、以前、関係があったところから農村関係のセミナーの案内が送られてきたんですね。

キャッチや写真やチラシの構成は良いと思うのですが、あまり心が揺さぶられないのです。

なんでかな~、と思うと、1つは、私がすでに「農村コーディネーター」としてかれこれ5年やっているので、知識、経験など含めて、新しいものが何もない、と感じてしまうこと。

ただ、それだけではないな、と思ってふと考えたのが「学びたい内容」がずれているんだな、というのがわかったのです。

なんやかんやで、農業分野や観光・農業体験・民泊・地域づくり・都市農村交流・六次産業化がキーワードとして並びます。

そしてその大前提が「農業や農村資源の新たな可能性を探ること」とか、「地域振興、地域ブランド戦略、観光ビジネス」といった「経済として」という大前提がつくのです。

私は農村に求めているのは「農的暮らし」であり「生き方」です。


「食と命の教室」も「田んぼと畑の耕育教室」も「朝採れ野菜ボックス」も「幻の天然自然薯堀り」も「酒蔵見学会」も「農家の出張餅つき」も、全て「本来、昔の日本人がもっていた暮らしの一部分でも体験してもらうこと」を目的としています。

「みんなの農村ネットワーク」は「都市部住民と農村への架け橋となる」がスローガンであり、設立理由です。

そして、都市部住民の方に、都市部での生活や会社生活など、今の現代社会ではなかなか体験できない「農村の暮らし」や「ちょっと前の大地に根差した生き方、地域に根差した生き方、自分で暮らしを作る生き方」を体験してもらいたい、という思いがあるのです。


だから、農村を「振興して、いかにローカル経済を発展させていくか?」という視点よりは、「農村の暮らしや自然を体験することで、人間らしい生き方、お金に左右されにくい生き方、ひととひとがご縁でつながる世界、人間はしょせん大自然の一部なんだということ」などなどを知ることで、その人が新しい人生を歩めるきっかけに少しでもなれば、という思いが強いのです。

農村の資源は「現代社会人の生き方を変える力」と思うのです。

だから、大きな声で叫ばれているスローガンやキーワードを学んでも、私は「?」といつもなってしまうのですね。

農村で何かを学び、それでまた都会で働いてもいいし、海外にいってもいいし、IT分野に没頭してもいい。
でも、農村のことを知ることで、農業や自然や都市と農村の関係や、人間と自然の関係や、食べ物と命の関係や、会社がすべてでない、とか、人間は本来は素晴らしいものなのだ、とか、もっといえば自己肯定とか、最後は「食べ物と住む場所があればいいや」と思えるとか、そういったことを学べることが、最終的には大きな影響の輪になって、社会を良くすることに繋がっていくんじゃないか、と思うのです。

そう思うきっかけとなったチラシでした。
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